注意点
基本的に、新武将は「作成例」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。
新武将の能力値や個性の決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物であり、その正誤も、各人それぞれ異なります。
万人が納得する能力値や個性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発してしまいます。
可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には各プレイヤーの裁量次第であることをお忘れなきようお願い致します。
また、併用不可能な個性の組み合わせも存在するため、実際に作成可能か確認したうえでの追加・編集をお願いします。
変更を加える際は編集合戦を避けるため、みんなの新武将/明の朱元璋やみんなの能力編集のように能力値の別案を作成するのも良い手段です
なお、以下の条件に当てはまる人物などを登録、作成禁止とします
・2019年4月30日時点で存命中・未誕生の実在の人物(政治家、活動家、芸能人など著名人を含む)
・↑に当てはまる実在の人物を揶揄、模したような創作上の人物
・意思疎通、自主的な会話が不可能な無機物(飛行機、電車、船など)
なお、第三者が記載、投稿した能力値を許可なく改変、削除することも禁止です
あなたの身勝手なその行動が編集合戦を招いています。
あなたが第三者の方の作成した能力値を削除したら、次は第三者の方があなたの作成した能力値を削除して堂々巡りになります
ジュチ・ウルス
抜都
【バトゥ】
ジュチ・ウルス第二代当主。チンギスハーンの長子ジュチの次男。
1236年からのモンゴル帝国によるヨーロッパ遠征の総司令官を務め、ルーシ(ロシア)の制服を皮切りに
ポーランドやハンガリー等東ヨーロッパ各地に侵攻して各国の軍勢を各個撃破し各都市を制圧・破壊した。
オゴタイの死去により撤退し後継者のグユクと対立し、一時は交戦寸前にまで至るがグユクの死によりモンケを
支持し帝国の実力者としてジュチ・ウルスに隠然たる勢力を築いた。
ヨーロッパ諸都市を破壊し殺戮を繰り広げた事から悪逆非道な人物とヨーロッパで評価されているが、文武に秀で
人民や宗教に寛大である所からモンゴル側ではサイン・ハン(賢明な主君)と評価されている。
親愛武将:モンケ
嫌悪武将:グユク
月即别
【ウズベク】
ジュチ・ウルス第10代ハーン。
叔父のトクタの死後、後継者争いに勝利してハーン位に就く。
ウズベクの時代がジュチ・ウルスの最盛期で西欧諸国やマムルーク朝と交易を推進して
首都サライには多くの建築物が立ち並び、また国内のイスラム化を進めた。
馬麥
【ママイ】
ジュチ・ウルスの武将。
1359年にハーンのベルディ・ベクが暗殺されバトゥ直系が断絶した際、
ジュチ・ウルスの実権を掌握して多数の王族をハーンに擁立して専横を極めた。
しかし1380年のクリコヴォの戦いでモスクワ大公国に大敗し、対立していたトクタミシュに実権を奪われ殺害された。
脫脫迷失
【トクタミシュ】
ジュチ・ウルスの君主。
ジュチの十二男トカ・テムルの子孫でジュチ・ウルスの混乱によりティムール帝国を頼り、
ティムールの助力にてジュチ・ウルスの内部争いに勝利してハーンとなった。
その後はティムール帝国と全面戦争となり長期間にわたり激戦を繰り広げたが敗れて失脚、
一時はティムールと和解するもティムール死後の翌年に殺害された。
オゴタイ・ウルス
海都
【カイドゥ】
オゴタイ・ウルスの創始者。モンゴル帝国第2代ハーン・オゴタイの孫にあたる。
資料によってはハイドゥ、ハイドとも。
オゴタイ家はモンケ即位後は不遇であったが、モンケ死後の継承戦争の中で台頭し
反クビライ派として元王朝と争いチャガタイ・ウルスも自身の影響下においた。
元王朝との戦いは30年の長きに渡ったが1301年のテケリクの戦いでカイシャン率いる元軍に敗れ、
その時の戦傷が元で死亡した。
嫌悪武将:クビライ
クトルン
【クトルン】
オゴタイ・ウルスの長であるカイドゥの娘。
「東方見聞録」では「輝く月」の意味を持つアイジアルクの名で知られる。
勇猛で父の率いる軍に参加して度々武功を挙げ、カイドゥもそうした娘を可愛がり長らく嫁に出さなかったが
娘とのあらぬ噂が出た為、クトルンはコルラス部のアブタクルと結婚した。
父が1301年に戦傷死した後は夫と共にその墓地を守ったという。
「東方見聞録」においては自分を打ち負かす男でなければ結婚しないと言い、各地から彼女との結婚を望む貴族の
男たちが挑むもことごとく負けてしまったという逸話がある。
フレグ・ウルス
旭烈兀
【フレグ】
フレグ・ウルスの初代君主。フラグとも。
トゥルイの三男で1253年に兄モンケより西方への大遠征を命じられ、
アラムート要塞を攻略してニザーム派を滅ぼし、さらにバグダッド攻略に成功して
アッバース朝を滅ぼした。
その後帝国本土には帰還せずフレグ・ウルス(イル・ハン国)を建国し、
タブリーズを首都とした。
阿八哈
【アバカ】
フレグ・ウルスの第二代君主。
フレグの長男で父に従い西方への大遠征に従軍した。
父の死により跡を継ぎ元朝と有効関係を結びつつ、ジュチ・ウルスやチャガタイ・ウルスと争い
1270年にはカラ・スゥ平原の戦いでチャガタイ・ウルスを撃破し帝国内部の争いを優位に進めた。
一方で東ローマ帝国の皇女を妃に迎えキリスト教系国家と友好を結びマムルーク朝とシリア領有
を争うも上手くはいかなかった。
合贊
【ガザン】
フラグ・ウルス第7代君主。
第4代君主アルグンの子で幼少の頃より英才の誉れがあった。
皇太子時代にイスラム教に改宗して人臣の支持を集めて、第6代君主のバイドゥを打倒し即位した。
内乱や財政破綻で衰退した国の復興に努め、税制改革や暦の制定、慈善施設の建設を行い
フラグ・ウルスの最盛期を築きあげた。
完者都
【オルジェイトゥ】
フラグ・ウルス第8代君主。
第4代君主アルグンの子で兄カザンの跡を継いで即位した。
ガザンの事業を引き継いで宰相のラシードッディーンらと共に財政の
安定や建築事業に務め、フラグ・ウルスの最盛期を継続した。
拉施德丁
【ラシードッディーン】
フラグ・ウルスの政治家。
第2代君主アバカの時代に宮廷の典医となり、第7代君主ガザンに宰相に起用されて
財政改革や慈善施設の建設等に従事し次のオルジェイトゥの時代にも重用された。
しかしオルジェイトゥの死後、政敵であるアリー・シャーの讒言によりオルジェイトゥ毒殺の濡れ衣を着せられて処刑された。
歴史家としても著名でモンゴル帝国の歴史を書いた「集史」が名高い。
ティムール帝国
帖木児
【ティムール】
中央アジアを代表する軍事的天才で、貧乏貴族の家に生まれるもその優れた能力と器量で頭角を現し、連戦連勝、西アジアのほぼすべてを手中に収めた。
片足が不自由だったことから「びっこのティムール」とも呼ばれていたが、個人的武勇は秀でており、馬を自在に乗りこなし、敵の将を自らの槍で打ち取ることもあったという。
被征服都市の徹底的な虐殺や掠奪を行う残虐な性格でありながら、文化を大切にし、学者を尊敬し、サマルカンドの建設事業にいそしむ優れた政治家としての一面も持ち合わせた。
チンギスカンの征服事業に憧れていたという。
※どう考えてもチンギスカン2世といった能力になりがち。
沙哈魯
【シャー・ルフ】
ティムール朝第3代君主。
初代君主ティムールの四男でティムール死後の後継を巡る争いの中で第2代君主甥の
ハーリル・スルタンを廃して自らが即位する。
帝国の本拠地を自らの本拠であったヘラートに移し対外的には明との修好に成功したが
西方は黒羊朝によりアゼルバイジャンを失った。
文化事業に力を入れて首都ヘラートを中心に多くの建造物を建築し、多数の学者や文化人を後援している。
兀魯伯
【ウルグ・ベク】
ティムール朝第4代君主。
第3代君主シャー・ルフの子で父の即位後は元々の首都であったサマルカンドの統治を担った。
父の死後に跡を継ぐが各地で反乱が頻発し、さらに疎んじていた長男アブドゥッラティーフの
反乱を招いてアブドゥッラティーフの放った刺客に殺害された。
父と同じく文化事業に力を入れて自らも優れた文化人でありサマルカンドに多くの天文学者を招聘して
ウルグ・ベク天文台を建設し、自身が建設したマドラサで教鞭をとった。