生まれ
きそよしまさ
1540年生まれ
1595年没
どんな人?
戦国時代の武将
木曽義仲の嫡流の名族
木曽義康の子として誕生した。
当時の木曽家は武田信玄の信濃侵攻を何とか防いでいたが、義昌が15歳の時にとうとう武田に降伏した。
武田信玄は義昌に自分の娘と結婚させた。
武田信玄が死ぬと、義昌は新たな当主となった武田勝頼に不満を持ち始める。
とうとう遠山友忠を通じて織田信長と裏でつながり、[[武田勝頼]に反旗を翻した。
怒った武田勝頼は武田信豊を大将とした討伐軍を送り込む。
義昌は織田信長の長男・織田信忠に援軍についてもらい、武田軍を撃退した。
が、悲しいことに人質になっていた70歳の母と17歳の長女・13歳の長男が処刑されてしまった。
武田家が滅亡した後、織田信長が本能寺の変にて殺されてしまう。
信濃は混乱しまくることに。
義昌はここで徳川家康を頼り、助けてもらった
が、家康と豊臣秀吉の仲が険悪になってくると義昌はどっちつかずの態度にでる
そのため家康はこれ以降義昌のことをあまり好きじゃなくなってしまった
逸話
●武田家ファンの中では、穴山信君・小山田信茂と並んで人気がない武将
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祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ