異民族
異民族とは、中国各地に割拠する、漢民族以外の民族の総称とされている。
しかし、長い時を経て漢民族と同化したもの、漢民族でありながら中央の政情によって
地方へ流れ着いたもの等もおり、区分に関しては明確化されていない。
三国志では烏丸、鮮卑、匈奴、南蛮、山越、羌族などがおり、それぞれが勢力を伸ばし
時の政権や周辺勢力、三国の王朝を苦しめた。曹操?の北方遠征、諸葛亮?の南蛮征伐などはその代表例である。
しかし、場合によってはその三国いずれか、または周辺勢力に協調し、彼らの勢力拡大を手助けした側面もある。
三国志の時代からその前兆があったが、異民族が漢民族に臣下の礼をとって官職を得、中原に住み着くこともあり、
晋の中華統一後に八王の乱で勢力を伸ばし、永嘉の乱でその力を決定的なものとする。
以後、五胡十六国時代をはじめとして、異民族の血を引く王朝が後の中華に君臨し続けることになり、
純正漢民族による漢王朝という構図は形骸化した。
黒山賊・張燕軍
張牛角
【チョウギュウカク】
冀州博陵郡の人。黄巾の乱が起きると盗賊団を結成し、張燕?と組んで各地を暴れ回った。
張燕は張牛角を総帥に推した。ある時、張牛角は矢傷で致命傷を負い、張燕を後継指名して死去した。
親愛武将:張燕
王当
【オウトウ】
黒山軍頭目の1人。後に曹操に降伏し振武将軍となる。(徳間書店『三国志全人名事典』では平北将軍とあるが、これは張燕?の官職)
張方
【チョウホウ】
張燕の子。魏に仕え、父の死後跡を継いだ。子に張融。孫の張林は西晋に仕えた。
白繞
【ハクジョウ】
黒山賊の頭目。
黄巾賊の張角が蜂起すると、白繞も黒山で叛乱を起こし三万の軍勢を率いた。
勃海太守袁紹が韓馥を脅迫して冀州牧の地位を襲うと、
白繞は于毒・眭固らとともに十万余りの軍勢で魏郡に侵入。
さらに東郡まで侵出し太守王肱を敗走させたが、
河内に駐屯していた曹操に攻められ撃破された。
陶升
【トウショウ】
黒山賊の頭目。
内黄県の小役人であったが、黄巾賊の張角が蜂起すると賊に身を落として平漢将軍を自称した。
袁紹軍の兵士が反乱を起こして黒山賊と共に鄴城を乗っ取り魏郡太守・栗成を殺害した際、
陶升は袁紹に心を寄せていたため黒山賊から寝返り、
配下の軍勢を引き連れて西城を乗り越え役所の門を閉ざして賊徒を入れないようにした。
そして袁紹の家族や州吏を車に乗せ、彼自身が護衛しながら斥丘へ送り届けた。
親愛武将:袁紹
張白騎
【チョウハッキ】
黒山の賊。元の名は張晟。
張白騎は一万人余りの軍勢を抱えて誰にも属さず弘農郡を荒らしまわり、南方の劉表に通じた。
205年、一時は曹操に臣従していた高幹が曹操に反逆すると、衛固、張琰らと共に呼応。
高幹が濩沢に軍を進めて河東郡を窺うと、張白騎もこれに応じて黄河を北に渡って東垣に進出したが、
夏侯惇の大軍が到着したため、衛固は殺害され、高幹・張白騎は敗走した。
賊徒
馬相
【バソウ】
黄巾の乱に呼応して、益州で反乱を起こした人物。
時期は不明だが、185年から188年の間に緜竹県で黄巾を号した。まず緜竹県令の李升を血祭りに挙げ、
益州刺史・郤倹を殺害し、3郡に勢力を広げて略奪を繰り返した。
後に天子を自称し、万(『後漢書』では十万余)の勢力となったが、益州従事の賈龍から逆襲を受け戦死した。
親愛武将:趙祗
趙祗
【チョウギ】
馬相と共に反乱を起こした。恐らく馬相と共に敗死した。
親愛武将:馬相
王饒
【オウジョウ】
『華陽国志』によると、馬相と共に反乱を起こした。馬相の命で、趙播と共に郤倹を攻撃し、これを討った。
以降の消息は不明。
許昌
【キョショウ】
都市と同名だが、此方は会稽?郡の妖賊。『後漢書』では許生。
臧旻・孫堅?に討伐された。
※「三国志Ⅲ」準拠(統率=陸指)。ただし、生年が168年なので7歳で討たれたことになってしまいます。
胡才
【コサイ】
河東白波賊の大将。
献帝の洛陽帰還の供をする。後に仇敵に殺害された。
※「三国志Ⅲ」準拠。同作の生年は160年。
鄭宝
【テイホウ】
揚州の賊徒。
劉曄を旗頭として住民を率い江南へ移住する計画を立てるも、その劉曄に斬殺された。
姜
【キョウ】
後漢末の女賊。
劉楨が「4本足の蛇が門の中に穴を掘って住み着く」という夢を周宣に占ってもらったところ、反乱を起こすと予見された。
果たして占い通り、鄭と共に反乱を起こすも討伐されている。
鄭
【テイ】
後漢末の女賊。
劉楨が「4本足の蛇が門の中に穴を掘って住み着く」という夢を周宣に占ってもらったところ、反乱を起こすと予見された。
果たして占い通り、姜と共に反乱を起こすも討伐されている。
施但
【シタン】
孫皓の時代に反乱を起こした揚州呉郡永安の山賊。
266年に数千人の徒党で反乱を起こし孫晧の異母弟である永安侯孫謙を捕えて反乱の神輿に祭り上げる。
さらに孫和の墓所がある烏程に進出して楽器や曲蓋を奪い、軍勢は一万人に膨れ上がってさらに建業攻略を目指すが
多くが鎧も着けていない烏合の衆もあって丁固と諸葛靚の討伐軍にあっさりと敗れて戦死した。
嫌悪武将:孫晧