セリフ/【最後かもしれないだろ】

Last-modified: 2024-03-27 (水) 22:25:02

FF10

最後かもしれないだろ?
だから ぜんぶ話しておきたいんだ

オープニング及びザナルカンド遺跡到着時でのティーダの独白。BGMは『ザナルカンドにて』。
ファイナルファンタジーXの物語はザナルカンド遺跡へ一行が踏み込む直前までを回想で綴る形式をとる。
究極召喚を得ればユウナの死は決定的となるため、
回避する方法を模索すべくその時間稼ぎをしようとするティーダの心情を表している。

  • ザナルカンドに到着して以降、物語中に度々挿入されていたティーダの独白のようなナレーションが無くなる。
    オープニングからザナルカンド直前までの事は全てティーダたちの回想だったため。
    つまり、「最後の、(ティーダにとって)幻想的な話」

FF10のスタッフの一部では
「(FFシリーズがオフラインゲームなのはこの作品が)最後かもしれないだろ」
という合言葉のもとに全力で作られたという。

  • で、幸か不幸か全然そんなことはなかった、と。

ユウナの「いなくなってしまった人たちのこと(ry」と併せて、サウンドトラックに収録されている。
曲名は「全部話しておきたいんだ」。


もうちょっとだけ続くんじゃ

  • ちょっとどころか、訓練所とかやりこめばかなりのブランクがw

夕陽が出ているときにこの言葉を発し陽が落ちても語り続けたティーダは話すことが無くなっても
「なあ もっといろいろあったよな?」
「そういえば あの時とか……誰か なんかない?」
と続けるがユウナに
「思い出話は…もう…おしまいっ」
と切り上げられ旅は再開する事となる。


インターナショナル版では
「俺の話を聞いてくれ 最後かもしれないから」
となっている。

  • それに対してユウナは(ひとしきり聞いてから)
    「もう、やめよう。こんなことは…」
    と返す。
  • 俺死んでまうストーリーというネタバレにも程がある空耳で知られる。
    • "Listen to my story. This may be our last chance."

そして回想が巡り、再びこの台詞が発せられた瞬間、物語の本当の時間が動き出す。
大半のプレイヤーは一番最初に「最後って何? ここから先がラスボスってこと?」というような曖昧な反応しか示さなかったことであろう。
しかし、語りを終えた後のこの台詞を聞く頃には、「最後」という言葉の重さがとことん理解できるまでに物語が染みついていたはず。
FF10は全く同じ台詞を異なる時期に聞かせて全く違う印象を与えるという憎い演出が多く、これもその例に漏れず非常にいい場面となっている。

  • まさしく「Final Fantasy」の名にふさわしい作品。

アルティマニア掲載の非公式小説にてユウナは、ティーダが「(祈り子が夢を見るのを止めるから、自分が消えるかも知れないし)最かもしれないだろ」とも言っていたのかも…と誤解している。
そうかも…と思える反面、あの時のティーダは我が身を省みていなかったとも感じられ、……何が言いたいのかと言うと、非公式ながら良い解釈だなぁ、と思うのである。
究極召喚が不可避のものであったなら、ティーダもジェクト同様、自らを祈り子にと志願していたかも知れない。「夢」の自分が「現実」の仲間たちを生かす糧となるならば、それは一見とても素晴らしいことだろう。

  • ガガゼトの時点で消滅の危機を感じていたのはティーダのみのはず。ベベルでのバハムートとの面会の時ですらユウナは明確に知らされていないから「自分が消えるかもしれない」という誤解は生まれないのが正しいような。非公式だから何とでも言えるのだろうが…
    • その時点ではなくて、後になって「あの時ティーダはこういうつもりで言ってたのかも?」と思ったということだろう。
      よく考えれば「死なせない」と言ったティーダがユウナの最後を口にするのも違和感があるので、自分の最期についても含めて言っていたのかもしれない。
      • かもしれない、ではなくこの考察はおそらく正しい。その後のユウナレスカとの会話のあとにも「俺の物語…くだらない物語なら、ここで終わらせてやる」と言っており、ティーダはこの時点ですでに自分が消えることよりもユウナの存続を優先させている。ベベルの祈り子に真実を聞かされたときは動揺し「俺を消すな」とすがった。ガーディアン戦後「どうした」とワッカに声をかけられるが、このときはまだ混乱していたティーダ。その後アーロンの想いを聞き(ティーダにとってアーロンは第二の父親であり、アーロンを通してジェクトの気持ちも感じていた)、ザナルカンドを観ながら「いろんな思いが浮かんでは消えていった」と独白し、さらにユウナの遺言も聴いたことで漠然と「ほんとに消えてしまう夢なら、もしユウナを犠牲にしないために何かができるとしたらその時はいっそ…」という覚悟を育てていたと思う。これはジェクトが10年前に言っていた「それなら自分の人生にも意味ができる」という考えと通じている。そして「ユウナを救うための『無限の可能性』」を信じたティーダはユウナを救うことに成功し、10-2で「ティーダに再び会える『無限の可能性』」を信じたユウナはティーダの復活を成した。

ファイナルファンタジーシリーズ初のボイス付き作品の、記念すべき第一声である。


2017年のTGSに合わせて海浜幕張駅構内に展示された別れのシーンにまつわる名台詞では、FF10からはこのセリフが選出されている。

  • 「間近に迫る別れ」を強く意識させるセリフで、これとかこれなんかとは違う趣がある。
    ただ有名なシーンを選んだだけかもしれないが。

FF10-2ILM

インターナショナル版に追加されたラストミッションのヤドノキの塔60階でのイベントで
FF10オープニングと同じシーンがそのまま使われ、ティーダのこのセリフも流れる。
イベントの流れとしては夕焼けを見てパインがアカギ隊での事件のことを思い出し、
それに対しリュックが夕焼けの思い出としてこの場面を回想し、
ユウナとともに当時の思いを語るというもの。

DFF

【最後かもしれないだろ】

DDFF

DDFFでは最後の戦い終章「輪廻の終わり」で「最後かもしれないだろ。だからみんなの世界の話、聞きたいんだ」なんて形で流用されている。

  • 「……俺は聞くだけにしておく」と返すクラウドがクラウドらしい。そして、殺伐とした戦いの中で元の世界の話をし合う彼らを想像すると微笑ましい。

DFFAC

ティーダのC.Lv11で開放されるシンボルチャット
「これが俺の最後かもしれないだろ」などと組み合わせて使う。

いたスト30th

ミュージアムの美術品「ザナルカンドにて」として選出されている。
コメントしてくれるのは、ハッサン(DQ6)、クラウド、ティーダ本人。