ソ連 RankVI 中戦車 T-44
概要
T-34-85の後継車。高い機動力と防御力を備えているが、攻撃力はT-34-85から変わっていない為、弱点射撃が必須となる。
戦後ソ連戦車の基礎的車両であり、T-62は本車の改良型である
車両情報(v2.25.0)
必要経費
必要小隊レベル | 0 |
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車両購入費(SL) | 1,133,600 |
報酬
SL倍率 | 2.1 |
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VE倍率 | 7.5 |
車両性能
項目 | 数値 |
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砲塔旋回速度(°/s) | 25.0 |
俯角/仰角(°) | -5/20 |
リロード速度(秒) | 7.4 |
スタビライザー/維持速度(km/h) | なし / - |
車体装甲厚 (前/側/後)(mm) | 90 / 75 / 45 |
砲塔装甲厚 (前/側/後)(mm) | 120 / 90 / 75 |
重量(t) | 31.0 |
エンジン出力(hp) | 954 |
2,050rpm | |
最高速度(km/h) | 67/-10 |
視界(%) | 83 |
乗員数(人) | 4 |
武装
名称 | 搭載数 | 弾薬数 | |
---|---|---|---|
主砲 | 85 mm ZIS-S-53 cannon | 1 | 58 |
機銃 | 7.62 mm DT machine gun | 1 | 1890 |
弾薬*1
名称 | 砲弾名 | 弾種 | 弾頭 重量 (kg) | 爆薬量 (g) | 初速 (m/s) | 貫徹力(mm) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
10m | 100m | 500m | 1000m | 1500m | 2000m | ||||||
85 mm ZIS-S-53 | BR-365K | APHE | 9.2 | 77 | 792 | 148 | 143 | 126 | 106 | 90 | 77 |
BR-365 | APHEBC | 9.2 | 164.0 | 792 | 135 | 133 | 124 | 114 | 104 | 95 | |
BR-365P | APCR | 4.99 | - | 1050 | 195 | 187 | 154 | 122 | 96 | 76 | |
BR-367 | APCBC | 9.2 | 77 | 792 | 164 | 162 | 154 | 143 | 134 | 125 | |
BR-367P | APCR | 5.3 | - | 1020 | 208 | 201 | 176 | 148 | 125 | 106 | |
O-365K | HE | 9.54 | 741.0 | 785 | 19 | 18 | 17 | 16 | 15 | 14 |
迷彩
砂漠 | |
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[添付] | |
条件 | プレミアム化 |
小隊ツリー
前車両 | - |
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次車両 | IS-2 1944年型 |
解説
特徴
【火力】
T-34-85が装備するZIS-S-53砲をそのまま引き継いでおり、初期弾ではまともに戦えたものではない。
従来のAPHEBCに加えて戦後弾のBR-367(APCBC)が追加されたがそれでも貫通は160mm程度であり、同格格上の中/重戦車と正面から撃ちあうことは避けたい。
TigerII(H)の砲塔正面はAPCRを使えば抜ける。APCRであるため貫通したところで一人か二人殺せる程度だが、砲手を殺せば一定時間沈黙させられる。
T-34シリーズの地味な悩みの種であった、砲塔(砲身)を後部に向けるとエンジン部分の出っ張りが邪魔をして、俯角に制限がかかる点が無くなっている。
しかし、一時弾薬庫が砲塔後部に追加されており、砲塔を貫通されると即爆死...なんてこともある。しかも一時弾薬庫は弾薬を抜いておくことが不可能であるため、運用には細心の注意が必要だ。
【防御】
これが本車の特徴で、車体正面の搭乗員ハッチは撤去され、操縦手用の覗視孔は小型化。露出していたターレットリングは綺麗に車体に埋められ、前方機銃も撤去されたため、弱点がかなり減った。正面装甲厚もT-34の45mmから倍の90mmに増圧され、傾斜2°キツくなったため、車体を傾けることで同格の弾ならば安定して弾ける装甲を得た。
なお、些細なことだが、車体前面左側にドライバー用のペリスコープとハッチのために前面装甲が一部欠けている部分があり、その部分は車体天井の薄い装甲が剥き出しになっている。右側にも同じように一部だけ天板が露出している部分があるので、兎に角不幸な事故に気をつけよう。
砲塔の装甲厚も増圧され、ある程度は頑丈になったが、それでも頼りにできる訳ではない。さらに車体装甲が優秀であるため、必然的に砲塔を狙われることが多く、ほっぺたはよく狙われる為、そこを抜かれた基本死ぬ為弱点となっている。ほっぺの正面装甲厚は120mmで、傾斜を入れても133mmほどしかない。そのためM4A3 (76)Wにすら正面を貫徹させる為注意が必要である。
また、優秀な装甲と引き換えに車内のレイアウトが更に悪化し、操縦手の横には燃料タンクと弾薬庫が縦に並んでいる。途中に遮るものがなく、そのままエンジンにぶち当たり炎上する。炎上するだけならまだしも、基本的には弾薬庫が吹き飛び、一撃で死ぬと思ってよい。右側は撃たせないようにしよう。
【機動性】
T-34シリーズから重量は殆ど増えていないにも関わらず、エンジンの出力が大幅にアップしており、優れた機動性を発揮する。T-34-85と違い
60km/hまでは楽々到達するものの、表記最高速度の67km/hは長距離走行や舗装路でもなければ少々厳しい。旋回性能も抜群だが履帯のグリップ力が少々弱く、ある程度速度が乗っている状態だと思わず回りすぎてしまったり、止まろうと思ってもズルズルと止まりきれないということがしばしばある。あくまでも安全運転を心がけよう。
史実
第2次世界大戦中、ソ連軍は主力戦車であるT-34中戦車の後継となる新型主力戦車の開発に取り組んだ。
その過程でT-34M中戦車やT-43中戦車などの試作中戦車が誕生したが、これらの戦車はT-34中戦車の基本設計はそのままに部分的に小改良を加えた程度であり、ソ連軍首脳部はT-34中戦車から生産を切り替えるほどの必要性を感じなかった。
続いて1944年2~3月にかけて、T-43中戦車の85mm戦車砲搭載型をベースに設計の見直しを図った新型中戦車T-44(計画番号:オブイェークト136)の製作が、ニジニ・タギル所在の第183ウラル戦車工場(UTZ)の第520設計局(主任技師A.A.モロゾフ)で開始された。
設計見直しのポイントは車体の小型化および構造の単純化による車高の低減と、これで生じた重量・バランス上の配分を装甲厚の強化に転化することであった。
従来のT-34中戦車やT-43中戦車のように、フェンダー上にさらに台形状の装甲板を組み合わせる構造を止めて、単純な箱型の車体構造とすると共に、T-34中戦車のものよりややパワーアップされた出力520hpのV-44 V型12気筒液冷ディーゼル・エンジンを横置き配置にして搭載し、機関室の全長を切り詰めて戦闘室の容積を確保した。
またサスペンションはT-34中戦車のコイル・スプリング(螺旋ばね)を使用したクリスティー方式から、KV重戦車と同じトーションバー(捩り棒)方式に改められ、緩衝性能が向上した。
このコンパクトな箱型の車体構造と横置きのエンジン配置、トーションバー式サスペンションは、今日のT-90戦車シリーズに至るまでの戦後のソ連軍戦車の基本形となっている。
T-44中戦車は51.6口径85mm戦車砲D-5T、54.6口径85mm戦車砲ZIS-S-53、43口径122mm戦車砲D-25Tの各戦車砲を搭載する3つのタイプの試作車が製作された。
砲塔形状はT-34-85中戦車のものをベースに装甲厚を増し、砲塔基部のカラー部分をほとんど無くしたものとされた。
これらT-44中戦車の試作車は、車体前部左側に操縦手席を収めるバルジ部分が車体前面部より突出していたのが特徴で、このバルジ前面にヴァイザー付きスリットを持つやや大きなクラッペが設けられていた。
これは防御上の弱点となるために、T-44中戦車の生産型では単純な1枚板の前面装甲板に改められ、操縦手の前方視察は前面装甲板に開けられた内部ヴァイザー付きスリットと、上面部の乗降用ハッチ前に設けられたペリスコープによって確保された。
T-44中戦車は早くも1944年7月18日に、国家防衛委員会(GKO)によってソ連軍への制式採用が決定され、戦車生産人民委員部第75戦車工場で月産300両のペースで生産するよう命令が出された。
これは、継続中の大祖国戦争(独ソ戦)の前線で1両でも多く供給が求められている、85mm戦車砲搭載のT-34-85中戦車の量産を、UTZが主力として担っているために採られた措置である。
しかし結局、T-44中戦車は搭載砲の選定を巡る問題の決着が付かず、秋口には85mm戦車砲ZIS-S-53装備の第2次試作車が製作され、試験が開始された。
この試作車は車体もほぼ生産型同様の形状になったが、操縦手席前面の装甲板にヴァイザー付きのやや大ぶりな開閉クラッペを持っていた。
そうこうしている内、1943年8月にドイツ軍から奪回されたウクライナのハリコフ(UTZの前身であるハリコフ機関車工場の居住地)において工場が再興されたため、T-44中戦車の生産はここで開始されることになった。
1944年11月に最初の5両がラインを離れ、12月中に20両が加わった。
さらに翌45年3月までにもう60両が完成し、T-44中戦車から成る戦車旅団が編制されて実働訓練に入った。
4月のベルリン攻防戦開始時には70両が実戦投入可能な態勢に入っていたといわれ、ヨーロッパ戦線で戦争が終わった1945年5月までに計190両のT-44中戦車が完成していた。
しかしソ連軍首脳部はすでに大勢が決している独ソ戦に投入するよりも、戦後の西側陣営との新たな対決に備えてT-44中戦車を装備した部隊を温存することとし、本車を前線に送らなかった。
小ネタ
外部リンク
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