六堂玖楠の追加資料
基本的な設定を追記
“鬼憑き”玖楠(六堂 玖楠)
種族 | 人間 |
性別 | 男性 |
年齢 | 十八歳 |
所属世界 | 多種多様な人種(?)のいる世界 (昭和日本レベルの国出身) |
- 容姿・特徴
- 身の丈六尺程度の体躯に、灰色の髪と目をした青年
右目には顔半分を覆うほどの革製の眼帯をつけており
左目の下にはミミズが這った様な裂傷が、鮮血で紋様のように光っている
表情や物言いは不愛想でぶっきらぼうなものの
性格はどこか達観しており、感情の起伏が少なく穏やか
法力僧という、治癒や解呪、結界、破壊にも使えるという「法力」という力を持つ僧侶である
「鬼」に憑りつかれている
- 身の丈六尺程度の体躯に、灰色の髪と目をした青年
- 容姿等補足
- 肌は黄色人種の浅黒。日焼け、というより生まれつき。
- 髪の色は元々黒。子供の頃からの厳しい修行で若干脱色が始まっており、今は灰色になっている。
- 実は後ろ髪の一部が長く、背中の中ほどまである。首裏で赤い布で一本に結っている。
- 頬の傷は呪いの影響で治らない傷。常に鮮血が見えているが、血が垂れないように法力で抑えている。
- 身長180センチ、体重88キロ(ダイス設定)。細(?)マッチョ体系。
- 実は怪力。特殊な力を使っていない素手でも、片手で5、60キロくらいなら普通に持てる。
- 18歳という年齢にしては、少し考え方が幼い。
というのも、生まれてからずっと僧侶としての過酷な修行だけをしてきたこと、
兄弟から受け入れられず、父からも目に見える形で愛を受けず、孤独に育ってきたため、
宗派の教え(勧善懲悪)が彼の性格形成のもとになっており、ゆえに俗世的な考え方に疎い部分がある。
一応、屈折した考え方はできるものの、基本、真面目、素直、純真。
特に、フォリウムに来てからは、多くの者と交わるようになり、
それまで孤独で閉ざしてきた性格から、元の素直な性格が良く顔を出すようになっている。(自覚なし)
勧善懲悪を信じているがゆえ、正義や勇気といったもの、善行を尊ぶ気があり、ある種妄信に近い感情がある。
その性質から『諦めること』を拒む傾向があり、とにかくハッピーエンドを目指す、綺麗事を素でいく部分がある。
また、もともと“霊の見える体質”のため、元の世界で死者の恨み辛み無念などを数多く目の当たりにしていることから、
死はよくないもの、悪いこと、良くない結末、と考えている節がある。
さらに、親しい者の死に触れた経験が少なく(※1)それらを極端に恐れている。
孤独な少年時代を送ってきたせいか、相手の好意に戸惑うこともしばしば。
特に、過度なスキンシップを受けるとドギマギしてしまうタイプで、吊り橋効果が起こりやすい。
ただ、恋愛経験皆無なので、好き、恋、愛、などの感情はよく分かっていない。
また、好意を持って接してくれる相手に対し、実は依存しやすい性質でもある。
(※1 経験が少ないから恐れている、と『玖楠は』思っている。)
- 生まれながら、高い法力僧としての適性を備えていた玖楠は、
疎まれつつも『歴代最高の法力僧になる』として一目を置かれ、また期待されてきた。
それゆえ、孤独な玖楠にとって、皆の期待に応え『最高の法力僧になる』ことこそが存在理由であり、
疎んで誹る皆が自分のことを見てくれるのは、自分が『歴代最高の法力僧』だからだ、という思いが根底にある。
…だが、そうなるよう厳しく鍛えてきた父から、家を追い出される形で見放され、
自身も法力僧としては既に比肩する者が居なくなったことから、存在理由が分からなくなっている部分がある。
また、支えであった『歴代最高の法力僧』という肩書も、結局、そうなっても自身が何も変わらなかったことから、
なぜこんな能力が自分にあるのか、何のためにあるのか、を常々悩んでいる(※2)節がある。
そのため、自身の法力僧としての力を用いて誰かの役に立ちたい、という思い、ひいては存在承認が欲しいという気持ちが強く、
知り合いや友人のために、無理してでも何か成さねば、という義務感、焦燥感が心のどこかにある。
(※2 本当は記憶の隅にある、忘れている記憶(後記予定)の影響で苦悩している部分もある)
聞けば多分答えること(一部知らないこと)
- 生い立ち
- 六堂家第九子、第六男として生を受ける。
母の胎内にいるうちから類稀なる法力の才を持つことを予見され、
本来ならば皆から祝福されながら生を受けるはずだっだ。
しかし、不幸にも出産当日、兄弟の失態により先代の頃より封印されていた「鬼」が解き放たれ、
まだ母の中にいた無垢なる玖楠の体内に逃げ込み、母は出産とともに絶命してしまう
住職であった父親は、生まれた玖楠の体内から鬼を払おうとしたが、
幼い玖楠が耐えられないことや、鬼が玖楠の法力を使って抵抗することなどを恐れ、
逆に玖楠が大人になり、自ら鬼を払えるようになるようになるまで力の使い方を教え育てることにした。
しかし、玖楠は成長するにつれ、自らの体内の「鬼」と話をするようになり、
二人はまるで、旧来の友人のように仲良くなってしまう。
それを鬼の口車に乗せられ、玖楠が強大な法力を悪用することを危惧した父親から
「もっと広い世界を観て、見聞を広めてこい」
と半ば厄介払いのような状態で、家を追い出される。
かくして、玖楠は見えない「鬼」と知らない「神」とともに、世界を旅することとなったのである。
- 六堂家第九子、第六男として生を受ける。
- 『六堂家』
- 六堂家は古くからある寺院の本家であり、その教えは
「怨霊、悪鬼、その他邪なる亡者を正しく六道に戻すため、法力を以て払う」
という信仰を持つ「六架浄心宗」である。
しかしその教えは、法力の『力』によって悪霊だけでなく
他宗派の神を斃し、己が宗派の正しさを示そうという危険思想を持つ者が過去にいたため
一般的に邪教としてその界隈では広く知られている。
ちなみに、本家である『六堂家』のほかには、六架浄心宗には6つの分家が存在している。
- 六堂家は古くからある寺院の本家であり、その教えは
- 兄弟たち
- 兄が5人、姉が3人。
兄弟仲はあまり良くなく、玖楠は疎まれていた。
- 兄が5人、姉が3人。
- 『長兄』
- 現在玖楠に次ぐ法力の持ち主。
ただし、先天的な才能ではなく、後天的な努力で身に着けたもの。
飄々としてとらえどころのない男だったが、玖楠が5歳のころに家を出て、それ以来消息を絶っている。
- 現在玖楠に次ぐ法力の持ち主。
- 『父』
- 六堂家、現当主。
真面目で厳格な性格の法力僧。
- 六堂家、現当主。
- 『祖父』
- 六堂家、先代当主。
玖楠が生まれるまで、歴代最高の法力僧だった。
玖楠が生まれる前に亡くなっているが、『鬼』を封印したのは生前の祖父である。
- 六堂家、先代当主。
- 『オニビ』
- Story「いきものの つくりかた」で手に入れたエンブリオ
目と口はあるが、喋れないようだ。
- Story「いきものの つくりかた」で手に入れたエンブリオ
- 『鬼憑き』
- 疎まれ誹られた己の異名。玖楠自身は事実なので、その事については左程気にしていない。
…いや、鬼を気遣って気にしないようにしているのかもしれない。
- 疎まれ誹られた己の異名。玖楠自身は事実なので、その事については左程気にしていない。
玖楠の詳しくないこと、知らないこと(以後情報の予備知識、読み飛ばし推奨)
- 玖楠の持つ武器である錫杖は六堂家に伝わる強力な法具であり
「払えば百の怨霊を払い、突けば千の悪鬼を穿つ」と言われる代物
長らく使われずにいたため力が転化し、付喪神化した
しかし、神格化したものの、その性格は丁寧かつ謙虚。
「道具はただ使われるのみ」という信念のもと
未だに玖楠とコンタクトも取らずにいるため、意思を持つことを誰も知らない。
- 無自覚だが、玖楠自身が結構な撫で魔。また、撫でられるのも結構好き。
年下(に見える)の者、自身が混乱している際などによくその片鱗が散見される。
おそらく、僧侶として抑圧しているが、愛に飢えている部分の影響だと思われる。
玖楠の住む世界は多様な種族が生活している。
具体的には玖楠のような『人間』
悪魔やそれに準ずる容姿を持つ『魔人(魔族)』
獣と人の中間の存在である『獣人』
霊と妖に近い存在『幻想人』
自立する機械『機械人』
この5種である。
特に人間・魔人・獣人は数百年もの間、領土争いにおける対立を繰り返しており、
今や人間は魔人や獣人の半分以下の領土で生活をしている。
(と言っても、その領土自体が地球における全大陸程度の広さはある)
近年はその争いも小康状態であり、一部交易や互いの領土を訪れる程度の交流があるくらいまでは回復している。
また幻想人は人間に対して不干渉であり、一部を除いて人間の中でも御伽噺化されており、
機械人は元は人間が作り上げたロストテクノロジーが、自身らで自立、自己生産を始めたものであり、
計り知れない頭脳や機能があるため、人間側からのコンタクトはタブーという風潮がある。
なお、このほかにも既に滅んだ種族である『龍(龍人)』
幻想人によく似た性質を持ち、万物に宿る『精霊』
など一般的には居なくなったor見えない種族もいる
玖楠の暮らす人間の世界は、前述の魔人・獣人との対立により、一つの国が全領土をまとめ、支配している。
しかし、勿論地方全てを王国が管理するわけでなく、ある一定の領土を決められた領主が治める形となっている。
世界全体で見れば、玖楠の世界の技術レベルは近未来レベルの技術を有するが、
(ただし機械人など一部の技術はロストテクノロジー化してしまっている)
地方によって生活レベルは異なり、玖楠の出身となる地方は昭和レベルの日本によく似た環境となっている。
玖楠の世界には魔法が存在する。
(古い名称で呼ぶなら『召魔術』。『召喚術』と、さらに忘れられたもう一つの術と合わせ三大召術と呼ばれる)
魔術には魔力が必要となり、主にそれを生み出せるかどうか、溜め置けるかは、当人の才能によるところが大きい。
魔力は『生命エネルギー』と『精神エネルギー』の練り合わせである。
自身の内部で自身の生命(主に心臓に宿るとされる)・精神(主に脳に宿るとされる)を練り合わせ、
自身の内部に溜め置けるエネルギーとなったものが『魔力』と呼ばれる。(溜められる量には個人差有り)
生命エネルギー・精神エネルギーは消費の量が限界を超えれば死に直結するものであるが、
魔力はそれらを混ぜ、自身の中に溜め置けるエネルギーであるため、すべて消費してもなんら問題はない。
(ただし、魔力を作る際に消費するエネルギーが多量だと命の危険はある)
この魔力を、万物あらゆるものに宿るとされる精霊に捧げることで、その力を行使するのが魔法であり、
捧げる精霊との距離、魔力の質などによって性能・威力は格段に変わってしまう。
それを避けるために、古来から知識ある魔術師たちは、ある一定の精霊と『契約』を結ぶことで、
コンスタントに魔法を扱えるようにしていたが、もはや何百年も前の知識であり
今や精霊を見るたり、言葉を交わしたりすることができる人間そのものが稀である。
玖楠の世界において、精霊は万物全てに宿るものであり、すべからず属性が存在する。
世界ができた際に作られたとされる『光』と『闇』の二極。
その二極が混ざり合うことで生まれたとされる『火』『水』『雷』『土』『風』『木』の六属。
合わせて『二極六属性』が、玖楠の世界にある属性である。
この6属は代表的なものであり、例えば人や獣は『木』属性、機械は(主に)『雷」属性、氷は『水』属性など
全てのものが二極六属に分類されるとされる。
(五行のように強弱があり相関図のようなものが存在するが、玖楠に関係ないので割愛)
火に宿るのは『火』の属性を持つ『火の精霊』、石に宿るのは『土』の属性を持つ『土の精霊』。
そしてこれらに祈りや祝詞、呪文や呪言を用いて魔力を送る代わりに力を貸してもらうのが『魔法』である。
基本、呪文等が合っており、見合った魔力を精霊に捧げられるのであれば、どんな場所でも魔法が使える。
ただし、場所によって魔法の効果は異なり(砂漠で水の魔法などは水の精霊が近くにいないなどにより、かなりの効果が弱まる)
また、呪文に応じた効果しか力を貸してくれない(火球の魔法の呪文で炎の剣を作ろうとするなど出来ず、応用が利きにくい)
など、万能ではなく、様々制約のある術である。
- 法力は玖楠達一部僧侶の門外不出の技である。
その正体は『精神力』であり、生命力と精神力を練り込み作る魔力とは違い、直接そのまま精神力を行使する術を『法力』と呼ぶ。
また『生命力』が『勁』や『気功』などと呼ばれ、一部武術家や暗殺者が用いるのに対し、
(なお、玖楠の世界では生命力を使う術は『気』などとは別の名前で呼ばれるが、玖楠に関係ないので割愛)
『精神力』は主に『催眠術』『超能力』に類する能力であり、一部強すぎる自我を持つ者は我流で扱う者も居る。
(ここら辺までは玖楠も理解している)
ゆえに、一口に『法力』と言っても、主に3段階の能力の違いがある。 - 第一段階『暗示・催眠』
主に催眠術や自己暗示による効果を示す技で、多くの法力僧が使える術である。
自己暗示、催眠による治癒力の強化、そして、相手に対する呪いの変調を掛けることができる。
弱点としては、相手が生物であり、かつこちらの行動を理解できること。
無機物や知性を持たない者などには効かない可能性の方が高い。 - 第二段階『精神力の物理的効果』
『精神力』や『意志』には、そのものに力がある。
勿論、人の大多数はそれを信じられないし、それ故にその力を行使することはできない。
玖楠や一部の僧侶達は、生まれつきの先天的かもしくは長い修練・苦行の果てに、それを操る術を得る。
それは主に『結界』と呼ばれる物理的なエネルギーの壁であり、
(第一段階にも『結界』は存在するが、あくまで人が寄り付かなくなる『人除け』であり、防壁のような効果はない)
他者の弱った精神力に己の精神力を与えることで治癒力の強化、逆に相手の精神力を崩し壊すことで呪い、相手の体の変調。
さらには、物理的な破壊エネルギーとして、俗にいう『念力』のようなこともできる。
この能力は前述の精霊による属性付与がないために、属性が存在しない。
この段階は精神力を体外に放出することになるので、使い続けると死ぬおそれがある。
そして、玖楠の世界では現状玖楠ほど戦闘や日常でこの力が使える者はほぼいない。 - 第三段階『現実改変』
『精神力』や『意志』の力、『想い』の力は世界の道理を捻じ曲げる力がある。
(科学的な実証がされておらず、また法力僧であってもそのような力があることは知られていない、そのため玖楠も知らない)
この能力は、精神力の高いものの願望や想い、意志がその現状の誰よりも勝ることで発動する。
玖楠も玖楠の世界で有数の精神力の持ち主だが、この効果を使えるのは稀であり、
また自ら望んでこの段階の能力を使うことはほぼ出来ていない。
ただし、第二段階の能力も一部はこの現実改変能力が小規模発動している。
(他者の治癒力強化、治癒力を持たないものへの体力回復等)
- 触れないものを触る力。
幽霊や妖怪など、通常に人が触れないものを触るために纏う。
逆説的に、その力そのものを飛ばしたり、固めたりすれば、物理干渉ができる。
また、元が精神力なので、他人に分け与えることで治癒力を上げる(ような小規模現実改変)効果もある。
読経もするが、玖楠達の「霊を払う」というのは基本物理攻撃。
- 父は、法力僧として凡才だった。
天才と謳われた祖父も、子宝には恵まれず、父は一人っ子だった。
ゆえに現当主に収まったが、分家より養子を出すべきと論争が起こるほど、父に法力僧の才覚はなく、揉めに揉めた。
その過去が関係しているかは定かでないが、父は母が身籠る度に、子の法力僧の資質を調べ
また玖楠には常に必要以上の修練を架す、厳しく怖い父だったのである。
- 加筆予定
- 母の付けてくれた名前。
まだ胎内にいた玖楠に、類稀な法力の才があることが予見されたとき、
母はその子が法力僧として、七難八苦の人生を送ると理解した。
ゆえに、如何な困難に染まろうとも、黒く美しい玉のような石(玖)のように、
そしての大きくおおらかな御神木(楠)のように生きれるよう
と願いを込めてこの名を付けたのである。
- 加筆予定
仲良くないと、あまり教えてくれないこと
- 鬼憑き、の真なる所以。
ただ鬼に憑かれている、だけではない。“なぜそう呼ばれるようになった”か。
玖楠自身は普通の人間だが、法力の天才である。
(天才、と呼ばれる所以は、人並み以上に法力を扱えること、使える許容量が多いこと、効果が異様に高く発生すること、である)
そして、その力を、体内にいる『鬼』も自在に使うことができる。
『鬼』は、何より玖楠のことを我が子のように大事に思っている。
ゆえに玖楠が何も言わなければ、玖楠自身の傷や怪我を、常に治そうと法力を使う。
(玖楠が動いていようが、気を失っていようが、『鬼』の意識としては関係ないので治癒が行われる)
そうすると、どうなるか。
玖楠は、ありとあらゆる怪我や傷を治癒できる状態であり、裂傷や骨折レベルなどはすぐに回復できる。
つまり、玖楠は、即死しない限り致命傷にならない体質、である。
…彼は『普通の人間』と自己を称するが、実は普通とは到底かけ離れた治癒能力を持っており、
それを恐れられた過去のトラウマから、あまり人前では公言したくないのである。
- 物心ついたころから、父からはずっと法力の修練ばかりさせられた。
兄弟たちは自分を『鬼だ』と恐れ、疎んだ。
学校も寺以外の社会も知らない、ゆえに友人も一人もいない。
唯一、『鬼』だけが話し相手で、理解者だった。
僧侶として力があると言え、達観した性格とはいえ、まだ十八歳。
玖楠は、誰かと共に笑い、はしゃぎ、ふざけたい…実はまだまだ子供なのである。
- 眼帯は右目が結膜下出血で赤く染まりやすい体質であり
その際の赤い目を兄弟たちから「鬼の目だ」と恐れられたトラウマから着けるようになったもの
実際はちゃんと目は見えるし、特に何か呪いとかそういうことではない、体質。
左目下の傷は、鬼が体内にいることによる本当の呪いによる傷。
呪っているのは鬼の力に引き寄せられた数多の亡者であり、鬼ではない。
- 加筆予定。
- 加筆予定。
- 玖楠の体内にいて、玖楠に声のみが聞こえる存在
幼いころから玖楠の話し相手になったり、法力の使い方を指導したり、
迷子になった時に案内したり、計算や漢字などの勉強を教えたりしていた
玖楠自身の怪我も玖楠の法力を使い回復をするなどしてくれるため、玖楠が人並み以上の耐久力があるのは鬼のおかげ
ちなみに、鬼と呼ばれるものの、別に種族は鬼ではないらしい
なお、声色から察するに、女性
- 一部開示された情報
・元人間の女性
・元軍人の魔術師
・色々酷いことがあった結果、他人から“人でなくされた”
- 一部開示された情報
玖楠が誰にも話したくないこと
- 加筆予定。
裏話
- 玖楠の世界を『一つの物語』と捉えるなら、玖楠は『主人公』ではない。
物語はすでに進行中であるが、玖楠がその『本筋』や『主人公』に類する人物と出会うのは、2年後の20歳の時である。
ゆえに、『主人公』でない玖楠には、“背負うべき重大な宿命”も、“倒すべき強大な魔王”もいない。
ただ、その2年に至るまでにいくつか目的はできるのだが、現状の玖楠は明確な目的や、進むべき道を持っていないのである。
- 加筆予定
- 12月7日ころに死んで、12月25日ころに蘇生しました。
『次はない』