注意点
基本的に、新武将は「作成例」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。
新武将の能力値や個性の決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物であり、その正誤も、各人それぞれ異なります。
万人が納得する能力値や個性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発してしまいます。
可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には各プレイヤーの裁量次第であることをお忘れなきようお願い致します。
また、併用不可能な個性の組み合わせも存在するため、実際に作成可能か確認したうえでの追加・編集をお願いします。
変更を加える際は編集合戦を避けるため、みんなの新武将/明の朱元璋やみんなの能力編集のように能力値の別案を作成するのも良い手段です
なお、以下の条件に当てはまる人物などを登録、作成禁止とします
・2019年4月30日時点で存命中・未誕生の実在の人物(政治家、活動家、芸能人など著名人を含む)
・↑に当てはまる実在の人物を揶揄、模したような創作上の人物
・意思疎通、自主的な会話が不可能な無機物(飛行機、電車、船など)
なお、第三者が記載、投稿した能力値を許可なく改変、削除することも禁止です
あなたの身勝手なその行動が編集合戦を招いています。
あなたが第三者の方の作成した能力値を削除したら、次は第三者の方があなたの作成した能力値を削除して堂々巡りになります
隋(581~619)
北周の十二大将軍に列する楊堅が外戚として実権を掌握し、581年に北周に禅譲させて建国。
589年には南朝陳を征服して全国を統一した。
楊堅は地方統治を州県制に簡素化し、冗官を廃止して門閥制を修正し、
地方官の任免権を吏部に統一するなど北周の中央集権化をさらに強化した。
同時に九品官人制を廃して科挙制を施行し、中央官制も三省六部制を定め、府兵制も整備強化された。
楊堅の政策は門閥制度を制限して賦役・刑罰を軽減し、
社倉を設立するなど民生安定を第一とし、梁の武帝とは好対照をなした。
襲いだ煬帝の苛斂誅求と大土木工事、3次にわたる高句麗遠征の失敗は急速に民心を離叛させ、
全国規模で民衆の造叛と、楊玄感・李密・李淵ら貴族高官の挙兵を招き、618年に逃避先の江都で近衛兵に殺された。
煬帝の死の前後、長安?に入った李淵は代王侑を、洛陽?で自立した王世充は越王侗を立て、
まもなく代王は李淵に禅譲し、越王は王世充に殺された。
隋末唐初の群雄
李密(玄邃)
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
82 | 76 | 87 | 68 | 81 | 詐謀 | 詩想 | 智嚢 | 血路 | 高慢 | 才気煥発 | 奮戦 | 混乱 | 軍制改革3 | 覇道 |
【リミツ(ゲンスイ)】
隋末唐初の群雄の一人。魏公。別字に法主。
軍閥中の名門の李氏の出自で、若くして大人の風があったという。
楊広に疎まれて家に戻った後、黄牛の背で角に『漢書』の項羽?伝を架けて読んだという。
翟譲たちが東郡で反乱を起こすと、州県を奪取して隋の楊広に派遣された王世充と戦い、
大小六十戦を経て撃破、楊広を弑した宇文化及をも撃破し魏公を名乗った。
だが、翟譲を廃し実権を掌握すると、傲慢になり将士を軽侮し始め、
裴仁基や徐世勣の諌めを聞かず、王世充に敗れ長安?の李淵に投降。
唐への謀反を誣告され謀反を起こすも失敗し、斬られた。
親愛武将:楊玄感
※字は隋書では「法主」、旧唐書では「玄邃」、新唐書では両方とも記載されている。
王世充(行満)
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
86 | 81 | 78 | 25 | 32 | 梟雄 | 看破 | 地利 | 調達 | 強欲 | 変幻要撃 | 急襲 | 鯨波 | 魚鱗強化2 | 王道 |
【オウセイジュウ(コウマン)】
隋末唐初の群雄の一人。西域の出身。鄭の皇帝を称した。
幼少より経史や兵法を好み、楊広の信任を受け、
楊玄感や山東の農民反乱を平定して頭角を現し、河南に一大勢力を築く。
楊広の弑逆後は洛陽?で越王楊侗を皇帝に擁立し、李密を降伏させ、
宇文化及を破ると朝政を専断、遂には帝位を簒奪し国号を鄭としたが、
その過酷な統治は、多くの将士や人民の信望を損ねた。
李世民が中原へ進軍すると、竇建徳に救援を依頼するが虎牢にて李世民に敗れ降伏。
後、平民に降格され、一族を巴蜀に流刑とし、その途上で独孤修徳に殺害された。
竇建徳
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
85 | 82 | 86 | 80 | 98 | 督将 | 慈悲 | 寡欲 | 農政 | 求心 | 大器大徳 | 鼓舞 | 投石 | 衝車 | 経世済民2 | 王道 |
【トウケントク】
隋末唐初の群雄の一人。夏王。
隋の楊広が高句麗遠征の徴発を行った際に二百人長に選抜された。
孫安祖の叛乱に連座して一族が誅殺されると、高鶏泊起義の指導者高士達の下に身を寄せ、
高士達の死後、その軍勢を率いて饒陽を攻撃し、平原?を占拠。
部下を尊重し、戦後の虐殺も禁じたため民衆の支持を得、その軍勢は十万に達したという。
積極的に領土拡大を行い、薛世雄を破って夏王を自称した。
李世民が洛陽?を攻撃すると、王世充の要請を受けて出兵するが、
虎牢関で李世民の軍に敗れて捕虜となり、長安?で処刑された。
親愛武将:劉黒闥
劉黒闥
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
82 | 78 | 66 | 28 | 71 | 再起 | 怒髪 | 胆力 | 不屈 | 扇動 | 不撓不屈 | 鼓舞 | 斉射 | 工法改革3 | 王道 |
【リュウコクタツ】
隋末唐初の群雄の一人。漢東王。
同郷の竇建徳とは親しい仲だった。
李密に仕えて、李密の敗死後は王世充に仕えたが、竇建徳に捕らえられると帰順。
奇襲を得意とした戦いは神勇と号された。竇建徳が唐に降伏するとそれに従うも
竇建徳が処刑されると夏の旧臣を束ねて反旗を翻し瞬く間に華北における旧夏領を回復した。
一度は李世民に敗れるも突厥の協力を得て逆襲したように唐への粘り強い抵抗を続けた。
親愛武将:竇建徳
翟譲
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
66 | 69 | 35 | 18 | 37 | 強奪 | 強欲 | 賊徒 | 奮戦 | 雁行強化2 | 我道 |
【テキジョウ】
隋末唐初の群雄の一人。
隋に役人として仕えたが各地の反乱に乗じて反隋の兵を挙げた。
李密や徐世勣ら有能な家臣を迎えると拡大し、中原に勢力を築いた。
魏公を称した李密に指導者の地位を譲ったが
両者の間で軋轢が生じると李密の家臣を脅迫するようになり、
家臣から要請を受けた李密によって宴会中に暗殺され、兵も奪われた。
単雄信
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
84 | 96 | 52 | 16 | 73 | 飛将 | 豪傑 | 不屈 | 果敢 | 金剛 | 神威穿貫 | 突撃 | 鋒矢強化5 | 王道 |
【ゼンユウシン】
隋末唐初の武将。翟讓、李密、王世充に仕えた。
馬上で槍を用いるのを得意として「飛将」と号された。
翟讓が隋に反抗して叛乱を起こすと、徐世勣と翟讓の軍に身を投じ、
翟讓が李密に斬られ李密が魏公となると、左武侯大将軍に任ぜられ、四驃騎の一つを領して活躍。
李密が偃師で大敗すると、王世充に帰順して大将軍となった。
李世民が東都?を攻撃すると、迎撃して唐軍本陣に肉薄し勇戦したが、唐軍に捕らえられ、洛水の渚の上で斬られた。
『隋唐演義』ではその最期を、義兄弟の程知節・徐世勣と涙の別れを演じている。
親愛武将:李勣 秦瓊 程知節
嫌悪武将:李淵
李軌(処則)
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | |||||||||
72 | 70 | 53 | 47 | 76 | 召募 | 慈悲 | 輿望 | 消沈 | 急襲 | 地域巡回4 | 割拠 |
【リキ(ショソク)】
隋末唐初の群雄の一人。涼の皇帝を称した。
姑臧の資産家の家に生まれ、郷里での名望により多くの人士と交際した。
涼州でも反乱が起きると次の皇帝は李性の人物がなるという予言を元に安修仁らから反乱軍の指導者に推戴された。
挙兵すると武威を中心に涼州を支配し、大涼皇帝を称した。
捕らえた隋の役人や敵兵を殺さず解放したため、多くの支持を得た。
唐の使者として安興貴が唐への帰順を求めると防衛に自信があったので拒絶したが、安修仁と結託した安興貴に政変を起こされ、敗死した。
薛舉
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
79 | 76 | 75 | 48 | 63 | 詭計 | 教唆 | 召募 | 諌止 | 叛転必殺 | 鼓舞 | 縦横術3 | 割拠 |
【セツキョ】
隋末唐初の群雄の一人。西秦覇王を称した。金城郡で校威を務めていたが、反乱を起こすと秦を建国した。
李淵が派遣した唐軍を撃退し、朔方の梁士都や東突厥と三国同盟を結んで長安を狙う計画を立てるなど涼州で影響力を誇った。
病死すると息子の薛仁果が跡を継いだが残虐だったため、配下からの信頼を失い、李世民率いる唐軍に敗れて秦は滅亡した。
劉武周
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | |||||||||
83 | 80 | 62 | 41 | 70 | 遠矢 | 匈奴 | 昂揚 | 動員 | 鉄騎突 | 急襲 | 上兵伐謀2 | 我道 |
【リュウブシュウ】
隋末唐初の群雄の一人。定楊可汗を称した。
馬邑郡太守の王仁恭に重用されたが、王仁恭の侍女との密通の発覚を恐れて反乱を起こした。
突厥に従属することで協力を得て定楊可汗の称号を与えられた。
その後、唐の高祖・李淵の子の李元吉が守る太原も落として幷州を占領した。
しかし、李世民が兵を率いて逆襲すると、尉遅恭らに迎撃させたが連戦連敗。
太原を放棄して突厥に逃れたが、後に逃走を図って殺された。
羅芸(子延)
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | |||||||||
84 | 80 | 70 | 48 | 52 | 堅守 | 地利 | 山戦 | 扇動 | 高慢 | 玄鳥双簧 | 斉射 | 業火 | 挑発 | 地勢研究 | 我道 |
【ラゲイ(シエン】
隋末唐初の群雄の一人。幽州総管を称した。
李景の麾下として北平で一部隊を率いたが
華北で頻発する反乱に乗じて兵を扇動して幽州を占拠した。
竇建徳や劉黒闥が何度も侵攻してきたが全て撃退した。
勢力を拡大した唐に臣従すると李姓を賜り、燕王に封ぜられ、
北方の備えを任されたが太宗の代に反乱を起こした。
反乱は失敗し、突厥に逃れる途上で裏切りに遭って殺された。
蕭銑
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | |||||||||
58 | 40 | 41 | 47 | 80 | 求心 | 名声 | 工面 | 動転 | 鼓舞 | 罵声 | 駆逐 | 歳出改善 | 王道 | ||||
54 | 40 | 38 | 47 | 77 | 求心 | 名声 | 工面 | 消沈 | 短慮 | 鼓舞 | 罵声 | 歳出改善 | 王道 |
【ショウセン】
隋末唐初の群雄の一人。梁の皇帝を称した。後梁の宗族を出自に持つ。
煬帝が蕭氏の娘を皇后にしたため、外戚として羅県の県令に抜擢された。
董景珍らに支持されて反乱を起こし、梁を再興するとかつての後梁を大きく上回る広大な地域を支配した。
しかし、李孝恭を総大将、李靖を副将とする唐軍が侵攻すると
董景珍を含む多くの将兵が寝返って次々と領土を失って降伏し、唐への帰属を拒んで処刑された。
朱粲
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | |||||||||
83 | 89 | 65 | 23 | 1 | 長駆 | 調達 | 再起 | 悪名 | 賊徒 | 突撃 | 斉射 | 撹乱 | 罵声 | 侵略荒廃 | 我道 |
【シュサン】
隋末唐初の群雄の一人。楚の皇帝を称し、昌達と建号した。
隋軍として、長白山で農民叛乱を討伐したが、その後盗賊となり、迦楼羅王を自称して衆十万を集め、山南を略奪しながら転々とした。
南陽を攻めて陥落させるも山南撫慰使の馬元規と冠軍で戦って敗れ、後に残軍を再編して勢力は復活し、衆二十万を号した。
朱粲の軍は拠点を定めておらず餓死者が出る状況であり、やがて朱粲はカニバリズムを実行・奨励するようになった。
その後一度は唐に降伏するが、自身の応接をした段確を殺して食べ、今度は王世充の元に逃れ龍驤大将軍に任命された。
武徳4年に李世民らに東都が平定されると、洛水の上で斬られた。
義成公主
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | |||||||||
39 | 29 | 75 | 73 | 65 | 応援 | 察知 | 教唆 | 罵声 | 上兵伐謀 | 我道 |
【ギセイコウシュ】
隋の文帝の一族とされる女性。
突厥の風習*1に従って啓民可汗(ケイミンカカン)・始畢可汗(シヒツカカン)・処羅可汗(ショラカカン)・頡利可汗(キツリカカン)と、突厥可汗4代の妻となる。
このため、突厥での発言力は強いものがあり、自分で王(突厥では王=可汗)を決めることができるだけでなく、その権力を以って隋を援護・再興しようとしたほど。*2
その際に頡利可汗を唆し、隋から落ち延びた蕭皇后とその孫の楊政道も保護している。
なお、突厥が唐の李靖に打ち負かされると頡利可汗・蕭皇后・楊政道は解放されたが、彼女だけは上記のことから危険視されたのか処刑されている。
頡利可汗
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | |||||||||
72 | 73 | 35 | 33 | 55 | 我道 |
【キツリカカン】
突厥の可汗。啓民可汗の三男で、処羅可汗の弟。
妻の義成公主の意見もあってか、何度か唐に攻め入っているが、その殆どが失敗している。
630年、突厥が唐の李靖に打ち負かされると生け捕って京師に送られ、太宗により右衛大将軍の位を授かることになる。