ローザ

Last-modified: 2024-03-27 (水) 11:01:55
日本初の洋式牧場である「広澤牧場(開牧社)」にて種牡馬となる。

1.基礎情報

馬名:ローザ

性別:牡

父:不明

母:不明

毛色:黒鹿毛

生年:1865年(慶応元年)【資料1】

死年:1882年(明治15年)【資料1】

産地:イギリス

2.解説

・広澤安任(やすとう)が明治5年に横浜在住の英国人から購入し、広澤牧場(現:青森県三沢市)にて種牡馬として供用された。

・購入代金は300円だったようだ。【資料2】

・名前のせいか「牝馬」と誤って書かれる事もしばしば。【資料3】

・どの書物にも「サラブレッド」だと書かれているが体高が4尺9寸(148cm)であるため、アラブ馬である可能性もあるようだ。【資料1】

・広澤牧場は明治5年に開業した日本初の洋式牧場と言われている。開業時点にいた洋馬はこのローザただ一頭であった。

・広澤牧場は明治7年に洋種の牝馬も購入。(経緯を見る限り雑種な気がするが…。)【資料4~5】

・しかしこの名称不明の洋種牝馬との間には子は居なかったようだ。ここらへんの経緯はよく分からない。

・明治9年、雑種のボンレネーが産まれる。この馬は明治10年の内国勧業博覧会に出展され1等褒賞(龍紋賞牌)を受賞した。【資料6~7】

・「龍紋賞牌」は出品数の多い東京府では30名程度、他の各県では3名程度に贈られ、わりと受賞人数の多いものではあったが、それでも優秀なる者の証だと見て良いものであろう。

・この成功を収めた広澤牧場には、この年から明治政府により洋種の馬が続々と送り込まれる事となる。

・その後ボンレネーは根岸競馬などで競走馬として活躍したが、その他のローザ産駒は特に歴史には名を残さなかった。

・広澤牧場の発展におおいに寄与したローザは明治15年、同地にて病死した。【資料1】

・広澤安任は元会津藩の武士であり戊辰戦争の敗北者であった。会津の土地を奪われ瓦礫が多く作物の育たない斗南の地をあてがわれた彼らの困窮具合は相当なものであっただろう。

・そのような境遇の中で外国人を雇用するという奇策を用い、最新鋭の牧場経営を成功させたのは誠に大いなる功績であったと言えよう。

・成功した彼を厚遇する事で「賊軍出身でも努力次第で立身出世も可能なんだよ」という事を知らしめて、会津人の心にくすぶる反逆心を少しでも押さえこみたいという、彼の出世には明治政府のそんな思惑が含まれているのかもしれない。

3.遍歴

・1865(K1):イギリスにて産まれる。

・年代不明:日本にやってくる。

・1872(M5):広澤安任が購入し、広澤牧場で繋養した。

・1876(M9):一回雑種ボンレネーが産まれる。(父ローザ、母和種)

・1882(M15):病死

4.資料


【資料1】防衛学研究 (22)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2876457/1/46

ローザ号 慶応元年生れ 明治5年入場(入場時9歳) 明治15年病死
黒鹿毛星 牡 四尺九寸(148.5cm) 英国産「サラブレッド」 

ローザの馬種は、当時ほとんどのアラブ種の体高が4尺8寸から4尺9寸5分の間であった反面、ほとんどのサラブレッドの体高は5尺以上であったことから推してアラブ種の可能性が大きい。




【資料2】青森県歴史第1巻(みちのく双書第23集)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/3003586/1/162

開牧社現在畜類等調書

(中略)

一 洋馬 1疋 9歳
此代金300円




【資料3】日本馬政史 五
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1718958/1/90

右のほか広澤牧場には明治5年に横浜の外人より譲り受けたる英国産サラブレッド種牝馬(*)「ローザ」号があった。

*牡馬です…。




【資料4】自治ト産業 : 附・人名鑑
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1107694/1/90

明治7年廣澤氏は内務省に洋種牝馬貸下げを申請し一頭を得(た)




【資料5】青森県歴史第1巻(みちのく双書第23集)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/3003586/1/166

(明治7年11月)同月28日洋馬売買の儀につき左の通り内務省へ及稟議候事

当県貴属広澤安任儀兼て願済之上西洋人相雇管下陸奥国北部百石村地内谷地頭に於いて牧畜取計居候処同郡洞内村農(*1)山田与五八所持の洋種(*2)鹿毛当3歳牝馬御買上の上拝借致度旨安任より願出候に付及詮議候。右は辛年(明治4年)4月の中民部省よりアラビヤ父馬(*3)御下渡に相成り牧畜掛官員林良蔵出張旧七戸県の節、牝上馬を牽付交尾出生の馬にて官より御預けには無之、与五八所持の馬に有之。然る処御用の節は相当の代価をもって御買上に可相成に付、勝手に売買不致様右良蔵より申聞有之由に候得共、牝馬の儀にも有之御買上不相成候はゝ本年10月24日大蔵省より御指令相成候払代金官納4分通の内を以買上安任へ貸渡繁殖の道取計候様仕度此段相伺候也

*1:農民という意味
*2:明治4年の陸奥地方に洋種牝馬がいたとは思えないので「一回雑種」であると思われる。
*3:おそらくチチアラビアのこと




【資料6】明治十年内国勧業博覧会報告書 第五区 農業
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/801860/1/82

青森県より牛馬9頭を出品す。内4頭は広澤安任の出品にして「アラビヤ」雑種鹿毛牡馬1歳5ヶ月丈4尺4寸5分。他の一頭は純粋和種青毛牡馬5歳丈4尺4寸5分と和洋雑種赤白黒班毛牡牛4歳同、種黒毛牡牛2歳、皆陸奥北郡百石村の産なり。




【資料7】明治十年内国勧業博覧会賞牌褒状授与人名録
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/801854/1/196

青森県
龍紋賞牌 牡馬 廣澤安任




【資料8】産馬大鑑
https://dl.ndl.go.jp/pid/841783/1/94

同年(明治10年)第一回内国勧業博覧会開設せられ牛馬の出品あり。廣澤氏の出品せる一回雑種牡馬は仏人アンゴー氏の買入るるところとなり、横浜競馬場において第一の逸物となれり。