注意点
基本的に、新武将は「作成例」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。
新武将の能力値や個性の決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物であり、その正誤も、各人それぞれ異なります。
万人が納得する能力値や個性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発してしまいます。
可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には各プレイヤーの裁量次第であることをお忘れなきようお願い致します。
また、併用不可能な個性の組み合わせも存在するため、実際に作成可能か確認したうえでの追加・編集をお願いします。
変更を加える際は編集合戦を避けるため、みんなの新武将/明の朱元璋やみんなの能力編集のように能力値の別案を作成するのも良い手段です
なお、以下の条件に当てはまる人物などを登録、作成禁止とします
・2019年4月30日時点で存命中・未誕生の実在の人物(政治家、活動家、芸能人など著名人を含む)
・↑に当てはまる実在の人物を揶揄、模したような創作上の人物
・意思疎通、自主的な会話が不可能な無機物(飛行機、電車、船など)
なお、第三者が記載、投稿した能力値を許可なく改変、削除することも禁止です
あなたの身勝手なその行動が編集合戦を招いています。
あなたが第三者の方の作成した能力値を削除したら、次は第三者の方があなたの作成した能力値を削除して堂々巡りになります
太平天国(1851年~1864年)
中国の清朝末期にキリスト教を基にした拝上帝教の指導者・洪秀全が清朝に反乱を起こし建国した国家。
1853年に南京を占領して天京と改め、清王朝に脅威を与えたが内部対立や度重なる遠征の失敗により次第に勢力を
衰退させて滅亡した。
洪秀全
【コウシュウゼン】
清末の宗教家。革命家。
科挙に失敗し続け、キリスト教を独自に解釈した「拝上帝教」を布教し始める。
勢力が拡大すると天王を名乗り、太平天国を打ち立て、清朝に反旗を翻した(太平天国の乱)。
南京を攻略し首都・天京とし、清の包囲を撃退した。
しかし、徐々に内部分裂を起こし、米英軍参戦もあり、天京包囲の中で病没した。
洪天貴福
【コウテンキフク】
洪秀全の長男。最初は洪天貴と名乗る。
1864年、父の死により幼天王として即位するが翌月には天京が陥落、
脱出して南方で活動する李世賢の元に向かうも捕らえられて処刑された。
洪仁玕
【コウジンカン】
太平天国の政治家。
洪秀全の従兄弟で太平天国の前身である拝上帝会には初期から参加していたが、
1851年の金田蜂起には加われず香港にてスウェーデンの宣教師テオドール・ハンバーグの元に
身を寄せて数多くの学問を学んでいた。
1859年に太平天国に合流して干王に封ぜられて太平天国の内政を任され、西欧文化・技術の導入を
中心とした政治改革を主張し、建議書として『資政新編』を残したが、李秀成らの幹部と対立し
実現には至らずに終わり天京陥落後に逃亡している所を捕らえられて処刑された。
楊秀清
【ヨウシュウセイ】
太平天国の幹部指導者。
太平天国の前身である拝上帝会に初期から加わり、ヤハウェの託宣「天父下凡」を聞く事が出来るとして
教団内部の発言力を強め、金田蜂起後は正軍師・東王として実質的に軍を指導した。
しかし「天父下凡」により次第に権力を強めて増長が目立つようになり、洪秀全を軽んじるようになった為、一族とともに殺害された。
馮雲山
【フウウンザン】
太平天国の幹部指導者。
洪秀全の縁戚にあたり塾の講師であったが拝上帝会の最初期の信者となり布教活動に努め
て教団の勢力拡大に功績を挙げた。
挙兵の際には南王に封ぜられて軍を率いたが全州攻略の際に戦死した。
石達開
【セキタッカイ】
太平天国の幹部指導者。
チワン族の血を引き初期より拝上帝会して挙兵の際には主力の将の一人として翼王に封ぜられた。
1856年に東王・楊秀清の一派が北王・韋昌輝に殺害された際は韋昌輝を責めたが逆に家族を殺害された為、
石達開は挙兵し洪秀全は韋昌輝を殺害せざるを得なかった。
その後洪秀全が石達開の勢威を恐れて自分らの兄を王に起用して牽制した為、石達開は天京を離れ
各地を転戦した後に四川省にて根拠地を築こうとするも渡河作戦に失敗し清軍に降伏の末殺害された。
李秀成
【リシュウセイ】
太平天国の武将。
広西省梧州府藤県の出身の農民の出で太平天国の蜂起に参加し天京事変後に幹部の五王らが壊滅した後に台頭した人物の一人で後軍主将を経て忠王に封ぜられた。
後期の太平天国を代表する武将の一人で三河の戦いや杭州攻略等清王朝相手に善戦したが次第に敗退を重ね、
首都である天京の防衛戦で奮戦の末に洪秀全の子・洪天貴福を脱出させ自らも天京を脱出するも捕縛されて処刑された。
捕縛された後、5万字を越える供述書を書き「李秀成自述」として残った。
陳玉成
【チンギョクセイ】
太平天国の武将。
広西省梧州府藤県の農民の出身で14歳で太平天国の蜂起に加わった。
天官正丞相の秦日綱の配下であったが功績を重ねて前軍主将となり、次いで英王となる。
勇猛果敢で各地を転戦し李秀成と並ぶ主力武将として活躍したが、最後は奏王苗沛霖の
裏切りにて捕らえられ処刑された。
傅善祥
【フゼンショウ】
太平天国の女性官僚。
南京の出身で若くして学問に通じ、太平天国が男女問わずに科挙を実施した際は状元となり
中国の歴史において最初かつ唯一の女性の状元となった。
東王・楊秀清の秘書を務めたが楊秀清一派が殺害された天京事変に巻き込まれ殺害されたと思われる。
蘇三娘
【ソサンジョウ】
太平天国の女武将。
元々は楊玉娘という名前であったが蘇三という人物の妻となり蘇三娘と称した。
蘇三が非業の死を遂げた際には数百人を従えて仇を討ち、反清勢力である天地会に入り、
羅大綱の妻となり洪秀全の金田蜂起により夫と共に二千の兵を率いて太平天国に合流した。
以後は夫と共に太平天国の勢力拡大に貢献したが、乱の敗北により自害したと云われる