VK 30.02 (M)

Last-modified: 2017-10-11 (水) 18:17:39

Tier 6 ドイツ 中戦車

公式紹介ページ

スペック

車体

HP760
車体装甲厚(mm)85/40/40
最高速度(km/h)55
重量/最大積載量(t)39.93/41
本体価格(シルバー)915,000
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

Panter?
(53,000/1,380,000)
VK 30.02 M
(27,350/915,000)
VK 30.02 (M) Ausf. A
(21,350/103,500)
VK 30.02 (M) Ausf. A2
(31,100/139,200)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
VK 30.02 (M)Daimler-Benz MB 5037.5cm KwK 40 L/48VK 30.02 (M)Vk 30.02 (M)760310
580AP
APCR
HE
110
110
38
110
110
175
12070
7G
38
15
2.29
0.38
2880/45/4530360
VK 30.02 (M) Ausf. AMaybach HL 210 TRM P307.5cm KwK 42 L/70VK 30.02 Ausf. AVK 30.02 (M)760415
650AP
APCR
HE
150
194
38
135
135
175
79109
7G
98
13.04
2.29
0.34
3080/45/4530360
VK 30.02 (M) Ausf. A2Maybach HL 230 TRM P307.5cm KwK 42 L/70VK 30.02 Ausf. AVK 30.02 Ausf. A840710
870AP
APCR
HE
150
194
38
135
135
175
79109
7G
98
14.29
2.29
0.34
30100/45/4530370

外観


VK 30.02 (M) - 7.5 cm KwK 40 L/48
 

VK 30.02 (M) Ausf. A - 7.5 cm KwK 42 L/70
 

VK 30.02 (M) Ausf. A2 - 7.5 cm KwK 42 L/70

解説

史実

1941年6月22日、ドイツとソ連にとって4年間に亘って繰り広げられた、独ソ戦開戦の戦いとなったバルバロッサ作戦。
当時ドイツは、自国の戦車こそが世界最強と信じてやまなかった。
しかし、赤軍の装備していたソ連中戦車T-34の前にその自信は脆くも崩れ去る事となる。
ハインツ・グデーリアン将軍は、後に戦車委員会と呼ばれる事になる調査団を東部戦線に派遣しT-34の評価を行い、T-34の優れた設計思想の前に従来のドイツ戦車の設計思想では太刀打ち出来ないと判断した。
そこでダイムラー・ベンツ社とMAN社に1942年4月20日のヒトラーの誕生日までに30-35t級新型中戦車VK 30.02の設計が発注された。
ダイムラー・ベンツ社が設計したVK 30.02(D)はT-34のコピーに近く砲塔もMAN社よりも小型で3人乗りであったが、新規設計を必要としていた。 後に7.5cm L/70砲はダイムラー・ベンツ社の砲塔には重く長かった為に砲塔乗車人数を2人に減らす計画を検討したがその計画は中止となった。
一方で、MAN社はT-34と同じ利点である傾斜装甲を取り入れた古典的なドイツ戦車であった。
2社の案は1942年1月から検討されフリッツ・トート軍需大臣(2月7日に飛行機事故死)、及びその後任のアルベルト・シュペーア軍需大臣によるレビューを受け、両者ともMAN社案よりもいくつかの利点があったダイムラー・ベンツ社案をヒトラーにすすめる事となった。
しかし、最終提案時にMAN社はダイムラー・ベンツ社案を参考にした改善提案を提出。
同年5月、ヒトラーにより任命された特別委員会はMAN社案を選択し、ヒトラーも一晩検討しMAN社案を承認した。
後のPz.Kpfw.V Pantherである。
委員会はMAN社にプロトタイプの製作を急ぐように指示。
同年9月(8月とも)には完成し、ニュルンベルク工場でテストを行い、その後2両目のプロトタイプが完成、この2両は軟鋼製試作車体となっていた。
こちらはベルリン南方のクンマースドルフ陸軍車両試験場でドイツ軍によるテストが行われた。
余談ではあるが、ハインツ・グデーリアンの著書「Erinnerungen eines Soldaten」の中で独ソ戦開戦前の1941年春、ソ連の代表団を戦車学校及び戦車工場に案内した時にロシア人はドイツ側が当時の最新鋭戦車であるPz.Kpfw.IVを見せた事に対してドイツ側の言う事を信じず不満の表情を見せたという。
また、独ソ不可侵条約締結記念にPz.Kpfw.IIIを当時最新鋭のドイツ主力戦車としてソ連に贈与したが、これを見たソ連中央国防委員会は「よく出来たオモチャだ、恐らくもっと強力な戦車を隠しているに違いない。」とも漏らしたと言う。(実はそんなの無かった)
この事から既にソ連はT-34を開発していた事が分かる。(T-34は1939年12月に制式化、翌年から増産開始)

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