型録 | ||||
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分部しづ(わけべ-) | 希少度 ★★ | |||
分類 | ||||
属性 | 金 | 間合い | ||
種類 | 打刀 | |||
奥義 | ||||
奥義名 | 禍福倚伏(かふくいふく) | |||
効果 | 自身:攻撃力1.6倍+防御力0.16倍 | |||
公式説明 | ||||
とても穏やかな性格で、周囲の空気をなごませる癒し系真剣少女。 心の奥で「今の不器用な私は本当の私じゃない」という気持ちを持っており、その潜在的願望に共鳴した「分部志津」と縁を結ぶ。 | ||||
加入時コメント | ||||
こ~んにちは~。分部しづって言いまぁす~頑張ってご奉仕させていただきますね~。の~んびり、和やかに行きましょう~ |
読み込み完了 | |
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ログイン | |
ログインボーナス | |
お知らせ | |
詳細 | 私のスリーサイズですか~?さあ、いくつだろ? |
戦績(リーダー) | は~い、戦績はこちらになります~ |
屋敷 | 人生大事なのはバランスですからね。私なんて、すぐにふらついちゃって困ります~ |
私の格好、おかしかったりしますか?自分の胸から下は良く見えないもので~ | |
屋敷(好感度高) | (反転)&color(foreground[,background]){text}; |
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屋敷(好感度低) | (反転)&color(foreground[,background]){text}; |
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任務開始 | |
任務完了 | |
討伐開始(易) | は~い、やっつけちゃいます |
討伐開始(普) | みんなで助け合っていきましょう |
討伐開始(難) | |
エリア配置 | |
エリア移動 | 転んじゃうから、急かさないでくださいよ~ |
攻撃 | とお~ |
え~い | |
攻撃(ミス) | あれ~? |
攻撃(クリティカル) | |
負傷 | |
回避・無敵 | |
敗北寸前 | |
敗北 | |
気合い1 | |
気合い2 | |
気合い3 | |
気合い4 | |
気合い5 | |
休憩 | 休んでも良いんですか~ |
奥義 | ホントの私見せちゃいますね |
勝利 | やりました~ |
離脱 | うえ~ん撤退です~ |
首級 | うわ~上出来過ぎて怖いくらいですよ~ |
屋敷へ(勝利後) | やりましたよ~勝っちゃいました~ |
屋敷へ(離脱後) | 残念ですう~負けちゃったみたいです~ |
研磨(斬れ味良) | はわあ~優しいんですね刀匠さん |
研磨(斬れ味普) | 最近特に肩こりが |
研磨(斬れ味悪) | 肩こりがひどくて、気分が悪いです~ |
布陣配置 | は~い |
リーダー任命 | わ~リーダーですか~? |
試斬・学舎開始 | |
試斬・学舎成功 | |
学舎失敗 | |
奥義習得 | |
奉納 | お祈りですか~?私もやります~ |
奉納成功 | のんびり~和やかに~行きたいものですね~ |
ボイス音量調整 | こんにちは~あなたの裏の顔はどんな顔かしら~? |
放置1 | |
放置2 | |
放置3 | |
装備 |
真剣少女について
- アプリ版リリース時から在籍。
刀談
この刀は大和国から美濃国の志津へ移住したと伝わる志津三郎兼氏さんが作ったもので、分部光嘉さんが所持したことから「分部志津」と呼ばれていますぅ~。
分部光嘉さんは伊勢上野藩の初代藩主で~、関ヶ原の戦いでは徳川家康さんに味方しています。分部志津はその家康さんに献上され、その後は紀州徳川家初代、頼宣さんへ贈られているんですね~。
頼宣さんは神君、家康さんの拵えを指すのは畏れ多いとして、似たような拵えを作らせたらしいんです~。だから家康さんと頼宣さん、二つの拵えが現存しているんですよ~。ちなみにこれは家康さんの打刀拵えです~。
刀の正式名称
刀 無銘 志津
名物 分部志津(わけべ しづ)
逸話
大和の刀工・志津三郎兼氏(しづ さぶろう かねうじ)が打ち、伊勢上野初代藩主・分部光嘉(わけべ みつよし)が所持していたことから、「分部志津」と呼ばれている。
作風
大和の刀工・志津三郎兼氏(しづ さぶろう かねうじ)の作。
刃の長さは二尺三寸三分(70.6cm)。
歴史
豊臣秀吉から伊勢上野一万石を与えられた分部光嘉だったが、秀吉の没後の関ヶ原の戦では徳川家康に味方した。
戦では安濃津城に入って奮戦したが、寡兵敵わず西軍に囲まれ開城し高野山に逃れた。戦後は東軍に与したことで所領安堵された。この時に分部光嘉は「分部志津」を徳川家康に献上した。
その後、家康はこの「分部志津」用に拵えを作った。後に家康の息子で紀州徳川家初代の徳川頼宣に贈られ、頼宣も拵えを新調している。このため、「分部志津」には家康と頼宣それぞれの拵が附属している。
以降はずっと紀州徳川家に伝わり、昭和に入り重要文化財に指定された。
現在は個人蔵だが、徳川美術館で展示されたこともある(平成24年1月4日~2月5日まで)。実物を見てみたい方は、次に公開して貰えることを期待しよう。