フィリピン航空戦とは、フィリピンの戦いの中で発生した大日本帝国陸軍・海軍とアメリカ陸軍・海軍の航空機による航空戦である。フィリピンの戦いが始まる2ヶ月前の3月12日から行われフィリピン占領までの6月25日までの間で行われ、フィリピン周辺地域の制空権をかけて戦った。
概要
参加戦力
交戦勢力 | |
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大日本帝国陸海軍航空部隊 | アメリカ陸海軍航空部隊 |
指導者・指揮官 | |
戦力 | |
戦闘機678 爆撃機112 攻撃機286 偵察機56 飛行艇32 | 戦闘機840 爆撃機324 雷撃機104 偵察機22 飛行艇73 |
大日本帝国陸軍
大日本帝国海軍
アメリカ陸軍
アメリカ海軍
損害
交戦勢力 | |
---|---|
大日本帝国陸海軍航空部隊 | アメリカ陸海軍航空部隊 |
指導者・指揮官 | |
戦力 | |
戦闘機278 爆撃機47 攻撃機123 偵察機9 飛行艇7 戦死277 | 戦闘機431 爆撃機216 雷撃機70 偵察機12 飛行艇33 戦死439 |
結果
フィリピン航空戦は結果的にフィリピンのアメリカ軍が降伏するまで行われ、アメリカ陸軍航空隊は大きな損害を負うとともに多数のパイロットを喪失した。
逆に、日本の航空部隊は最新技術であったレーダーを駆逐艦に搭載して前線に展開し、レーダー網を構成したことで迎撃部隊の合間を突くように攻撃を実行できたことや、大規模な航空撃滅戦を展開したことで早期における戦闘機の数的優位を確立したことで後の航空作戦を優位に進めた。それにより、戦略的重要地域である港湾施設を爆撃・破壊し、大規模な兵力を展開していたアメリカ陸軍の部隊を補給難にして消耗させるなど、航空戦の勝利におけるフィリピンの戦いに対する影響は大きかった。この、フィリピン航空戦の戦訓は後のニューギニア航空戦やガダルカナル航空戦にも生かされた。