榊原康政

Last-modified: 2020-04-24 (金) 16:04:36

生まれ

さかきばらやすまさ
1548年~1606年

どんな人?

徳川四天王の一人

おいたち年表

1548年1歳三河にて誕生!
1560年13歳三河の大樹寺で徳川家康に初めて拝謁。  
1562年15歳父親が死去。叔父の養子となって徳川家康に仕える 
1563年16歳三河一向一揆初陣。この時立てた武功により家康の「康」の字を賜る。元服してからは康政と名乗る   
1564年17歳今川氏の吉田城攻め。鳥居元忠本多忠勝らとともに先陣を務める   
1568年21歳近江国堀川城攻めで先陣を務める。   
1569年22歳近江国天方城の天方通興を攻め、勝利する   
1570年23歳姉川の合戦先陣を務める。また朝倉軍への側面攻撃を行い、徳川本軍と連携して挟み撃ちをする   
1572年25歳三方ヶ原の戦いで先陣を務める   
1573年26歳長篠城を救援にきた武田信綱を迎え撃つ   
1574年27歳遠見国犬居城攻めで敵の逆襲を受ける
水野忠重大久保忠世とともに戦い退却させる
1574年28歳長篠の戦いで勝利に貢献。
遠見国光明寺城攻めで本多忠勝先陣を勤め攻め落とす
1578年31歳駿府国田中城攻め   
1580年33歳遠江国高天神城攻め   
1581年34歳長男の榊原忠政が誕生   
1582年35歳主君・家康が織田信長拝謁。お供をする   
1582年35歳本能寺の変。家康とともに伊賀超えする   
1584年37歳小牧・長久手の戦い。先陣を務める。
井伊直政池田勝入隊を倒す   
1585年38歳次男・榊原忠長が誕生   
1586年39歳豊臣秀吉の妹・旭姫と家康が結婚。榊原の家が休息所となる   
1589年42歳長年ともに戦い続けた大須賀康高が死去。
康政の長男・忠政が大須賀家を継ぐ   
1590年43歳秀吉の小田原征伐  
1590年43歳家康が関東へ入国。その際、館林10万石を貰う。三男・榊原康勝が誕生   
1592年45歳朝鮮出兵。江戸にとどまり徳川秀忠の補佐役となる  
1595年48歳関白豊臣秀次の謀反を聞き、家康とともに上洛する   
1600年53歳上杉景勝征伐へ参加。本多忠勝とともに前軍となる  
1600年53歳徳川秀忠に従い、関ヶ原へ向かう。
途中、真田昌幸の籠もる上田城めで手間取ってしまい、本戦に間に合わず徳川家康に激怒される   
1600年53歳戦後の諸将の軍功評定を本多正信本多忠勝井伊直政大久保忠隣徳永寿昌とともに行う  
1603年56歳徳川家康征夷大将軍になる   
1604年57歳次男の榊原忠長が死去する   
1605年58歳秀忠が二代目将軍となり、上洛する。康政の娘が秀忠の養女となる  
1606年59歳館林城にて死去   

逸話

●榊原家は三男の榊原康勝が継ぎました

●豊臣秀吉 康政の首に懸賞金をかける

小牧・長久手の戦いの時・・・(秀吉VS家康の初対決バトル)
康政は敵味方にこのような手紙を書きまくりました

「秀吉は百姓の子だぜぇ!それを信長公に取り立ててもらったっつーのに、どうやらその恩を忘れているようだぜっ!うちのチームには信長公の息子・信雄殿がいるっつーのに弓を引くとはいったいどーゆーことだ!!神様は必ず秀吉に罰を下すだろうサ」

この手紙を見た秀吉はめちゃくちゃ怒り「にっくき榊原めぇぇl!!康政の首を持ってきたヤツには10万石やるから討ち取って来い!!!」と、康政の首に懸賞をかけたのでした

ちなみにその後康政は上野国10万石の藩主となっているので、まさに10万石の首、ということですね

●徳川信康 康政に弓を向ける

家康の長男信康は普段から粗暴な行いがあったらしく、康政の諌言することは少なくなかったよう
ある時もまた康政は信康を諌めようとしましたが、逆ギレされて矢を射掛けられそうになります

でも康政は泰然として動じなかったので信康は感心し、弓を下ろしたそうです

●隊旗には「無」の一文字を用いました

●能筆家としても知られる康政は、家康の代筆を務めることもあったそうです

●康政が亡くなった時、側近の南甚之助直道が追腹しています

関連のある人々

父親・・・榊原長政
正室・・・大須賀康高の娘
兄・・・榊原清政 

息子
長男・・・大須賀忠政
次男・・・榊原忠長
三男・・・榊原康勝


鶴姫・・・徳川秀忠の養女・池田利隆の妻
娘・・・酒井忠世の妻
養女・・・喜連川義親?の妻

祐筆の人物批評

あいら・・・徳川四天王が大好きです。

二番手・・・ハガクレ 逸話1つプラス

三番手・・・千 康政くん、同僚が目立ちすぎて若干地味だけどめちゃくちゃ好き

祐筆

●一番手・・・あいら