注意点
基本的に、新武将は「作成例」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。
新武将の能力値や個性の決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物であり、その正誤も、各人それぞれ異なります。
万人が納得する能力値や個性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発してしまいます。
可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には各プレイヤーの裁量次第であることをお忘れなきようお願い致します。
また、併用不可能な個性の組み合わせも存在するため、実際に作成可能か確認したうえでの追加・編集をお願いします。
変更を加える際は編集合戦を避けるため、みんなの新武将/明の朱元璋やみんなの能力編集のように能力値の別案を作成するのも良い手段です
なお、以下の条件に当てはまる人物などを登録、作成禁止とします
・2019年4月30日時点で存命中・未誕生の実在の人物(政治家、活動家、芸能人など著名人を含む)
・↑に当てはまる実在の人物を揶揄、模したような創作上の人物
・意思疎通、自主的な会話が不可能な無機物(飛行機、電車、船など)
なお、第三者が記載、投稿した能力値を許可なく改変、削除することも禁止です
あなたの身勝手なその行動が編集合戦を招いています。
あなたが第三者の方の作成した能力値を削除したら、次は第三者の方があなたの作成した能力値を削除して堂々巡りになります
イギリス(革命戦争・ナポレオン戦争)
1789年に発生したフランス革命は、プロイセン、オーストリアの参戦を皮切りに、1793年のフランス国王ルイ16世の処刑をもって、革命伝播を恐れたヨーロッパ諸国によるフランス攻撃が始まった。
イギリスは主に海軍をもって海上から支援し、特にフランスでルイ16世らブルボン王朝を支持していた王党派の反乱やゲリラ戦を助け、ここにはナポレオン・ボナパルトが初めて名を挙げた「トゥーロン攻囲戦」も含まれている。
陸では無類の強さを誇ったフランス軍であるが、海では概ね精強を誇った英国海軍が覇権を手中にし、これはナポレオン・ボナパルトが皇帝に就任してからも変わることはなかった。
ヨーロッパのほぼ全地方を平定したナポレオンは、革命政府、総裁政府の方針を踏襲しイギリスに圧力をかけ続け、ついには俗に言う「大陸封鎖令」に繋がる。
しかし、大陸封鎖令はイギリスと経済連携を密にしていたロシア、スウェーデンなど一部の国家の反感を買い、ついにはロシアが公然とフランスから離反すると、ナポレオンはロシア遠征を企図するが
冬の大寒波とロシア軍のゲリラ戦をうけ大損害を被る。しかしロシアをはじめ、ヨーロッパ各国もナポレオンの猛攻に青息吐息であり、欧州大連合でもってなんとかナポレオンを退位させ、ワーテルローの戦いで完全失脚させた。
ナポレオンの完全失脚後、産業革命がおこり、ナポレオン戦争の余波で青息吐息であったヨーロッパの各国を尻目に、イギリスは精強の海軍力と制海権を武器にその覇権を確固たるものとし、やがて帝国主義を背景に世界最大のパクス・ブリタニカを築くに至る。
英国王室、政治家
ヴィクトリア
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||
73 | 21 | 82 | 90 | 97 | 英名 | 才媛 | 名声 | 召募 | 柱石 | 先従隗始5 | 王道 |
※別案
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | |||||||||
23 | 21 | 63 | 59 | 96 | 求心 | 督励 | 仁政 | 消沈 | 直情 | 鼓舞 | 先従隗始5 | 覇道 |
イギリス・ハノーヴァー朝6代国王・初代インド皇帝。
父である王弟・ケント公エドワード・オーガスタスは彼女の誕生直後に多額の借金を残したまま早世しているが、
伯父であるジョージ4世とその兄弟にいずれも男子がいなかったため、イギリス王位継承権1位に昇格して18歳で女王になった。
以後、81歳で病死するまで60年以上も王位の座にあった。
夫のアルバート公爵やメルバーン子爵、ビーコンズフィールド伯爵、ソールズベリー侯爵といった優れた歴代首相の補佐を受けて帝国主義政策を推進、
アヘン戦争・インド大反乱・クリミア戦争・ボーア戦争などで勝利して植民地帝国を築き上げた。
また、国内では度々国政に関与しつつも議会との協調関係の維持に努め、産業革命と立憲君主制が行われた。
更にヨーロッパ各国との王室との婚姻関係締結によって地域秩序の安定を図ろうとした。
軍人、その他
アーサー・ウェルズリー
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | 親愛 | |||||||||
97 | 88 | 91 | 72 | 94 | 洞察 | 地利 | 慎重 | 慈悲 | 輿望 | 三令五申5 | 王道 | |||||||
97 | 88 | 91 | 72 | 94 | 洞察 | 堅守 | 慎重 | 慈悲 | 一心 | 三令五申5 | 王道 | |||||||
97 | 88 | 91 | 72 | 94 | 洞察 | 堅守 | 慎重 | 築城 | 一心 | 八門金鎖 | 沈毅大略 | 鼓舞 | 鉄壁 | 鎮静 | 牽制 | 三令五申5 | 王道 | 劉備? |
近世イギリスの軍人、政治家。「阿瑟·韋爾斯利」。初代ウェリントン公爵。
フランス革命戦争、インド戦役で軍功をあげ、第二次マラータ戦争では8倍近くの
敵を破った。1805年にインド方面からイギリスへ転進してくると、ナポレオン戦争に従事し、
フランス軍の猛勢を食い止め、イギリス軍の中心的役割を果たす。苦しめられながらも
ナポレオン麾下の元帥たちに度々勝利をおさめ、ナポレオンのヨーロッパ制圧を阻止し続けた。
スペイン進撃ののち、ワーテルローの戦いで奮戦し、ついにナポレオンを直接破って完全失脚させることに成功する。
戦後は政治家として名を馳せ、首相も務めた。祖国イギリスでは救国の英雄として讃えられている。
補足:光栄(現:コーエーテクモゲームス)のゲームソフト「ランペルール」では、主人公ナポレオン・ボナパルトに相対するラスボスとして登場。能力値もナポレオンを凌駕する。
ホレーショ・ネルソン
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | ||||||||||
76 | 97 | 88 | 56 | 93 | 闘将 | 英名 | 水戦 | 操舵 | 果敢 | 激励 | 駆逐 | 強襲 | 矢嵐 | 水軍強化5 | 王道 | |||
96 | 97 | 88 | 56 | 93 | 闘将 | 英名 | 水戦 | 操舵 | 果敢 | 激励 | 駆逐 | 強襲 | 矢嵐 | 水軍強化5 | 王道 | |||
96 | 97 | 88 | 56 | 93 | 闘将 | 掃討 | 水戦 | 操舵 | 果敢 | 錦帆強襲 | 瞞天過海 | 激励 | 駆逐 | 強襲 | 矢嵐 | 水軍強化5 | 王道 | 馬超? |
【ホレーショ・ネルソン】
近世イギリス海軍の提督。「霍雷肖·纳尔逊」
12歳で海軍に入隊し、以後アメリカ独立戦争、ナポレオン革命戦争など様々な戦場に立ち、その信念から
常に率先して敵と戦った。そのため負傷もあったが、常に大きな戦果をあげ、ナポレオン革命戦争時には
連戦連勝を誇り、ナポレオン率いるフランス軍の脅威として苦しめた。コペンハーゲンの海戦や
トラファルガーの海戦で大勝を収め、イギリス本土を救ったが、自身はトラファルガーの海戦終盤で狙撃され、戦死した。
艦隊決戦を重視し、「ネルソン・タッチ」と呼ばれた独自の戦術で相手の海軍に大きな被害を与えており、
死後もその威光からワーテルローの戦勝を呼んだと言われ、後世「イギリス海軍の強さは、ネルソンの亡霊である」とさえ言われている。
※ 三国志11時代とは能力値の要素が異なるため、一部能力値を上昇
ローランド・ヒル
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | |||||||||
82 | 90 | 64 | 61 | 85 | 長駆 | 名声 | 驍将 | 泰然 | 一心 |
【ローランド・ヒル】
近世イギリスの軍人。「罗兰·希尔」。1790年に入隊し、フランス革命戦争では
トゥーロンやエジプトでフランス軍との戦いに従軍した。ナポレオン戦争では主にポルトガル、スペイン方面で
戦功を立て、アーサー・ウェルズリーの指揮下で数々の戦争に参加。彼と協力してフランス軍の
アンドレ・マッセナらと争い、ブサコの戦いではフランス軍を退けている。イギリス軍の中核としてフランス
本土への侵攻も行った。百日天下の際には、アーサー・ウェルズリーの麾下として第二軍団を指揮。
ワーテルローの戦いではフランスの皇帝老親衛隊と戦い、これを潰走させて連合軍勝利を決定づけた。
晩年、アーサー・ウェルズリーの跡をつぎ、イギリス軍最高司令官となる。
ヘンリー・パジェット
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | |||||||||
81 | 87 | 64 | 73 | 77 | 剛将 | 疾走 | 果敢 | 督励 | 沈着 |
【ヘンリー・パジェット】
近世イギリスの軍人、政治家。「亨利·佩吉特」。初代アングルシー公爵。アクスブリッジ伯爵。
最初は議員として働き、フランス革命戦争から軍人として転戦を続ける。
昇進する内に騎兵旅団を任され、1808年には中将に任じられサハグンの戦いでフランス軍の大佐2人を捕虜にする。
ワーテルローの戦いでは奮戦するが右足を大砲で打ち抜かれ、切断を余儀なくされる。
終戦後はアイルランド総督に就任し、1854年病没。
シドニー・スミス
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | |||||||||
90 | 82 | 79 | 60 | 77 | 水戦 | 操舵 | 堅守 | 長駆 | 昂揚 |
【シドニー・スミス】
近世イギリス海軍の軍人。「悉尼·史密斯」。
13歳にしてイギリス海軍に入隊し、アメリカ独立戦争に従軍。
1780年には月光の海戦に従軍して抜群の軍功を立て、年齢条件適用外ながら海尉に任命される。
以後各地の海戦に参戦して地位を伸ばす。フランス革命戦争ではトゥーロン救援に従事し、
フランス軍の妨害を行う。その後もフランス軍との戦闘を続け、アッコ防衛戦ではフェリポーらと
協力してナポレオンの侵攻を跳ね除けた。ナポレオン戦争ではスペインや地中海方面でフランス軍と戦い、
百日天下ではワーテルローに向けて救援軍を走らせ、連合軍のパリ行軍も支援した。ナポレオンをして「わが運命を失わしめた男」と言われたという。
アントワーヌ・フェリポー
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 個性 | 戦法 | 政策 | 主義 | |||||||||
86 | 65 | 78 | 82 | 62 | 築城 | 明鏡 | 堅牢 | 高慢 | 軽率 |
【アントワーヌ・フェリポー】
革命期フランスの軍人、のちイギリスの軍人。「アントワーヌ・ル=ピカール=ド=フェリポー」「安托万」
フランス西部のヴァンデで生まれ、パリの士官学校を卒業した。しかし王党派であったため、フランス革命を機に
亡命。コンデ公ルイ6世アンリの指揮下として革命戦争を従軍する。のち王党派の反乱を支援すべくパリへ帰還。
この際パリで捕虜となっていた英国軍人のシドニー・スミス脱出を手引し、そのまま自身もイギリス軍に加わる。
1799年にはスミスに同行してアッコ防衛戦で指揮を取り、現地軍と協力してナポレオンの侵攻を悉く跳ね除けた。
しかし、防衛戦の最中に急死。死因は熱病ともペストとも言われる。
※ パリ士官学校時代はナポレオン・ボナパルトの同期生にして仇敵で、しばしば周囲の仲裁を無視して対立した。一方スミスとの仲は昵懇で、のちにスミスは「我らの熱意ある友フェリポー」と彼を悼んでいる。
ヘンリー・クリントン
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 |
76 | 73 | 65 | 44 | 60 |
【ヘンリー・クリントン】
近世イギリスの軍人。「亨利·克林顿」。
1787年から軍に入り、1793年にフランダースに赴任する。
1799年には北イタリア戦線に従軍し、アレクサンドル・スヴォーロフと共に戦い連絡将校を務めた。
半島戦争ではアーサー・ウェルズリーの下各地を転戦し、戦後は中将に昇進する。
ワーテルローの戦いでは英蘭連合軍第2軍団第2師団を指揮する。