ロサンゼルスの戦い

Last-modified: 2024-02-09 (金) 16:13:29

ロサンゼルスの戦いとは、1945年8月28日、8月29日、9月2日、9月6日、9月11日、9月25日、9月26日、9月27日、10月3日、10月8日、10月15日、10月21日に合計12回にわたって、あ号作戦第一弾作戦の中でロサンゼルス及びその周辺地域の軍事施設などの破壊を目的として日本の空母航空隊によって行われた空襲作戦。それに伴って迎撃を行うために発進したアメリカ陸軍・海軍航空隊との間で行われた航空戦のことも指す。

概要

ロサンゼルス空襲は、日本軍におけるあ号作戦の一環で、上陸作戦を実行するにあたって必要である制海権を7月に行われた第三次北太平洋海戦においてアメリカ太平洋艦隊を撃滅して獲得した。そして、次に制空権の確保または航空優勢が必要不可欠であった。しかし、西海岸地域には大型の島などは存在しないため、飛行場などを建設することができず、アラスカからの航空戦力もしくは空母艦載機による戦力のみで航空優勢を確保することは困難であった。そこで、一時的な航空戦力の有利を作り出すために、各方面で空襲を行い上陸地点をかく乱させる他、現航空戦力の削減(特にパイロット)を目的とした空母部隊による機動的な攻撃を繰り返すことを目的として作戦が立案された。これらは、8月から10月まで頻繁に実施された。これらの中でロサンゼルスにて発生した戦闘を一般的にロサンゼルスの戦いと呼ばれた。しかし、後に日本軍がロサンゼルスに上陸した際の戦闘との混同を避けるためロサンゼルス空襲、またはロサンゼルス航空戦と記録されていることが多い。(逆にロサンゼルスでの上陸部隊との戦闘は「ロサンゼルス攻防戦」と通称される。)

作戦内容

経過

ロサンゼルスの戦いは主に9次にわたって行われ、攻撃地点が一か所に集中しないよう日を分け規模を変えながら行った、それにより作戦内容は違い空襲を目的として行われたものを「ロサンゼルス空襲」、航空撃滅戦を主としたものを「ロサンゼルス航空戦」として分類している。最終的に、9回の空襲と3回の航空戦が行われた。

戦闘

8月28日(第一次ロサンゼルスの戦い[第1回ロサンゼルス空襲])

初のロサンゼルスに対する空襲で、主に飛行場やレーダー施設などの防空設備と燃料タンクなどの破壊を目的として、第1機動艦隊空母9隻から2波に分けて合計818機が空襲を行った。

参加戦力(日本)

第一機動艦隊
空母:9隻 航空機:818機
戦艦:4隻
重巡:6隻
軽巡:2隻
駆逐艦:48隻

被害

8月29日(第一次ロサンゼルスの戦い[第2回ロサンゼルス空襲])

2度目のロサンゼルスに対する空襲で、主にロサンゼルス市内にある軍需工場と港湾施設及び弾薬庫などの破壊を目的として、第1機動艦隊空母9隻から3波に分けて合計734機が空襲を行った。

9月2日(第二次ロサンゼルスの戦い[第3回ロサンゼルス空襲])

9月6日(第三次ロサンゼルスの戦い[第1回ロサンゼルス航空戦])

9月11日(第四次ロサンゼルスの戦い[第4回ロサンゼルス空襲])

9月25日(第五次ロサンゼルスの戦い[第5回ロサンゼルス空襲])

9月26日(第五次ロサンゼルスの戦い[第6回ロサンゼルス空襲])

9月27日(第五次ロサンゼルスの戦い[第7回ロサンゼルス空襲])

10月3日(第六次ロサンゼルスの戦い[第2回ロサンゼルス航空戦])

10月8日(第七次ロサンゼルスの戦い[第8回ロサンゼルス空襲])

10月15日(第八次ロサンゼルスの戦い[第3回ロサンゼルス航空戦])

10月21日(第九次ロサンゼルスの戦い[第9回ロサンゼルス空襲])

結果

損害

日本軍

航空機:247機(喪失)、211機(損傷)
空母:白鳳(小破)
駆逐艦:照月(大破)
戦死傷者:349名

アメリカ軍

航空機:483機(喪失)、321機(損傷)
燃料タンク:7個破壊、合計800万ガロン焼失
レーダー施設:11個破壊、3個損傷
航空機製造工場:2ヵ所空爆、合計800機(未成を含め)が焼失
兵器工場:3か所空爆、合計2200tの資材が焼失
対空砲:計51箇所が破壊
戦死傷者:5,820名

影響

ロサンゼルス空襲と航空戦によって、アメリカ軍の航空戦力の1割に当たる183機を喪失したほか、燃料施設、レーダー施設を複数回破壊されロサンゼルス周辺は混乱が広がった。
特に、レーダー施設の破壊はロサンゼルス周辺地域の防空体制が麻痺する事態に陥った。また、これに乗じて日本軍が上陸する可能性を考慮してアメリカ陸軍は第11軍団を緊急配備した。