注意点
基本的に、新武将は「作成例」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。
新武将の能力値や個性の決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物であり、その正誤も、各人それぞれ異なります。
万人が納得する能力値や個性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発してしまいます。
可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には各プレイヤーの裁量次第であることをお忘れなきようお願い致します。
また、併用不可能な個性の組み合わせも存在するため、実際に作成可能か確認したうえでの追加・編集をお願いします。
変更を加える際は編集合戦を避けるため、みんなの新武将/明の朱元璋やみんなの能力編集のように能力値の別案を作成するのも良い手段です
なお、以下の条件に当てはまる人物などを登録、作成禁止とします
・2019年4月30日時点で存命中・未誕生の実在の人物(政治家、活動家、芸能人など著名人を含む)
・↑に当てはまる実在の人物を揶揄、模したような創作上の人物
・意思疎通、自主的な会話が不可能な無機物(飛行機、電車、船など)
なお、第三者が記載、投稿した能力値を許可なく改変、削除することも禁止です
あなたの身勝手なその行動が編集合戦を招いています。
あなたが第三者の方の作成した能力値を削除したら、次は第三者の方があなたの作成した能力値を削除して堂々巡りになります
春秋時代(B.C.770~B.C.403)
犬戎に敗死した幽王の廃太子・宜臼が、諸侯に擁立されて洛邑に再興した王朝が東周である。
桓王が率いた連合軍が繻葛の役で一諸侯である鄭に惨敗し、周王の威信は大きく損なわれ、
自立化に進む諸侯を統制する実力に欠けたが、統一と権威の象徴として周室は存続した。
斉の桓公が管仲の補佐を受け覇者となってからは、有力諸侯が諸侯を盟下にする覇者の時代となる。
春秋五覇は斉桓、晋文以外は異説があり定まっていない。
この時代の超大国は山西の晋と湖北の楚であり、他に有力な国は山東の斉と陝西の秦で、
他の諸侯は晋・楚いずれかの盟下に入り、晋と楚が諸侯の所属をめぐり覇を争った。
B.C.546年に晋と楚の和睦がなると、晋では有力家臣の六卿が内部抗争を始め、楚は呉の台頭に遭い滅亡寸前に追い込まれる。
韓・魏・趙による三晋分裂により続く戦国時代と分けられるが、どの年をもって区分とするかには諸説ある。
春秋時代の名称の典拠は、孔子が著した史書の『春秋』である。
斉
姜諸児
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
33 | 60 | 53 | 2 | 5 | 癇癪 | 酒乱 | 我道 | |||||||||
33 | 60 | 53 | 2 | 15 | 癇癪 | 酒乱 | 我道 |
【キョウショゲイ】
春秋時代の斉の君主。諡は襄公。
魯の桓公に嫁いでいた実妹・文姜と密通関係にあり、夫に露見すると公子彭生を使って殺害。
もちろん魯国から責められるが責任を彭生に押し付け処刑し、これを機に気に入らないものを粛清する暴君と化す。
これにより身の危険を感じた弟の小白、糾はそれぞれ他国へ亡命している。
葵丘の守りに付けていた連称、管至父に1年で交代すると約束するもこれを反故にすると、この2人に奉じられた公孫無知により弑逆される。
姜彭生
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
40 | 73 | 14 | 18 | 21 | 猛者 | 猪突 | 我道 |
【キョウホウセイ】
春秋時代の斉の公子。公子彭生とも。
襄公が実妹・文姜と密通していることが夫である魯の桓公に知られると暗殺を命じられ、桓公が酔った隙に殺害する。
しかし魯国からこの一件を糾弾されると、襄公に責任を押し付けられ処刑されてしまう。
姜小白
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
79 | 68 | 77 | 79 | 94 | 任才 | 求心 | 英名 | 強運 | 名声 | 覇道 |
※晩年時
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
77 | 40 | 35 | 21 | 48 | 任才 | 強運 | 短慮 | 優柔 | 惰弱 | 覇道 |
※個性の組み合わせ不可能(短慮/優柔)
【キョウショウハク】
春秋時代の斉の君主。春秋五覇の一人、斉の桓公。
兄・襄公が暴政を布くようになり命の危険を感じると莒へ亡命。
その後、襄公を弑逆して公位に就いた公孫無知が暗殺されると次兄・糾と後継者の座を巡って争う。
公位を継ぎ、糾を打ち破った後は鮑叔牙の進言で自身を暗殺しようとした管仲を取り立てる。
その後、斉を強国へと押し上げると、葵丘で諸侯の会盟を主催し覇者となった。
覇者となった後は慢心するようになるも管仲の生前は彼の諫言を聞いていたが、
管仲が死去すると彼の遺言に逆らって佞臣を重用するようになり国を乱す。
自身の死後間もなく後継者争いが勃発し、葬儀もされない亡骸は腐り果ててしまったという。
姜糾
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
59 | 48 | 62 | 59 | 74 | 粗忽 | 覇道 |
【キョウキュウ】
兄・襄公が暴政を布くようになり命の危険を感じると魯へ亡命。
その後、襄公を弑逆して公位に就いた公孫無知が暗殺されると小白と後継者の座を巡って争う。
配下に管仲がおり、彼の案で小白を暗殺しようとしたが失敗し、そのまま後継者の座を取られて殺されてしまう。
なお、彼の死の際に王でもないのに召忽という人物が殉じたため、
政権争いに敗れたとはいえ、決して人望がなかったとはいえない人物である。
晏嬰(仲)
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
86 | 44 | 98 | 100 | 97 | 王佐 | 眼力 | 論客 | 泰然 | 沈着 | 明鏡止水 | 鼓舞 | 鎮静 | 大喝 | 井闌 | 経世済民 | 王道 |
【アンエイ(チュウ)】
春秋時代の斉の政治家。晏子。
短躯だが忠勇に溢れ、清貧と常に社稷を重んじ中立を維持したため、斉の内紛を見事に乗り切る。
景公に信任されて宰相の地位に就き、司馬穰苴を推薦し、王の放縦を「牛頭馬肉」と諌めた。
暴君として知られる楚の霊王を論破し、同時代から聖人扱いされた。
その治績は管仲と並称されるが、儒の本質を看破して孔子の仕官を拒んだため、儒家から批判されることもある。
司馬遷は「晏子之御」と言うほど晏嬰を尊敬し、彼の策を称えた「梁甫吟」は、諸葛亮も愛唱した。
その思想書として『晏子春秋』がある。
田穰苴
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
95 | 84 | 89 | 60 | 89 |
【デンジョウショ】
春秋時代の斉の将。田完の後裔。
大司馬に任ぜられたことから、司馬穰苴の名で知られる。
晏嬰によって推挙され、斉の軍を再編に取り掛かる。
出自の低さから寵臣の荘賈を後見役に望んだが、当の荘賈が軍規を乱したため処刑し、
「将、軍に在っては、君令も受けざる所有り」と、厳粛な軍規を示した。
兵と苦楽を共にし、斉の軍の強化に成功。晋・燕の軍を撃破し、失地を皆回復した。
自身は讒言で失脚したが、その末裔は後に斉を簒奪するに至るほど隆盛した。
兵法書『司馬法』の著者とされる。
魯
曹沫
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
78 | 89 | 66 | 53 | 71 |
【ソウカイ/ソウバツ】
春秋時代の魯の将軍・刺客。
魯の荘公の命で、曹沫は将軍として斉軍と長勺の地で戦い、
斉軍が三度太鼓を打った後に進撃し、敵の轍の跡を調べてから追撃して完勝した。
質問されると、曹沫は敵の勇気の不足と、轍の乱れから伏兵の無いことを見破ったことを答えた。
後に管仲に破れ、斉と講和を行う際、曹沫は匕首をとり斉の桓公を壇上で脅迫して魯領の返還を迫った。
桓公が承諾すると曹沫は匕首を捨て、北面して臣下の席についた。
貴重な生還した刺客であるが、このために却って桓公の声望を高めてしまった。
将軍として同時代の名声が高かったらしく、曹沫を主人公とする「曹沫の陳」という兵法書が成立している。
晋
姫重耳
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
88 | 85 | 86 | 93 | 96 | 脱兎 | 任才 | 長駆 | 火攻 | 名声 |
【キチョウジ】
春秋時代の晋の君主。春秋五覇の一人、晋の文公。
献公の子で、東方の要衝蒲城を守備していた。
献公の寵姫驪姫の策動で軍を向けられると、無抵抗で亡命生活に入る。
驪姫一派が家臣に粛清され戻ってくるように使者が来るが、主君を裏切った家臣を信用せず断り
その隙に弟の姫夷吾(恵公)が即位してしまう。
恵公から刺客を差し向けられたために諸国を放浪し、後に秦の穆公の支援で帰国して即位。
恵公、懐公(恵公の子)と二代にわたる悪政から晋の貴族の大半が重耳側に付き、最後まで懐公に従ったのは一部の側近のみだった
後は富国強兵に腐心し、周王室の内紛を鎮めて鄭から襄王を還し、
曹・衛を撃って宋を救い、北上した楚軍を城濮で大破して方伯とされた。
冬には践土に襄王を招いて諸国と会盟。斉の桓公と並んで春秋五覇の筆頭とされる。
その波乱万丈の流浪譚は広く知られ、多くの逸話が残されている。
姫夷吾
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
65 | 53 | 58 | 11 | 30 | 奸雄 | 消沈 | 動転 | 短慮 | 高慢 |
【キイゴ】
春秋時代の晋の君主。晋の恵公。
献公の三男であったが、晩年の父が寵愛していた驪姫によって父暗殺の疑いをかけられると梁へ亡命。
父の死後、里克の反乱で驪姫が妹共々誅殺され、重耳も暗殺を恐れて帰国を拒むと秦の穆公の援助を得て帰国する。
公位を継いだ後は穆公との約定であった領土の割譲を反故にしたり、功臣であるはずの里克を自害させたり、
自国が飢饉に陥ったときに秦の援助を受けておきながら翌年秦が飢饉になると侵攻したりと失政を繰り返す。
秦への侵攻(韓原の戦い)では返り討ちにされた上捕らえられるが、穆公に嫁いでいた姉の取りなしで助命される。
代償として太子・圉を人質として秦に預けることとなり、しばらく晋は秦の属国となってしまった。
士会(季)
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
92 | 87 | 93 | 96 | 92 | 任才 | 殿軍 | 法律 | 慰撫 | 柱石 |
【シカイ】
春秋時代の晋の政治家。范武子。士缺の子。
武勇に優れ、文公の車右に任じられる。
襄公の後継問題で宰相・趙盾の背信に怒って秦に亡命すると、秦軍を指導して晋を苦しめた。
郤缺の策略により晋へ連れ戻されると、卓越した軍事的手腕を晋でも発揮。
楚との会戦で晋軍は大敗したが、士会の指揮する上軍のみは損害を出すことなく退却に成功する。
宰相となって制定した「范武子の法」は、晋で長く尊重された。
春秋左氏伝は、「士会が宰相になると盗賊は晋から逃げ出した。晋の歴代の宰相の中でも最高である」と絶賛している。
予譲
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
66 | 81 | 85 | 62 | 84 |
【ヨジョウ】
春秋時代の晋の刺客。
范吉射・荀寅に仕えたが重用されず、 智伯荀瑶に仕え、智伯から国士と評価された。
智伯は韓氏・魏氏と連合し趙毋卹を狙うが、韓氏・魏氏の裏切りに斃れる。
予譲は敵討ちを決意し、厠の壁塗りに変装して趙毋卹暗殺を企てるが、殺気を感じた趙毋卹に見破られる。
一度は赦免されたが、己の身を潰して変装し、再び暗殺に望むが再び露見してしまう。
国士として智伯に殉じることを決めた予譲は、復讐の代用として趙毋卹の衣服を斬った後に自害。
仄聞した趙の兵士達は予譲のため滂沱したという。
趙毋恤
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
79 | 65 | 86 | 88 | 63 |
【チョウムジュツ】
春秋時代の晋の政治家。趙無恤とも。趙襄子。
母の出自が賤しかった為父の趙簡子からは気にされていなかったが、人相見の姑布子卿の評価と
常山での謎掛け(代の国を奪う策略)を子供たちの中で唯一言い当てた事から嗣子に立てられた。
父の喪が明けるや、姉婿の代君を宴席で謀殺したが、姉は弟を恨んで自殺した。
智伯の范氏・中行氏の遺領分割や出公追放にも与したが、内心では智伯の横暴を憎んでいた。
後に智伯からの露骨な領地割譲要求を拒んで決裂し、本拠の晋陽を水攻され窮地に陥るが、
智伯を恐れて従っていた魏・韓氏を離叛させて智氏を滅ぼし、その領邑を分割した。
これが戦国時代の始まりとされる。
この時、処刑した智伯の頭蓋骨に漆を塗って杯とし、晒し物にしたという。
庶腹から宗家を襲いだが、廃された長兄とは非常に仲が良かった。
その恩義を忘れず長兄の嫡子を代に封じ(後に早世)、その遺児(献子)を自身の後嗣とした。
※「恤」の字は「卹」とも書かれる(どちらも同義の字)。
秦
嬴任好
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
90 | 68 | 89 | 95 | 98 | 名声 | 仁政 | 慰撫 | 柱石 | 浪費 | 経世済民 | 王道 |
【エイジンコウ】
春秋時代の秦の君主。春秋五覇の一人とされる、秦の穆公。
兄弟相続で秦公につく。飢饉で苦しんでいる敵国晋に対して百里奚の助言もあって「民には罪がない」として大量の食料を贈る。
しかし翌年に秦が飢饉に見舞われたときに、仇で返されてしまうがこれを打ち破り恵公を生贄にしようとしたが恵公の姉であった婦人に泣きつかれ息子を人質を出す事で和解する
恵公の亡くなった途端人質だった子が逃げ出し激怒した穆公は楚にいた重耳を迎え入れて、共に兵を出して重耳の後ろ盾となり文公とした。
文公の死後、晋と戦争となり勝利し遂に覇者となるが病死する。
この時に家臣177人も殉職をしてしまい、結果的に国力を大きく低下させてしまう。
孫陽
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
13 | 16 | 84 | 73 | 90 | 人脈 | 眼力 |
【ソンヨウ】
郜国の人。秦の穆公に仕える。
馬の鑑定に優れており、天馬を世話する星に因んで「伯楽」と呼ばれた。
伯楽は転じて人の能力を見極める力に長けた人を指すようになる。
楚
熊侶
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
97 | 68 | 85 | 92 | 94 |
【ユウリョ】
春秋時代の楚の王。荘王。穆王の子。名は呂、旅とも伝わる。
太子時代は賢明で期待されたが、即位後すぐに反乱に遭う。
乱平定後、父王の喪中の3年間には政治を投げ出し遊蕩に浸り、鳴かず飛ばずの語源となったが、
喪が明けるや否や、王と共に遊興に耽った者や奸臣達数百人を車裂刑で誅殺すると、
人事を一新して国力を充実させ周辺諸国を併合・圧迫した。
洛陽近郊まで軍を進め、周の九鼎の軽重を問い、周王の位を奪う構えを見せた。
さらに晋軍を大破し、宋を降伏させ、諸侯の殆どを威令の下に置いた。
尊王の志はなかったが、その権威は天下を覆い、春秋五覇の一人に数えられることがある。
養由基
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
87 | 98 | 75 | 60 | 85 | 驍将 | 遠矢 | 猛者 | 英名 | 柱石 | 雁行強化 |
【ヨウユウキ】
春秋時代の楚の将。
春秋五覇の楚の荘王に仕え、勇将・屈蕩と共に車右として用いられた。
荘王の快進撃に尽力し、覇者の座を晋から奪った邲の戦い等で活躍した。
荘王の没後、後継の共王の家臣として仕え、晋の厲公の復讐戦の鄢陵の戦いに従軍したが、
不興を買ったため、晋軍の策もあり、楚軍は惨敗を喫した。
それに乗じた呉の攻勢を、伏兵を用いて庸浦で打ち破り、呉の公子党を捕虜とした。
後、養由基は宮廐尹に任じられ、歴史の表舞台から去った。
その入神の弓術は故事成語「百発百中」「猿号擁柱」の語源となった。
鄭
夏姫
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
22 | 7 | 58 | 24 | 9 |
【カキ】
春秋時代の鄭の公女。
夏氏に嫁いだ姫姓の女なので夏姫という。
陳の大夫・夏御叔に嫁ぐが、夫の没後、陳の霊公らと密通を重ねる。
夏御叔の遺子の夏徴舒は、事実を知り叛乱を起こすが、
楚が陳の内乱に介入したため、徴舒は憤死。
楚の荘王や将軍の子反が夏姫を娶ろうとしたが、大夫の申公巫臣が忠告して止めた。
夏姫は連尹襄老に嫁ぎ、次いでその子・黒要と通じた。
後、巫臣は夏姫と策を巡らし、口実を作って二人とも晋に亡命し、
怨んだ子反は巫臣が楚に残した一族を族滅させた。
国僑(子産)
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
84 | 35 | 94 | 99 | 93 |
【コクキョウ】
春秋時代の鄭の政治家。穆公の孫。七穆の一。公孫僑。
早くから内外に期待され、宰相子皮の推挙で後任となった。
有力者の駟氏・良氏を懐柔する一方で土地・税制・軍制改革を実施し、
合理的な人事刷新・貴族特権の制限などを行うほか、
中国史上初の成文法を制定し、祭政一致から法治主義へ国制は改まった。
これは晋の賢臣叔嚮らに批判されたが、鄭の国力は内外で大いに高まった。
子産の施策は法術と徳治の中庸で、後世の法家とは一線を画しており、
孔子は晩年の子産に私淑して当代最高の賢人として尊崇した。
呉
姫光
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
78 | 76 | 79 | 77 | 81 | 覇道 |
【キコウ】
春秋時代の呉の君主。呉王・闔閭。
父・諸樊らは聡明な末弟・季札に王位を継がせるべく兄弟順で跡を継ぐようにしていたが肝心の季札に逃げられてしまう。
そのため三男・余昧の子である僚が王位を継いでいたが季札に逃げられた以上自身が後継者であるべきと不満を抱く。
結局は伍子胥が推挙した専諸を刺客にして僚を暗殺し、王位を奪っている。
即位後は孫武、伍子胥らを取り立てて国力を強化し、楚を滅亡寸前まで追い詰めるも越王・允常の侵攻で呉に戻らざるを得なくなる。
允常の死後、勾践が越王を継ぐと越に攻め込むが、范蠡の奇策に敗れ程なく病死する。
本作にて名品として登場する干将、莫耶は同名の刀鍛冶夫婦に彼が命じて打たせたとも言われている。
孫武(長卿)
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | |||||||||
100 | 72 | 100 | 90 | 89 | 神機 | 伏龍 | 火神 | 疾走 | 策士 | 神機妙算 | 神算鬼謀 | 兵貴神速 | 神火計 | 極焔 | 千方百計 | 文事武備 Lv5 | 覇道 |
100 | 75 | 100 | 87 | 94 | 神機 | 伏龍 | 火神 | 疾走 | 策士 | 神機妙算 | 神算鬼謀 | 兵貴神速 | 神火計 | 極焔 | 千方百計 | 文事武備 Lv5 | 覇道 |
98 | 50 | 100 | 85 | 80 | 神機 | 洞察 | 闘将 | 疾走 | 策士 | 神算鬼謀 | 突撃 | 急襲 | 斉射 | 撹乱 | 混乱 | 文事武備 Lv5 | 覇道 |
100 | 67 | 100 | 88 | 50 | 虚実 | 神機 | 規律 | 調練 | 策士 | 神算鬼謀 | 急襲 | 斉射 | 鎮静 | 井闌 | 投石 | 上兵伐謀 Lv3 | 割拠 |
【ソンブ(チョウケイ)】
春秋時代の呉の将。尊称を「孫子」。兵家の代表的人物。
元は斉の貴族だったが江南へ亡命。伍子胥の知遇を得て呉王・闔閭によって招かれた。
その後、呉は楚・斉・晋を悉く威圧して諸侯の間に名を挙げたが、それらの功績は孫武と伍子胥の働きによるものであった。
兵法書『孫子』13篇の著者で、訓詁学的注釈が死後に増補され続けた(『呉孫子兵法』82篇)が、実務家曹操の手で再編され(『魏武注孫子』13篇)、注釈書を兼ねた最終完全版として現代に伝わる。他方、『呉孫子』は散逸し現存しない。
伍員(子胥)
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
94 | 89 | 92 | 88 | 87 | 掃討 | 補佐 | 威風 | 長駆 | 怒髪 | 虎嘯風烈 | 急襲 | 火矢 | 混乱 | 罵声 | 三軍強化 Lv3 | 覇道 |
【ゴウン(シショ)】
春秋時代の呉の将。伍子胥。
楚の出身だが、父と兄が無実の罪で捕殺されたため呉に亡命。
自身が推挙した孫武と共に呉王・闔閭を補佐し、呉を強国とした。
後に楚へ出兵をして大勝し、仇である平王の亡骸を鞭打って復仇を遂げた。
その後、越との戦いでは越の軍師・范蠡との謀略戦に敗北、呉軍は大敗し、闔閭も死去。
後継者の夫差を補佐し越への復讐を助け、越軍に大勝したが、間もなく両者の関係は悪化した。
呉の将来を案じ、夫差に幾度も諫言するが、そのため却って夫差の不興を買い、賜死。
最期は死して猶、呉の敗亡を見届けようとした激情の人であった。
※「死屍に鞭打つ」の語源だが、『史記』で初めて現れる逸話のため、後世の潤色説が有力。
夫差
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
82 | 85 | 56 | 64 | 68 | 疾走 | 掃討 | 調練 | 浪費 | 高慢 | 覇道 |
【フサ】
春秋時代後期の最後の呉の王。
父である闔閭は范蠡の策の前に敗れ、その時の傷が元で死んでしまう。
この時に闔閭は「勾践が父の仇と忘れるな」と遺言。夫差も「3年以内には必ず仇を取ります」と答えた。
以後薪の上で部下に父の遺言を言わせながら眠った。これは、後に「臥薪嘗胆」の「臥薪」の語源になった。
そして、父親の遺言どおり、攻めてきた勾践を返り討ちにしたまでは良かったが、
勾践を許し属国の臣下扱いにしてしまう。この頃から伍子胥との関係が悪化し始める。
さらにこの後も、宰相伯嚭に唆されて伍子胥に死を与えるという更なる失態を犯す。
こうした失態を積み重ねたうえ、力を取り戻した越によって呉は滅ぼされてしまう。
最期は、これまでの伍子胥に対する扱いを恥じ、自害する。
伯嚭
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
62 | 55 | 65 | 84 | 45 | 使役 | 徴税 | 強欲 | 小心 |
【ハクヒ】
中国春秋時代の呉の政治家。楚の伯宛の子。曾祖父に晋の賢臣として名高い伯宗、祖父に楚の軍師を務めた伯州犂がいる。
幼少の頃の紀元前541年に父親の伯宛が、霊王の王位簒奪計画に巻き込まれて横死したために、祖父の伯州犂の下で成長したが、
昭王の代の紀元前515年に伯州犂も讒言で殺される悲運に遭い、身の危険を感じた伯嚭は、旧知の伍子胥がいる呉へと亡命する。
そこで呉王の闔閭に登用され、後の紀元前506年に闔閭や伍子胥と共に楚へ兵を出し、楚を滅亡寸前へと追い込み(柏挙の戦い)、祖父と父の無念を晴らした。
その後は、宰相にまで上り詰めたが、賄賂に負けて越と内通したあげく、伍子胥を殺す原因を作ってしまう。
越に呉が滅ぼされた際、越王勾践に悪臣の見本として処刑され晒し首にされたと伝わるが、
『春秋左氏伝』哀公二十四年の項では、伯嚭自身が刑死される記述はなく、越の臣である太宰嚭として記されている。
越
勾践
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
92 | 65 | 78 | 83 | 77 |
【コウセン】
春秋時代後期の越の王。越王勾践。春秋五覇の一人。
呉と越は不倶戴天の敵で、呉王闔閭は越へ攻め入るが、范蠡の奇策に大敗、闔閭は戦傷死した。
子の夫差が即位し、この恨みを忘れぬよう薪の上で就寝し、
伍子胥の補佐で呉を再建、越を滅亡寸前まで追い詰めた。
勾践は范蠡の進言に従って呉との講和を行い、この屈辱を忘れぬよう、
部屋に苦い肝を吊るし、それ舐めて呉への復讐を誓った。
この話が「臥薪嘗胆」の典拠である。
越は国力を回復し、隙を見て呉に攻め込み、遂には呉を亡ぼした。
勾践は諸侯を会盟して覇者となったが、その途端劉邦同様に猜疑心に駆られ多くの功臣を粛清している。
范蠡(少伯)
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
81 | 33 | 98 | 92 | 95 | 神機 | 洞察 | 地利 | 策士 | 富豪 | 虚誘掩殺 | 深謀遠慮 | 明察秋毫 | 挑発 | 業火 | 上兵伐謀 Lv3 | 名利 |
【ハンレイ(ショウハク)】
春秋時代の越の謀臣。陶朱公。
越の重臣として内外で活躍し、檇李での大勝もその作戦指揮による。
呉王夫差への謀略では伯嚭を篭絡して伍子胥を死に追いやり、
美女西施を献上して呉に大事業を強いさせる等、呉を内部より弱体化させた。
平行して越の軍備強化に努め、呉の討滅に成功。
しかし、勾践の本性を危惧すると斉に亡命し、商業で巨富を得て宰相に迎えられたが、
再び家財を処分して西施と陶に移住し、朱公と称して再び巨万の富を築いたという。
陶朱公は牧畜で財を成した猗頓とともに、古代の大富豪の代名詞とされた。
施夷光
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
22 | 2 | 79 | 27 | 99 | 傾国 | 楽奏 | 傾国の舞 | 名利 |
【シイコウ】
春秋時代の越の伝説的美女。西施。
越王勾践、呉王夫差の呉越の争いの際に、
越王勾践の参謀である范蠡の戦略に従い、呉王夫差の女となる。
その結果夫差は骨抜きになり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされた。
西施のその後については諸説あり、陶朱公の下へ嫁いだとも言われる。
「西施の顰に倣う」など、その美貌を語る逸話は数多い。
文種
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
14 | 13 | 83 | 88 | 76 | 礼教 |
【ブンショウ】
春秋時代の越の政治家。
范蠡とは友人であり、共に呉に敗れ雌伏する勾践を支えていた。
しかし越が呉を滅ぼした後、勾践が猜疑心に駆られるようになると范蠡から亡命を勧められたものの、
病と称して出仕をやめるに留めたため、後に粛清された。
諸子百家
李耳(伯陽)
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
50 | 25 | 100 | 85 | 100 | 黄天 | 洞察 | 文化 | 米道 | 医術 | 太平要術 | 大器大徳 | 天衣無縫 | 万法帰一 | 明察秋毫 | 経世済民 Lv5 | 王道 |
【リジ(ハクヨウ)】
道家の祖。尊称を「老子」。
儒家の思想を人為的な無用の礼儀を説くものとして退け、無為自然を説き、道家の始祖となった。
この説は、民間信仰と深く結びつき、道教に発展した。
顔回(子淵)
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
26 | 15 | 85 | 90 | 94 | 学者 | 名声 | 寡欲 | 礼教 | ||||||||
27 | 10 | 86 | 91 | 96 | 学者 | 名声 | 寡欲 | 礼教 |
【ガンカイ(シエン)】
春秋時代の儒者。顔淵。魯の人。
孔子の最高弟子である孔門十哲の一人で、孔子や兄弟弟子も認める随一の秀才。
顏回は名誉栄達を求めず、孔子の教えを理解し実践することを求め、生活は極めて質素であったという。
このことから老荘思想発生の一源流とみなす説もある。
学派の後継者と看做されていたため、その将来を嘱望されるも夭折した時には孔子の落胆は激しく、
「ああ、天我を亡ぼせり」と慨嘆したことは有名である。
今なお、彼の名は「最高の弟子」の比喩として用いられる。
なお末裔には顔良、顔之推、顔真卿などが居る。
仲由(子路)
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
72 | 88 | 76 | 85 | 89 | 護衛 | 胆力 | 柱石 | 振興 | 直情 | 我道 |
【チュウユウ(シロ)】
春秋時代の儒者。魯の人。
孔子の最高弟子である孔門十哲の一人で、最も武勇を好んだ。ドラマでは張飛的なビジュアルで映像化されることが多い。
直情的で軽率なところがある反面、質実剛健かつ率直な人柄を孔子に愛され、信頼された。
単なる武勇の徒ではなく、政治の才能があるとも孔子に評された。実際、のちに衛の高官にとりたてられたおり、その統治下では盗みが絶え、国が富んだという。
しかしその剛直な性格が災いし、衛の太子蒯聵の反乱を諫めて殺され、遺体は醢(塩漬人肉・食用)にされてしまった。
その話を聞いて以来、孔子は好物だった醢を食べることはなくなったという。
※どこの文献にも「軽率」と書かれているので軽率を加えるといいかも。「果敢」も。ただ、政治や軍事の実務能力は極めて高かったようだ。
端木賜(子貢)
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
38 | 22 | 94 | 86 | 85 | 名声 | 策士 | 論客 | 富豪 | 工面 | 縦横術 | 名利 |
【タンボクシ(シコウ)】
春秋時代の儒者。衛の人。
孔子の最高弟子である孔門十哲の一人で、富豪としても政治家としても最も実績を残した。
孔子の依頼で魯を救うために越、呉、斉、晋に後の縦横家顔負けの弁舌をふるって魯を救い、呉を滅ぼし、越を覇者たらしめ、斉を弱めて晋を守ったとされる。
「貨殖列伝」に載るほどの人物でその伝には、子貢は魯と曹の国で物資を売り買いして莫大な富を築いたとされる。
また各国諸侯とも交際し、孔子の名が広まったのは子貢が弟子にいたからだ、と書かれている。
孔子への畏敬の念は人一倍強く、病になったときに真っ先に駆けつけただけでなく、
死後、他の弟子たちが3年喪に服したのに対し、2倍の6年も喪に服したほど。