経験値リセット

Last-modified: 2023-07-13 (木) 01:39:35

一時活躍を見せた若手選手が、後年その能力を発揮できなくなること。
本項では特に発生頻度の高い横浜(及び後身のDeNA)阪神の選手を中心に記述する。

横浜~DeNAの場合

ベイスターズでは最下位に沈むようになった2002年ごろから開花したはずの若手選手が翌年以降成績を急落させる現象が相次ぎ、暗黒期の象徴的な出来事の一つとしていつしかRPGになぞらえて「経験値リセット」と呼ばれるようになった。
しかもその大抵は移籍したとしても横浜を出る喜びすら感じられないため、古巣のみならず移籍先のファンをも嘆かせている。
親会社がTBSからDeNAに変わり、連続最下位やBクラス常連を返上した現在でもなおこの現象は確認されているため、躍動した選手が不調に陥るたびにリセットを危惧して頭を抱えるファンは多い。

消えたベイスターズ若手選手たち

古木克明

1998年ドラフト1位*1
チームが最下位に沈んでいた2002年シーズン終盤に昇格すると、桑田真澄山本昌といったエース級から次々に本塁打を放ち、34試合で打率.320、9本塁打と大ブレイク。逆方向にも強い打球を放てるそのパワーに、どん底に沈んでいたファンは一縷の望みを抱いていた*2
しかし翌年レギュラーとして起用されると伝説の「萌える成績」を叩き出し、打者としての荒削りさを露呈し経験値リセットが進み始める。
以降も大砲候補としての片鱗は見せるが致命的に低い守備力に目をつぶれる成績は残せず。あまりの守備難に外野にコンバートされるも、多村仁や金城龍彦*3佐伯貴弘*4らに阻まれ定着とはならなかった。
大西宏明とのトレードでオリックスに移籍したあとも鳴かず飛ばずであり、結局最後まで2002年の輝きを取り戻すことなく球界を去った。

吉見祐治
プロ2年目に防御率3.64、11勝をマークし、石川雅規(ヤクルト)と新人王を争うほどの大活躍。エース三浦大輔の負傷もあって投壊に陥っていたチームにとっては、まさに希望の星だった。
しかし翌2003年は3勝10敗、防御率8.38 と変わり果てた姿になりうんこ呼ばわりされる羽目に。翌年以降も成績は振るわず、それでも解雇されない程度の成績は残し続けロッテと阪神を渡り歩き、36歳まで現役生活を続けたが結局2002年の輝きには遠く及ばず、経験値をリセットしたまま選手生活を終えた。
なお打撃能力は一度もリセットされず抜群の成績を残し続け*5、長い球界の歴史の中でもジエンゴを得意とする投手の代表格として知られる。

吉村裕基
22歳で迎えた2006年シーズンで打率.311、26本塁打と完全に覚醒。順調に数字を伸ばし、2008年には24歳の若さでシーズン34本塁打を記録。ここまではまさに順風満帆だった。
ところが翌2009年はレギュラー起用されながら深刻な不振に陥り*6、2010年以降は更なる成績悪化が進みレギュラーどころではなくなり、冷たい吉村として語り継がれる経験値リセットの典型例に。
トレード移籍先のソフトバンクで2014年に復活しクライマックスシリーズMVPは獲得したが、翌2015年以降は再び冷温停止。2016年にはV逸の戦犯*7とされてしまい復活できないままNPBを去った*8

高崎健太郎

TBS時代末期の2011年、26歳で迎えたシーズンで防御率3.45をマークし、チームでただ一人規定投球回をクリア。チーム解散や本拠地移転の危機にさらされ、心身ともに疲弊しきっていたファンを大きく慰めた
親会社がDeNAに変わった翌年は開幕投手を任され前年のパフォーマンスを維持。38歳の三浦大輔35歳の藤井秀悟といった高齢投手に頼りっきりのチームにおいて、27歳の高崎は若い好投手に飢えていた当時のDeNAファンにとって救世主そのものだった。
ところが翌2013年から成績が低下。高さ危険太郎として語り継がれる、経験値リセットの典型例に。
開花していた2年間が違反球の使用時期と見事に重複していたため「違反球専用投手」と揶揄されてしまい、経験値リセット前のパフォーマンスを知るファンを悲しませた。
その後は先発やリリーフをたらい回しにされた挙句、2017年に現役引退。

大田阿斗里

大田阿斗里

センバツ甲子園で1試合20奪三振を記録した大器は24歳で迎えた2013年シーズンに開花。中継ぎ投手として6月頃から37試合に登板。接戦での起用も増えチーム6年ぶりの最下位脱出に貢献し、その若さと過去の評判からファンは大きな期待を寄せる。
しかし翌年、何事もなかったかのように経験値リセットされ、2015年には一軍登板すらなく戦力外通告。その翌年オリックスと育成契約を交わし再起を図るも同年限りで退団、引退した。

藤江均

藤江均

25歳で迎えたシーズンで中継ぎエースの座を手にする。ピンチにも動じない強靭なメンタルと安定したコントロール、背番号の呪いを跳ね返す活躍ぶりにファンは大喜び。
しかし2014年にやや調子を落とし16試合の登板に終わると突如戦力外通告を受け楽天に移籍。前年までの活躍を知る多くのファンが憤怒する一方、楽天ファンからは大いに歓迎されたのだが……。
移籍後はまったく戦力にならず、わずか2試合の登板のみに終わりオフに2度目の解雇。結局は高田繁GMの慧眼が称賛される結果に終わった。
そして引退後ブラック球団と悪態をつき、TBS時代からの低迷からは改善させたDeNAに好意的なファンが多い中で藤江の発言は見苦しいものとされ、現役時代に藤江を応援したファンを失望させることに。

黒羽根利規

黒羽根利規

2006~2012年までは強肩ながら打撃を苦手とする、いわゆるどんぐり捕手陣*9の一角に過ぎなかった。
しかし2013年シーズン後半に30試合で打率.267、2本塁打と打撃面で覚醒の兆しを見せ二番手捕手の座を勝ち取ると、翌2014年には阪神へ移籍した鶴岡一成*10に代わって正捕手に定着。109試合出場で打率.264、リードでも6年連続最下位だったチーム防御率をリーグ3位へと導き、盗塁阻止率に至ってはリーグ1位と大ブレイク。27歳の若さで完璧な正捕手が誕生したとファンを喜ばせた。
しかし翌2015年、何事もなかったかのように経験値リセット。打率.178と低迷し、打てない守れない*11どんぐり捕手へ逆戻りしてしまった。その後は後輩の台頭もあって1軍出場すらなく、2017年に捕手の怪我が相次いでいた北海道日本ハムファイターズへトレード移籍*12するも、目立った活躍を残すことができず*132020年オフに戦力外。現在はBC栃木バッテリーコーチ。

リセットされたあとに復活したとされる選手

金城龍彦

金城龍彦
1998年度ドラフト5位。
プロ2年目に一時期打率4割を超える驚異的なペースでヒットを放ち続け、首位打者のタイトルと新人王をダブル獲得。
しかし監督が権藤博から森祇晶に代わった2年目となる2002年シーズンに絶不調に陥り、打率1割台と大きく低迷。*14同年は中軸の鈴木尚典の不振やエース三浦大輔の負傷離脱、前年オフの正捕手谷繁元信のFA移籍も重なり、ベイスターズ暗黒時代の元年と言われている。
その後監督が山下大輔に代わると復調。以降は好不調の波が大きかったが、先頭打者からクリーンアップまでこなし、2014年オフの退団まで頼れるベテランとして低迷するチームに大きく貢献。守備面でも外野手としてゴールデングラブ賞を2度受賞するほどの活躍を見せ、経験値リセットからは免れた。

なお西武監督時代には在任9年間でチームを8度のリーグ優勝、6度の日本一へ導いた森祇晶だが、横浜では管理野球的な采配が全く合わず、上記の金城や鈴木の低調を招いた点や谷繁の移籍決意の元凶とされており、横浜ファンからは未だに絶許扱いを受けている。

三嶋一輝
ルーキーイヤーの2013年は高崎と入れ替わるように三浦と並び主力投手として活躍。勝ち数こそ伸びなかったが多くの三振を奪いDeNAファンにとっては待望の若手先発だと期待された。
しかし翌年の開幕戦で炎上し、それ以降はパッとしない成績が続き、ルーキーイヤーは最速150km/hを超えたストレートも130km/h代に低下しこのまま経験値リセットの被害者として消えるものとファンからは思われていた。
ところが2018年になってリリーフに専任すると突然復活。ストレートの球速も150km/hを常時超すようになり、豪腕リリーフとしてチームに欠かせない存在になった。2018年にはリリーフだけでキャリアハイの7勝を挙げた
そして2020年には主力リリーフ投手の不調や離脱が重なった*15結果、ついに急造とはいえクローザーとして抜擢され、最終的に3勝1敗18セーブ、防御率2.45と登板数を除けばキャリアハイと言える成績を残した。

石田健大

石田健大
ルーキーイヤーの2015年後半から台頭し、2年目にはチーム悲願のCS初出場に貢献。
しかし3年目の2017年は投球内容そのものは悪化しなかったが一時故障によって離脱し暗雲が漂う。そして4年目の2018年、投げるたび打たれる最悪の内容*16でファンはチーム伝統の経験値リセットを確信。
しかし2019年になると、敗戦処理で中継ぎを経験した事を転機に経験値を取り戻しセットアッパーでも活躍して夏からは待望の先発に復帰。その後はリリーフに再び戻ったが、先発・中継ぎ双方で結果を残したことでラミレス監督からも「ジョーカー」と呼ばれ信頼を取り返した。
2021年は再び不振に陥っているが、ここ2年ほど中継ぎとして結果を残していたこともあり経験値リセットよりは勤続疲労による不振という見方が強い。

桑原将志
2014年頃に台頭し、2016年には中堅手のレギュラーに定着し、CS出場、2017年にはゴールデングラブ賞を獲得し、日本シリーズ出場に貢献した。当時24歳と、まだ若くして順調に育成が進んでいることもあり、多くのファンは大きな望みを抱いていたが、2018年になると神里和毅の加入や以前にも増して好不調が激しくなった打撃*17も重なり、不安を募らせる。
そして、2019年にさらに打撃成績を落としたこともあり、ファンは経験値リセットを確信。2020年も開幕スタメンを梶谷隆幸に奪われてしまい、その後も自動アウトぶりと継続する高い守備力から守備の人と化していた。
打撃が好調だった間は小川博文がコーチとして在籍していたため因果関係が指摘されることもあるが真偽は不明である。
2021年になって梶谷がFA移籍で退団したため中堅手のレギュラーの座を争うようになり、しばらくは神里らと併用されていたが、神里の不振・故障等もあって4月後半からリードオフマンに再定着。打撃については明らかに以前よりレベルアップしており、経験値を取り戻したばかりか覚醒した状態で戻ってくることになった。
とはいえかなりの努力家、練習の虫として知られる桑原が2年間の打撃不振に陥ったことは若手選手を消し去る経験値リセットの恐ろしさを象徴していると言っていいだろう。

評価の分かれる選手

倉本寿彦

ドラフト時は守備の人として評価されており、先輩である名手・石井琢朗からも「やっとそれらしい選手が僕の背番号5を継いでくれた」と評されていた*18
実際にルーキーイヤーの2015年と2年目の2016年には範囲こそ広くはないが堅実な守備を見せ、あの坂本勇人からも「なんでオールスターに倉本いないの?」と発言されるほど認められていた。打撃においても2年目に開花。開幕直後に深刻な打撃不振に陥ったチームで一人気を吐き、最終的には惜しくも打率3割にこそ届かなかったもののチーム内最多安打を記録し、悲願のクライマックスシリーズ出場に大きく貢献。当時のファンからは冗談でなく石井琢朗の後継者と目されていたのだ*19
しかし、3年目の2017年から守備力は見る影もなくなり*20、頼みの打撃も年を重ねるごとに劣化の一途を辿りファンからはアレ扱い。過去の動画を発掘した者が、かつての倉本の高い守備力に困惑することは珍しくなかった。

ただし2016年の後半から腰の負傷をしてパフォーマンスが低下したとインタビューで語っており、怪我から回復したおかげか2019年頃より一時の壊滅的状態からは持ち直しており、2020年シーズンにおいて打撃が復調の兆しを見せると、チーム最多の55試合でショートスタメンを務め、シーズンを一軍で完走。翌年以降は再び打撃不振となったこともあってかショートスタメンを務める機会は減ったが、主に三塁や一塁のバックアップとして一軍帯同を続けていた。
そのため、倉本を守備難の代表・戦力として必要ないと語る者はロクに野球を見ていないとしてふるいにかけられることもあった。しかし2021年以降は怪我もあり出番が減少。そして2022年オフ、戦力外通告を受けベイスターズを去った。

戸柱恭孝

守備力を武器に2016年シーズン新人ながら開幕スタメンに抜擢され正捕手格として124試合に出場しチーム初のクライマックスシリーズ出場に貢献。翌2017年は打率.214の一方で得点圏打率.316、52打点と打撃面でも勝負強さを発揮しチームの日本シリーズ進出の一翼を担った。
しかし2018年以降は深刻な打撃不振に苦しみ、トレードで加入した伊藤光が正捕手に定着すると嶺井博希らと2番手争いをするドングリーズの一角に。

ただし控え捕手としての評価は低くはないほか、肝心の伊藤が不振な上長期離脱していた2020年は再度正捕手に返り咲いており、度々謎の長打を見せ、課題の盗塁阻止率を向上させるなど物足りない点こそあったが及第点の活躍を見せ、翌年も正捕手を固定しない(できない)状況だったが、チーム最多出場を果たしている。

阪神の場合

元々「経験値リセット」ネタはこちらが元祖であり、暗黒に陥った昭和末期~平成初期から「阪神病」と言われていた(言われた経緯は「鳴尾浜量産型投手」参照)。

2010年代に入ると野手が顕著で柴田講平俊介高山俊中谷将大北條史也などがネタになっている。
ただし近本光司大山悠輔・佐藤輝明・中野拓夢のように好不調の波はあれどもリセットされない選手、上本博紀大和梅野隆太郎・木浪聖也のように経験値を取り戻した選手もいる。

関連項目



Tag: 横浜 阪神 フラグ・ジンクス


*1 松坂大輔の外れ1位。
*2 オフの第15回IBAFインターコンチネンタルカップにも日本代表として選出され4本塁打を放ち、ベストナインと本塁打王に輝いた。そのため(今では信じられない話だが)、一時は松井秀喜の後継者と目されていたという。
*3 金城、多村ともにWBC日本代表。
*4 2004年には「赤ゴジラ」嶋重宣(広島)と首位打者を争う大活躍を見せた。
*5 通算打率.228、OPS.525と金田正一桑田真澄や堀内恒夫といったジエンゴで有名な大投手と遜色の無い成績を残している。また上記2003年は打率.296、OPS.778と打撃は絶好調であった。
*6 なお転機となったこのシーズンの前年末にレーシック手術を受けており、これが不調の原因ではないかとまことしやかに囁かれている。というのも過去には名選手の鈴木尚典がレーシック手術を受けて同様に成績急落した例があり、さらに後年にはドラフト1位指名直後にレーシック手術を受けた白崎浩之も期待に応えられないままオリックスに移籍している。そのため(医学的な根拠はないが)ベイスターズファンはレーシック恐怖症に陥っている。
*7 この年の吉村は4月に二打席連続ホームラン(代打同点3ランとサヨナラ2ラン)を放ったこともありシーズン終了まで1軍に帯同するも最終的には打率2割スレスレ、守備でも逆転負けにつながるエラーを犯すなど不振に陥り、吉村に200打席以上与えた工藤公康監督とともにファンのヘイトを集めた。
*8 その後は琉球ブルーオーシャンズを経て、現在は火の国サラマンダーズ兼任コーチ。
*9 TBS時代末期の横浜は2008年オフの相川亮二のFA移籍以来正捕手が固定できず、ファンの間ではしばしば誰が一番マシかで論争になっていた(いわゆる細山田武山論争)。
*10 久保康友の人的補償。
*11 この年は髙城俊人嶺井博希と共に68暴投を喫し、1990年のロッテが打ち立てたシーズンワースト記録に並んでしまった。
*12 この時代わりに獲得したのがエドウィン・エスコバーである。
*13 移籍当初の日本ハムは大野奨太や市川友也といった盤石の捕手陣を有していたが、彼らの移籍後は前述の相川移籍以降の横浜のように正捕手が固定できない状況に陥るも割って入ることもかなわずほぼ二軍暮らしだった。
*14 2000年オフに東京電話のテレビCMに出演した際に「打率が1割ずつ下がらないようにね」と共演した松坂慶子からネタにされていたが、現実になってしまった。
*15 前年までのクローザー山﨑康晃は安定感を欠いた投球が続き後半二軍落ち、スペンサー・パットンは活躍こそしたものの好不調の波があり、ルーキーイヤーは9回を任されていた三上朋也も怪我が響き二軍暮らしが続いていた。
*16 特にリード時の被打率が.632(19-12)という数値を記録しておりなおさら印象が悪かった。
*17 絶好調だった7月はサイクルヒットを達成し、月間打率.421と打ちまくったが、不振だった月は殆ど打てなかった
*18 石井と倉本の間につけていたのは野口寿浩と森本稀哲。いずれも生え抜きでも遊撃手でもない上に、お世辞にも活躍したとはいえなかった。
*19 ちなみに倉本の応援歌は大洋ホエールズ時代の石井のものである。
*20 代わりのショートを用意できなかった編成の被害者とする声も少なからずある。