Tier 9 ソビエト連邦 自走砲
スペック
車体
HP | 460 |
---|---|
車体装甲厚(mm) | 60/60/60 |
最高速度(km/h) | 35 |
重量/最大積載量(t) | 54.76/55.5 |
本体価格(シルバー) | 3,700,000 |
修理費(シルバー) |
戦車パッケージ
パッケージ名 (必要経験値/購入シルバー) |
┏ | Obj.261 (273,000/6,100,000) | |||||
212A (217,500/3,700,000) | ━ | 212B (50,300/144,400) | ━ | 212V (114,300/379,400) | ┛ |
詳細
パッケージ名 | エンジン名 | 武装 | 履帯 | 砲塔 | 他 | ||||||||
出力 | 弾種 | 貫通力 | ダメージ | 総弾数 | 弾代 | 発射速度 照準時間 精度 | 旋回速度 | 砲塔装甲 | 旋回速度 | 視認範囲 | HP | 通信範囲 | |
212A | M-17F | 152 mm BR-2 | Object 212 | Object 212 | 460 | 360 | |||||||
700 | AP APCR HE | 88 246 90 | 950 750 950 | 47 | * *G *G | 2.91 6.50 0.72 | 16 | --/--/-- | 12 | 320 | |||
212B | V-2K forced | 152 mm BR-2 | Object 212B | Object 212 | - | - | |||||||
850 | AP APCR HE | 88 246 90 | 950 750 950 | 47 | * *G *G | 2.91 6.50 0.72 | 18 | --/--/-- | 12 | 320 | |||
212V | V-2K forced | 203 mm B-4 | Object 212B | Object 212 | - | - | |||||||
850 | AP APCR HE | 102 260 102 | 1850 1450 1850 | 47 | * * *G | 1.66 7.50 0.83 | 18 | --/--/-- | 12 | 320 |
解説
史実
オブイェークト212はSU-212ともいいます。
車体ベースには、KV-1と共にフィンランドとの冬戦争で試験運用に投入されたSMKが使用されています。
1939年4月30日にSMKの試作車が完成、同じ多砲塔のT-100重戦車や、後に正式採用されるKV-1戦車と共に第20重戦車旅団第90戦車大隊に配備されてフィンランドとの戦争に投入されたのですが、SMKは運悪く雪だまりにはまった上、地雷または収束爆薬攻撃で誘導輪と履帯を破壊されて動けなくなったそうです。
機甲局総監D.G.パブロフの指令により、ソ連軍がT-100で牽引しようとしましたが、航空機用の850馬力GAM-34-8Tガソリンエンジンをもってしても、全長8.75m、全幅3.36m、全高3.35m、重量55tの車体は重すぎて無理でした(T-100の重量は重量58t)、このため、ソ連軍はSMKを放棄して撤収してしまいます。
そこで、ソ連軍の兵器を色々鹵獲して運用してきたフィンランド軍がこれを鹵獲しようとしましたが、ソ連軍と同じく牽引に失敗、強力な戦車を所有して居なかった為、さしものフィンランド軍もこれには諦めて撤収を余儀なくされました、SMKはソ連・フィンランド双方共に回収できずに、2ヶ月後もそのまま放置されましたが、その間、フィンランド軍が撃破の証拠品としてハッチだけは外して持ち帰っています。
ただし、そのまま放置して置くのはやぶさかではないとして結局、ソ連軍が3ヶ月後に6両のT-28で牽引して回収しました。
しかし、このSMKの巨体が災いして今度はこれを運ぶ貨車が無く、バーナーで切断してなんとか運んだのですが、持ち帰ってみると、KV-1の制式採用によりSMKの採用が見送られたので、組み立ての必要が無くなりそのまま放置されます。
しかし、今度はこれを組み立て直して自走砲にする計画が立てられました、ソ連海軍の駆逐艦や巡洋艦に多く採用されていた152mmB-10艦載砲を搭載する予定で、1940年からオブイェークト212として開発計画がスタートされましたが、ドイツ軍が対ソ侵攻のバルバロッサ作戦を開始したため、工場や技術者の疎開が命じられて、計画は中止されました。 急いで完成させたとしてもB-10艦砲は俯仰が遅く、砲身寿命に難があるとして機甲局は採用を渋り、改良されたBr-2カノン砲の登場まで待たねばならなかったので、どちらにしろ不採用だったと言われていました。
そのため、オブイェークト212は設計図のみで、SMKの車体も組み立てを行われずに戦後にスクラップとして処理されてしまいました。
さて、時間は少し巻き戻りますが、SMKの回収に失敗したフィンランド軍からドイツ軍部へ、この戦車の情報が持ち帰ったハッチと共にもたらされたのですが、尾ひれが付いて100t戦車とか、T-35C多砲塔重戦車とかと勘違いのファイリングをされ、独ソ戦開始後2ヶ月にわたり本戦車に遭遇注意の警告が出ることとなったのでした。
資料によっては、KV-1の車体を利用して、152mmBr-2砲か152mmB-10砲もしくは、203mmB-4榴弾砲を搭載する自走砲をSU-212の名称で着手しましたが、この計画は試作車制作の前段階で頓挫してしまい、こちらはKV-2を作るきっかけになったとされていて、時代的に近い事からよく混同されることが多いようです。 ドイツのバルバロッサ作戦によって計画が中止されたとする資料もあります。