屁理屈推理合戦スレまとめとは
竜騎士先生作の同人ゲーム『うみねこのなく頃に』にて、魔女が真実を隠匿し、人間は真実を推理し指摘し暴くという質疑応答スタイルのゲームが登場する。
屁理屈推理合戦スレまとめとは、当該同人作品の最盛期に、一部ファンやミステリファンらが2ch掲示板のスレッドを利用してそのルールに倣っておこなった遊びのログを、まとめたものである。
うみねこのなく頃に未プレイの人向けに丁寧に説明すると、魔女(出題者)は、人間には不可能で魔法(人外の力)なくして、成立しえない状況を提示する。
例えば、【ある部屋で男が死んでいた。】【その部屋には彼以外に出入りした人はいない。】【しかし、彼は他殺である。】
魔女は、壁をすり抜けてその部屋に入って殺してきたなどとうそぶくのを、人間(解答者)は、『外で致命傷を負わされ、室内に入ってから絶命した』などと、
人間でもなしえた状況だと説明できる仮説を提示するのである。魔女側は、【彼は即死だった】などとさらにそれに応答し、それを受けて人間も次なる仮説をだし…と真実を見つけていくゲームである。
↓もう少し詳しいルールや、過去の出題作ものってます。ロジックパズル寄りのミステリが好きな方はなかなか気に入られるかもしれません。
【うみねこのなく頃に】屁理屈推理合戦スレ@wiki http://www19.atwiki.jp/herikutu/pages/14.html
1つのミステリの到達点(スタイルとして確立?)
この魔女と人間の屁理屈合戦というゲームは次の性質を色濃く持っている。
1、読者である探偵・人間側は、どこからでも、どんな推理をも構築可能
2、読者である探偵・人間側の調べたい・気になる箇所を、自由に聞き込み可能
3、厳密なロジックパズルである反面、ストーリー性はない。
4、不可能性が、物語の進行とともに劇的に高まっていく(=解決時のカタルシスも高まる)
例えば、上述の例を引き合いに出すと、部屋の外から彼を殺す方法という路線で推理することもできるし。あるいは、”出入り”したものはいないという言葉や、
男と彼が同一人物ではないという叙述トリックを疑っていくこともできる。そして、普段のミステリで強いられている疑う・考えるだけという受身の姿勢から一変し、
推理や気になることを思いついた時点でぶつけられ、すぐに反論・否定されるそれが次の推理の材料になるという相互作用で、事件の真相に迫っていくことができる。
3と4は、実際に1つプレイ(鑑賞)してもらえれば、痛感できると思う。
どこかで書いたきもするが、ミステリ作品は他の娯楽作品群とは大きく異なると私は思っている。
第1に、作者と読者の知恵比べという”対決”であるため、作者と読者の相互作用が求められるからである。これはクイズや、クロスワードパズル、数独、なぞなぞのような謎解き系の娯楽全般にあてはまる特性だが、
ミステリは単なる知識問題にとどまらないし、判断推理や数的推理のように、ロジックを単に積み上げるだけのものでもない。
第2に、対決であるために、過去の使い古された手法や手口を乗り越えるべく、常に新しい手法へ切り込んでいく宿命にある。様々な謎は多少重なり混ぜあいながらも、過去から未来へベクトルを持って続いていくように思う。
若干話はそれたが、まぁそういう積み重なっていくミステリの流れの中において、ミステリの主要素である対決や相互作用を重視し、前面に押し出したという意味で、1つのミステリの到達点のように思うわけである。
問題編と解答編、ミステリー芝居といった、1,2の性質を高める読者参加を促す取り組みは数あれど、突き詰めれば、対話型の謎解き形式がそれを一番体現できているのではないかとも言い換えることができる。
とはいえ、人間の闇とか事件が連鎖的におきていく様、颯爽と解決する名探偵(主役)の活躍等、そういうものを求める人によっては、全く肌にあわない形態だろう。
そういうストーリー面への好き嫌いだけでなく、トリック愛好者かどうかといった謎と向き合う各自自身の姿勢も大きく関わってくる。
屁理屈推理合戦(魔女と人間の対決ゲーム)の不完全な点と、かすかに見える終着点?
さて、ここから先は、展開されていた魔女と人間の対決ゲームを鑑賞して感じたルールや運営・管理方法における不完全さの指摘と、それらを手直ししたとしても、
いずれも形式的に”叙述トリック”しか扱えないと思われる限界性について言及したい。
これまでの流れで分かるとおり、私的には賛同・賛成なのでなんとか、より洗練したゲームにできないかと感じ考えてみたいのである。
1、出題者の能力や情報の開示・提供具合で、良作にも悪作にもなる。
TRPGと同一の問題をはらんでおり、GM(ゲームマスター、今回では出題者)の腕次第で、作品の良し悪しはがらりと変わってしまう。具体的には以下の通り。
- 不可能性の明示度合。問題の焦点がどこかはっきりさせる提示方法
密室内で殺された=殺した人物はどうやって脱出したのか等と、問題の不可能性(焦点)をはっきりさせることが、人間側にとってとっかかりになる。
逆に、はっきりさせない場合は、どういう回答もできるがゆえに、展開と進行が滞ってしまい盛り上がりに欠ける。
- 仮説(推理)の棄却、細かく否定するか、大きく否定するか。
密室内で死亡している人間について論じているとして、【外から殺害されていない】と【室外からナイフで刺されていない】では、同じ否定でも、その大きさが変わる。
細かく否定すれば、魔女側にとって有利だが、上と同じく展開と進行が滞ってしまい盛り上がりに欠ける。
一方で、大きく否定すれば、事件のヒントを与えすぎるわけで、展開と進行がかけ足になり、すぐに終わってしまう。
- 復唱要求の存在意義、本当に必要か?
人間側からの状況の説明要求、いわば追加情報の要求を復唱要求という形でゲームでは扱っている。これはいわば、”ヒントの要求”である。
しかし、人間側が指摘した事柄の真偽を、復唱させるという方法でヒントを出させる価値はあるのだろうか。雑談の流れの中で、
どのあたりで人間(プレイヤー)がつまずいているのか察知して、思考の停滞・見当違いなら助け船を出すでも構わないはずである。
魔女は真実を隠す側という設定なのだからヒントを出すのはキャラ崩壊になりかねないのだが、
ゲームの登場人物の役割そのものを見直して、ゲーム進行が望ましいものになることを念頭に改善してもいいと思う。
ゲームの根幹に関わる上記3点の具体的解決策を、もう少し過去作をプレイしてみて考えがまとまってきたら、追記したいと思う。
GMの腕次第と丸投げするのではなく、TRPGのぶ厚いゲームブックのように、こういう時はどう対応するかとか、出題前に整理する点とか、ゲーム進行を手助けするガイドブックがあればいいと思うのだ。
2、魔女対人間ゲームには、どこまでどういう限界があるのか。
魔女側の提示した事実に触れながら、論理的にエラーのない仮説をいかにひねり出すか。という推理が魔女対人間の推理ゲームである。
よく登場するように、謎の人物Xが、特別なトラップX、特殊な凶器Xが、アリバイトリックXを用いてといった、それを可能にする(人間にも用意できる)特別な何かがあると仮定して、
この事件に用いられたと指摘するので時刻表トリックだとか、物理トリックなどの具体的なものの出番は当然ないわけである。
この認識を欺こうとする構造は、まさに叙述トリックであり、魔女と人間のゲームとは、5w1h的な状況説明の各項目の認識を誤認させる言葉遊びなのだと思う。
ただし、通常の叙述トリックとは異なり、”赤字で真実を宣言する”という性質から、言語学的なレベルでしかトリックを仕掛けることが出来ないために、騙す手口というのは限られてくると思うのである。
具体的改善案・ブラッシュアップについて
とりあえず現状思いついた方向性は3点ある。
1、問題製作・出題における心構え。
製作
- 問題の出来不出来とロジックエラー
問題の出来不出来に関わる要素は、屁理屈推理合戦においては、屁理屈(トンデモ推理とトンデモ解答)がまかり通るのだから、
いかに騙せたか=いかに長い間問題を解かれなかったかと、その解答がこれまで提示されていた赤字を厳密に遵守(クリア)しているかに尽きると思う。
ただし、前者は不可能性に苦しんだ時間であるため、出題時から終了時ではなく、問題の謎が浮き彫りになった時点からとかれるまでである。
後者は、ロジックエラーさえおきなければ問題なく、言葉の定義を証明するのも人間側なので、そこまで気にするところではないとは思う。
つまり、問題を思いついたら、不可能性の耐久度の検証が必要不可欠である。
- 水平思考パズルではない。
問題・謎ということに意識が向くあまり、時に、”不可能性=人間の手では成立できない魔女の仕業。”を忘れ、
水平思考パズルのような、”このおかしな状況を説明しろ”問題を出題することがないよう注意する必要がある。水平思考パズルはパズルで面白いのだが、
魔女の幻想という演出で状況を説明する必要性はなく、さらに思考よりも閃きを求められるため、掲示板のカキコミではなくテンポの良い会話の応酬でこそ真価を発揮する別ジャンルだと思う。
出題
- 問題点の明示
不可能性が明示されなければ、人間側はゲームを始めることができないので、一番ありえそうな事柄、一番シンプルな推理を否定する程度で構わないと思うので、
まずは赤字で否定する必要がある。例えば、吹雪で閉ざされた山荘の中で数人の他殺死体が発見される、生き残りは1名。しかし、彼は誰も殺してないとかである。
かけひきや魔女と人間のやりとりの問題に関わってくるし、問題の難易度の話ともいえるが、最初から赤字をだしつくして、解答を待つでもいいし、
人間側の指摘の中で、誘導や進行のために赤字を足していくスタイルもありだと思う。
2、魔女と人間の駆け引き、やりとりの見直し
- 正解に辿り着くまでの理想的な回数、何度かの否定
不可能な点について人間は推理し、魔女はその仮設を否定する。そのやり取りの中で答えに近づいていく。この一連の流れの中で、好みはあるだろうが、
自分で考えた答えだと思うものを2,3度否定され、壁にぶつかるも、なんとかひねり出した答えが正解が理想なのかと思う。
最初からすべての赤字が出ているとしたら、ただ一人で悶々と終始悩むだけで本を読むのと変わらない。それより、推理し否定され、別の角度はないかと、
つまずき考えては乗り越えていくそういう主体的で超克する姿勢の方が、楽しいと思うからである。
- 赤字の否定、復唱要求(仮)がもたらす駆け引きの要素
復唱要求のあり方は一考の余地があるので、一旦置いておくとして、自身の望むシナリオ(問題の山場、赤字で否定する想定回数・展開の見込み)が決まり、
最初の赤字を出して問題が始まれば、後は人間の赤をどう否定していくかになる。開始後にかけひきに関わる要素は、1点目は否定の大小である。
想定シナリオの重要点でなければばっさり大きく切り捨てればいいし、要所ならば、小さく否定すればいい。ただし、問題について考えるのではなく、
魔女の否定の仕方=答えを知っている人物の反応の仕方から、事件を読み解こうとする輩もいるので、小さい否定をしたところが鍵になると読み取られるリスクがある。
3、ゲーム進行をスムーズにする手助け・ヒント
- ヒントは不要だと思う。
復唱要求はこの魔女対人間ゲームには必要ないと思う。というのも復唱要求とはヒント要求でもあり、ゲームが停滞・行き詰っていない、または、プレイヤーが諦めていないのならば、ヒントなぞ不要だからである。
つまり、ゲーム展開・進行に支障をきたし始めたら、魔女側が情報を追加でだせばいいのであって、一部のプレイヤーの求めに応じたり拒否してヒントを出すか出さないかリアクションする必要性はあまり感じられない。
ただもし復唱要求をなくせば、拒否された部分に真実が隠れているのでは?魔女はうまくヒントに応じると拒否を使い分けられるか?という駆け引きの要素はなくなってしまう。
しかし、相手の反応をみて事件の足がかりにせずとも、自身の着眼点から仮説をたてぶつけるを繰り返す謎解き合戦で十分に、ミステリとして必要な環境は整うと思う。
さて、復唱要求の一部には、問題文や既存の赤字の定義を確認し、事件の理解に齟齬を生じさせないようにするものも含まれている。
それらは、事件の理解のために必要であるため、”定義確認”とでもして、魔女は定義確認には応じるというルールだけでよいかと思う。
- プレイスタイル、ゲームモードの違い
上の話で提唱した、復唱要求を排除し、定義確認のみとするというルールをクラシックとでもするならば、従来のルールは、ノーマル。
(あてずっぽう、数打てば当たるではない、ヒント要求としての)復唱要求には必ず応じるというルールは、イージーとでもなるのだろうか。
謎だけに向かう姿勢か盤外の駆け引きも含めるスタイルか、あるいは難易度そのものをさげるスタイル。参加者と出題者の合意の下で、各種スタイルがあってもいいのかもしれない。
ロジカルトリック(ミステリ)、叙述トリック?の限界
この認識を欺こうとする構造は、まさに叙述トリックであり、魔女と人間のゲームとは、5w1h的な状況説明の各項目の認識を誤認させる言葉遊びなのだと思う。
と、前述した通り魔女対人間ゲームを含めロジックミステリ?の限界をについて考察してみる。
。