生まれ
さなだまさてる
1543年生まれ
1575年没
どんな人?
真田幸隆の次男
幼い頃から小姓として武田信玄に仕えた。
賢い子だったため信玄にとても気に入られ有力な武将の子供たちが命じられる「百足衆」に入れられる。
つねに信玄に従っており、信玄からも「わが両眼だ」と誉められるほど。
そして兄の真田信綱を補佐しながら武田家のために活躍した。
が、武田信玄が死に、息子・武田勝頼の時代になると、織田信長や徳川家康[に狙われるようになる。
33歳の時、武田VS織田・徳川の長篠の戦いが起きる。
昌輝は織田軍の佐久間信盛と戦い、奮闘するが怪我をしてしまい、兄とともに討死した
逸話
●息子の信正はその後徳川家に仕える。子孫達は越前真田家として存続した
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関連のある人々
父親・・・真田幸隆
母・・・海野氏の家臣河原隆正の妹
兄
真田信綱
弟
真田昌幸、真田信尹
妻・・・相木昌朝の娘
子・・・真田信正
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ