東久邇宮内閣は、現役陸軍大将の「東久邇宮成彦王」が第41代内閣総理大臣に任命され、1945年(昭和20年)5月22日から1947年(昭和22年)10月13日まで続いた日本の内閣。
内閣の顔ぶれ・人事
国務大臣
内閣総理大臣
- 東久邇宮成彦王
初入閣
外務大臣
- 重光葵
大東亜大臣兼任
1945年9月17日免
- 吉田茂
初入閣
1945年9月17日任
陸軍大臣
- 東条英機
大東亜大臣
- 重光葵
内閣の動き
内閣では、主に戦争の終結のための国民及び軍部の統制に重きを置いていた。
その中の最も大きな活動が「玉音放送」であり、国外に天皇の発言を行うことで国民と軍隊を抑制しようとした。
結果的にこれは大きな意味を成し、アメリカ占領ではなく講和を前提とした戦争終結に切り替えることができた。
このように皇族の総理大臣である東久邇宮成彦王は、積極的に天皇に助言を行うなどして、軍部を統制できる体制を整えようと動いていた。これは戦後においても続いていくが、1947年9月20日にしたこで10月17日に内閣総辞職を行い、ここに皇族の内閣は終わった。