Pz.IV E 11th Panzer Regiment

Last-modified: 2024-01-18 (木) 18:18:33

DEU_MT_Pz.IV E 11th Panzer.png

概要

モスクワキャンペーン枢軸軍側でLv22で開放されるPz.IV Eの第11装甲連隊仕様(課金)。
性能は元のE型と変わらないが、榴弾の代わりにHEAT弾を装備している。

使用可能キャンペーン

モスクワノルマンディーベルリンチュニジアスターリングラード
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車両性能

項目数値
乗員(人)5
砲塔旋回速度(°/C)11.9 / C
俯角/仰角(°)-10 / +20
リロード速度(秒)3.3
車体装甲厚
(前/側/後/底)(mm)
50 / 20 / 20 /10
砲塔装甲厚
(前/側/後/上)(mm)
30 / 20 / 11 / 10
馬力3000rpm / 300hp
重量(t)21.0
視界(%)△△
速度(km/h)42.76

武装

名称搭載数弾薬数貫徹力
(前/側/後)(mm)
主砲7.5cm Kwk 37 L/24 戦車砲180
(AP37:HEAT36:SM7)
△△ / △△ / △△
同軸機銃7.92mm MG34 機関銃12700△△ / △△ / △△


解説

特徴

第6装甲師団隷下第11装甲連隊仕様のIV号戦車E型。モスクワキャンペーン枢軸軍側の「モスクワの戦い」:IV号戦車E分隊(6100ゴールド)を購入すると使用できるプレミアム(課金)戦車である。軍事レベルを上げなくてもすぐに使用可能。砲塔天板に広げられた航空認識用の旗がトレードマーク。砲塔後部のゲペックカステンには搭乗員の荷物が掛けられている。荷物が邪魔でキューポラ後部の覘視孔の視界が狭くなっているのはご愛嬌。

 

【火力】
主砲はPz.IV E戦車と変わらないが、榴弾の代わりにHEAT弾を装備している。そのため、通常の徹甲弾では貫徹不可能なT-34(1940年型)を正面から貫徹可能。(45mmしかない正面装甲のエッジ部分を狙うべし)加えて、そこから戦車の一番底に積まれている弾薬に直撃させることができれば、T-34のワンパン撃破も可能である。(あくまで理論上。演習場だと比較的簡単だが実戦でできるかと言われると…)なお、1941年型のT-34*1は先に述べた正面装甲のエッジ部分が強化されているため、場所によっては貫徹可能であるものの、弾薬を狙うのはかなり困難である。大人しく側面(転輪2個目と3個目の間の少し空いている部分)を狙おう。
また、限定的ではあるが相手が斜面にいて停止している場合や、自分が高所にいる場合(採掘場など)は、天板を狙うことでT-34(1940年型、1941年型共に)の撃破が可能である。数発撃ち込む必要があるが、やはり戦場からT-34を追い出せるのは大きいので、落ち着いて貫徹可能な部分(クロスヘアが緑になる場所)を探すべし。
また、発煙弾も装備しているため、攻勢時に味方歩兵の周りに撒けば、敵のスナイパー、機関銃を妨害できる。
ーー加筆求むーー

 

【装甲】
Pz.IV E戦車と同性能
迷彩も砲塔天板の旗とゲペックカステンの荷物を除いて通常のIV号E型と全く変わらないので、敵からの視認性も同じくらいと考えていいだろう。先手を打つことが重要なのは変わらない。
ーー加筆求むーー

 

【機動性】
Pz.IV E戦車と同性能
塹壕に気をつけよう。
ーー加筆求むーー

 

【総論】
本車最大のメリットはHEAT弾が発射可能で対戦車能力が向上している点にある。T-34相手は厳しいがT-28やT-50相手には互角以上に戦えるほか、二号地獄や三号拷問をスキップできるのでこれからモスクワ枢軸を進めるという人に特にオススメである。
また、HEAT弾は対歩兵用の榴弾(普通の榴弾と比べると範囲は劣る)としても使用可能な為、歩兵を見ていた時に急に戦車が現れても砲弾を変更せずとも対応できるのもメリットとして挙げられる。
ーー加筆求むーー

史実

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(この項では本車両が配属されていた第11装甲連隊、第6装甲師団及び第4装甲集団について解説しています)
IV号戦車E型の史実についてはこちらから

この戦車が配属されている第11装甲連隊は、第6装甲師団の隷下にあった。第6装甲師団は1937年10月に第1軽旅団として組織され、その後第11装甲連隊を伴ってズデーテン併合、チェコスロヴァキア解体に加わった。師団はポーランド侵攻にも参戦し、第二次世界大戦の開戦後に第6装甲師団として再編された。1940年、師団はフランスの戦いに参戦した。この時、第11装甲連隊には27両のIV号戦車が配備されていた。1941年6月のバルバロッサ作戦では、師団は239両の戦車を伴い参戦したが、T-34の出現により苦戦を強いられた。そのため、ドイツ側は対空砲や吸着地雷などでソ連の足止めに抵抗した。そして1941年10月、モスクワの戦いにおいて第4装甲集団(後の第4装甲軍)の傘下にあった第6装甲師団はタイフーン作戦のため、ヴャジマへと向かい攻勢を開始した。しかし、季節は冬へ移り、気温や天候、補給上の困難が深刻化し、ついにはドイツ軍の攻撃は止まった。この時、第4装甲集団はモスクワからわずか24kmのモスクワ郊外の地点に到達していたが、それ以上の進撃がなされることはなかった。その後もドイツ軍は環境に苦しむことになった。気温は零下20度以下になり、ドイツ軍の戦闘車両は使用不能に陥った。1941年12月、ソ連軍の反撃が開始され、第4装甲集団は最終的に約300kmに渡って押し戻された。その最中、第6装甲師団が保有していた戦車、車両のほとんどが失われてしまった。
(その後フランスで再編され、再び独ソ戦に投入されるのはまた別のお話)

小ネタ

この車両の砲塔天板には、赤地にバルケンクロイツが入った白い円が配された航空認識用の旗が広げられている。そのため空中からよく目立ち、味方の航空機に前線の位置を知らせることができる(かも)。裏を返せば敵機にも位置がバレやすいということであるが……
このような陸上部隊用の航空認識ドレープは実際のドイツ国防軍でも使われていたが、中央のマークはバルケンクロイツよりもハーケンクロイツ(鉤十字)の方が多かったようだ。しかし戦争の後半になると、連合国側に制空権があったためほとんど使用されなかった。

出典/参考文献

コメント


*1 砲塔や主砲の形で判別可能