オストヴィント №45

Last-modified: 2024-05-18 (土) 10:47:27

ドイツ RankIV 自走式対空砲 Flakpanzer IV Ostwint / IV号対空戦車 オストヴィント

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概要

惑星のご自慢のぶっ壊れ物理エンジンによってよく宙を舞っているアイドル対空戦車。あれこの小隊アイドル多くね?

車両情報(v2.25.0)

必要経費

必要小隊レベル15

車両性能

項目数値
砲塔旋回速度(°/s)35.0
俯角/仰角(°)-10/87
リロード速度(秒)
0.24
スタビライザー/維持速度(km/h)無し / -
車体装甲厚
(前/側/後)(mm)
80 / 30 / 20
砲塔装甲厚
(前/側/後)(mm)
25 / 25 / 25
重量(t)25.0
エンジン出力(hp)525
3,000rpm
最高速度(km/h)42
実測前進~後退速度(km/h)*** ~ -***
視界(%)120
乗員数(人)5

武装

名称搭載数弾薬数
主砲37 mm FlaK43 cannon11000

弾薬*1

名称ベルト名弾種弾頭
重量
(kg)
爆薬量
(g)
初速
(m/s)
貫徹力(mm)
10m100m500m1000m1500m2000m
37 mm
FlaK43
既定APHE/FI-T0.6249.3820494633221410
Sprgr. 18FI-T0.6249.38203
PzGrAPHE0.6922.1770494633221410
M.Gr.18FI-T0.551089144

小隊ツリー

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解説

具体的な解説はオストヴィントを参照。

史実

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IV号対空戦車「オストヴィント」(Ostwind:東風)は、メーベルヴァーゲン対空自走砲の後継車両として1944年3月から開発が開始されたものである。
オストヴィント対空戦車のベース車体はメーベルヴァーゲン対空自走砲と同様にIV号戦車が用いられ、武装も同じく3.7cm対空機関砲FlaK43を1門装備していた。
しかし、メーベルヴァーゲン対空自走砲が機関砲の周囲に4枚の可動式装甲板で戦闘室を構成していたのに対し、オストヴィント対空戦車は6角形のオープントップ式全周旋回砲塔に機関砲を搭載している点が大きく異なっていた。
これはヴィルベルヴィント対空戦車と同じコンセプトであるが、ヴィルベルヴィント対空戦車はオストヴィント対空戦車が生産されるまでの繋ぎとして暫定的に生産されたものであった。
オストヴィント対空戦車の試作車は既存のIV号戦車G型の砲塔を取り去り、代わりに3.7cm対空機関砲FlaK43を装備する軟鋼製砲塔を搭載したものがポーランドのオストバウ社で1944年7月に1両製作され、7月27日に行われた運用試験で成功を収めた。
この後、実用試験のためこの試作車は1944年9月に西部戦線に送られている。

オストヴィント対空戦車の砲塔は試作車ではIV号戦車の砲塔リング径に合わせて製作されていたが、ヴィルベルヴィント対空戦車の砲塔よりも大型に設計されていたため、最終的には砲塔リングの直径をティーガーI戦車と同じ1,900mmにすることが決定された(これはクーゲルブリッツ対空戦車の砲塔にも継承されている)。
これに伴い砲塔リング位置はより後方に移され、無線手用ハッチも干渉を避けてやや前方に移された。
従って、試作車の砲塔と生産型砲塔は基部の形状が異なっている。
また生産型砲塔の装甲厚は従来は25mmとされていたが、実際にはヴィルベルヴィント対空戦車と同じ16mmだったことが判明している。
砲塔は全周旋回が可能で、砲の俯仰角は-10~+90度であった。
オストヴィント対空戦車が搭載する57口径3.7cm対空機関砲FlaK43は、ヴィルベルヴィント対空戦車の65口径2cm4連装対空機関砲Flakvierling38と比較して射程が長く、1発の破壊力も格段に大きかった。
3.7cm砲弾の携行数は従来は1,000発とされていたが、実際はSp.Gr.(榴弾)とPz.Gr.(徹甲弾)合わせて400発程度だったようである。
乗員は車長、砲手、装填手、無線手、操縦手の5名で、無線機はFu.5およびFu.2が搭載されていた。
副武装は、ヴィルベルヴィント対空戦車と同じく戦闘室前面右側のボールマウント式銃架に7.92mm機関銃MG34を1挺装備しており、その他車内装備として9mm機関短銃MP40が1挺あった。
1944年9月6日の決定で100両分(内75は組み立て用、残りの25はスペアパーツ)のオストヴィント砲塔用装甲板がドイツ製鋼所のローレン工場に発注され、組み立てはシュターリン工場で行われることとされた。
ヴィルベルヴィント対空戦車が既存のIV号戦車の車体を流用して生産されたのに対し、オストヴィント対空戦車の車体はクルップ社の子会社であるグルゾン製作所のマクデブルク工場で新規に生産され、これらはIV号戦車J型後期の特徴を持っていた。
これは、オストヴィント対空戦車では砲塔リング径の拡大や無線手用ハッチの移動などの変更があったため、既存のIV号戦車車体が使用できなかったためである。
そしてこのことが、オストヴィント対空戦車の生産遅延の原因の1つとなった。
また、オストヴィント対空戦車の車体右側面のフェンダー上には予備砲身用のケースが追加装備された。

オストヴィント対空戦車は、IV号戦車ベースの対空戦車の本命と目されていたクーゲルブリッツ対空戦車の生産開始までの繋ぎとして1944年11月に35両、12月に30両、1945年1月に10両の計75両が生産される予定であった。
しかし予定は遅れ、1945年1月には生産計画の見直しが図られた。
これによると1945年2月に30両、3月に40両、4月に10両の計80両が生産される予定であった。
ところが間もなく組み立て工場が連合軍に占領されたため、結局1945年3月までに7両が完成したに過ぎなかった。
オストヴィント対空戦車の配備部隊の情報としては、1945年3月に編制された特殊対空戦車中隊がある。
この中隊の第1小隊はクーゲルブリッツ対空戦車6両、第2小隊はオストヴィント対空戦車6両、第3小隊はヴィルベルヴィント対空戦車6両で編制されていた。
1945年4月1日の報告によると少なくとも第2小隊のオストヴィント対空戦車6両は3月に充足し、特殊対空戦車中隊はビーレフェルト地区で活躍したという。
なおオストバウ社では、オストヴィント対空戦車の火力増強型であるオストヴィントII対空戦車の開発も行っていた。

オストヴィントII対空戦車はオストヴィント対空戦車とデザインはほぼ共通であったが、武装が3.7cm対空機関砲FlaK43を並列2連装にしたFlakzwilling44になっていた点に違いがある。
オストヴィントII対空戦車は1945年1月に試作車が完成したと伝えられているが量産には移行せず、今のところ写真も発表されていない。

小ネタ

外部リンク

 

公式Devログ

 

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*1 爆薬量はTNT換算