ソ連対日参戦

Last-modified: 2024-03-24 (日) 13:47:55

ソ連対日参戦とは、太平洋戦争後期にソビエト連邦が日ソ中立条約を一方的に破棄して大日本帝国へ宣戦布告し、侵攻してきた赤軍と各地域に配備されていた日本軍との間で発生した一連の戦闘のこと。

1945年8月8日に、ソ連のモロトフ外務人民委員が、佐藤尚武駐ソ連大使を招致し、そこで佐藤大使にソビエト政府の対日参戦を宣告する。そして、翌日の8月9日未明にソ連軍が満ソ国境を越えて攻撃を開始した。

ソ連軍は満州国、中華民国、朝鮮、南樺太、千島列島に対して侵攻し、ここで発生した一連の戦闘を「日ソ戦」と呼称された。特に、満州・中国で発生した戦争を「大陸防衛戦」と呼ばれ、日本軍のみならず、中国軍、満州国軍、朝鮮軍などが主となって戦闘を行い、一種の独立戦争に近い状態となった。結果的には、1946年8月15日の東京平和条約の締結まで戦闘は継続され、日本は中華民国の新省と南樺太を失ったものの、そのほかの地域はソ連軍が撤退したことで戦闘は終了した。

この戦闘により、ソ連軍および中国兵による陸軍兵及び満洲・中国居留民への虐殺事件やシベリア抑留などの問題が発生した。

背景

経過

戦力

ソ連軍

兵力:220万人

日本・中国・満州連合軍

兵力:382万人

損害

主要な戦闘

結果と影響