木曾改二

Last-modified: 2013-12-13 (金) 22:31:27
No.146
KisoKai2.png木曾・改二(きそ)球磨型 5号舰 重雷装巡洋舰
舰船属性
耐久44火力43(18)
装甲46雷装96(80)
回避70(45)对空37(24)
搭载0对潜64
速力高速索敌39
射程13
装备
61cm五連装(酸素)魚雷
13号対空電探
25mm三連装機銃
不可装备
改造表
木曾木曾改(Lv20) → 木曾改二(Lv65)
图鉴说明
5500トン型の轻巡洋舰、球磨型の木曾だ。よろしくな。
やれ、滑走台だ、カタパルトだ、そんなもんはいらねえな。
戦いは敵の懐に飛び込んでやるもんよ。なあ?
CV・台词一览
台词(cv:佐倉綾音)
入手/登录
母港/详细阅览
编成
出击
选择远征时
发现道具
开战
航空战开始时
夜战开始
攻击
小破
中破
爆衣画面
胜利MVP
回港
补给
改装/改修/改造
入渠(小破以下)
入渠(中破以上)
建造完毕
显示战绩
击沉
报时
放置时

在游戏中

  • 2013年12月11日のアップデートで実装された木曾改のさらなる改造型。
    同型の北上改二大井改二と同じく重雷装巡洋艦となっている。
    改造可能レベルが65と、彼女らより高くなっているのは、史実では予定されていただけで実際に重雷装巡洋艦に改装された事実がないからであろう(ex:扶桑改)
    またの時点で重雷装巡洋艦である北上・大井とは異なり改の段階では轻巡洋舰である。
  • 本艦は雷巡の中でも性能上差別化が取られている。北上改二や大井改二と比べると雷装の上限が29低いが、対空の上限が23高く、やや対空寄りの性能となる。
    また、雷装以外の他のステータスもこちらのほうが若干高い。
    • 同種艦と比較し抑え気味とは言え雷装値は110。充分に高い数値であり、甲標的 甲との相性も良好な水準を保っている。ボス以外大抵の相手の装甲値を上回っている事を考えると雷巡の恐ろしさは健在。
    • 雷装値が低い分大井・北上と比べると夜戦能力も劣るが、それでも他艦種に大きく差を付けて高い。運の値は大井と同じなのでこちらも連撃装備が良いだろう。
    • 対空値が強化されている。少数の轻空母相手なら充分差を生むが、後半マップでは焼け石に水。そもそも対空迎撃は艦隊全体で考慮するものであり、上昇した数値も少なくは無いが彼女一人を過信は出来ない。開幕航空戦から守るなら制空権を取るなり艦隊全体で守りを固めるなりしたい。
    • 対潜値も五十鈴改二の次に高く阿賀野型と同等。装備スロットに余裕の無い雷巡においては対潜装備を装備させづらいため、ダメージでは1~2の差ではあるが他雷巡より僅かながら対潜水艦ダメージ上昇が期待出来る。
    • 大井・北上との威力面での具体的な差を書き出すと、同行戦で重巡以上が相手になると開幕雷撃で落とし切れない事も多くなる事、夜戦ではボスクラスを相手にした時決定打にならない事が増える事。他ステータスが強化されているとはいえ、他雷巡のような圧倒的威力をスポイルされている事は状況次第では無視出来ない差になっている。同じような運用をすると無理が顕になる事も考慮したい。
  • 搭載機数は0になっている。本人曰く、"水上機?…要らないねぇ、そんなモノは。"だそうな。
  • 背中の艤装や外套に施されている縞模様のパターンは、第5艦隊の第21戦隊に編入された際に北海道で施された北方迷彩模様を表わしたものと思われる。
    • 外套の飾り紐は正装・礼装時用の「飾緒」(陸軍では「しょくちょ」、海軍では「かざりお」と読む)と呼ばれるもの。
      木曾が身に付けている金色の飾緒は海軍における参謀の職にあることをを示している。同様の参謀飾緒は扶桑も佩用しているのが確認できる。
  • 以下性能比較表(簡易最終値ページより)
    No名前改造Lv火力雷装対空対潜索敵耐久装甲回避搭載速力スロット燃料弾薬
    115北上改二5063139497943304363830高速32555
    114大井改二5063139497943134363830高速32555
    146木曾改二6564110728249134465840高速32550
  • ちなみにボイスは後日追加される予定。

小捏他

  • 当初、1937年に初めて重雷装艦を実装する計画が立った時に白羽の矢が立ったのは北上大井木曾の3隻であった。
  • この3隻が選ばれた理由は不明だが、この前後には次のような流れがあった。
    • 1930年のロンドン条約で、本来破棄されるところを主力艦1隻と巡洋艦3隻を練習艦への改装の条件で保有する事を認められた帝国海軍は、主力艦として比叡を練習艦に改装した。
      巡洋艦としては1932年に就役が古い球磨多摩北上を指定し、練習艦に改装・・・する予定であった。(軽巡枠には余裕があったため改装しなかった?)
    • ところが、1934年末から行われた球磨型の近代化改装では、何故か北上大井木曾のみ航空兵装を装備されなかったのである。
      練習艦の指定がこの3隻に変更された為と思われるが、何故変更されたかは不明である。
    • 結局巡洋艦の練習艦も、1938年に香取型3隻を新規建造することが決まった。これはそれまでの練習艦が老朽化したため。
  • 不思議な運命で重雷装艦へと改装が指定された3隻は機密扱いとされ、戦争開始直前に改装が完了するよう計画が進められた。
    そして遂に1941年8月に改装が開始・・・されたのだが、今度は何故か木曾のみ改装が行われなかったのである。
  • これも何故土壇場になって改装が取りやめになったのかは不明。
    ただ、当初重雷装艦の装備計画は14cm単装砲7基を全て撤去し、12.7cm連装高角砲4基・25mm連装機銃4基・61cm四連装魚雷11基。
    対空装備も当時の帝国海軍艦艇と比べて充実していた、かなりの重装備であった。
    しかし実際北上大井に実装されたのは、14cm単装砲4門・25mm連装機銃2基・61cm四連装魚雷10基。
    当時高角砲の生産が予定に追いついておらず、逼迫する戦争準備の状況に改装を間に合わせる為の判断であったのかもしれない。
    • 木曾改二の対空が他の雷巡より高いのはその当初の装備計画を反映したものだろうか。
  • なお、史実での木曾は1944年8月に内地にて32号対水上電探を試験運用していた。その後11月にマニラ湾で大破着底してしまったが、この際に32号電探を装備していたかは不明である。

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