今回言いたいことは、証明や痕跡等がないなら、本当にそのトリックは使われたのか断定できないということである。
当たり前に聞こえるかもしれないが、その視点が抜けている作品も見受けられるように思う。
言い換えるなら、別記事で書いた犯人とトリックの関係性ならぬ、事件の謎とトリックの関係性ともいえる。わかりやすいように、最近読んだ小説の具体例を挙げよう。
室内唯一の入口扉に、ほとんどくっつくように女性が倒れている様子を監視カメラ越しに発見。
死体を扉で押しのけて部屋に突入すると、その右手には入口の鍵が握り締められていた。死因は刺殺。複数回さされた模様。
これが最近読んだ小説の話で、この事件で表題の問題を考えさせられることになった・・・。
私の推理では、鍵を握っていたのは入口の鍵をあけた直後に襲われたからであり、安易に背を向けたり、一緒に中へ入れるような親しい人物によるものと示唆している。
密室構成の鍵と死体による扉のつっかえは、刺殺後の内出血死によるもので、入り口付近に倒れていた理由が示唆している。
つまり、刺されてパニックになった被害者は、もうさされたくない一心で、室内に飛び込み中から扉で犯人を締め出そうと押し続けた結果、扉に接っしたまま鍵を持ったまま力尽きたと。
しかし結局答えは、監視カメラの映像は室内に作られた偽者の入り口付近を映したもので、
そこに倒れていたのは被害者と同じ格好をした犯人の姿だった。そして、本当は女性は扉に接していなく、出入りできた。
カメラの映像に気づいた人物で、さらに最初に扉を空けた男は死体が扉にぶつかってあきにくかったとうそをついた → 共犯ですというオチ。ちなみに犯人は部屋に向かってくることを知り逃亡。
私の推理でもあってるじゃん! = そのトリックだけが成立可能であるとはいえないと思った。こうして、表題であり冒頭の、
【事件の謎を解決するには、このトリックが使われた。そのトリックが使えたのは彼彼女だ】という定番の論証をおろそかにしてはならないと改めて考えさせられた。
事件の謎とトリックの痕跡の関係性
では、どういう風に事件の謎とトリックを明確に、そして唯一のものとして結びつける事ができるのか。
1、トリック使用に関わる痕跡・目撃証言等
・現場に残る物的痕跡
足跡、傷、隙間、壊れた丸まるの欠片などなど。一番シンプルな謎とトリックを結びつけるもの。
・現場や付近の人の証言(犯人逮捕のために作者に配置された情報提供者)
行きと帰りと行きと何故か3回、同一人物が通った。音がした、日や謎の光をみた等
2、消去法により使用トリックの限定
例えば、持ち物検査の結果、現場にあった道具の一覧からひも状のものはなし、持ち物検査にもひっかからない凶器→編んだ髪の毛とか。
または、他の出入口はなく、唯一出入りできるのは1つの扉。合鍵はない等の条件を重ねていって、扉の上下にある隙間を利用した以外のトリックの可能性をすべて排除するやり方等。
これらの痕跡はトリックとワンセットであり、謎の半身としてもっと重要に考えられるべきものであると思う。例えば、濡れた跡とくれば、ミステリ読みならどうしても
氷の一文字が浮かぶ事だろうし、顔を包帯で隠した人物で、声がしわがれているとくれば、人物入れ替わりトリックを容易に想像するだろう。
一方で、校内の現場近くの一室に残った犯人のものと思しき傘の一本から、登下校時でないのに、傘を持ち歩くのは不自然であり、その時間に遅刻してきた人物が犯人の可能性等という華麗な跳躍をつくることもできる。
こうしてみれば、トリック一覧には、そのトリックがどういう痕跡と推理によって導かれたかもまとめておくべきなのかもしれない。つまり、考えたトリックを生かすためには、どういう痕跡でそれを暗示させるのかも非常に重要である。
不注意・不運な犯人問題
トリックが痕跡を必要とし、それが謎の完成度において非常に重要である事は理解できたが、トリックが痕跡を要する事を突き詰めて考えるなら、
それは上述した問題を導く事を意味している。つまり、犯人は必ず痕跡を残すようなトリックしか使用出来ないということである。
勿論、計画外のハプニングや予想外の出来事のせいで、トリックを露呈する痕跡が残った場合もあり犯人の過失やミスとはいえない場合もあるかもしれない。
しかし、犯人にとって一世一代の大勝負であるのだから、どんな見落としも許されないはずであり、通常考えられうるすべての対策や対応を考えるのが普通ではないだろうか。
それでも、見落としたあるいは、到底考え付かない偶然が舞い込んだせいであると無理強いすれば、実はこいつアホな犯人じゃん、実にマヌケ(ツイテナイ)犯人じゃんというイメージを持たれ、
犯人の狂気や知性が滑稽の中に落とし込まれてしまう危険をはらんでいると思う。
ミステリはあくまでゲームや知恵比べであり、現実的なリアリティや合理性はその進行上致し方ない場合は、無視して構わないという立場であるなら、こんな問題は気にならないだろう。
推理は小説の中での話で書いたように、そもそも精密な科学捜査を行えばすぐに露呈するトリックなんぞ山ほどあるわけで、大なり小なり読者によって、ミステリ上のリアリティは無視されているともいえる。
それは純然たる痕跡や証拠なのか(後期クイーン問題)
ミステリ上の決着をつけるために、痕跡を残すへまをする不完全な犯人の存在を容認することはできるかもしれないが、本当は根深い問題とも関わっており安易な容認はできないはずである。
というのも、その痕跡が残っていた事は、本当に犯人のミスなのか?それは偽造されたものではないのかという可能性が生じるためである。
つまり、犯人がアホだ、ツイテナイの一言ですませていいのか?ともいえる。普通なら痕跡の隠滅を図ったり極力残さないように努める。あるいは誤魔化すために似たような痕跡をばらまき本当の痕跡を隠そうとするはずだろう。
(トリックが使われた”痕跡”という意味だけでなく、犯人のものと思われる髪の毛とか血痕のついた服などの犯人を示す証拠・痕跡でも同じ問題に直面する。)
ではどういう方法や条件に注意さえすれば、この問題を解決できるのかとなるのだが、結論から言えば、この問題の解決は、
推理は小説の中だけの話であげたような、ある種の小説(ミステリ)上の約束の上に、かろうじて成り立たせることができるという類のものであると思う。
詳しくは、後期クイーン問題にての頁で語るものとする。