サンフランシスコ休戦協定

Last-modified: 2024-02-03 (土) 14:28:15

サンフランシスコ休戦協定とは、大日本帝国と連合国(ソ連を除く)との休戦協定である。「太平洋休戦協定」や「日米休戦協定」とも呼ばれる。
正式には「大日本帝国からの最終要求書の受諾と連合国との休戦に関する協定」である。

概要

日本は、1945年4月30日に行われた選挙によって講和派が勝利し、アメリカやイギリスとの講和の道を探っていた。しかし、講和実現のためには、アメリカを講和へと向かわす状況へ陥らせることに加えて、イギリスとフランス両国らの協力が必要不可欠であると感じていた。そこで行われた、ロンドン工作やモスクワ秘密協定などがあったものの、その全てが事実上破棄された。そんな中で、1945年11月にはアメリカ本土へ上陸作戦を実行し、進行を開始するとともに、1946年1月1日に昭和天皇による「玉音放送」が行われ、連合国に対しての日本からの最終要求である「連合国への13カ条要求」の通告し、日本国内への戦争の行く末をあからさまに提示することで、その決定権を連合国に委ねた。これらは、連合国内にも公開され、停戦か戦争続行かが決議されることとなった。当初は、フランス・イギリス・アメリカ・ソ連の4カ国とも講和に反対したが、1946年1月24日に行われたロンドン空襲とケルト海海戦に加えて同年2月20日に行われたソコトラ島沖海戦にて大敗したことで、講和へと傾いた。アメリカは、本土に上陸されてからも徹底抗戦を訴えたが、国民が講和を求めたことに加えて、原子爆弾の使用に対する報復攻撃によってラスベガス、ミネアポリス、アルバカーキに対する毒ガス攻撃を実行されたことで、アメリカ政府は失望されるとともに権威を失い、最終的にソ連の脅威に対抗するため、3月18日に講和を認めた。連合国としては、1946年3月24日に連合国からの共同宣言として、日本からの要求を認め、4月2日にサンフランシスコのサンフランシスコ湾にて戦艦大和の甲板上で式典が挙げあれ、協定が結ばれた。

経過

受諾

交渉

協議

受諾

締結

式典

式典の開催は、日本軍占領下にあるサンフランシスコにて行われることとされたが、日本側からの提案として海軍艦船上において行われることになった。
そこで、日本海軍は大和型戦艦4隻を協定締結のためとして派遣し、随伴艦として空母翔鶴などとともに第一艦隊を再編成しサンフランシスコに向かった。同艦隊は4月1日午前10時に到着し、ロサンゼルス市内のアメリカ市民は驚愕するとともに日本軍将兵は歓声を持って出迎えた。連合国の各国代表は3月29日には到着しており、この様子を見ていたチェスター・ニミッツ海軍元帥は日本がこのような大規模な艦隊を派遣していることに驚いたという。その後、艦隊はサンフランシスコ湾にて停泊し、式典の準備を始めた。そして、翌日の4月2日正午を持って式典が開催された。

締結

まず、日本側から天皇と大日本帝国政府を代表して吉田茂外務大臣が、現在戦争状態にある日本によって独立を宣言したインド、フィリピン、満州、中華民国、インド、ビルマ、インドネシア、ベトナムとタイ王国を代表して重光葵大東亜大臣が、海軍を代表して山本五十六元帥海軍大将が、陸軍を代表して畑俊六元帥陸軍大将が署名した。
連合国側からは、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが3連合国(米、英、ソ、中)を代表するとともに、日本と戦争状態にあった他の連合国を代表して署名を行った。続いて各国代表が署名した。

  • アメリカ代表:チェスター・ニミッツ海軍元帥
  • イギリス代表:ブルース・フレーザー海軍大将のち元帥
  • カナダ代表:ローレンス・ムーア・コスグレーヴ (en) 陸軍大佐
  • フランス代表:フィリップ・ルクレール陸軍大将
  • オランダ代表:コンラッド・ヘルフリッヒ海軍中将

内容

大日本帝国からの最終要求書

大日本帝国からの最終要求書は、玉音放送後に中立国を通して連合国に通告させられた宣言であり、日本では「大日本帝国からの最終要求に関する宣言」と呼称されたが、通称は「連合国への十三箇条要求」などと呼ばれる。
日本からの要求は大まかに3つであった。

1,即時停戦の要求

2,講和会議の開催

3,元領土と旧植民地への権利の放棄

原文

帝国政府ヨリ連合國へ通告ス
太平洋ニ於ケル趨勢ハ決シ、今ヤ米国本土ハ烈風業火ノ如キ攻撃ヲ実施シ、米国経済、国民、国家ヘ絶大ナ損害ヲ与エ、戦火ノ波ハ広ク舞テイル
此ニ對シ帝国ハ連合國ヘノ平和ヘノ道ヲ模索スルモ、全テ連合國カラノ妨害ヲ受ケ失敗シテイル
ソノ為帝国カラハ連合國ニ對シテ平和ヘノ道ヲ進ムタメ要求ヲ提示スル
以下ハ帝国政府ヨリ発スル最終要求ニ値ス
一、帝国及連合國間ノ戦闘ニ對スル即時停戦
二、帝国及連合國間デ休戦協定ヲ締結シ、講和会議ヲ開催後終戦ニ向ケタ交渉ノ実施
三、連合國ハ旧植民地及旧領土ニ関スル全テノ請求権ヲ放棄シ、現行国家政府ヘノ承認
上記ノ要求ハ、帝国政府基帝国臣民ノ総意デアリ、認証サレネバ今後如何ナル要求ニ對シ同意ハ出来ナイ
昭和二十一年一月一日
内閣総理大臣東久邇宮稔彦王

※以下の分は、連合国に対して送られた正式な文書に記載されていた内容である。上記文に付け加えられている。
又積極的銃後及国民ニ對スル攻撃ヲ実行スル
帝国は帝国本土ニ飛来シタ爆撃機内カラ新型兵器ヲ鹵獲シ、実用化ニ成功セリ
通告期限ハ同年六月三十日午後二十三時五九分マデトスル

昭和二十一年一月一日
内閣総理大臣東久邇宮稔彦王

現代語訳

帝国政府から、連合国へ通告する。
太平洋における趨勢は決し、今やアメリカ本土にもその攻勢が加わり、アメリカの経済・国民、そして国家に対して絶大なダメージを与えている。これらは、帝国政府からの最後に要求である。
1,我が帝国と連合国との間での戦闘の即時停戦を求める。
2,帝国と連合国との間での休戦協定を結ぶとともに、講和会議を開催し、終戦に向けての交渉を行うこと。
3,連合国は、旧植民地及び旧領土に関するすべての請求権を破棄するとともに、設立されている現行国家の承認を要求する。
これらの要求は、帝国政府もとい帝国臣民からの総意であり、これらが認められなければ、今後のいかなる要求に同意することはできない。

条約内容

条約内容は、大きな3つの要求とその詳細である3号13カ条要求が正式な内容である。
そのため、玉音放送によって放映された3つは「連合国に対する13カ条要求」の3号の要求内容を抜き取とり、まとめたものである。
以下の文は、大日本帝国の日本語で書かれたロサンゼルス協定の正式文書である。

原文

条約第一號帝国及連合國間ノ戦闘ニ関スル條約案
第一條連合国及日本國間ノ即時停戦ヲ締結シ如何ナル戦闘ヲ停止スル
第二條

現代語訳

条約第1号 日本と連合国との間の戦闘について
1,連合国軍代表と日本軍代表との間で即時停戦を行うこと
2,連合国代表と日本国代表との間で本協定の確認、締結について認めること。
3,連合国代表は、第1条に伴いそれに対する最大限の努力をすること
4,連合国代表は、停戦後それぞれの軍隊の代表者によって停戦協定を結ぶこと
5,条約第1号第3条にて結ばれた停戦協定はいかなる事態に陥っても締結から6ヶ月は破棄することを認めないこと

条約第2号 日本と連合国との間における終戦について
1,日本国政府代表と連合国各国政府代表との間で講和会議を開催し、終戦に向けた交渉を行うこと
2,連合国代表は、講和会議は東京にて行うことを認める
3,連合国代表は、講和会議に支那国政府、満州国政府、フィリピン政府、インドネシア政府、オーストラリア政府、ニュージーランド政府、タイ王国政府、ビルマ国政府、インド国政府の出席を認めること
4,連合国代表は、第2号第3条に記載された国家の承認と政府の承認をすること

条約第3号 連合国の旧支配圏及び日本の占領地域について
1,連合国各国政府は、それぞれの旧領土と旧植民地に関する全ての権利、権限及び請求権の放棄を条約第2号第3条に基づき認めること
2,日本軍によって占領されている地域は日本政府が認めた地域を即時委譲すること
3,条約第3号第2条によって認められた地域においては、日本軍が常駐することを認めること
4,連合国代表は、第2号と第3号における条約内容は講和会議においても覆らないことを認めること