BT-2

Last-modified: 2018-05-24 (木) 16:01:05

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Tier 2 ソビエト連邦 軽戦車

公式紹介ページ

スペック

車体

HP140
車体装甲厚(mm)15/13/10
最高速度(km/h)55
重量/最大積載量(t)10.21/11.5
本体価格(シルバー)3,500
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
BT-5G
(535/16,040)
BT-7
(1,500/37,000)
BT-2
(120/3,500)
BT-1M
(0/1,950)
BT-2U
(175/3,400)
BT-5B
(374/14,540)
BT-5
(500/14,320)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
BT-2M-5-40037 mm HotchkissBT-2BT-2140265
400

34
44
19
30
30
36
92

24

4326/13/1337240
BT-1MM-5-40037 mm B-3BT-2BT-2
400

40
64
19
36
36
40


24
2.50
0.46
4826/13/1337240
BT-2UM-5-40023 mm TNShBT-5BT-5
400
28
39
10
10


113.21
1.70
0.52
4626/13/1339280
BT-5BM-17T23 mm VJaBT-5BT-5
450
30
42
12
12


102.86
1.70
0.54
4626/13/1339280
BT-5GM-17T37 mm ZiS-19BT-5BT-5
450

58
92
19
40
40
50


26.09
2.29
0.38
4626/13/1339280
BT-5M-17T45 mm 20KBT-5BT-5
450

51
88
23
47
47
62


26.09
2.29
0.46
4626/13/1339280

旧スペック

パッケージ名BT-2BT-1MBT-2UBT-5BBT-5GBT-5
エンジン名称M-5-400M-5-400M-5-400M-17TM-17TM-17T
エンジン出力(馬力)400400400450450450
武装名称37 mm Hotchkiss37 mm B-320 mm TNSh23 mm VJa37 mm ZiS-1945 mm 20K
発射速度(発/分)2424113.21102.8626.0926.09
貫通力34/44/1940/64/1928/3930/4258/92/1951/88/23
ダメージ30/30/3636/36/4010/1012/1240/40/5047/47/62
照準時間(秒)2.52.51.71.72.292.29
精度0.54-0.530.46-0.450.520.54-0.530.380.46-0.45
履帯名称BT-2BT-2BT-5BT-5BT-5BT-5
旋回速度(度/秒)39.9539.9543.0243.0243.0243.02
砲塔名称BT-2BT-2BT-5BT-5BT-5BT-5
砲塔装甲26/13/1326/13/1326/13/1326/13/1326/13/1326/13/13
旋回速度(度/秒)36.8836.8839.1839.1839.1839.18
視界範囲(m)240240280280280280

解説

史実

BT-2は第二次大戦前にソ連が開発した快速戦車として作られました。
BTシリーズの特徴として機動性を重視して輸入したアメリカのクリスティー戦車M1931で使用されていた、クリスティー型サスペンションを採用していて、履帯をタイヤと交換した場合に装輪戦車として時速100km/h近い速度を出すことができ、騎兵戦車として、高速性を生かした長距離作戦ができました。
BTとはロシア語で「素早い戦車」を意味する「Быстрый танк(ブィストラホードヌィイェ・ターンキ)」の頭文字をとったものです。
BT-2は1931年5月に試作を待たずして正式化され、主武装は37mm砲を搭載していました、これはドイツが後に3.7cmPaK36として開発していたものでした。
BT-2は、この37mm砲の開発がうまく行かずに実戦投入が遅れ、フィンランドとの冬戦争にやっと初陣を飾りましたが、性能をまったく発揮できずに終わります、その後、多様な試作バリエーションを作りましたが、殆どが実を結ぶことはありませんでした。
BT-5はBT-2の発展型として、1932年末から開発が進められました。
BT-2で苦労した37mm砲ではなく、当時としては大威力の46口径45mm20K砲を搭載していました、車体もより洗練されたスタイルとなっていますが懸架装置は同一で、最高速度は履帯が52km/hはBT-5もBT-2と同じでしたが、装輪時はBT-2が72km/hに対して、BT-5が110km/hと高速性が増していました。 その代わり、装甲は6~13mm程度だったので、機銃程度しか防ぐことができませんでした。
また、車体後部のマフラー(初期はマフラーすらなかった)は、高温のために、ガソリンの入った瓶や火炎瓶で車体が炎上する弱点があり、ノモンハン事件での日本軍やスペイン内乱での火炎瓶攻撃に苦しめられた経験から、異物混入防止のカバーを追加することで対策が取られました、BT-5SUは無線機を増設して環形フレームアンテナをもつ指揮戦車タイプで、日本での通称「ハチマキアンテナ」で区別され、指揮車両と識別されて日本軍からは真っ先に攻撃対象とされたそうです。 
このことで、後々まで主力となるソ連のディーゼルエンジンの開発に繋がったとも言われています。
派生型に76.2mm野砲を搭載した接近支援型のBT-5Aや火炎放射器搭載型がそれぞれ1両試作された他、1935年にはシュノーケルや水密措置などを装備する潜水戦車が試作されて、事実不明ですが極少量が生産されたそうです。

ノモンハン事件で何故、日本が戦車戦でBT戦車シリーズやT-26に勝てなかったかと言うと、日本軍の使用していた57mm徹甲弾は、ソ連戦車の装甲に当たっただけで砕けてしまい、ソ連側の45mm徹甲弾は日本側の装甲を紙細工のように突き抜けたのでした。
「そんなばかな・・・、敵の45mmが貫通するのに、我が57mmが通用しないだと?! そんな馬鹿な事があるか!」
と、やられ役の様な台詞を残したとか・・・。
日本の八九式中戦車の57mm戦車砲は、歩兵支援の榴弾がメインとなったので、800mと短い射程の曲射弾道で対戦車戦には向かない仕様でした。 また、射速を稼ぐ為に弾頭を軽くしていたので、貫徹性に乏しく脆かった事も起因していました。
後に、鹵獲したBT-5を標的射撃試験したところ、同じ場所に何十発と打ち込んでも、装甲を貫けず砲弾のほうが粉々になり、側面に同じく何十発と同じ場所に打ち込んで、やっと、装甲板が歪み破れた、というほどでした。
このことに、日本軍は徹底して丘上に戦車を隠し、砲塔を出した一瞬で狙いをつけて射撃する、ハルダウン戦法に徹した涙ぐましい努力をしており、これにはソ連兵も日本側への戦術と技量に惜しみない賞賛を与えたそうです。
ですが、後に日本軍が対峙するM3軽戦車に対して、この教訓が生かせず、対戦車戦闘に備えていないままとなっていました。 鹵獲したM3軽戦車に対しても同じ試験をした所、こちらは塗装が剥げただけで、さらに撃ち込まないと穴すら開けられなかったそうです。

アメリカのクリスティー戦車M1921~M1931が、超壕や着弾跡の窪みなどで空中に飛び出して着地しても、乗員は投げ出されずに安全と言う、ジャンプ台を使ったデモンストレーションを行いましたが、ソ連でもそれを真似て、BT-2をジャンプさせると言うデモンストレーションを行って以来、ソ連戦車は事あるごとにプロパガンダ映像として、そのときの主力戦車をジャンプさせるのが恒例となってしまっていると言う、変なエピソードがあります。
記録映像を見ると、実に様々な戦車がジャンプしていますが、近年では戦車開発が以前より活発ではなくなって来ているせいか、あまり見られない光景となってきているようです。

本車はクビンカ兵器科学試験所博物館(クビンカ戦車博物館)の第3ホール入り口に、モニュメントとして展示されています。

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