Type 98 Ke-Ni

Last-modified: 2016-08-18 (木) 17:49:05

Ke-Ni.png

Tier 3 日本 軽戦車

公式紹介ページ

スペック

車体

HP220
車体装甲厚(mm)16/12/10
最高速度(km/h)50
重量(初期/最終)(t)7,11/7,2
本体価格(シルバー)43,500
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
Ke-Ho
(3,740/140,000)
Ke-Ni
(1,300/43,500)
Type 98A Ke-Ni Ko
(580/5,400)
Ke-To Type 100
(1,090/9,550)
Type 2 Ke-To
(1,640/17,950)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
Type 98 Ke-NiType 100 Kuurei V-637 mm Gun Type 100Type 98 Ke-NiType 98 Ke-Ni220350
130AP
AP
HE
48.09
68.69
18
45
45
60
10614
2G
10
28.57
1.50
0.40
4430/16/1636310
Type 98A Ke-Ni KoMitsubishi A6120VDe S37 mm Gun Type 100Type 2 Ke-ToType 98 Ke-Ni220400
135AP
AP
HE
48.09
68.69
18
45
45
60
10614
2G
10
28.57
1.50
0.40
4830/16/1636310
Ke-To Type 100Type 100 Kakyuu V-637 mm Gun Type 100Type 2 Ke-ToType 2 Ke-To240425
150AP
AP
HE
48.09
68.69
18
45
45
60
9314
2G
10
28.57
1.50
0.40
4830/16/1636310
Type 2 Ke-ToType 100 Kakyuu V-637 mm Gun Type 1Type 2 Ke-ToType 2 Ke-To240550
150AP
AP
HE
58
73
19
50
50
65
9316
2G
10
26.09
1.50
0.37
4830/16/1636310

解説

史実

九八式軽戦車 ケニ
九五式軽戦車の発展型として1938年に開発されました、しかし、旧日本軍の悪い癖で、傑作が出来ると「これに敵うものなし!」という具合に後継機種が上層部や部隊から受け入れられなくなり、上からの圧力や資材調達が滞り、その為に開発が遅れ、既存兵器が全く歯が立たなくなって時既に遅くなる頃に催促されるという、兵器開発の進化が滞る悪循環を生むという結果にケニも陥ってしまいます。
ちなみに、正反対になる例としてドイツ軍では傑作が出来ると「これを超える物が作られるかもしれない」と、早々に次手を考えることから兵器の進化の速度が速かったといわれています。
ようやく生産が開始できた1942年では、ケニの性能と装備は既に陳腐化していて、活躍できる場所など残っていませんでした。
それでも、1943年までに少数の100両ほどを生産しています。
九五式軽戦車をさらにコンパクトで洗練させたスタイルに纏め上げられた本車は、サスペンションを従来のシーソー式からコイルスプリングとリンクアーム式に変更され、小口径弾の被弾を考慮に入れて、サスペンション自体を車体内に収める方式が採用されました。 このため、外見は九五式よりも大きく感じるものの、実際はサスペンションを収めるための横幅以外が、全高が約40cm、全長が約20cm短縮され、重量も軽くなっています。
装甲も12mmから16mmへ強化され、避弾径始を考慮して曲面を多用したために、防御力の増加を果たしています。
砲塔キューポラは廃止されて単純なハッチへと変更されています。
武装は、主砲に九五式軽戦車と同じレベルの100式37mm戦車砲が採用、砲塔内に同軸機銃を搭載した替わりに、車体前部の7.7mm機銃が廃止されました。
エンジンは130馬力の空冷ディーゼルエンジンながら、九五式より出力増と軽量化されたお陰で速度や機動力が向上しています。
そのほかの特徴として、溶接接合が多用されているのも、本車の見逃せない点であります。
改良型に、転輪の大型化して上部転輪を廃止し片側4枚に変更、クリスティーサスペンションをテストした試作車のケニBが造られました。
ケニBを試作した背景には、重い装甲や火砲を支えるサスペンションに関する技術が非常に重要とされていました、そのため、この試作には大変期待が持たれていました。
しかし、当時の日本の工作技術では、高品質のスプリングの量産が難しかったために、結局、計画は廃棄となって試作のみで生産には至らずに計画を終了しています。

九五式軽戦車よりは性能が上がっていたものの、格段に良くなったと言う訳には行かず、質より量が選択されて、九五式軽戦車の量産が続行される事になりました。

それでも、諦めずに九八式軽戦車を強化する試作が続けられました。
1941年(昭和16年)には、武装改良型ともいえる二式軽戦車(ケト)が試作が行われています。
主砲を100式37mm戦車砲から1式37mm戦車砲に換装したもので、九五式軽戦車の九八式37mm戦車砲の薬室を拡大し、砲身を延長して長砲身とした改良版でした。 これにより、初速が675m/sから785m/sになっています。
しかし、生産開始は1944年となり、太平洋戦線で日本軍が苦しめられたM4シャーマンが相手では、通用するかも怪しくなっており、確かに優れた車両ではあったものの、やはり、二式軽戦車の活躍する余地は無くなっていました。

コメント

  • 実際に使った感じ、直進させるのがわりと難しい操縦性、格闘戦中どっちが前だかしくわからなくなることがうれ( -- 2015-03-10 (火) 03:08:32
  • 格闘戦中どっちが前だかわからなくなるときがある(普通の戦車違い、前と後ろに特徴がなく似ている) -- 2015-03-10 (火) 03:11:06
  • 九五式から更に小型軽量化を成した一台。主砲が百式三七粍戦車砲と一式三七粍戦車砲だけとなり、九五式では扱えた九七式五七粍戦車砲が無い為、火力が下がったと思う人もいる事だろう。Tier3に上がりTier5の強力なHTやMTと交戦する機会も出てくるが、本車にはAP貫通58mm(金弾でも73mm)の一式三七粍戦車砲が限界であるために『どうやっても勝ち目が無い』相手が少なからず存在する事をまず把握しよう。視認範囲も310と同格LTより若干狭く(ソ連車輌レベル)偵察活動にも不安がある。機動性は同格LTの中では中の上くらい。エンジン出力は高くないが(最終エンジンで150馬力)、九五式より軽いため機敏に動ける。この車輌最大の強みは、その『小さい車体』と、その小ささに由来する非常に高い『隠蔽性』にある。敵に見つからず活動できるルートを探し、茂みの中から撃ち(37mmなので発砲時の隠蔽低下も小さめ)、敵側面に2・3発撃ち込んでは場所を変え、戦線の隙間を縫いながら貫通58mmでも通用する相手への襲撃をかける『隠密遊撃戦』が出来れば理想的。37mmではできる事は限られてくるが、早い照準時間と装填速度、高い隠蔽性と俯角、機敏さと小回りを最大限活かしてしぶとく立ち回れば、できる事が少しづつ見えてくるはず。 -- 2016-08-18 (木) 17:49:05