南方作戦

Last-modified: 2024-08-30 (金) 15:52:26

南方作戦は、日本軍が計画した侵攻作戦。
南方作戦陸海軍中央協定で定められた作戦名称は「あ号作戦」。日本海軍では南方作戦間の作戦を「第一段作戦(だいいちだんさくせん)」と呼称した

経過

1941年12月8日決行予定であった本作戦は、12月5日アメリカが宣戦布告をしてきたことにより一時的に中止命令を発令した。そして、同日中に作戦を変更し、マレー作戦及び香港作戦を除くほか全ての作戦を凍結し、7日にイギリスとアメリカに対して宣戦布告を行う形で、マレー作戦と香港作戦が実行された。これは、イギリス軍が完全に太平洋に展開していないという情報を得ていたこと、シンガポールに大規模な艦隊が終結する前に占領することを企図したためであった。しかし、そのほかの作戦はハワイ作戦によるアメリカ海軍の主力部隊を撃滅していることを前提としていたこともあり、上陸部隊の輸送中に撃沈される恐れがあったため、敵主力艦隊の撃滅もしくは制空権の確保まで、作戦を中止することとなった。
また、14日には第一次マリアナ沖海戦にて第一航空艦隊の空母3隻が沈没し翔鶴が修理することになると、ますます攻勢作戦を実行することは困難となった。そして、翔鶴の修理が終了し、硫黄島部隊が敵主力艦隊を発見したとの報を受け、改編された第3艦隊を硫黄島近海にて展開し、硫黄島沖海戦で敵空母2隻を撃沈し、敵主力部隊に穴が開いた。そこで、敵海軍との艦隊決戦を行うために、あ号作戦を改編した第二次南方作戦ことい号作戦を5月2日に発令し、フィリピンにて海軍部隊の大規模な展開を行った。これに先立ち、フィリピン上陸部隊を輸送するとともにアメリカ海軍主力との艦隊決戦を望んだ連合艦隊は、17日間に及ぶフィリピン沖海戦にて敵主力を撃破した。これに乗じて、日本はオランダに対しても宣戦布告を行いインドネシアなどの南方油田地帯の占領を試みることとなった。この作戦は、アメリカ海軍の撤退とイギリス海軍の不在によりマレー沖海戦にてオランダ海軍部隊を撃破すると作戦通りに占領を行うこととなった。1か月後にはボルネオ島、ジャワ島、スマトラ島の完全な占領に成功した。そして、オーストラリアとアメリカとの連絡線を遮断するためにニューギニア島及びソロモン諸島へ進出した。