スタッフ/【ナーシア・ジベリ】

Last-modified: 2023-01-28 (土) 23:27:25

全般・概要

イラン人男性。スペルは"Nasir Gebelli"。
日本語では「ナーシア」よりも「ナーシャ」と書くほうが一般的である。
AppleII時代の天才プログラマーで、FF1~FF3のメインプログラムを手掛けた。
当時のスクウェア社長、宮本雅史氏とアメリカで出会ったことがきっかけで、
スクウェアでの仕事をするようになったらしい。
ファミコン時代のハード性能でありながら、高品質のグラフィック、処理落ちが少ないなどの
職人芸を見せ、ダイナミックな数々の演出の実現に大きく貢献した。
中でも、飛行技術は後期のシリーズに高い影響を及ぼし、聖剣2で3D視点での飛行技術を完成させている。
下記のエピソードにもあるように、天才的なプログラミング技術を誇るが、バグもけっこう多い。
スクウェアでの最後の仕事は聖剣伝説2。現在は故郷のイランで仕事をしているらしい。


元々はイランの王族だったという経歴がある。
イラン革命の際に国を追われ渡米。その際に学んだコンピュータ科学が後に彼を伝説へと導く。
正に人生あざなえる縄の如し。

  • ソース希望、王族が会社員やってるなんて嘘っぽくて信じられないのだが
    • とりあえずウィキペディアに載ってた情報を書いただけなのだが。とりあえずそっちを参照してね。
    • イランに限らず、王族や貴族の血を引いていても割と普通の生活している人は世界に結構いる。
    • 坂口博信インタビューでも「ナーシャは元王族らしい」と発言あり。「坂口博信インタビュー」
    • 田中圭一氏によるインタビュー漫画でも触れられている。中東の王族が国外追放は検索すると他にも色々出てくるの結構よくあることみたい。
    • なんで王族が日本に来てプログラマを?というと、なんでも離婚の慰謝料を稼ぐためにとにかくお金が必要だったから、とか。

当時のFFでは、ゲーム中真っ先に表示されるスタッフの名は坂口氏でも天野氏でも植松氏でもなく、
なぜかプログラム担当のナーシャさんだった。それだけナーシャ氏の技術を買っていたのだろう。

  • プログラマーとしての職権乱用なのかも。
  • FF1発売前の広告では、寺田憲史氏や天野喜孝氏と共に、大々的に名前が宣伝されていた。
    が、その広告には何故か「ナーシ・ジベリ」と書かれていた。

FF3が出る時に、ファミマガの見開き広告で
「ナーシア・ジベリ再び」
みたいなコピーがつけられていたのを見た記憶がある。
まあ、子供だったので「誰だ?」って感じだったけど。

  • FF4が出るときの(何の本かは忘れたが)特集漫画で、
    「何でジベリじゃないんだ?」と漫画作者が開発者に泣きながら訴えているのがあった。
    • ↑ファミコン通信1991年10月4日号に掲載された鳴海優道氏の「最も危険なFFファン」という4コマ漫画だと思われる。
      スクウェア開発部にやってきたファンが、「何でⅣのプログラムはナーシャじゃねーんだよっ」
      「シナリオも今までの寺田じゃねーじゃねーか」などと怒り涙を流しながら訴えてくるという内容。

FF1~3はバグが多く、プログラム担当のナーシャ氏はバグの神として有名だが、
時にはそのバグすらもゲームに利用している辺りが恐ろしい。
中でもその最たるものはFF2&3の「8倍速飛空艇」であろう。
田中弘道氏に曰く、FF3の移植が難航した理由の1つはこの高速移動の再現が不可能だったからとか。

  • ファミコンソフトはアセンブリ言語という、機械語を単純に人の読める単語に置き換えた言語で作られている。ハードの特性を熟知していた場合は裏技とよべるようなプログラミングができるのだが、他の環境に移植するときに再現が難しい。
  • ナーシャはこの『裏技』を用いてファミコンのスペックでは不可能な処理速度でアニメーションを再生するという「製作者に教えたら絶句した」という異次元の手法で実現している。

FC版FF3の開発中に起きた出来事。
FF3でバグを見つけてしまったが、ナーシャ氏は渡米していて不在。
しかたがないので電話したところ、
「今から修正パッチを口頭で伝えるから、それをこれから言う場所にぶっこめ」
という驚愕の返事が。そしてそれを実行したところ、バグがぴたりとやんだ…。

  • 「口頭バグ修正」の逸話については、スクウェア出身の梶谷眞一郎氏がこちらの動画で回想している。
    (梶谷氏の記憶ではこのエピソードはFF2の時となっているが、正しくはFF3のようである)
    また、梶谷氏いわくナーシャ氏が優れているのは、言われた通りに作るのではなくゲームが面白くなる特殊効果などを自分から提案してくれる人物だったことで、坂口氏もそれに刺激を受けてさらにアイディアが湧いていったのだという。

FF1の開発中、石井氏が「飛空艇に影を付けて、浮いていることを示したい」と
坂口氏に言ったが、「そんなの無理だ」と言われたのでナーシャ氏に相談したところ、
翌日には飛空艇に影が付き、さらに4倍速で動いていたらしい…。


坂口いわく腕はすごかったんだけど、日本語が全然だったそうでケアの一環で毎日ステーキを一緒に食べていたとか何とか(ステーキしか食べられなかったようである)


バグだけでなく設定ミスも多く残す辺り、プログラマーとしては伝説級の天才ではあるが、完璧とは言い難い人物であった。


ナーシャ氏は「RPG」というゲームジャンルについて何も知らなかったそうで、
坂口氏が一生懸命どんなものか説明しても「サカグチ、ソンナモノ、ドコガ面白インダ?」みたいな感じで理解してくれず、
最後は「分かんなくてもいいから作ってくれ」って感じだったという(坂口氏の発言)。
また、途中でナーシャ氏のほうから「バトルはよくわからないから、日本人のプログラマーにやってもらってくれ」と言われたため、
ナーシャ氏が担当したのは飛空艇を飛ばすプログラムといった、バトル以外のパートであったらしい(河津氏の発言)。


ナーシャ氏が担当した部分について、田中弘道氏が具体的に証言している。

私が関わったのは『FF』~『FFⅢ』までのファミコン時代ですが、とにかく毎回ROM容量との戦いでした。
データ構造やシステム設計などすべて担当しましたが、1ビットたりとも無駄にしたくなかったので
データやビット単位で徹底的に詰め込んでプログラマーのナーシャに指示を出していました。
彼はよく天才プログラマーとも言われていますが、実際に彼が担当していたのは
フィールド画面のスクロールや町やダンジョンなどのマップ画面だけで、
そもそもRPGというものがあまりわかっていなかったので、私の設計通りコーディングしてもらっていました。
とくに複雑なバトルシーンについては、こちらも言葉の壁があって細かく指示を出すのは不可能と判断し、
バトル部分は全作品とも日本側のプログラマーで全面的に開発していました。
同様に、メニュー画面などもRPGのパラメーターについて細かく説明するのも面倒だったので、
簡易スクリプトでウィンドウの座標と表示物を指定できるように画面表示ルーチンだけ作ってもらい、あとは私が全部組んでいました。
とは言え、飛空艇などの高速スクロールや球体のワールドマップ表示なんかは彼がいないとなかなか難しかったかなとは思いますが(笑)。
(『週刊ファミ通』2021年12月30日号 79ページ)

とのことなので、有名な「ABキャンセル」の裏技や、魔法やパラメータが機能してないといったバトル面の不具合は、ナーシャ氏の責任ではないようだ。

  • なお、同記事で田中氏が語ったところでは、じつは「ナーシャ」という表記は、実際に耳で聞いた発音とは異なっているという。

    この”ナーシャ”という呼びかたは、じつは宮本オーナーにはそう聞こえたというだけで、一般的な日本語での呼び名は”ナセル”さんが正しいんじゃないかと思います。
    彼に「What's your name?」と聞くと、「ナッスル」(ルはほとんど聞こえない程度)みたいな発音でした。


実は、作曲の植松氏は、FF1~3の開発時に「テンポ80、100、120、150のどれかで作曲してくれ」とナーシャ氏から指定を受けていたらしい。
植松氏としては不本意な部分もあったようで「ちょっと残念な気持ちが残ったものもあった」そうである。
(ピクセルリマスター版サウンドトラック発売記念インタビューより


関連項目:【BY NASIR】

視聴覚室

スクウェアについてのインタビュー(1998年)
http://vimeo.com/8959605