注意点
基本的に、新武将は「作成例」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。
新武将の能力値や個性の決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物であり、その正誤も、各人それぞれ異なります。
万人が納得する能力値や個性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発してしまいます。
可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には各プレイヤーの裁量次第であることをお忘れなきようお願い致します。
また、併用不可能な個性の組み合わせも存在するため、実際に作成可能か確認したうえでの追加・編集をお願いします。
変更を加える際は編集合戦を避けるため、みんなの新武将/明の朱元璋やみんなの能力編集のように能力値の別案を作成するのも良い手段です
なお、以下の条件に当てはまる人物などを登録、作成禁止とします
・2019年4月30日時点で存命中・未誕生の実在の人物(政治家、活動家、芸能人など著名人を含む)
・↑に当てはまる実在の人物を揶揄、模したような創作上の人物
・意思疎通、自主的な会話が不可能な無機物(飛行機、電車、船など)
なお、第三者が記載、投稿した能力値を許可なく改変、削除することも禁止です
あなたの身勝手なその行動が編集合戦を招いています。
あなたが第三者の方の作成した能力値を削除したら、次は第三者の方があなたの作成した能力値を削除して堂々巡りになります
ルーシ(キエフ*1大公国)
8~9世紀頃成立したノルマン人、スウェーデン人またはスラヴ人国家。
8世紀末にルーシ=カガン国(ルーシ=ハン国)が存在したようで、838年、東ローマ帝国に使者を派遣している。
伝承によるとリューリク1世がノヴゴロドに本拠を構え、オレグが882年にキエフに本拠を移し、
ルーシ(キエフ大公国)が成立した。その国号は、現在のロシアとベラルーシの直接の起源であり、
現在のキーウ(キエフ)を首都とするウクライナもルーシの伝統を引き継いでいる(ウクライナはみんなの新武将/東欧を参照)。
キエフ大公国は傘下に多くの侯国(または公国)が存在し、緩やかな連邦制国家であった。キリスト教正教会を国教とし東ローマ帝国から多くの文化を吸収してゆく。
13世紀にモンゴル帝国の侵略を受け、諸侯国はジョチ・ウルス(キプチャク=ハン国)の支配下となった。これを「タタールのくびき」と呼ぶ。
リューリク
生年 | 登場 | 没年 | 死因 |
830? | 879? | 自然死 |
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
79 | 80 | 61 | 69 | 78 |
ルーシの伝説的な首長。ヴァリャーギ(スカンジナビア人。いわゆるバイキング)の出身であるという。
ラドガ(現:スタラヤ・ラドガ)周辺を支配し、ノヴゴロドを占領して本拠地とした。
スラヴ人の内紛を仲裁し、リューリクと二人の弟(シネウスとトルヴォル)が支配者となったという。
アレクサンドル・ネフスキー
生年 | 登場 | 没年 | 死因 |
1220 | 1263 | 自然死 |
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
89 | 85 | 86 | 74 | 83 | 神威 | 封殺 | 地利 | 英名 | 論客 | 虚誘掩殺 | 鼓舞 | 牽制 | 急襲 | 足止 | 地勢研究 | 礼教 |
中世ルーシ(ロシア)の有力諸侯の一つであるノヴゴロド公。
バトゥによるモンゴル帝国の侵攻においてはノヴゴロドまでは侵略されず、モンゴルに対しては恭順の姿勢
を示しウラジーミル大公の地位を得た。
対外的にはノヴゴロドはスウェーデンやドイツ騎士団の脅威に晒されており、1240年のネヴァ河畔の戦いで
スウェーデンに大勝した事で後世において「ネヴァ河の勝利者」という意味での「ネフスキー」と呼ばれるようになった。
1242年にはドイツ騎士団をチュド湖上の戦いにて破りさらに勇名を得ている(ただし、これらの戦果は後世の誇張とも言われる)
ロシア
ユーラシア大陸北部に位置する連邦共和制国家。
ジョチ・ウルスに従属した諸国家のうち、大公の称号を許されたモスクワ大公国が有力となった。
モスクワ大公国は14世紀に自立の動きを見せ、15世紀にはツァーリの称号を名乗り、1480年に貢納を拒否してモンゴルの侵攻を退け、名実ともに独立した。
1547年、イヴァン4世はロシア帝国と改称した。以降、動乱時代、ロマノフ朝への変遷を経て国土を大きく拡張していく。
ピョートル1世がインペラートルの称号を帯びたことで、名実ともにロシア帝国として諸外国からも認められ、ユーラシアの全域に
その勢力を及ぼすまでとなった。第一次世界大戦中に帝政が崩壊、ロシア革命により共産主義国家となり
ソビエト連邦を構成、第二次世界大戦の勝利によりアメリカに対抗する超大国として存在感を示した。
ソ連崩壊後民主主義国家となり、民主化直後の混乱による低迷はあったものの今なお大国として君臨している。
七年戦争~ナポレオン戦争期の人物はロシア帝国(七年戦争~ナポレオン戦争)を参照
イヴァン4世
生年 | 登場 | 没年 | 死因 |
1530 | 1533 | 1584 | 自然死 |
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
85 | 75 | 69 | 59 | 45 | 梟雄 | 言毒 | 癇癪 | 悪名 | 粗暴 | 疾風迅雷 | 急襲 | 大喝 | 業火 | 罵声 | 侵略荒廃5 | 覇道 |
モスクワ・ロシアの君主で雷帝の異称で知られる。父ヴァシーリー3世死後3歳で君主となり、
1547年にツァーリとして戴冠し親政を開始。対外的にはカザン・ハン国、アストラハン・ハン国を併合し
シベリアや中央アジアへ勢力を拡張したが、バルト海に進出しようとしたリヴォニア戦争には敗北した。
ツァーリによる強権化を図るためオプリーチニナ制度を施行するも、苛烈な統治、耐えぬ対外戦争により
国土は疲弊し、後の動乱時代の遠因を作った。
知性が高く敬虔な一面もあったが、性格は猟奇的で凶暴かつ猜疑心が強く、
妄執の果てに息子の嫁を折檻して流産させ、止めに入った息子を殺害した。
※ 中国語では伊凡四世、伊凡雷帝。
※ 能力値は董卓を少しいじったものにしています。
ボリス・ゴドゥノフ
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
71 | 66 | 82 | 63 | 72 | 詐謀 | 使役 | 策士 | 動員 | 教唆 | 斉射 | 罵声 | 鎮静 | 上兵伐謀3 | 覇道 |
モスクワ・ロシアの君主。先祖がタタールの末裔と言われる。下級貴族の出身でオプリーチニキに所属し、
イヴァン4世の寵臣の娘と結婚、妹イリナをイヴァン4世の子フョードル1世に嫁がせるほど信任を受けた。
フョードル1世治世下では国政を取り仕切り、その死後全国会議でツァーリに選出された。
しかし国内貴族の多くから反発を受け、国内では天災が相次ぎ大飢饉が発生、イヴァン4世の代から続いていた
社会動乱に対応しきれず、イヴァン4世の皇子を称した偽ドミトリーの反乱中に急死、
息子フョードル2世は偽ドミトリーに敗れ殺された。
※ 中国語では鮑里斯・戈東諾夫。
※ 能力値は袁紹を少しいじったものにしています。
※ プーシキンの史劇やムソグルスキーの歌劇で有名。
ピョートル1世
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | |||||||||
99 | 100 | 100 | 94 | 85 | 神機 | 水戦 | 血路 | 医術 | 操舵 | 倒山傾海 | 神機妙算 | 天下無双 | 激励 | 強襲 | 矢嵐 | 三軍強化 | 覇道 |
97 | 99 | 93 | 91 | 85 | 神機 | 水戦 | 血路 | 医術 | 操舵 | 倒山傾海 | 神機妙算 | 天下無双 | 激励 | 強襲 | 矢嵐 | 三軍強化 | 覇道 |
ピョートル1世は、モスクワ・ロシアのツァーリ、初代ロシア皇帝。
大北方戦争での勝利により、ピョートル大帝と称される。
ロシアをヨーロッパ列強の一員とし、スウェーデンからバルト海海域世界の覇権を奪取してバルト海交易ルートを確保。
また黒海海域をロシアの影響下におくことを目標とした。
これらを達成するために治世の半ばを大北方戦争に費やし、戦争遂行を容易にするため行政改革、海軍創設を断行。さらに貴族に国家奉仕の義務を負わせ、正教会を国家の管理下におき、帝国における全勢力を皇帝のもとに一元化した。
また歴代ツァーリが進めてきた西欧化改革を強力に推進し、外国人を多く徴用して、国家体制の効率化に努めた。
1721年11月2日には大北方戦争の勝利を記念し、元老院にインペラートルの称号を贈らせ、国家名称をロシア帝国に昇格させた。
ロシアを東方の辺境国家から脱皮させたその功績は大きく、「ロシア史はすべてピョートルの改革に帰着し、そしてここから流れ出す」とも評される。
生まれつき膂力が強く、常に斧やハンマーを振るっていたために、銀の皿をくるくる巻いて管にできるほどの怪力の持ち主となった。
補足:晩年は後継者問題などを起こしているので、少し能力値を下げた案を添えました
ソフィア・アレクセーエヴナ
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
53 | 38 | 78 | 83 | 48 | 扇動 | 文化 | 動員 | 消沈 | 斉射 | 罵声 | 政令徹底3 | 我道 |
モスクワ・ロシアの摂政。アレクセイ・ミハイロヴィチの四女。同母弟フョードル3世死後、
異母弟ピョートル1世がツァーリになるとこれに対抗し同母弟イヴァン5世を共同統治者とし、
摂政としてヴァシーリー・ゴリツィンの補佐による統治を開始。内政面で成果を上げる一方、
対外面は大トルコ戦争の参戦、ポーランドや清朝との和議を執り行うが
クリミア・ハン国への2度の遠征失敗で人望を失い、逆に人望を得たピョートル1世に敗れ
ノヴォデヴィチ女子修道院に幽閉される。のち銃兵隊の反乱を機に修道女にさせられ同地で46歳で没した。
※ 中国語では索菲婭・阿列克謝耶芙娜・羅曼諾娃(羅曼諾娃=ロマノヴァ)。
※ 能力値は武照を少しいじったものにしています。
※ 金庸の武侠小説『鹿鼎記』にも登場する。こちらのソフィアを登場させる場合能力値は結構変わると思う、そこはお好みで。
ニコライ2世
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
33 | 29 | 43 | 63 | 8 | 惰弱 | 短慮 | 動転 | 高慢 | 消沈 | 政令徹底3 | 覇道 |
ロマノフ朝最後の皇帝。
日露戦争で負けた上に革命勢力を厳しく弾圧したためロシア革命を招き、1918年7月17日未明にエカテリンブルクのイパチェフ館において一家ともども銃殺された。
皇帝としては問題があり、有能な人物に対する嫉妬*2からこれを遠ざけ、従順な臣下の取り巻き*3のみを重用するタイプであったため、統治者には向かなかったとする批評もあるほど。
また、日本人による襲撃事件があったとはいえ日本人全体を「猿」と蔑視する偏狭な点があり、これが遠因でセルゲイ・ヴィッテからは日露戦争に負けたといわれるほど。
※同じ亡国の君主かつ処刑された王のルイ16世と比べても、問題が多くて公人としても人としても見直しがしづらいのが残念なところ。
一応、身内には優しかったが、これはルイ16世も同じでそれどころか彼は亡くなる直前でも国民を案じていたので。
グリゴリー・ラスプーチン
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
1 | 1 | 88 | 46 | 91 | 幻術 | 占術 | 医術 | 悪名 | 高慢 |
【グリゴリー・ラスプーチン】
帝政ロシア末期の祈祷僧。「拉斯普京」
シベリアの寒村で生誕し、ロシア帝国皇帝であったニコライ2世の皇太子の
病を祈祷で治療したことから、皇帝から信用された。その後、皇后、貴婦人、
貴族子女など上流階級の多くの女性から信仰を集めていたが、
皇后から重用されることを危険視したロシア貴族によって暗殺された。
死の間際にも怪奇な伝説を残し、ロマノフ王朝崩壊から災禍の原因とする説もある
ソビエト連邦
ヨシフ・スターリン
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 |
15 | 19 | 93 | 98 | 3 |
【ヨシフ・スターリン】
旧ソビエト連邦の政治家。「スターリン」は通名で本名は「イオセブ・ベサリオニス・ジェ・ジュガシヴィリ」。「斯大林」とも。
ロシア国内で発生した十月革命に参加し、ソビエト連邦政府の成立に貢献。
レーニンの死後はトロツキーらと後釜を巡って争い、この政争に勝利してソビエト連邦共産党書記長に就任。
以後、反対および対立する人間や、自らが不信感をもった人間などを数々と粛清し不動の権力を固めた。
また国民に多大な犠牲を払いながらも国力を発展させ、結果的にソビエトをアメリカと並ぶ超大国に押し上げた。
ドイツとの戦いも当初はヒトラーの裏切りを信じ込めなかったが、最終的に犠牲を払いながらも勝利。
対日参戦も行って戦後は国際連合の中核となった。1953年に死去。毀誉褒貶が激しく、恐怖の独裁者とも世界の偉人とも言われる。