異民族
異民族とは、中国各地に割拠する、漢民族以外の民族の総称とされている。
しかし、長い時を経て漢民族と同化したもの、漢民族でありながら中央の政情によって
地方へ流れ着いたもの等もおり、区分に関しては明確化されていない。
三国志では烏丸、鮮卑、匈奴、南蛮、山越、羌族などがおり、それぞれが勢力を伸ばし
時の政権や周辺勢力、三国の王朝を苦しめた。曹操?の北方遠征、諸葛亮?の南蛮征伐などはその代表例である。
しかし、場合によってはその三国いずれか、または周辺勢力に協調し、彼らの勢力拡大を手助けした側面もある。
三国志の時代からその前兆があったが、異民族が漢民族に臣下の礼をとって官職を得、中原に住み着くこともあり、
晋の中華統一後に八王の乱で勢力を伸ばし、永嘉の乱でその力を決定的なものとする。
以後、五胡十六国時代をはじめとして、異民族の血を引く王朝が後の中華に君臨し続けることになり、
純正漢民族による漢王朝という構図は形骸化した。
羌
中国史書に古くから見えるチベット語系民族で天水?西域を根拠地とする遊牧民。
紀元前54年に匈奴が降伏すると連絡を絶たれジリ貧となり降伏、以後は雍州一帯に偏在する様に成った。
漢民族の儒教文化で暮らせば差別・圧迫が生じ皆、官吏・豪族に奴隷の如く扱われ続けた為に憎悪怨恨を募らせた。
羌族には勇猛な先零羌を初めとし幾つかの部族が在り、文崇武卑の儒学者にとって羌・氐の命知らずの戦い振りは恐怖の的だった。
反董卓?連合の際に関東軍が手を拱いたのは、彼の兵が長年羌族と戦って来た精強の兵だった事と軍中の羌兵を恐れての事ともいわれている
北宮伯玉
【ホクキュウハクギョク】
金城郡湟中の義従胡で、宋揚と共に叛乱。
名声の在った韓遂?・辺章を無理矢理誘い軍政を委ね、州群を攻撃した。
後に韓遂に辺章と共に殺害された。
蛾遮塞
【ガシャサイ】
羌族の長。
247年に俄何焼戈?らと共に共同戦線を張って蜀の援軍付で魏に叛乱するも、郭淮?に撃破される。
柯吾
【カゴ】
羌族の長。
徐邈?の文明化政策に反発して叛乱。
注詣
【チュウケイ】
羌王。
238年、魏に叛乱を起こすも涼州刺史に討伐され敗死。
芒中
【ボウチュウ】
焼当の羌王。
注詣に同じだが、敗死したかは不明。
治無戴
【チムタイ】
羌族の王。
魏と友好関係を結んでいたが247年に姜維?に投降、蜀国内に移住。
後に郭淮?と戦い敗走。
氐
武都・陰平に居住したチベット語系民族。半農半牧で、漢に征服された部族とされている。反乱を起こす一方、魏・蜀漢の最前線であることから双方から帰順の勧誘を受けている。
巴氐と呼ばれる、巴郡(現在の重慶周辺)一帯を根拠地にしていた氐は、劉璋?・張魯?に仕え、五斗米道に多くの者が帰依した。張魯の降伏後は曹操?に属した。
杜濩
【トコ】
張魯の臣。「三巴」と呼ばれた益州巴郡の氐族の三人の王の一人。
200年、張魯が劉璋から独立した時、同じ三巴の袁約・朴胡とともに張魯に従属し、劉璋から送られた討伐軍を撃退した。
曹操が漢中を攻略すると降伏し、巴西太守に任じられた。この時劉備に「漢中を失えば三巴の力を失う」と進言して護軍に任命された黄権が攻め寄せ、撃破されてしまった。
その後曹操の命により支配下の民族を率いて天水郡に近い略陽の地に移住した。この時王平も杜濩・朴胡に率いられて曹操に帰順している。
※能力は『三國志 覇道』より。読みは「トカク」とも。「杜獲」では無いが、ゲームでは「獲」の字で代用するのもあり。
苻双
【フソウ】
氐族の有力者。雍州武都郡の出身。苻健の弟。
狡賢い人物で、兄が蜀漢への帰順を提案するとこれに不満を持ち部族の人間を説得して四百戸を率い、司馬懿を通じて魏に降った。
『三国志』には名が記録されておらず、『晉書』で初めて判明している。
朴胡
【フコ】
張魯の臣。「三巴」と呼ばれた益州巴郡の氐族の三人の王の一人。
張魯が劉璋から独立した時、同じ三巴の杜獲・袁約とともに張魯に従属し、劉璋から送られた討伐軍を撃退した。
曹操が漢中を攻略すると降伏し、巴東太守に任じられた。この時劉備に「漢中を失えば三巴の力を失う」と進言して護軍に任命された黄権が攻め寄せ、撃破されてしまった。
その後曹操の命により支配下の民族を率いて天水郡に近い略陽の地に移住した。この時王平も杜濩・朴胡に率いられて曹操に帰順している。
※モバイル版の『三國志Ⅱ』では張魯配下として登場するため、そのデータを記載。
2段目は『三國志 覇道』での能力値。
楊駒
【ヨウク】
氐族の王の一人。涼州隴西郡の清水の首領。楊騰の子。勇敢健壮で謀略を得意としたという。
部族を率いて隴西から仇池の地へと移り、これ以後父が樹立した清水政権は「仇池」と呼ばれることになる。
楊車
【ヨウシャ】
張魯の臣。益州巴郡出身の氐族の有力者。
曹操が漢中を攻略し、張魯が巴郡に逃れると曹操に降った。曹操の命により支配下の民族を率いて天水郡に近い略陽の地に移住し、将軍に任じられた。
楊騰
【ヨウトウ】
氐族の王の一人。涼州隴西郡に割拠した清水の首領。
建安年間に部衆を率いて地方政権を樹立。これがのちに仇池と呼ばれ五胡十六国時代を通じて独立勢力として数百年割拠し続けることになる。
「楊」の姓は後世に漢化した子孫が名乗ったもの。
楊僕
【ヨウボク】
氐族の王の一人。雍州武都郡出身。
曹操が死去し曹丕が跡を継いだ時に部族を引き連れて魏に降った。その後魏の異民族政策によって漢陽に移住した。
李黒
【リコク】
張魯の臣。益州巴郡出身の氐族の有力者。
曹操が漢中を攻略し、張魯が巴郡に逃れると曹操に降った。曹操の命により、
杜濩・朴胡・袁約・楊車らと共に支配下の民族を率いて天水郡に近い略陽の地に移住し、将軍に任じられた。
李虎
【リコ】
張魯の臣。益州巴氐族の有力者。子は李慕。孫は李輔・李特・李庠・李流・李驤。
杜濩らと共に曹操に降り、略陽郡に移住し、将軍に任じられた。
曾孫の李雄が成(成漢)を建国すると、巴郡桓公と諡された。
※『晋書』では唐の太祖・李虎の避諱で「李武」表記。
李慕
【リボ】
魏の武将。李虎の子。子に李輔・李特・李庠・李流・李驤。
魏で東羌猟将となった。鄧艾?が255年に東羌校尉となったことから、
また段灼によると「羌胡の健児」五千余人が鄧艾に従って蜀征伐に貢献したとあるので、
李慕も鄧艾配下だった可能性が高い。
孫の李雄が成(成漢)を建国すると、隴西襄王と諡された。
竇茂
【トウボウ】
氐族の王の一人。曹操が漢中の張魯を討ち、雍州の武都から氐の地に入ると氐族が道を塞いだため、曹操は張郃と朱霊にこれを討たせた。
曹操が陳倉を経由して河池の地に入ると竇茂は出陣し、堅固な地形を利用して抵抗したが敗れて屠られた。
袁約
【エンヤク】
張魯の臣。「三巴」と呼ばれた益州巴郡の族の三人の王の一人。
張魯が劉璋から独立した時、同じ三巴の杜濩・朴胡とともに張魯に従属し、劉璋から送られた討伐軍を撃退した。
曹操が漢中を攻略すると降伏し、巴郡太守に任じられた。この時劉備に「漢中を失えば三巴の力を失う」と進言して護軍に任命された黄権が攻め寄せ、撃破されてしまった。
その後曹操の命により支配下の民族を率いて天水郡に近い略陽の地に移住した。「任約」とも表記される。
苻健
【フケン】
武都の氐族の有力者。雍州武都郡出身。
諸葛亮の死後、軍勢を率いて蜀に帰順することになったが、約束の日になっても現れないため蔣琬は心配したが、張嶷は苻健の狡賢い弟苻双が部族を分裂させたと予想。
果して苻双は兄の手柄に不満を持ち四百戸を率いて司馬懿に降っており、蜀に帰順したのは苻健のみとなった。
その後蜀に背くが再度降伏し、劉禅に許された。五胡十六国・前秦の建国者とは同姓同名。