北条氏康

Last-modified: 2010-03-30 (火) 13:06:28

生まれ

1515年
2代当主・北条氏綱の嫡男
北条早雲の孫

どんな人?

戦国時代の北条家三代目当主

おいたち年表

1515年0歳誕生!
1530年16歳初陣は上杉朝興勢。この戦いは勝利する 
1538年24歳第一次国府台合戦に参戦 
1541年27歳北条氏綱の死によって家督をつぐ
1546年32歳河越夜戦 武蔵国河越城を攻めてきた上杉朝定を討ち、関東管領上杉憲政追い出す  
1552年38歳上杉憲政を越後へ追い出す。上杉憲政上杉謙信を頼ったため、以後上杉謙信と戦うようになる  
1553年39歳三国同盟 武田信玄今川義元と手を結び、以後 上杉謙信と戦う   
1559年45歳隠居。息子の北条氏政に家督を譲る    
1560年46歳三国同盟が破綻。今川義元桶狭間の戦い織田信長に殺されたため、
武田信玄が今川領地の駿府国を侵攻しはじめた 
1561年47歳上杉謙信が大軍で小田原城を攻めるも防いだ
1564年50歳第二次国府台合戦で里見氏に勝利!上総国を一時平定する 
1568年54歳武田信玄がどんどん領地を侵攻してたため、徳川家康と手を組んで武田信玄を駿府から追い出す 
1569年55歳越相同盟 上杉謙信同盟をくむ。そして息子の氏秀(のちの上杉景虎)を上杉謙信養子に渡し、
北条氏政の正室(武田信玄の娘)と離縁し武田家へ送り返す。
これによって完全に武田家と敵対するようになる
1569年55歳武田信玄が 小田原城を攻め込むが防ぐ。
そして甲斐へ戻る武田信玄の軍と戦うが三増峠の戦い敗北してしまう 
1571年56歳体の具合が悪くなり、死んでしまう

戦国時代の大名 北条家の全盛期を築いた人

北条家三代目の氏康は、生まれた時から四方八方バトルだらけ

関東を制覇するために戦い続けていました

一躍名を有名にしたのは河越夜戦
関東管領という役職(関東地方を治めるというもの)を巡って山内上杉氏とバトルした時に、8万の敵に対して3000人で夜襲をかけ大勝利

これをきっかけに関東一円をゲットしていく

が、この関東管領という役職を、山内上杉氏があの上杉謙信に譲っちゃったもんだから大変なことに

以後、関東制覇に向け上杉謙信とたびたびバトル

さらにはお隣武田信玄とも領地争いでバトル

さらに奪った領地の里見家ともバトル

さらにさらに、山内上杉家とも相変わらずバトル

とにかくバトルだらけ

バトルだらけなので、居城である小田原城は改築・改築・増築・増築と巨大な城となっていく

が、武田・今川と「ひとまずお休みしましょうや」ってことで三国同盟を成立させ、お互い楽チンに

が、それもつかの間

同盟は破棄されまたもバトル

この頃武田信玄はノリノリだったので、北条に攻め込むことに

しかたないので氏康は嫌いな上杉謙信とも同盟を組んだ

が、武田信玄小田原城に攻めて来た時、氏康は上杉謙信に対して「応援に来て」とお願いするも、上杉謙信は援軍をよこさなかった

そのため氏康はまたも上杉謙信のことを嫌いになる

こうして一生バトルを続け、とうとう57歳で死去した

死ぬ時、「上杉謙信は信用できん!武田信玄と同盟を結べ!」と言った

逸話

●子供の頃はかなりのビビリ
●生涯三十六度の合戦で、たった一度も敵に背を見せてない。受けた傷は全て向こう傷
●氏康が死んだ時、領民は泣き崩れた。かなりいい政治をしていた
●奥さんとはかなり仲良しだった

●ゴミ一つない小田原シティ

氏康は城下町を発展させるために、全国から文化人を呼び寄せました
小田原の町は東国最大の都市となり、上下水道も完備されたすっごくキレイな町だったそうです

●領民からは大人気だった

おじいちゃんの北条早雲&父親の言葉を守り、質素を心がけていた氏康
領民にも優しく、まさにグッド領主だった
氏康が亡くなったときは、領民はみんな泣いて死を悲しんだ

関連のある人々

父 北条氏綱北条氏綱・・・二代目当主

母 養珠院宗栄


瑞渓院  (今川義元の妹)・・・正室

松田殿  側室

兄弟
北条為昌 ほうじょうためまさ

北条氏尭 ほうじょううじたか ・・・氏綱の四男

姉妹

大頂院殿・・・北条綱成の妻

浄心院・・・太田資高 おおたすけたかの妻

高源院・・・堀越貞基 ほりこしさだもとの妻

芳春院・・・足利晴氏 あしかがはるうじの妻

ちよ・・・葛山氏元 かつらやまうじもと

娘・・・吉良頼康 きらよりやす

息子

新九郎
北条氏政・・・四代目当主

北条氏照 ・・・氏康の三男

北条氏邦 ・・・氏康の四男

北条氏規 ・・・氏康の五男

北条氏忠 ・・・氏康の六男佐野宗綱 さのむねつな の養子にいく

北条三郎 ・・・氏康の七男上杉謙信の養子・のちの上杉景虎

北条氏光 ・・・氏康の八男

北条夫人(桂林院殿) ・・・氏康の六女・武田勝頼の正室

早川殿・・・今川氏真の正室

七曲殿・・・北条氏繁の妻

浄光院殿・・・足利義氏 あしかがよしうじの妻

菊姫・・・里見義頼 さとみよしよりの妻

長林院殿・・・太田氏資 おおたうじすけの妻

尾崎殿・・・千葉親胤 ちばちかたねの妻

種徳寺殿・・・小笠原康広の妻

娘・・・千葉利胤 ちばとしたねの妻

一族

北条幻庵・・・北条早雲の三男

北条綱成 ほうじょうつななり・・・氏康の弟の養子

北条氏繁 ほうじょううじしげ・・・綱成の子

家臣

安藤良整 あんどうよしなり・・・行政担当

石巻康敬 いしまきやすまさ 

猪俣邦憲 いのまたくにのり

板部岡江雪斎 いたべおかこうせつさい・・・右筆・評定衆。外交関係がうまい

上田朝直 うえだともなお

梶原景宗 かじわらかげむね・・・水軍担当

清水康英 しみずやすひで

大道寺政繁 だいどうじまさしげ

大道寺直次 だいどうじなおつぐ

多目元忠 ためもとただ・・・氏康の軍師

遠山綱景 とおやまつなかげ

富永直勝 とみながなおかつ

成田長泰 なりたながやす

垪和康忠 はがやすただ

垪和氏続 はがうじつぐ

風魔小太郎 ふうまこたろう

松田憲秀 まつだのりひで・・・家老

山角康定 やまかくやすさだ 評定衆

祐筆の人物批評

●かこりん・・・ほかの戦国大名に比べて地味な感じがします

祐筆

●一番手・・・
●二番手・・・鱒「修正のみ」