Chi-Ni

Last-modified: 2017-02-23 (木) 17:45:03

Chi-Ni.png

Tier 2 日本 中戦車

公式紹介ページ

スペック

車体

HP190
車体装甲厚(mm)25/12/10
最高速度(km/h)30
重量(初期/最終)(t)9,6/9,8
本体価格(シルバー)3,900
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
Chi-Ha
(1,460/45,000)
Chi-Ni
(150/3,900)
Medium Plan 2
(0/1,900)
Chi-Ni(37mm)
(345/6,320)
Chi-Ni(57mm)
(485/7,220)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
Chi-NiMitsubishi A6120VDe13 mm Autocannon Type HoMeadows Tank Plan 2Chi-Ni190300
120AP
APCR
23
36
8
8
9001
1G
128.57
1.50
0.56
4430/20/2032300
Medium Plan 2Mitsubishi A6120VDe37 mm SogekihouMedium Tank Plan 2Chi-Ni190350
120AP
AP
HE
32.79
48.59
18
45
45
55
8014
2G
8
26.09
1.89
0.44
4430/20/2032300
Chi-Ni(37mm)Mitsubishi A6120VDe S37 mm SogekihouChi-NiChi-Ni190425
135AP
AP
HE
32.79
48.59
18
45
45
55
8014
2G
8
26.09
1.89
0.44
4530/20/2032300
Chi-Ni(57mm)Mitsubishi A6120VDe S5.7 cm Gun Type 97Chi-NiChi-Ni190425
135AP
HEAT
HE
29.60
55
28
75
75
95
8015
3G
20
17.64
2.09
0.50
4530/20/2032300

解説

史実

試作中戦車 チニ
日本で始めて国産化した八九式中戦車でしたが、各国の主力戦車の進化は目覚ましく、もはや八九式では対抗が困難と言える様になってきました。
これに対し、1935年10月に次期主力戦車の開発が命じられ、三菱重工と大阪砲兵工廠が応じました。
三菱重工はチハ、大阪砲兵工廠はチニと言う名称で試作され、1937年7月にそれぞれ試作車が完成しました。
この2種類が競作になった原因は、統帥本部・軍政当局が、ルノーFT購入時に「安い軽戦車を大量導入すればいい」という考えを持ったためで、これに反対する実戦部隊側が大馬力・重装甲のものを要求した事が引き金になっています。
結果として、話し合いは平行線を辿り、それぞれを競作する事が決定します。
参謀本部第三課がコンセプトを作り、大阪工廠の手により完成したチニのベースは九五式軽戦車で、当時の軍事費削減下でも量産できるよう性能を絞って軽量化に重点を置いたもので、少々洗練度にはかけていましたが、その分、ライバルのチハに比べて生産が低コストと言う点で、参謀たちの興味を引きました。
そもそも、要求が真逆な2両は、試作車を作った所で話がまとまるどころか、平行線のままでした。
一時は、軍政省が強引に話しを進めて、正式採用にまでこぎつける一歩手前まで行き、すわ、正式採用化されるのでは? とまで囁かれましたが、7月に起こった日中戦争勃発で、軍備が3倍に増強されたのをきっかけに、経済的な本車よりも性能の良いチハ車を生産することになり、制式化されませんでした。

車体は十分に避弾経始を取り入れた形状で、装甲板の製作には神戸製鋼所の協力を得ており、転輪形状と車体長の関係からチハよりも超壕能力に劣るため、尾ソリを装着していました。
砲塔は1名用であり小さくて砲操作が不便で、頭がぶつからないよう車長用ハッチは上に盛り上がった形状をしていました。
下部転輪はダブルタイプ小転輪片側8組で、2組ずつボギーに取り付けられいる物が採用されていました。
サスペンションはボギー2本を水平コイルスプリング1本で緩衝する方式であり、コイルスプリングにはカバーが被せられています、起動輪は前方、誘導輪は後方にあり、上部転輪は片側3枚ずつあります。

全長5.26m、自重9.8t。主砲は九〇式五糎七戦車砲1門、副武装は車体前部右の九一式6.5ミリ車載機銃搭載で、装甲厚は最大25mm。エンジンは三菱製A6120VDe空冷直列6気筒ディーゼルエンジン(120馬力)、最大速度30km/hを発揮しました。
乗員は車長兼砲手、固定銃手、操縦手の3名でした。

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