武田勝頼

Last-modified: 2013-10-29 (火) 05:43:24

生まれ

たけだかつより

どんな人?

戦国時代の武将
武田信玄の息子

おいたち年表

1546年1歳誕生!
1562年17歳諏訪氏の血を引いていたことから、諏訪氏を継ぎ高遠城?主に
1565年20歳織田信長養女を正妻に迎える
1567年22歳長男・信勝?誕生。遠山夫人は難産の為、死没
同年武田義信武田信玄と対立し、結果自害。義信事件?実質的な後継者として、勝頼は甲府に戻る
1569年24歳小田原城攻め。三増峠の戦いに従軍
1572年27歳信玄の上洛に従軍。三方ヶ原の戦い
1573年28歳信玄、没。信玄派と勝頼派の派閥争いが起こる
1574年29歳美濃を攻め、明智城?を落とす。遠江?高天神城を攻略し、以降拠点とする
1575年30歳三河長篠城?を攻めるも、長篠の戦い織田信長徳川家康の連合軍に敗れ、多くの家臣を失う
1577年32歳相甲同盟強化の為、北条氏政の妹を正室に迎える
1579年34歳御館の乱に巻き込まれ、上杉景勝と同盟した事により、北条氏から同盟を破棄され、北条氏と織田・徳川といった周囲を敵に回す
1581年36歳徳川家康高天神城を奪う。真田昌幸に命じ、甲斐韮崎?新府城?を急造し、本拠とする
1582年37歳信濃福島城?木曽義昌駿河?江尻城?代で従兄の穴山梅雪が織田方に寝返る。その為新府城?を出て、天目山に向かうも重臣の小山田信茂の裏切りに遭い、甲斐田野にて自害

逸話

●辞世の句「おぼろなる 月もほのかに 雲かすみ 晴れて行くへの 西の山のは」
●民衆の噂バナシ・・・「勝頼は呪いの子」

勝頼の母は、父・武田信玄が諏訪攻めをした時に滅ぼした諏訪家の娘であります
そのため武田家が滅亡した時、民衆は口々に「諏訪家の復讐をした呪いの子」と噂しあいました

関連のある人々

父親・・・武田信玄
母親・・・諏訪御料人諏訪頼重の娘)

祐筆の人物批評

由衣・・・父親を超えることができなかった息子。父が偉大だと大変なのかもしれないですね

祐筆

●一番手・・・由衣
●二番手・・・ハガクレ 逸話だけプラス
●三番手・・・鱒 年表だけプラス