Tier 2 日本 軽戦車
スペック
車体
HP | 160 |
---|---|
車体装甲厚(mm) | 12/12/10 |
最高速度(km/h) | 40 |
重量(初期/最終)(t) | 7,3/7,4 |
本体価格(シルバー) | 3,000 |
修理費(シルバー) |
戦車パッケージ
パッケージ名 (必要経験値/購入シルバー) |
┏ | ━ | ━ | Ke-Ni (1,300/43,500) | |||||
Ha-Go (110/3,000) | ━ | Type 95 Kyu-Go (215/3,260) | ━ | Type 4 Ke-Nu(37mm) (560/7,700) | ┻ | Type 4 Ke-Nu (595/8,050) |
詳細
パッケージ名 | エンジン | 武装 | 履帯 | 砲塔 | 他 | ||||||||
出力 | 弾種 | 貫通力 | ダメージ | 総弾数 | 弾代 | 発射速度 照準時間 精度 | 旋回速度 | 砲塔装甲 | 旋回速度 | 視認範囲 | HP | 通信範囲 | |
Type 95 Ha-Go | Mitsubishi A6120VDe | 37 mm Gun Type 94 | Type 95 Ha-Go | Type 95 Ha-Go | 160 | 300 | |||||||
120 | AP AP HE | 32.79 51.70 18 | 45 45 60 | 120 | 14 2G 10 | 24 2.09 0.46 | 46 | 12/12/12 | 40 | 300 | |||
Type 95 Kyu-Go | Mitsubishi A6120VDe | 37 mm Gun Type 98 | Type 4 Ke-Nu | Type 95 Ha-Go | 160 | 350 | |||||||
120 | AP AP HE | 40.40 59.40 18 | 45 45 60 | 120 | 14 2G 10 | 24 1.89 0.43 | 49 | 12/12/12 | 40 | 300 | |||
Type 4 Ke-Nu(37mm) | Mitsubishi A6120VDe s | 37 mm Gun Type 98 | Type 4 Ke-Nu | Type 4 Ke-Nu | 175 | 425 | |||||||
135 | AP AP HE | 40.40 50.40 18 | 45 45 60 | 120 | 14 2G 10 | 26.09 1.70 0.43 | 49 | 35/25/25 | 40 | 300 | |||
Type 4 Ke-Nu | Mitsubishi A6120VDe S | 5.7 cm Gun Type 97 | Type 4 Ke-Nu | Type 4 Ke-Nu | 175 | 425 | |||||||
135 | AP HEAT HE | 29.60 55 28 | 75 75 90 | 93 | 15 3G 20 | 17.64 2.09 0.50 | 49 | 35/25/25 | 40 | 300 |
解説
史実
九五式軽戦車ハ号
日本で初めて国産化した八九式中戦車を用いた結果、時速25km/hという低速では装輪式の車両と行動を共にすることが難しいことが判明し、真の機械化とはいえないと判断が下されました。
そこで、1933年に重量を7tに定め、速度を時速40km/hと機動性を向上することを目的とした要求が出され、新型戦車の開発が進められました。
1934年(昭和9年)6月に試作1号車が、民間企業であった三菱重工の協力を得て完成、この時、三菱側は細部設計を担当していました。
速度面では条件をクリアしたものの、重量は500kgオーバーの7.5tになってしまい、要求値を上回ってしまったため、6.5tまで削減して騎兵学校にてテストを受けました。
結果は「機動戦車として理想的」と好評を得ましたが、戦車連隊による実用試験では「戦車の価値なし」と逆の評価を受けてしまいます。
現場側である実働部隊の考えでは、高火力・重装甲こそ戦車であり、37mm短砲身の低威力と最大装甲厚12mmの薄さでは評価に値しないと言う事からだったそうです。
ただ、機動性を重視した場合の火力・装甲のシーソーバランスにおいて、機動力に重きを置いた九五式ハ号の評価はどちらも正しいといえます。
結局、現場の意見は無視され、機動戦車としてのステータスに振られて1936年(昭和11年)11月に第2次増加試作3両が完成して、これが九五式軽戦車として正式に採用されました。
九四式軽装甲車で採用された、コイルスプリングと連動するリンクア-ムを用いたサスペンション方式が採用され、エンジンは八九式中戦車乙型で使用された空冷ディーゼルエンジンを採用、120馬力と八九式と同じ出力ながら戦闘重量が7.4tと八九式の13tより軽量化されたことにより、期待された性能を発揮することが出来ました。 このため、本車を日本最高傑作の戦車とする声もあります。
九四式37mm砲を装備する左右非対称の砲塔は右にオフセットして搭載され、車体前部には九七式7.7mm機銃が装備されていました、後期生産車体には主砲を九八式37mm砲へと換装されていますが、一部の神戸製鋼所が製造した車体には、一式47mm砲を装備しているものもありました。
左右非対称になったのは、コンパクトな車体に3名が乗車するためで、砲塔内には即応砲弾を格納しなかった事から、砲塔が被弾しても爆発しにくいと言うメリットがあると考えられていました、ただし、砲塔の装甲も最大12mmなので、被弾した場合乗員はただで済まなかったそうですが・・・。 一応、車内はアスベスト(石綿)の層が貼られていて、内部の熱や振動から乗員を保護していました。
生産は三菱重工を中心に、神戸製鋼所、新潟鉄鋼所を含めて1942年(昭和18年)までに1,500両近くが生産されたと言われています。
最初の1250両は、中国への侵攻作戦に備える為に取り急ぎ生産を急ぎ、操作可能状態で中国大陸へ送り組み立てられました。
1943年には、大増産の結果、総生産量が2,375~2,378両にまでなり、騎兵旅団や戦車連隊へ配備が進められています。
古めかしいスタイルとは裏腹に、十分な性能を持っており各部隊で絶賛されて迎えられましたが、傑作になるほど後継が出来にくいという、旧日本軍の悪い癖が出てしまい、「これに勝る戦車なんてないのだから新型は要らない」というような、軍上層部や部隊からの圧力もあり、後継車両の開発が大幅に遅れ、その結果、実戦配備が更に遅れるという問題を抱えることになってしまいました。
絶賛の理由には、砲弾を120発携行でき、随時の補給を受けずに長期作戦が可能な事、機械の信頼性耐久性が高く、マレー作戦で1万km、1週間後のスマトラ作戦で更に1万km踏破してもリタイアした車両がなかったことが、現地部隊での高い評価を受けて大絶賛となりました。
反面、最大装甲が12mmのためライフルでも貫通でき、米軍のバズーカー、対戦車砲で大損耗を出してしまいます。 また、ノモンハン事件で、37mm短砲身の対戦車能力不足が露呈、米軍のM4中戦車にも歯が立たず返り討ちが続発してしまいました。
派生車両として、北満州での使用を目的とした、九五式軽戦車北満型が開発されました。
これは、北満州で現地テストしたところ、中国東北部で多くあるコウリャン畑の畝と下部転輪の間隔が偶然にも一致したため、横断して走行する際に嵌ってしまい、進軍を妨げられる可能性がありました。 そこで、ボギー式転輪の間に補助の小転輪を新設して対処したものでしたが、再テストであまり効果が見られないと判断されて少数が改造されただけに留まっていました。
現地改良に多く見られるのは、長期作戦の際に随伴できる補給トラックの台数制限から、車体後部に荷台を増設して生活用品や乗員の所帯道具を満載していることが多かったそうです。 また、この改造で兵員輸送や吶喊時に陸戦隊が乗り込んだ事がままあったそうで、その際には後ろに大きくバランスが寄ってしまい、超壕性や操作性がすこぶる悪くなったそうです。
時既に1944年、連合軍に押されていた太平洋戦線での、九五式軽戦車の損耗は玉砕レベルとなっていました。
戦車不足と火力を補うために、大量に余剰となっていた車体の再利用を試みる事になりました。
まず、九七式57mm戦車砲(九七式中戦車のもの)を搭載した三式軽戦車(ケリ)が試作されます、コンパクトな砲塔に無理矢理九七式57mm戦車砲を載せたため、砲塔内でのスペースが殆どなくなってしまいました。
三式軽戦車ケリはこの段階で試作中止となっています。
そこで、砲塔丸ごと九七式中戦車のものに載せ換えた四式軽戦車(ケヌ)が試作されましたが、やはりコンパクトな車体ゆえに、九七式中戦車の砲塔リング径1,350mmに対して、九五式軽戦車のリング径は1,000mmと小さい為に拡張されることになります、しかし、本来の設計上に余裕がないこの車体に載せた為に車体強度に不安が出たのか、いずれも無理が祟って正式化まで漕ぎ着ける事はありませんでした。
一応、試作車両を数量生産した後、九五式軽戦車からも少数が改造されていますが、国内での試験に賦されただけに留まっていました。
四式軽戦車ケヌは、車体が九五式軽戦車に準じるため殆ど同じですが、重量7.7tに増加で全高のみ20cm高い2.48m、砲塔は九七式中戦車に準じて25mmの装甲厚となっています。
九五式軽戦車ハ号と四式軽戦車ケヌは、ロシアのモスクワ郊外にある、戦車技術科学試験所付属博物館、通称、クビンカ戦車博物館に展示されています。
コメント
- ストックのパッケージ以外はどれも使いようがある一台。二つ目のパッケージ『Kyu-Go』は主砲は九八式三七粍戦車砲だが、初期砲塔が非常に小さい為にハルダウン戦術での投影面積を減らす事ができる。三つ目の『Type 4 Ke-Nu(37mm)』は二つ目と比べると、改良砲塔への換装による投影面積増大がマイナスになるが、九八式三七粍戦車砲の照準時間と装填速度が強化される。また、砲塔換装は耐久値の強化と僅かだが装甲強化(12mm→35mm)される為、ハルダウン戦術の際に20機関砲にならある程度耐えられるようになる(改良砲塔は鉢巻アンテナの無いチハ車の物)。最後の『Type 4 Ke-Nu』は砲塔も主砲もTier3の九七式中戦車 チハ車の初期パッケージとほぼ同じ火力を持つ(Chi-Niの最終砲と火力は同レベル)。この砲は本来歩兵支援用の榴弾砲であり、AP弾を使う必要がほぼ無い(平均貫通がほぼ1mmしか違わない)。弾道にクセがあり弾速も遅いため長距離で当てるのは難しいが、HE弾を長距離で当てた時は天板貫通も期待が出来る。HEをメインに、少量のHEATをお守り代わりに持って行こう(まず使わないだろうが)。どのパッケージでも言えるのは、『正面からの撃ち合いは極力避け、小さい車体と大きく取れる俯角を最大限活かし、撃たれない攻撃を心掛ける』事。これは九五式に限らず、全ての日本LT・MT共通の立ち回りの基本となる。 -- 2016-08-18 (木) 17:11:58