すれ違い攻撃は、太平洋戦争緒戦において大日本帝国及びアメリカ両国がそれぞれ別の目標に対してほぼ同時に攻撃を行い、大規模な戦闘に入らなかった状況を指す。
概要
このすれ違い攻撃の語源は、真珠湾攻撃の報とサイパン島陥落の報が同日に大本営よりもたらされたことを受けて、日本のメディアが国内向けに発した「日米両国は、真珠湾とサイパンを捨てる覚悟をもって攻撃を行い、両軍はすれ違い痛み分けとなった。」という内容の新聞の記事が元となっている。これを、戦後において太平洋戦争を研究する各研究者が、緒戦において大規模な戦闘が発生しえなかった理由は、この両者のすれ違い攻撃にあったとされるとした発言によって日本国内では定着した。一方アメリカ国内では、真珠湾攻撃においてはほとんどの実害がなかったため、サイパン島の占領を掲げて緒戦においてはアメリカ軍の優勢であったといった内容で伝わっている。
両国の作戦
大日本帝国
大日本帝国において対米宣戦布告が現実味を帯びてきた11月にかけて、以前から計画されていたハワイ真珠湾に対する空襲作戦である「布哇作戦?」を実行に移そうとしていた。そして、11月末になると日米交渉が事実上の決裂を迎えたことで、第一航空艦隊は単冠湾に終結後11月26日にハワイに向けて出撃した。これは、
アメリカ
原因
影響
このすれ違い攻撃によって一番の痛手を受けたのは日本であり、とりわけ海軍であった。本来は、真珠湾を空襲して敵の主力を撃滅し、その優位をもって南方へ進出する予定であったからである。しかし、12月5日にアメリカに宣戦布告された時点で真珠湾攻撃に向かった第一航空艦隊はハワイ北西に位置しており、作戦を中止し引き返すことも困難であった。そのため、真珠湾を空襲後に一度本土へ帰還し、補給を行った後にアメリカ海軍部隊を撃滅し、制海権を獲得後南方作戦を実行することになったため、南方作戦は一時凍結し、イギリスとオランダ(インドネシア)に対する攻撃は見送られることになった。