【エニックス】

Last-modified: 2023-11-23 (木) 17:36:51

概要

株式会社エニックス。かつて存在した日本のゲーム販売会社および出版社。
2003年3月までドラゴンクエストシリーズをはじめとした家庭用ゲームを発売していた。同年4月にスクウェアと合併し【スクウェア・エニックス】となる。現在は法人はスクウェア・エニックス・ホールディングスとなり、事業は子会社のスクウェア・エニックスに分かれている。
名前の由来は世界初のコンピュータの一つとされるENIAC(エニアック)とPhoenix(フェニックス)を組み合わせて作ったと言われている。
 
ロゴマークはENIXの頭文字eのイタリック体を図案化したもので、色は緑。ただし、営団社募集サービスセンター時代からエニックス設立初期までは六角形の中に人の形を描いたもので、サイコロのようにも見えるロゴマークだった。
 
なお現在、福井県に同名の「株式会社エニックス」が存在するが、こちらは現在のスクエニとは無関係の眼鏡メーカーで、英字表記のスペルも異なる。

会社歴史

公団住宅の空き情報を掲載する雑誌の出版からスタートし、商社的な仕事やロボット寿司(1970年代後半の技術では水準に達せず撤退した)なども行なっていた。
1982年にはパソコンゲームのパブリッシャー事業に参入。ゲーム開発部門を持たないため「ゲームホビープログラムコンテスト」で【千田幸信】らが開発者の掘り起こしを行なう。その第1回の入賞者が【堀井雄二】【中村光一】などであった。
ファミリーコンピュータ版『ドアドア』で家庭用ゲーム機業界に参入し、【ポートピア連続殺人事件】、そして【ドラゴンクエスト】を発売。
DQシリーズはナンバリングタイトルをDQ7まで(リメイク作品はPS版DQ4まで)、外伝も含めると【ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート】までを発売。スクウェアとの合併まではDQ8の企画も行っていた。
DQシリーズ以外で発売したソフトは『アクトレイザー』『スターオーシャン』『ヴァルキリープロファイル』など。
DQ関連本を中心に出版事業やグッズの販売も行った。出版分野でも【ドラゴンクエスト4コママンガ劇場】など新人を積極的に発掘し、【月刊少年ガンガン】の創刊に繋げた。
 
現在は自社開発力が強いスクウェアと組むことでスクウェア・エニックスとなっているが、DQなど旧エニックスの流れを汲むゲームに関しては、合併後しばらくは相変わらず外注のままであった。

1975年株式会社営団社募集サービスセンター設立。
1980年株式会社営団社不動産(後に株式会社営団社システムに商号変更)が設立される。
1982年株式会社営団社システムの商号を株式会社エニックスに変更。
1983年コニカと合弁し、株式会社小西六エニックス(後にコニカエニックス)を設立する。
1985年「ドアドア」でFC市場に参入。以降、ゲーム会社としての地位を確立。
1986年「ドラゴンクエスト」第一作発売。
1988年出版物、キャラクター商品販売の子会社としてエニックスプロダクツ株式会社設立。
1989年エニックス、コニカエニックス、エニックスプロダクツを営団社募集サービスセンターに吸収合併。
商号を株式会社エニックスに変更する。
1991年出版業を始める。【月刊少年ガンガン】を創刊し成功させる。
1999年東京証券取引所一部上場。
2003年株式会社スクウェアと合併し、商号を株式会社スクウェア・エニックスに変更する。
2008年商号を株式会社スクウェア・エニックス・ホールディングスに変更。
同時にゲームソフト事業を新規設立した100%子会社である株式会社スクウェア・エニックスに分割。

小西六エニックス

カメラおよびフィルムメーカーの小西六(のちのコニカ)とエニックスの合弁会社として作られたパソコンソフトの販売代理店。
当時のエニックスのゲームは発売元がエニックス、販売元が小西六エニックスであった(ポケモンの発売元が株式会社ポケモン、販売元が任天堂になっているようなものである)。
DQ3発売時にビックカメラでの行列が話題になった理由の一つに、販売ルートの関係で入荷が多かったことがある。