SS置き場/高熱

Last-modified: 2018-05-03 (木) 20:23:40

 高熱

 私は少なからぬ時間をここ鎮守府で過ごしてきた。費やした資源に見合った戦果も得られるようになってきており、最近やっと自分には提督の才能があるといってもよいのではないかと思い始めている。
 今では新人たちを教育する先任艦娘もおり、私が直接対応しなくとも日々のルーチンは回り始めている。頼もしい艦娘もそろい始め私を満足させている。その代わりといってはなんだが艦娘たちの報告書読みや添削、長期計画の策定、日々起こるトラブルの裁定、もろもろの決済承認と事務作業が私の日々のルーチンの多くを占めるようになってきた。そのことには正直うんざりするが致し方ない。
 時々、私は着任して最初の頃の、まだ数少なかった艦娘たちと悩み、顔寄せ合いながら目の前の問題を片づけていったあの頃が懐かしくなることがある。
 今日も執務の休憩時間にそんなことを考えていた。
「提督、艦隊が母港に帰投しました。」
 秘書艦の蒼龍が私に告げる。
「そうか、遠征に出していた隊が戻る時間だったな。状況は?」
「任務は無事完了しました。ですが…」
 蒼龍が言い澱む。
「どうした、言え。」
「朝潮さんが、体調を崩したようです。」
「朝潮が体調を?どういう状態だ?」
「母港に戻ってから疲れた様子を見せており、熱を出しているようです。」
「そうか。わかった、今日はすぐに休ませなさい。報告書は後でよいから。」
「了解しました。」
 無敵の艦娘と言えど疲れることはある。休息を与えればまた元気になるだろう。

 だが翌日になっても朝潮の熱は下がらなかった。

 艦娘が大きく体調を崩す、ということは基本的にない。
 疲れで本来の力が出せないことはあれど、休息をとればまた力を発揮できる。
 だが今回はそうならなかった。次の日も高熱が続いたまま朝潮は寝床でうなされている。

「なによ!司令官のくせに艦娘のことを全然知らないのね!」
 満潮が私を責める。朝潮の看病は妹である大潮と満潮にやらせていたが、三日経っても良くならないことに満潮はいら立っていた。
「すまない、すぐ治ると思っていたが…」
「本当にそう思っているの?見舞いにも来ないくせに!薄情者!」
「満潮ちゃん!言い過ぎですよ!」
 大潮が満潮をたしなめる。
「忙しくて見舞いに行かなかったのは確かだ、すまん。」
 私は非を認め蒼龍に向いて聞く。
「蒼龍、最近の朝潮に変わったことはあったか?」
「いえ、特に問題はありませんでした。僚艦にも確認しましたが、任務自体も特に問題なく、むしろ…順風満帆と言えるほどです。」
「そうか…大潮、満潮、すまないがもう少し様子を見させてくれ、引き続き看病を頼む。」
 二人が執務室を出るとき、満潮は私をじっと見ていた。何か言いたげに。

 その夜、急な哨戒任務が飛び込んできた。珍しく鎮守府は手薄な状態となっており、夜警要員以外で動かせる人員が限られている。仕方ない、大潮と満潮を行かせねばならない。
「朝潮姉さんの着替えは済んでいます!もし必要なら箱に入っていますので!」
「大潮、助かる。ところで満潮は?」
「満潮ちゃんは準備を終えたら部屋を出てしまって…でもちゃんと戻ると思います!」
「わかった、では任務を頼んだぞ。」
「はい!」

 大潮が出てからほんの少し後、執務室の扉をたたく音。
「入れ。」
 満潮が緊張した面持ちでが入ってきた
「なんだ、もうすぐ任務の開始時間だろう?」
「わかってるし。準備はできているわ。」
 満潮はふっと息を吐き、口を開く。
「伝えたいことがあるの。」
「何だ?」
「朝潮に…私が…してもらったことをしてあげて。」
「何だって?」
「やっぱり、忘れてしまったのね。」
 満潮の顔にさみしげな表情がうつる。その顔を見て私は過ぎ去ったあの頃を思い出した。
「…いや、思い出した。満潮、覚えていたのか。」
「多分、それで朝潮は治るから。」
「どうしてそれがわかる?」
「わかるわよ、姉妹だもの。」
 満潮はうつむきながら少し笑ったがすぐ元の表情に戻った。
「じゃあ、伝えたから。行ってくるわ。」
 満潮はそう言って部屋を飛び出した。閉まりかけた扉から廊下を駆け抜けていく音だけが執務室に残った。

 そうだ、朝潮が初めてではなかったのだ。満潮も同じように寝込んだことがあったのだ。あれはまだ…懐かしく思い出すあの頃だった。まだ戦力も少なく、艦娘の一人一人の状態を把握するだけの余裕があったあの頃。
 あの時は反抗ばかりする満潮に手を焼き毎日叱ったりしたものだ。
 満潮が今の朝潮のようになった時、見舞いに部屋を訪れたらうなされる満潮に袖をつかまれて…
 私は蒼龍に執務室の番を頼み、朝潮が眠る部屋へと向かった。

 布団に横たわる朝潮を見る。いまだうなされ苦しそうな表情を浮かべたままだ。
 私は布団をめくり、眠る朝潮の隣に身を置いた。目の前に朝潮の顔がある。頭を撫でて背中をさすってやる。
 本当はこうなる前に気づくべきだった。艦娘が増え、私の仕事も増え、艦娘一人一人に接する時間は日に日に減っていった。私は忙しさを理由にほとんどの艦娘とは顔も合わさない日々を過ごしていた。そして心のどこかに特定の艦娘にだけかまうわけにはいかない、という気持ちがあったのだろう。
 そんな状況で朝潮は自分がこの鎮守府に必要な存在なのか不安になってしまった。ほとんどの艦娘は姉妹艦なり僚艦なり自分をつなぎとめる存在を得ているが、朝潮型は司令官である私につながりを求める気持ちが強い。しかし朝潮はずっと我慢していたのだろう、不器用な朝潮。
 許してくれと思いながら朝潮の手をそっと握る。
 不意に朝潮が声を上げた。
「しれい…かん…いかないでください…」
 私はゆっくりと答える。
「朝潮、私はここにいるよ。」
「いっしょに…ずっといっしょに…」
「ああ、ずっと一緒だ。朝潮。」
「はい…やくそく…」
 私の言葉が届いたのか朝潮はそれ以上何も言わなかった。もう片方の腕で朝潮を抱き寄せ、布団の真ん中で向き合い私たちは眠った。そうまるで父娘のように。
 私は夜の海を滑る艦娘たちの夢を見た。

 薄闇の朝、私が目を覚ますと朝潮はかすかな寝息をたてて眠っていた。そっと手を額に当てると昨日までの熱が嘘のように引いていた。
 もう、大丈夫だろう。私はゆっくり起き上がり、朝潮を布団に横たえて頬を撫でた。もう少しすれば夜警の連中も戻る。着替えを頼まねば。

 翌日、執務室に朝潮の姿はあった。昨日の昼には本人はもう大丈夫!と騒いでいたが。
「朝潮、戻りました!」
「待っていたぞ。」
「司令官にご迷惑をかけ申し訳ありません!」
 私はいや…と言いそうになるのを止めて言った。
「私には朝潮、お前の力が必要だ。これからもバリバリ働いてもらうぞ。」
「はい!司令官!駆逐艦朝潮、勝負ならいつでも受けて立つ覚悟です!」

 その後、執務室に三つの影。
「大潮、満潮、今回は世話をかけたな。」
「当然のことをしたまでです!」
「ま、そうね。当然のことだわ。」
「何か礼をしたいのだが希望はあるか?」
「はっ、褒美なんて甘いわね。」
「まあそう言うな。たまにはいいだろう?」
「大潮、お願いがあります!」
「なんだ、言ってみろ。」
 大潮はなんの屈託もなく言った。
「大潮も司令官と一緒に寝たいです!」
「ちょっ、なにを言ってるのよ大潮!」
「そうか、いいだろう。満潮も同じ願いでいいな?」
「なんでよ!」
「決まりです!」
「なんでよ…」
 あきれた顔をしながらも満潮は答えた。
「…まあ、いいけど…」