型録 | ||||
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景光りゅうこ(かげみつ-) | 希少度 ★★★ | |||
分類 | ||||
属性 | 金 | 間合い | ||
種類 | 太刀 | |||
奥義 | ||||
奥義名 | のぞき龍(のぞきりゅう) | |||
効果 | 近距離の敵:ダメージ(中) | |||
公式説明 | ||||
度胸と腕っぷしが自慢の姉御肌の真剣少女。自分の目で見たものしか信じず、特に成長具合確認のためと称しての脱衣所での覗きは毎度攻防となる。 実力本位の姿勢が気に入られ、「小龍景光」と縁を結ぶ。 | ||||
加入時コメント | ||||
よぉ、アンタ何かこまってんのかい? この私、景光りゅうこが力になるよ! |
読み込み完了 | |
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ログイン | |
ログインボーナス | |
お知らせ | |
詳細 | 何でも聞きな? |
戦績(リーダー) | ちったぁ、アタシにも覗かせなよ |
屋敷 | おい、スカートめくるなよ?焼きいれるよ |
ちょっ、りゅうこちゃんはやめてくれないか | |
屋敷(好感度高) | (反転)&color(foreground[,background]){text}; |
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屋敷(好感度低) | (反転)&color(foreground[,background]){text}; |
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任務開始 | |
任務完了 | |
討伐開始(易) | アタシにかなうと思ってんのかい? |
討伐開始(普) | |
討伐開始(難) | |
エリア移動 | よっと、ちょっと待ってな |
攻撃 | おらっ |
たあっ | |
攻撃(ミス) | |
攻撃(クリティカル) | おりゃーっ! |
負傷 | |
回避・無敵 | |
敗北寸前 | |
敗北 | |
気合い1 | |
気合い2 | |
気合い3 | |
気合い4 | |
気合い5 | |
休憩 | |
奥義 | アタシのとっておきを喰らいやがれ! |
勝利 | へへへっ、終わったみたいだね |
離脱 | |
首級 | アタシかい?アンタの役に立ったんならよかったよ |
屋敷へ(勝利後) | おっしゃあ!今帰ったよ! |
屋敷へ(離脱後) | |
研磨(斬れ味良) | これくらい放っておいたって平気さ |
研磨(斬れ味普) | |
研磨(斬れ味悪) | |
布陣配置 | |
リーダー任命 | アタシに任せときな |
試斬開始 | へへへっ腕がなるね! |
試斬成功 | |
学舎失敗 | くっそ、失敗だ |
奥義習得 | |
奉納 | 何を願おうかねぇ? |
奉納成功 | ん?効果あったかい? |
ボイス音量調整 | やんのかコラァ! |
放置1 | |
放置2 | |
放置3 | |
装備 | アタシにくれるってのかい?うしっ!やるよ! |
真剣少女について
- アプリ版リリース時から在籍。
- 名前の「りゅうこ」の由来は刀の号「小龍景光」か。
刀談
鎌倉時代の刀匠、備前国長船住景光作の太刀がこいつ、「小竜景光」だ。おっと、竹刀の方じゃないよ。刀身に龍の彫り物があることからその名が付けられたんだ。
倶利伽藍龍の彫り物ってもね、柄に隠れて龍の頭にしか見えないんだけどね。だから「のぞき龍景光」とも言われてる。こら! 見たいからって勝手に覗くのは良くないよ!
小龍景光は楠木正成の佩刀であったと伝えられている。ゲリラ戦法を使い、鎌倉幕府からは「悪党」と呼ばれていた楠木正成だが、国のため、世のために力を尽くす忠義の人でもあったんだ。忠ってわかるかい?
刀の正式名称
太刀 銘 備前国長船住景光(びぜんのくにおさふねじゅうかげみつ)
号 小龍景光
逸話
万里小路藤房が楠木正成に贈った、豊臣秀吉が徳川家康に贈ったという説もあるが、福永はきわめて疑わしい説として扱っている。
天保年間(1831-1845年)頃、河内の農家にあったものを刀屋が見つけ出し本阿弥家に鑑定に出すが、本阿弥ではこれを偽物として折紙を出さなかった。ところが、帰る途中の刀屋を、江戸幕府の代官中村覚太夫(八太夫)が三島(現在の静岡県三島市)まで追いかけて買い取ったらしい。
作風
鎌倉末期の備前国、長船派の刀工景光の作。
刃の長さは74cm。
はばきもとの表に精緻な倶梨伽羅竜(くりからりゅう)の彫り物がある。この事から号を「小竜」と付けられた。
※倶梨伽羅竜とは、不動明王の化身で、炎を纏った竜が剣に巻き付いた姿で描かれる。
また、裏には梵字が浮彫されている。刀身の元より、龍が覗いているように見えるため「のぞき龍景光」とも呼ばれた。
歴史
南北朝時代の武将・楠木正成が所有していたと言われているが、確たる記録もなく不明である。
江戸時代の末期に、山田浅右衛門という代々御様御用(おためしごよう)、刀の試し切りをしていた家が所蔵。
この山田家の記録によれば、楠木正成からいつの間にか豊臣秀吉の所有となり、後に徳川家康に譲られ、それが何故か河内の農家に有ってその後転々としたのち、山田家が買い取ったと言う事だが、他に裏付けの資料もないため伝来に関しては不明としか言い様がない。
その後この刀は、山田家から刀剣マニアで知られていた明治天皇に献上された。明治天皇はこの刀の拵えをサーベル軍刀調にしつらえて、携えていたという。
昭和27年、国宝に指定された。
現在は東京国立博物館に所蔵されている。