キャラクター/【ユウナレスカ】

Last-modified: 2023-01-28 (土) 11:39:59

ボス敵としてのユウナレスカ


FF10

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FF10の重要人物。CVは小柳洋子
1000年前のザナルカンドに住んでいた召喚士であり、召喚士エボンの娘。死亡時は20代後半。
夫・ゼイオンと共に初代『シン』を倒して死亡するが、死人(しびと)となってザナルカンド遺跡エボン=ドームの奥深くで召喚士とガードを迎え、究極召喚を与える存在となる。
大召喚士には含まれない。
作中では、ユウナの名前の由来となっている。


夫ゼイオンと共に『シン』を倒した伝説的な召喚士として、大召喚士には数えられず別格扱いを受けて敬われている。
彼女を語るときは皆が敬語を使い、名を呼ぶ時も常に「様」付けで、ブラスカのように娘の名前を彼女の一部から取る者がいるなど、スピラの人々から厚く慕われている。

  • 夫ゼイオンとのロマンスはスピラの語り草になっているが、実は夫を犠牲にして、2代目のシンに仕立て、父親のエボンを永遠の存在に祭り上げたと見ることもできる。そういう見方をするならば、ユウナレスカの実態もまた、まったく違って見えてくる。後述のように、ユウナレスカは、少なくとも、究極召喚ではシンを倒せないこと、シンの中核にいるのは父親の異形の姿であるエボン=ジュであることは知悉だった。父親であるエボン=ジュを倒すことが、シンを倒すことという核心的な情報を覆い尽くすため、夫を利用し、後世の召喚士を利用し、エボン寺院を利用したことになる。結局のところ、スピラを1000年間のシンの厄災による暗黒時代に陥れた張本人とも言える。
  • ゼイオンとの愛情が偽りの形ばかりのものであったならシンを倒せるほどの究極召喚獣にもならなかった。安っぽい言い掛かりや陰謀論の類に過ぎない。
    • ゼイオンとの愛情が真実であることと、死の螺旋を完成させることは相反しないのでは。ゼイオンがザナルカンド人であるならば、夢のザナルカンドを守ることに賛同して2代目シンになっていたとしても不思議ではない。つまりエボン・ユウナレスカ・ゼイオンが同じ志を持っていたと考えれば矛盾は無いと思う。
      • それなら1000年も死人として留まり究極召喚という手段を提供し続けるのは何故か?となる。
        シンやザナルカンドの事しか考えていないならスピラの人々に一時の平穏や希望を与える必要もない。
        作中の様な想定外のリスクを得るだけの行為である。
      • 究極召喚を提供し続けたのは、死の螺旋システムに必要なため。ナギ節は究極召喚にエボンが乗り移って幻光虫を集める期間であって、一時の平穏や希望は飽くまでも副次的なもの。作中の想定外は、偶然が重ならなければなし得ることが出来ない想定外中の想定外。1000年間思惑通りになっていることを考えれば、死人として留まり究極召喚を提供し続けることに疑問はないのでは。

夫ゼイオンとの愛の深さも有名で、スピラ地図や、各寺院などで二人で向き合う絵や石像が見られる。

その姿は鮮やかな銀髪を持ち、その長さは床にまで届いてなお余る程である。
女性として身長が高く(173cm)、脚が長くスタイルが極めて良い。
腰からはエボン文字が刻まれた飾りを垂らす。
足首にはアンクレット、二の腕と手首にはブレスレットをつけ、腹には飾りの付いた紐を巻いている。
装飾品は多いが衣装自体は非常に際どいビキニである。
また頭に付けている髪飾りは昆虫の触角のように折れ曲がりながら上に延びている。


実は、死の螺旋を作り出した元凶の一人とも言える人物。作中ではまやかしの希望である究極召喚を巡ってユウナたちと対立し、戦いに敗れ消滅する。
このときの本性を表した彼女の姿はトラウマもの。
例えるならば、地面から顔だけ出した巨大なメデューサである。

  • 一応巨大なメデューサの後ろには美しい姿のままのユウナレスカもいる。
    メデューサっぽいのが本体で、人間の体のほうはチョウチンアンコウのアレみたいなものと取るか、体の一部を増殖・変形させてメデューサのような戦闘器官に変えているかは解釈がわかれるところ。
    • メデューサの髪の毛(?)で作られた座に座っているようにも見える。
      攻撃の際にはメデューサが頭を下げて人間の体を前に出し、その人間が腕を振るう……というような動作をするため、馬や竜のような騎乗生物に乗っているような戦闘方法にも見える。
  • ユウナレスカ本人の言動とこの姿は、表面的には美しいがその実は欺瞞・退廃に溢れているエボン教そのものを端的に表しているとも言える。

『シン』と究極召喚の関係を分かりやすく語ってくれ、スピラの本質についても教えてくれる。
それは要するに、「究極召喚というのは、実は何の解決にもならない気休めというか事態を悪化させる諸悪の根源でしかないのだが、それを隠し、信じていればいつか『シン』がいない世界という究極の幻想が来るに違いないから、皆でエボンを敬い質素に生きようという教えを広め、その偽りの心の拠り所でスピラを支配しているのがエボン教の真実」という衝撃の事実であった。

  • マイカの言動もこれに共通するものがあり、スピラの平穏の為にこのシステムを維持している。
    また、自分の独善性を押し付けている点や死を称え、死を幸いとする点ではシーモアと共通する部分が見られる。

更に究極召喚で死ぬのは召喚士だけでなく、その祈り子にされてしまうかわいそうなガードも1名必要であることを教えてくれる。
召喚士はもともと死ぬ覚悟なのだが、自分は気をつけていれば死なない。と思っているかもしれないガードも1名巻き添えを食う形になるので、大体のパーティーはここで迷うことになるのだろう。
結果的に生け贄を選んで究極召喚を手に入れたパーティーが、大召喚士+伝説のガードと呼ばれることになる。

  • 別に悪化しないし諸悪の根源でもない。穿って見すぎ。
    究極召喚という言わば痛み止めと寺院の支配という統制。この両者があったからこそシンのいる1000年間をスピラが存続できたのは事実である。

もちろん究極召喚には前述のようなとんでもない秘密が隠されているので、真実を知った上で帰ろうとしたパーティーもいただろうが、ユウナレスカにより葬られている可能性は高い。
事実、当時のアーロンが反発するものの返り討ちにあっている。
従ってザナルカンドへ来てしまえば最後、自分は伝説のガードと呼ばれて天寿を全うできると信じていたかわいそうな奴が1人、究極召喚獣となって、ダニに寄生されて後しばらくの休憩の後、スピラ中で暴れる運命になるのである。

  • アーロンが死んだのはブラスカが究極召喚で『シン』を倒した後であり、一度無事に帰っている。
    『シン』不滅のからくりまで知った後はともかく、ザナルカンドに来ただけで殺されることは無い。
    『シン』不滅のからくりにしても、あの簡単に説明する口の軽さからして、ユウナレスカの思想に反抗しなければ大丈夫だと思われる。
    マイカ総老師とかエボン教の一部の人間はそういう過程で真実を知ったのかも。
  • アーロンは真実を知ってユウナレスカに斬りかかったから殺られただけ。
    防衛行動であり殺害の意図はない。事実、ユウナレスカはアーロンにトドメを刺してはいない。
  • だな、究極召喚の真実を知って、それでやっぱりやめた自分たちには出来ないことだと帰る分には問題なかっただろう。
    (実際、アーロンもブラスカとジェクトに「まだ間に合う!帰りましょう!」と提案していた)
    ユウナ達に襲い掛かって来たのは、ユウナレスカが考える究極召喚の考え方そのものを「まやかし」だと否定されたからだしな。
    • でも、旅をやめて帰ったらそれはそれで今度は人々から後ろ指を指されて生きていくしか無いので、本当に死ぬか社会的に抹殺されるかのどちらかになる。
      • そこまで知ってしまった者達は危険視されるだろうから、エボン教が接触してくるのでは?真実をばらさないことと引き換えにエボン教でそれなりの地位を与えると同時に監視する、ぐらいはやりそうだ。それでも従わなければ罪人に仕立てあげて消すぐらいは軽いだろう。
      • 究極召喚の力を得てしまえば、シンと戦わずに帰ることも可能だと思われる。(シーモアがやってる)
        シーモアには真実をぶちまけようなどというつもりは無かったが、もしあったらどうなっていたか興味深い。

彼女は『シン』を倒すのは不可能だと思っている。
だから、そのことでスピラの人々が絶望してしまわないように、例え気休めにしかならなくても人々のせめてもの希望として究極召喚を与え続ける、ってのが彼女の目的ってことでいいの?

  • 『ファイナルファンタジーX アルティマニアΩ』は自然な解釈(純粋にスピラの民を想ってる)と穿った解釈(エボンと共謀していて、エボン=ジュを支障なく存続させるため)などを載せてるが、憶測の域を出ず、真実は謎としている。だが彼女との戦いにおける彼女の変貌ぶりを考えると…?
    • メイチェンはエボンとユウナレスカの共謀説を主張している。
  • 消え去る時に夫であるゼイオンに
    「ああ、ゼイオン許してください。希望の光を失ってスピラは悲しみの螺旋に落ちる……」
    と謝罪しており、絶望に沈みながらの長い時の中で歪んでしまっているため、ユウナたちの時代もそうだったとは必ずしも言えないが、少なくとも当初は彼女なりにスピラの民を思って『シン』という絶対の悲しみを和らげるために、究極召喚とエボン教という『偽りの希望』を作ろうとしたように思える。
  • 穿った見方の方に従うならば『シン』と「究極召喚」を利用して戦争に勝利したはずのベベルがザナルカンドを存在させるための贄にしたとも言える。エボン寺院はザナルカンドやエボンの習俗を取り入れて作られている部分も多く、そのシンボルはザナルカンドで用いられていたエボンの紋章である。
    彼女の言うところの「罪」とはザナルカンドを滅ぼしたことだったのだろうか。
  • バトルアルティマニアの短編小説では、「死んでも死にきれず偽りであれ希望の灯を消さないようにと究極召喚の伝導を続けた結果、その矛盾に耐えきれず心から魔物と成り果てた。」という説をとっている。
  • 前者の「自然な解釈」によっても、彼女は究極召喚こそがスピラの民の哀しみを救う唯一かつ最大の手段だと心から信じていると見られることからすれば、究極召喚を否定しようとするユウナたちを殺してでも排除しようとする行動も、合理的に説明ができる。その意味では、戦闘で彼女が豹変したこと自体は、いずれの解釈にもつながりうる。とはいえ、究極召喚がスピラの希望であることを否定してその継承を拒んだというだけで『絶望に落ちる前に殺して楽にしてあげよう』と考えるのはさすがに突飛であり、ユウナレスカの前記のような考えは大きな狂気をはらんだものであることは確かであろう。短編小説の「その矛盾に耐えきれず心から魔物と成り果てた」という説明は、原作におけるユウナレスカにも当てはまるように思われる。
    • そりゃまあ1000年もの間そんなことを続けていれば、たとえきっかけが純粋なものだったとしても壊れてしまうのは当然であろう。結局完全な救いにはなりえないのだから。
      狂わず当初の気持ちを維持できていたら正直そっちの方が恐ろしい。所詮は人間。神ではないのだから。

究極召喚獣の祈り子には、像は存在しない。エボンドームにあるゼイオン像は後から造られたただの石像。
またEDで消えた召喚獣の祈り子は「眠った」だけで、究極召喚の祈り子はエボン=ジュに乗っ取られて『シン』に作り替えられるわけだから事情が違う。

  • エボンドームのゼイオン像は「すでに力は失われた」って言われてるから、作り物ではなくゼイオンの祈り子像そのもの。
    ユウナレスカの究極召喚=ゼイオンが『シン』となり、後続の大召喚士に倒された事で消え去ったために抜け殻となってるんだろう。

希望の為と言いつつ、ほかならぬ彼女自身が絶望にとらわれているように見える。
恐らく犠牲を出さずにすむ方法が試しつくされたであろう1000年前に『シン』と戦い、結局夫とともに生贄になった人間としては仕方のないことかもしれないが。

  • 自分自身が絶望に打ち拉がれたからこそ、自分と同じ道を辿る召喚士にせめてもの助け舟を出してるのだろう。
    尤も、まさに命懸けでシンを倒すつもりで来た召喚士に、"ガード共々犬死にになってもらうけどそれでいい?"などと問いかけるのは、寧ろ絶望を与えることに外ならず、それを優しさと受け取れるかはかなり難しいところと言える。
    犬死にの事実を隠したほうが、不誠実ではあるものの、希望を抱かせたまま殉職させてやれると思うのだが、その辺りは絶望のまま死人となったために思考がそこで停止しまっているのかもしれない。
  • 「仲間を犠牲にする覚悟すらないような奴に究極召喚は渡せない」という彼女なりのこだわりからその覚悟を問うている可能性もある。

「希望のための犠牲」を求めるその姿は、これまでのFFシリーズに多かった自己犠牲展開への自己批判とも取れる。


実際のところ、ティーダの父ジェクトが『シン』になる確率、アルベド族と仲良くなるための族長の娘リュックとの出会いが起きる確率などなど、『シン』を倒せるという状況に持っていくまでには数知れない偶然が積み重なっている。
これらがなければ『シン』打倒は現実的に不可能であり、ユウナレスカがまやかしの希望に浸りたくなる気持ちも分からないでもない。
事実、本来のシンに安易にちょっかいを出せば津波やテラグラビトンで一方的に虐殺される。
文明の進化で対抗しようにも敏感にかぎつけられ、一瞬で壊滅。
これでは原始時代の人間が石器でガンダムに挑むようなものである。
確実に訪れる一時の平和を望むか、来るはずのない永遠の平和を信じて突き進むか、脅威におびえながらも生きている人間にとってはどちらが正解なのかは分からないのである。

  • FF10はFF8のような運命論の世界ではない(製作スタッフの明言がない)ので、意見が分かれる。
  • ただ、一般人がこの事実を知ったとしても「まやかしの希望」を選ぶ人の方が多いかもしれない。誰でも先の見えない残酷な現実よりも、薄汚くてもそこにある希望が大事なのだから。

究極召喚に徹底的に反発したアーロンと、彼が死の間際に出会ったキマリ、ザナルカンドから連れてきたティーダがいなければユウナ一行は確実に究極召喚を遂行していただろう。また、その後『シン』を倒せたのもジェクトとティーダがいた(祈りの歌が通用した)からで、全てはスピラからみて外様である二人と半外様である一人が終わらせたことであり、ユウナ一行は過去の召喚士たちと何も変わるところはない。
いくつかの偶然と出会いが必要だったとはいえ、『シン』はその体内に宿す夢のザナルカンドに滅ぼされたのであり、ある意味必然だったともいえる。
全ての始まりは練習に出かけたジェクトが『シン』と接触したところであるが、もしかしたらこれも何かの導きがあったのかもしれない。

  • ジェクトがシンになってアーロンがティーダをスピラに連れ出すところまでは必然的かも知れないが、ティーダがユウナ一行と合流出来たのは全くの偶然で、ティーダが居なければジェクトの作用もそこまで影響せず、今回のように倒すことは出来なかったと思われる。
    ティーダが飛ばされる先の要因に理由付けがきちんとされてれば、もっと綺麗な必然性を生み出せたと思うと、少々勿体無くも思う。
    • ジェクトが途中でティーダを落としてしまった説。
      最初からビサイドに連れて行くつもりだったけどうっかり落としてしまい、とりあえず近くを巡ってたら船の上にいたので「おうここにいたか、そんじゃ回収な」ととりあえず吸い込んで離脱。
      文明の塊である飛空挺やアルベドの船が明確に破壊されてないのは純粋にティーダ回収&ビサイド送りを最優先にしていたため、と考えるとそれなりに自然ではないだろうか。

FF10-2にも少し登場する。

PFF

プレミアムメモリアとして登場。使用武器は波動
2016/12/22に開催された「クリスマスバトリア」のランキング報酬として追加された。


悲しい闇に生きるより、希望の光に満ちた死を。

専用ではないが「ユウナレスカのサークレット?」がある。
白魔法と召喚が得意。

知性がかなり高く、幸運も高いエクサメモリア。
リーダースキルを使えば白魔運用もHP吸収も使えるため、属性強化でなかなかの火力が出せる。召喚魔法がついでの気配。
プレミアムスキルでクエスト中の1回限り、モンスター全体に即死攻撃ができる。

FFBE

2019/8/1開催のFFXシリーズイベント「エボン=ドーム」に合わせて実装。☆5~7のいわゆる召喚士ユニット。
属性は風・闇に特化しており、攻撃以外に耐性アップやHPMP回復などもできる。
通常時は攻撃する際に髪が伸びる程度の人間形態だが、LBオーバーデスの演出で地面下からもりっとメデューサ部分が現れる。

WOFFMM

大召喚士として登場。
バロン城でリディアと共に、ヴァルガランの救世主となり得るかもしれない「プレイヤー」を召喚し続けている様子。