Tier III 中国 軽戦車
スペック
車体
HP | 220 |
---|---|
車体装甲厚(mm) | 25/25/20 |
最高速度(km/h) | 40 |
重量/最大積載量(t) | 14.95/15.9 |
本体価格(シルバー) | 42,000 |
修理費(シルバー) |
戦車パッケージ
パッケージ名 (必要経験値/購入シルバー) |
┏ | ━ | ━ | ━ | ━ | ━ | ━ | ━ | ━ | M5A1 Stuart (3,200/143,000) | |
Chi-Ha (1,300/42,000) | ┻ | Type 2597 (125/2,530) | ━ | Type 2597 Ichi-Hai (1,155/12,980) | ━ | Type 2597 Kai (45mm) (1,655/16,680) | ━ | Type 2597 Kai (2,730/35,150) |
詳細
パッケージ名 | エンジン | 武装 | 履帯 | 砲塔 | 他 | ||||||||
出力 | 弾種 | 貫通力 | ダメージ | 総弾数 | 弾代 | 発射速度 照準時間 精度 | 旋回速度 | 砲塔装甲 | 旋回速度 | 視認範囲 | HP | 通信範囲 | |
Type 2597 Chi-Ha | Mitsubishi Type 97 | 57 mm Gun Type 97 | Type 97 | Type 97 | 220 | 350 | |||||||
170 | AP HEAT HE | 29.60 55 28 | 75 75 95 | 120 | 16 3G 20 | 20 2.29 0.46 | 30 | 35/25/25 | 30 | 310 | |||
Type 2597 | Mitsubishi Type 97 | 40 mm 20K | Type 97 | Type 97 | 220 | 425 | |||||||
170 | AP APCR HE | 51 88 23 | 47 47 62 | 120 | 14 2G 14 | 26.09 1.70 0.46 | 30 | 35/25/25 | 30 | 310 | |||
Type 2597 Ichi-Hai | Type 100 V-12 W | 45 mm 20K | Type 97-kai | Type 97 | 220 | 550 | |||||||
200 | AP APCR HE | 51 88 23 | 47 47 62 | 120 | 14 2G 14 | 26.09 1.70 0.46 | 32 | 35/25/25 | 30 | 310 | |||
Type 2597 Kai (45mm) | Type 100 V-12 A | 45 mm 20K | Type 97-Kai | Type 97-Kai | 240 | 550 | |||||||
240 | AP APCR HE | 51 88 23 | 47 47 62 | 120 | 14 2G 14 | 26.09 1.70 0.46 | 32 | 35/25/25 | 30 | 330 | |||
Type 2597 Kai | Type 100 V-12 A | 47 mm Gun Type 1 | Type 97-Kai | Type 97-Kai | 240 | 550 | |||||||
240 | AP APCR HE | 81 130 25 | 70 70 90 | 104 | 36 4G 19 | 20 2.29 0.43 | 32 | 35/25/25 | 30 | 330 |
解説
日本ツリーに存在するType 97 Chi-haとの性能差など。
・課金弾がAPCR(距離減衰の影響が強い)
・砲撃時の隠蔽率低下が大きい(未確定。他の隠蔽率は恐らく誤差の範囲)
・カテゴリーが軽戦車(一部勲章の条件に影響)
史実
三菱重工が 1935 年から 1937 年に開発、1938 年から 1942 年にかけて量産された。後半 2 年間に生産された改良型の新砲塔チハと併せ、2,880 両が製造された。チハおよび新砲塔チハは、中国戦線において日本軍により幅広く運用された。日本の降伏後には、中国人民解放軍と国民党軍の双方が 1946 年の国共内戦で用いた。
(その他史編の解説)
九七式中戦車チハは本来日本軍の戦車でしたが、第二次世界大戦終戦後には中国大陸において、日本軍から鹵獲したものや撤収した際に接収したものを、共産党軍や国民政府軍で使用されていました。
そして、国共内戦でも使用され、共産党軍のものは国民党軍相手に戦果を挙げています。
1949年10月1日の中華人民共和国建国記念パレードに参加した"功臣号"は、その中でも特に有名です。
功臣号は、国共内戦の際に人民解放軍が鹵獲して使用した九七式中戦車のうちの1両で、本車は数度の被弾に耐えて内戦を生き延び、上述の建国記念パレードにおいて先頭車を務めた経歴を持っています。
その後1959年に退役、功臣号は中国人民革命軍事博物館において今でも展示されています。
功臣号は前期型車台に新砲塔が搭載されている他、人民解放軍によってフェンダーを延長した泥除けが装着されているなど、特徴的な外見が見られます。
しかし、本ゲームでは、功臣号ではなくアバディーン戦車博物館に展示されている車両がモデリングされているといいます。
アバディーンの車両は、硫黄島において米軍に鹵獲されたもので、主に陸軍の戦車部品、本体、試作機の製造などを行っていた相模陸軍造兵廠の中の比較的小規模の工場で作成された九七式の車両にドーザー取り付けアタッチメントを装着した、やはり特徴的なチハでした。
相模陸軍造兵廠製のチハは、工具類の取り付け位置、マフラーカバー、砲塔ハッチの把手などが三菱重工製や日立製作所製の車両とは異なっています。
また、本ゲームのモデルの車体前面下部をよく見ると、2つの細長い板状の部品が縦に3つのリベットで止められています、これはドーザー取付アタッチメントの一部であり、前述のアバディーンの車両の特徴であります。
なお、実車では砲塔にもドーザー取付アタッチメントが装着されているのですが、これはゲームには再現されていません。
相模陸軍造兵廠は現在、相模原駅北側から矢部駅北側にまたがるアメリカ軍相模総合補給廠となっています。試験走行に使われた戦車道路通称戦車道は緑道として現存、過去にはここで重戦車オイが試験走行をした事がありました。
コメント
- 御存知、日本のチハを回収したものである。 本家同様、最終砲がえらく強い。チャンスさえあれば格5重戦車すら正面からぶち抜けるので被弾を抑える戦術を展開して大損害を与えよう。 砲撃時に若干バレやすくなっている謎仕様だが大して問題は無いはず。 -- アメジスト? 2015-09-07 (月) 20:30:35
- この車輌に日の丸に付け替えて旗も日の丸を立てて「取り返してやった」感をだしてます -- 2017-12-14 (木) 04:05:35