みんなの新武将/元末群雄

Last-modified: 2023-03-27 (月) 11:21:27


注意点

基本的に、新武将は「作成例」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。
新武将の能力値や個性の決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物であり、その正誤も、各人それぞれ異なります。
万人が納得する能力値や個性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発してしまいます。
可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には各プレイヤーの裁量次第であることをお忘れなきようお願い致します。

また、併用不可能な個性の組み合わせも存在するため、実際に作成可能か確認したうえでの追加・編集をお願いします。

変更を加える際は編集合戦を避けるため、みんなの新武将/明の朱元璋やみんなの能力編集のように能力値の別案を作成するのも良い手段です

なお、以下の条件に当てはまる人物などを登録、作成禁止とします

・2019年4月30日時点で存命中・未誕生の実在の人物(政治家、活動家、芸能人など著名人を含む)
・↑に当てはまる実在の人物を揶揄、模したような創作上の人物
・意思疎通、自主的な会話が不可能な無機物(飛行機、電車、船など)


なお、第三者が記載、投稿した能力値を許可なく改変、削除することも禁止です
あなたの身勝手なその行動が編集合戦を招いています。
あなたが第三者の方の作成した能力値を削除したら、次は第三者の方があなたの作成した能力値を削除して堂々巡りになります

元末群雄

宋(1355年~1366年)

韓山童

統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
6521847188

【カンザンドウ】
紅巾の乱の引き金を引いた人物。
北宋の八代皇帝・徽宗の八世孫を詐称し、白蓮教の指導者となる。
十五万の農民が黄河の堤防修復に駆りだされた際、劉福通とともに計を練って黄河に隻眼の石像を埋める。
その後「只一つの眼をもつ石人が、黄河で天下への叛乱を引き起こす」という民謡を流布し、石像を発見させて農民を心服させる。
農民を率いて元に反乱するが、捕えられ処刑された。
死後、劉福通により息子の韓林児が擁立され、大規模な紅巾の乱へと発展する。

天完国(1351年~1360年)

徐寿輝

生年登場没年
1360年(不自然死)
統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
7668464365召募動員直情賊徒侵略荒廃我道

【ジョジュキ】
元末の群雄。
蘄州羅田県の出身で元は綿布の行商人であった。
湖北を本拠に紅巾の乱に呼応して有力勢力を築き上げて西派紅巾軍と呼ばれ、
皇帝を称して国号を「天完」とした。
丞相であった倪文俊に暗殺を図られるも倪文俊の配下であった陳友諒が倪文俊
を殺害した事により難を逃れるも程なくして陳友諒に殺害された。

倪文俊

生年登場没年
1357年(不自然死)
統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
8077565359水戦調練動員強欲水軍育成我道

【ゲイブンシュン】
天完国の武将。
漁民の出身で徐寿輝の挙兵に馳せ参じて水軍を率いて元軍を撃破、
一時劣勢にあった天完国の勢力を盛り返し丞相となる。
しかし次第に徐寿輝に取って代わる野心を抱くようになり、その暗殺を図るも
失敗に終わり配下であった陳友諒の謀反により殺害された。

趙普勝

生年登場没年
1359年(不自然死)
統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
7684262238水戦果敢高慢功名水軍育成我道

【チョウフショウ】
元末期の武将。
元々は巣湖の水賊で兪通海らと共に朱元璋に帰順したが徐寿輝に転じた。
「双刀趙」の異名を持つ勇猛な人物であったが、朱元璋による離間策により
徐寿輝配下の陳友諒との仲を裂き、疑念を抱いた陳友諒により殺害された。

陳漢(1360年~1364年)

陳友諒

統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
8682844749水戦召募消沈癇癪軽率割拠
8986874958割拠

【チンユウリョウ】
元末の群雄・大漢皇帝。もとは紅巾軍の武将。
紅巾の乱に呼応して挙兵した徐寿輝(西派紅巾軍)が天完国皇帝を名乗るとその配下となる。
天完国元帥の倪文俊の書記だったが、倪文俊が徐寿輝殺害を計画するとこれを誅殺。
天完国の実権を握ると徐寿輝も殺害し、国号を大漢として皇帝を名乗った。
湖北を拠点に朱元璋と対立、一時は応天府(南京?)に迫る勢いを見せるが、康茂才の偽投降に掛かり敗北。
南昌を奪回するため大船団を率いてこれを包囲するが落とせず、
鄱陽湖で決戦を挑むも火砲と火船により船団は壊滅、退路を断たれて戦死した。

補足:三国志演義の赤壁の戦いは、この鄱陽湖の戦いがモデルといわれる。

張定辺

生年登場没年
1318年1417年?(自然死?)
統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
8287434056猛者護衛操舵功名水軍育成覇道

【チョウテイヘン】
元末期の武将。
元末の群雄である陳友諒の配下で陳友諒が漢国皇帝を称した際に太尉となる。
朱元璋と陳友諒が対決した鄱陽湖の戦いでは陳友諒の船団が優位に戦いを
進める中で朱元璋の旗艦に肉薄する勇戦を見せたが敗北する。
陳友諒の戦死により遺体を護送し、陳友諒の次男陳理を擁立した。
その後も朱元璋に抵抗したが最後は降伏、以後は出家したという。

張必先

生年登場没年
統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
8164615883驍将調練求心直情三令五申割拠

【チョウヒツセン】
元末期の武将。
元末の群雄である陳友諒の配下で陳友諒が漢国皇帝を称した際に丞相となる。
「溌張」の異名を持つ漢国の驍将で陳友諒の戦死後は後継者の陳理を支え岳州を守備する。
武昌を守る陳理を救援する際、休憩した隙を朱元璋配下の常遇春に奇襲され捕らえられた。
張必先が捕らえられた事を知った武昌の将兵達は恐慌をきたして朱元璋側に投降する者が後を絶たなかった。

張呉(1363年~1367年)

張士誠

統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
8880616378召募求心運搬浪費優柔割拠

【チョウシセイ】
元末の群雄。呉王。
官塩の輸送を行っていたが、官からの圧迫を受けて挙兵する。
塩の密売によって得た利益を民に施していたため、塩産地の泰州が挙兵を支援した。
元は塩の専売で財源を得ていたこともあり、名将トクト率いる大討伐軍が起こされ高郵を包囲する。
しかし、突如トクトが解任され、張士誠は混乱する元軍を打ち破った。
その後は平江(蘇州)を制圧、苗族の楊完者を滅ぼし、紅巾軍の劉福通を戦死させるなど版図を広げ、呉王を名乗る。
陳友諒滅亡後に朱元璋の侵攻を受け、平江で十ヶ月に渡る籠城をするが敗北し、自縊した。

補足:三国志演義の編者とされる羅貫中は、張士誠の軍に属していたといわれる。

施彦端

生年登場没年
統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
3634846367文化智嚢上兵伐謀割拠

【シゲンズイ】
元末期の作家。一般的には施耐庵として知られる。
元王朝の官人であったが元末期の混乱にて張士誠の参謀を務めたという。
その後は張士誠と対立して下野、作家として活動し「水滸伝」を著した。
非実在説もあるが「三国志演義」の著者である羅貫中は施耐庵の門人であったと云われ、
演義の著者が施耐庵という説もある。

大夏(1360年~1371年)

明玉珍

生年登場没年
1329年1366年(自然死)
統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
7863617476召募動員寡欲虚弱文事武備割拠

【メイギョクチン】
元末の群雄。大夏の初代皇帝。
随州随県梅丘の出身で紅巾の乱の中で自衛団を組織したが、徐寿輝に降伏して傘下に加わった。
四川方面の征服を担い重慶を陥とし四川地方の征服に成功、陳友諒が徐寿輝を殺害した事を契機に
1360年に四川にて独立し隴蜀王を称し1363年に大夏王朝の皇帝に即位し国内の制度を整えたが、1364年に崩御した。

明昇

生年登場没年
1356年1393年(自然死)
統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
2412364862小心消沈優柔施設開発割拠

【メイショウ】
元末の群雄。大夏の第二代皇帝・順帝。
父の死により弱冠十歳で帝位に就くが重臣達の勢力争いを制止できず
建国の功臣を多く失いさらに同盟関係にあった明とも関係が次第に悪化、
1371年に明の侵攻を受けて抗戦の末に明に降伏した。
明において帰義侯となるが1372年に陳友諒の子・陳理と共に高麗に移された。
李氏朝鮮の李成桂に厚遇され子孫は李氏朝鮮の名家として続いた。

劉楨(維周)

生年登場没年
1369年(自然死)
統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
2825878965王佐能吏智嚢振興経世済民割拠

【リュウテイ(イシュウ)】
大夏の政治家。
瀘州の人で元々は元朝に仕えていたが、四川方面を攻略中の明玉珍と出会い意気投合し仕えた。
明玉珍に対し数多くの献策を行い大夏皇帝への即位を実現させ、明玉珍の行った政策の多くは
劉楨の発案による物であった。
万勝の死後は右丞相となるが三年後に亡くなった。

万勝

生年登場没年
1366年(不自然死)
統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
8482685773山戦果敢長蛇強化割拠

【バンショウ】
大夏の武将。
黄陂県の出身で明玉珍の配下となり智勇に秀でて明玉珍から重用され、
一時は明玉珍から姓を与えられて「明二」と称した事もあった。
四川方面の攻略に活躍しさらに雲南の元の残党勢力への侵攻にも従事した。
明玉珍の皇帝即位にて右丞相となるが、明玉珍の死後に司空の張文炳
と対立し暗殺したが、張文炳と親しい明玉珍の養子である明昭により殺害された。
その功績の多大さにより蜀の人々の多くがその死を憐れんだという。

その他

方珍(国珍)

統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
7482626745
7472776745操舵運搬策士扇動運搬開発名利

【ホウチン(コクチン)】
元末期の群雄。元は塩の密売人。
浙江で反乱を起こし、元の討伐軍を退けその将軍を捕虜とする。
その後、元は懐柔策に乗り出すが、反乱、討伐失敗、懐柔を幾度も繰り返すこととなる。
最終的に方国珍は太尉、浙江の左丞相となり、衛国公に封じられる。
朱元璋が台頭すると投降し、福建の平章政事に任じられる。
しかし、元からも浙江の平章政事に任じられ元にも糧秣を流していたため、
湯和の討伐をうけ海上へ追いやられ、朱元璋に降伏した。
明では資善大夫、広西左丞相となり、元末の群雄としては天寿を全うした。

劉仁本(徳元)

生年登場没年
1368年(不自然死)
統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
4536757470運搬詩想人脈名声運搬開発割拠

【リュウジンホン(トクゲン)】
元末期の官僚。
黄巌州の出身で元の官僚であったが同郷である方国珍の幕僚となる。
詩才に秀でて名士との付き合いがあり、元朝に降った方国珍が海運で
食糧等を運搬した際には運搬の指揮を担った。
しかし温州が陥落した際に捕虜となり鞭打たれた際に背中が爛れて死亡した。

熊天瑞

生年登場没年
1367年(不自然死)
統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
7863664541堅牢発明楽奏強欲投石駆逐兵器開発我道

【ユウテンズイ】
元末の群雄。
元々は荊州の楽工であったが徐寿輝率いる天完国に従い陳友諒が徐寿輝を殺害した後は陳友諒に従う。
陳友諒の元で諸州の攻略に活躍したが群雄として独立した。
以後は朱元璋と数年間抗争を続けた末に降伏し指揮使となるも張士誠攻略の際に張士誠側に寝返って
投石器の技術を伝え、朱元璋側の包囲軍を投石で苦しめたが張士誠の滅亡により殺害された。

熊元震

生年登場没年
統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
7290383262豪傑果敢猪突鋒矢強化我道

【ユウゲンシン】
元末期の武将。
熊天瑞の養子で武勇に秀でており、朱元璋配下の常遇春が熊天瑞の本拠を包囲した際、
斥候に出た所で常遇春と遭遇し互いに打ち合った。
常遇春は熊元震の武勇を認め、後に熊元震が降伏した際に推薦して指揮使となった。
また熊天瑞が殺害された為、元の田姓に復している。