Tier 2 イギリス 軽戦車
スペック
HP | 140 |
---|---|
車体装甲厚(mm) | 14/14/14 |
最高速度(km/h) | 48 |
重量/最大積載量(t) | 14.15/14,5 |
本体価格(シルバー) | 3,800 |
修理費(シルバー) |
戦車パッケージ
パッケージ名 (必要経験値/購入シルバー) |
┏ | ━ | ━ | Cruiser IV (1,500/41,000) | |||
Cruiser III (180/3,800) | ━ | M1931 (1,400/17,500) | ╋ | Cruiser Mk. III* (2,305/32,610) | ||
┗ | Cruiser Mk III** (1,605/18,610) |
詳細
パッケージ名 | エンジン | 武装 | 履帯 | 砲塔 | 他 | ||||||||
出力 | 弾種 | 貫通力 | ダメージ | 総弾数 | 弾代 | 発射速度 照準時間 精度 | 旋回速度 | 砲塔装甲 | 旋回速度 | 視認範囲 | HP | 通信範囲 | |
Cruiser Mk. III | Nuffield Liberty Mk. II | 15cm Machine Gun BESA | Cruiser Mk. III | Cruiser Mk. III | 140 | 350 | |||||||
340 | 400 | G | 101.78 * * | 40 | 14/14/14 | 48 | 320 | ||||||
M1931 | Nuffield Liberty Mk. III | QF2-pdr Mk. IX | Cruiser Mk. III | Cruiser Mk. III | |||||||||
395 | AP APCR HE | 64 121 23 | 45 45 60 | G | 24 2.29 0.40 | 40 | 14/14/14 | 48 | 320 | ||||
Cruiser Mk. III* | Nuffield Liberty Mk. III | 40mm Pom-Pom | Cruiser Mk. III* | Cruiser Mk. III* | |||||||||
395 | AP APCR HE | 49 71 23 | 45 45 60 | G | 22.86 1.89 0.47 | 42 | 14/12/14 | 45 | 320 | ||||
Cruiser Mk III** | Nuffield Liberty Mk. III | QF 2-pdr Mk. IX | Cruiser Mk. III* | Cruiser Mk. III* | |||||||||
395 | AP APCR HE | 64 121 23 | 45 45 60 | G | 24 1.89 0.40 | 42 | 14/12/14 | 45 | 320 |
解説
史実
高速で軽装甲の突破戦車という開発意図で作られた巡航戦車Mk.IIIは、巡航戦車Mk.Iと巡航戦車Mk.IIで使用されたスローモーション・サスペンションが高速走行向きでなかったため、陸軍にとっても不満が残るものでした。
そこで、アメリカのクリスティー戦車が採用している、装輪/装軌式で高速走行に向いたクリスティー・サスペンションを1936年にモーリス社がライセンス権を取得し、1936年末に試作車両に取り入れて完成したのがA13でした。
テストにおいて、小改修だけで正式化し巡航戦車Mk.III(A13)として、1938年から1939年夏までに65両が生産されました。
クリスティー・サスペンションは採用していますが、生産性・整備性向上やコストダウンのため装輪走行機能は省略されて、最大速度65km/hを出せましたが、足回りに負担が掛かりすぎるということで最大速度は48km/hに制限されていました。
車体はイギリスの戦車用砲塔を載せられるよう大型化され、そこに載る砲塔は巡航戦車Mk.IやMk.IIと酷似しており、武装も2ポンド砲とヴィッカース7.7mm水冷機銃とほぼ同じものが装備されていましたが、砲塔は3人乗りになりました。
車体は箱型のスマートなものとなり大型転輪を片側に4つ配したものに拡大改良されたクリスティー・サスペンションを奢り、オリジナルのクリスティ戦車で使われた350馬力のリバティ・エンジンのライセンス版をやっと搭載して巡航戦車らしい性能を手に入れましたが、肝心の装甲厚が14mmと薄く、これを改善する装甲厚を30mmに強化したA13Mk.II案が出され、巡航戦車Mk.IVとして正式化された後にMk.IIIも順次Mk.IVに改修されてゆきました、これは巡航戦車Mk.III改とも呼ばれ、防楯形状がA13のままなので、純正のMk.IVとの識別は可能でした。
やはり、巡航戦車Mk.I/IIと同じく、フランスで黄作戦に第1機甲師団所属車両が投入されましたが、性能不足とマシントラブルから大損害を出したり、他に少数が1940~41年にリビアで第7機甲師団により使用されて北アフリカ、ギリシャ戦に投入されましたが、装甲の薄さが災いして、こちらもドイツ軍相手に大損害を蒙ってしまいました。
面白いエピソードとして、1936年にモーリス社がライセンス契約を成立してクリスティー・サスペンションを研究するために、M1931クリスティー戦車を2両購入(アメリカ陸軍に採用されたT3E2を1両とする資料もある)したものの、この頃のアメリカは軍事用武器のアメリカ国外輸出が違法とされていて、イギリスへの持ち帰りができない状況でした。
そこで引き取り代理としてアメリカに赴いたイギリス軍は苦慮の末に戦車ではなく「トラクター」として木箱に納め、その上からグレープフルーツを大量に詰め込んで関税をごまかして通過、なんと、アメリカから密輸入を敢行すると言う暴挙に出て、そのまま持ち帰ってしまったという今では考えられないエピソードもありました。
こうして、なんとかクリスティー戦車を手に入れたモーリス社はサスペンションの改良にあたり、もう一台をエンジン担当としてナッフィールド社に引き渡して、車載のリバティーエンジンのライセンス権利を無事獲得しました。 しかし、これはイギリス戦車史の苦難の始まりだったとはこの時までは知る由もなかったのです。
巡航戦車Mk.IIIが65両と少数生産だったのには、装甲が薄すぎたために、対機甲戦闘には向かないと判断されたので、Mk.IVに生産を早々に切り替えたのが理由だと言われています。