注意点
基本的に、新武将は「作成例」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。
新武将の能力値や個性の決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物であり、その正誤も、各人それぞれ異なります。
万人が納得する能力値や個性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発してしまいます。
可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には各プレイヤーの裁量次第であることをお忘れなきようお願い致します。
また、併用不可能な個性の組み合わせも存在するため、実際に作成可能か確認したうえでの追加・編集をお願いします。
変更を加える際は編集合戦を避けるため、みんなの新武将/明の朱元璋やみんなの能力編集のように能力値の別案を作成するのも良い手段です
なお、以下の条件に当てはまる人物などを登録、作成禁止とします
・2019年4月30日時点で存命中・未誕生の実在の人物(政治家、活動家、芸能人など著名人を含む)
・↑に当てはまる実在の人物を揶揄、模したような創作上の人物
・意思疎通、自主的な会話が不可能な無機物(飛行機、電車、船など)
なお、第三者が記載、投稿した能力値を許可なく改変、削除することも禁止です
あなたの身勝手なその行動が編集合戦を招いています。
あなたが第三者の方の作成した能力値を削除したら、次は第三者の方があなたの作成した能力値を削除して堂々巡りになります
十字軍国家
ゴドフロワ・ド・ブイヨン
第1回十字軍の軍事指導者の一人。初代エルサレム聖墓守護者。
神聖ローマ帝国に属する下ロートリンゲン公で第1回十字軍に参加した。
十字軍の主要な指揮官の一人として活躍し、エルサレム攻略に功績を挙げて
エルサレム王に推されたが聖墓守護者を名乗る。
高潔な人格として知られ、死後には英雄として崇められた。
親愛武将:タンクレーディ
ボードワン1世
第1回十字軍の軍事指導者の一人。初代エデッサ伯及び初代エルサレム王。
兄のゴドフロワ・ド・ブイヨンと共に第1回十字軍に参加し、エデッサのアルメニア人領主ソロス
の養子となり程なくしてソロスが死去した事により初代エデッサ伯となる。
エルサレム聖墓守護者を名乗った兄ゴドフロワが亡くなった後はエルサレムに赴きエルサレム王に
即位し、イスラム勢力に対抗しつつ十字軍国家の勢力拡大と安定に尽力するもエジプト遠征中に食中毒が元で死去した。
ボエモン1世
第1回十字軍の軍事指導者の一人。初代アンティオキア公。
南イタリアを征服したノルマン人のカラブリア公ロベルト・イル・グイスカルドの長男でタラント公
であったが、第1回十字軍に甥のタンクレーディと共に参加しアンティオキア攻略に功績を挙げて
初代アンティオキア公となった。
その後はイスラム勢力との戦いに敗れ捕虜となる等苦戦し、ヨーロッパに戻り支援を仰ぐも東ローマ帝国と
争う失策を犯し屈辱的な撤退を行わざるを得ず失意のまま亡くなった。
タンクレーディ
第1回十字軍の軍事指導者の一人。
南イタリアの出身で伯父のボエモン1世と共に第1回十字軍に参加し、緒戦で武功を挙げた。
エルサレムのガリラヤ公に封じられ、アンティオキア公となっていたボエモンがイスラム側の
捕虜となった際はアンティオキア公国の摂政として活動し、その後はエデッサ伯国の摂政も
兼任している。ボエモン1世の死後もその子であるボエモン2世を後継者として補佐したが、
腸チフスにより若くして亡くなった。
親愛武将:ゴドフロワ・ド・ブイヨン
アデマール
第1回十字軍における精神的指導者。
フランスのル・ピュイ司教を経て第1回十字軍においては教皇ウルバヌス2世の命で
教皇使節として十字軍に加わり十字軍内部における精神的指導者となり、自ら軍を率いて
イスラムとの戦闘にも参加した。しかしチフスに罹り十字軍の途中で死亡した。
ルノー・ド・シャティヨン
アンティオキア公。
フランスの貴族出身でてエルサレム王国に仕えアンティオキア女公コンスタンスと
結婚してアンティオキア公となる。
1156年に東ローマ帝国領のキプロス島を襲撃し略奪と虐殺を行ったのを始め、
反イスラム教硬派であったのもありイスラム商人を度々襲撃し度々略奪を行い、
強盗騎士としての悪名を高め1187年にヒッティーンの戦いで捕らえられた際に処刑された。
サラディン直々に処刑されたとも伝わる。
ボードワン4世
エルサレム国王。
1174年に父のアモーリー1世が死去した事により国王となる。
幼少より聡明であったが8歳の時にハンセン病に冒され成人後は全身不随で盲目の状態であった。
在位中はサラディン率いるアイユーブ朝と激戦を繰り広げ、1177年のモンジザールの戦いで
サラディン軍に大勝したが、1179年のマルジュ・アユーンの戦いでは敗北した。
以後もサラディンと戦い続けたが病状が次第に悪化し24歳の若さで亡くなった。
バリアーノ・イベリン
エルサレム王国の貴族。
王国の譜代であったイベリン家の出身でボードワン4世の信任を受け共にサラディン率いるアイユーブ朝と戦った。
ボードワン4世の死後はその甥であるボードワン5世に後見役となるが、夭折により新王ギーらの一派により一時失脚する。
ヒッティーンの戦いではアイユーブ朝の猛攻を受けながらも撤退に成功しエルサレムに篭城して善戦、同時にサラディンとの
交渉に成功しフランク人を奴隷にしない条件を勝ち取りエルサレムを開城した。
コンラド
イタリアのモンフェラート侯。
智勇兼備の名将で東ローマ帝国の内乱鎮圧に功績を挙げた後、
1187年にエルサレム王国に仕えてティルスを守り、サラディンの攻撃を
幾度となく撃退してイスラム側からはアル・マルキシュの名で恐れられた。
エルサレム王国の王女であるイザベルを妃に迎え第三回十字軍においても
活躍してエルサレム王の地位に近づくも即位直前に暗殺教団により暗殺された。
ジャン・ド・ブリエンヌ
エルサレム王及びラテン帝国皇帝。
元はシャンパーニュの騎士であったが60歳の時にシリアへ赴き、エルサレム王となる。
第五回十字軍の主要な指導者であり、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に嫁がせるも王位を奪われた。
その後はラテン帝国の摂政となり共同皇帝となった。