Dicker Max

Last-modified: 2017-03-31 (金) 13:51:26

D-Max.png

Tier 6 ドイツ 駆逐戦車 (課金戦車)

D_Max-1.jpg
公式紹介ページ

スペック

車体

HP550
車体装甲厚(mm)50/20/20
最高速度(km/h)40
重量/最大積載量(t)24.99/26.7
本体価格(ゴールド)3,200
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

Dicker Max
(3,200G)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
Dicker MaxMaybach HL 120 TRM 11210.5cm K 18 L/52B.W.-LaufwerkDicker Max550620
550AP
APCR
HE
169
227
53
300
300
380
26600
10G
650
6.45
2.3
0.36
35--/--/--26400

解説

史実

元々はフランスのマジノ要塞を破壊する為のバンカーバスターとして10.5cm砲を搭載した装甲自走砲を1939年、クルップ社によってPz.Kpfw.IV Ausf Eの車体を利用して開発が始まった。
1940年6月21日、フランスの降伏により戦闘は終了し、この装甲自走砲は完成する事はなかったが、対戦車用車両として開発方針を変えた。
1941年1月に2両のプロトタイプが完成。同年3月31日にヒトラーの前でデモンストレーションを行い、発注される事となった。ドイツ軍による試験が行われ、これに合格すれば1942年の春頃に本格的な生産が行われる可能性があった。
開発中は10.5cm K (Pz.Sfl.IVa)と名付けられていたが、1941年8月13日に10.5cm K (gp.Sfl.)と名称が変更されたが俗称であるDicker Max(太ったマックス)としても知られている。
戦闘試験の為に2両のプロトタイプは第521駆逐戦車大隊へ配備され、地中海の戦いで使用された。
その後は第3機甲師団に所属を移され、主に東部戦線でソ連軍を相手に戦っていたが、1941年12月17日から開始された1度目のヴォルホフ戦線で1両は事故で動けなくなった所に砲撃を受け弾薬庫の誘爆により失われた。
もう1両は1941年末まで戦闘に参加し、成功を収めた。
1942年初頭にクルップ社に戻され同年7月のブラウ作戦に参加出来るよう改修され、再び第521駆逐戦車大隊へ戻された。
残った1両の行方は依然として所在が不明なのだが、1942年11月~12月の第521駆逐戦車大隊のレポートに使用可能の報告がされていない事からブラウ作戦中にT-34中戦車によって撃破されたと伝えられている。

コメント

  • 車長の名前が「最大」さんになっている模様。 -- 2014-08-20 (水) 08:25:07
  • TierⅥ駆逐戦車のPz.Sfl.Vに特性がよく似た車両。一撃の重さと冗談じみた大きな俯角が強み。移動速度は平地で大体25~30km/hと重戦車程度で旋回も鈍い。加えて装填も照準を絞るのも遅いと接近戦に向かない条件が目白押しである。決して自分から距離を詰めるような真似をしてはいけない。焦らず中遠距離を維持して俯角を活かした攻撃を行う事 -- 2014-12-26 (金) 01:42:12