ソ連 RankIV 自走対空戦車 ZSU-37
File not found: "IMG_3259.jpeg" at page ".Z"[添付]概要
車両情報
必要経費
必要小隊レベル | 15 |
---|
車両性能
項目 | 数値 |
---|---|
砲塔旋回速度(°/s) | 30.0 |
俯角/仰角(°) | -5/85 |
リロード速度(秒) | 0.4 |
スタビライザー/維持速度(km/h) | 無し / - |
車体装甲厚 (前/側/後)(mm) | 35 / 15 / 15 |
砲塔装甲厚 (前/側/後)(mm) | 15 / 15 / 8 |
重量(t) | 12.2 |
エンジン出力(hp) | 992 |
3,400rpm | |
最高速度(km/h) | 46 |
実測前進~後退速度(km/h) | *** ~ -*** |
視界(%) | 70 |
乗員数(人) | 5 |
武装
名称 | 搭載数 | 弾薬数 | |
---|---|---|---|
主砲 | 37 mm 61K cannon | 1 | 290 |
弾薬
名称 | ベルト名 | 弾種 | 弾頭 重量 (kg) | 爆薬量 (g) | 初速 (m/s) | 貫徹力(mm) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
10m | 100m | 500m | 1000m | 1500m | 2000m | ||||||
37 mm 61K | 既定 | AP-T/HEFI-T | 0.77 | 56.98 | 868 | 70 | 68 | 56 | 45 | 36 | 29 |
UO-167 | HEFI-T | 0.73 | 56.98 | 866 | 3 | ||||||
BR-167 | AP-T | 0.77 | - | 868 | 70 | 68 | 56 | 45 | 36 | 29 | |
BR-167P | HVAP-T | 0.62 | - | 960 | 87 | 82 | 65 | 49 | 37 | 28 |
弾種
名称 | 弾頭 重量 (kg) | 爆薬量 (g) | 初速 (m/s) | 貫徹力(mm) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
10m | 100m | 500m | 1000m | 1500m | 2000m | ||||
HEFI-T | 0.73 | 56.98 | 866 | 3 | |||||
AP-T | 0.77 | - | 868 | 70 | 68 | 56 | 45 | 36 | 29 |
HVAP-T | 0.62 | - | 960 | 87 | 82 | 65 | 49 | 37 | 28 |
小隊ツリー
前車両 | IS-1 |
---|
解説
特徴
【火力】
37mm機関砲が1門装備されている。この37mm機関砲はドイツの同じ37mm機関砲に比べ、発射レートが劣るため、弾はあまりばら撒かない方が良い。装填速度・砲塔旋回速度が遅く、小型機を落とすのには相当な慣れが必要となる。となれば必然的に対地に目が行くが、微妙である。BR-167Pは最大貫徹力87mmと中戦車から軽戦車なら撃破することもできる。
【防御】
対空自走砲の例に漏れず紙装甲である。車体に関しては機銃程度なら防いでくれるが、砲塔は容赦なく蜂の巣にされる。また、戦中ソ連対空砲の定番とも言うべきオープントップであり、機銃掃射で搭乗員はお亡くなりになり、最悪弾薬庫が吹き飛ぶ。
【機動力】
微妙である。優れてるかと言えば優れているわけでもないし、劣っていると言えば大して劣っているわけではない。なお、不整地では速度がごっそり持っていかれる為、注意。登坂力が低く傾斜地に弱い。
【総評】
低い発射レート・遅い砲塔旋回速度・少し時間のかかる装填、などと対空戦闘に使えるかと言えばあんまり使えない。寧ろ、貫通力に優れたHVAP-Tを用いての対戦車戦闘の方が向いている。車体が小柄であり、車高もかなり低い為、こっそり敵の側面に回れたりする。"対空戦闘の出来る、紙装甲の駆逐戦車"とでも捉えておこう。
史実
ZSU-37対空自走砲は、ソ連軍が初めて開発した本格的な装軌式対空車両である。
独ソ開戦の1941年以来、強力なT-34中戦車やKV-1重戦車を投入してドイツ軍を驚かせたソ連軍機甲部隊も、制空権をドイツ空軍が握っている内は、地上攻撃機による空からの攻撃に多大な出血を強いられ続けてきた。
1941~44年の間のソ連軍戦車の損失の内の6%、月平均約90両の戦車がドイツ空軍機の餌食になっていたのである。
こうした状況下、1942年頃よりT-60やT-70等の軽戦車の車台をベースとした、12.7mm連装重機関銃や20mm機関砲を搭載する対空戦車の開発が構想されてきたが、同年末にT-70軽戦車の派生型であるSU-76M対戦車自走砲の車台をベースに、37mm対空機関砲61K(M1939)を搭載する対空戦車の開発計画がスタートし、1943年中に試作車が完成して試験も実施された。
本車はSU-76M対戦車自走砲の戦闘室部分に、73.8口径37mm対空機関砲61Kを1門搭載したオープントップ式の全周旋回砲塔を設置したもので、操砲に最低3名の乗員を要した。
主砲の37mm対空機関砲61Kは、スウェーデンのボフォース社製の40mm対空機関砲をベースに開発されたもので、HVAP(高速徹甲弾)を使用した場合砲口初速960m/秒、発射速度は80発/分であった。
垂直方向の最大射程は6,700m、水平方向の最大射程は9,500mで、砲の俯仰角は-5~+85度となっていた。
しかし問題は電動式の砲塔旋回装置でバッテリーやモーターの性能が低く、対空戦闘に必要な迅速な旋回速度がなかなか得られなかった。
このため、本車の対空戦闘能力はあまり高いものではなかったようである。
それでも本車は「ZSU-37対空自走砲」として制式化され、スヴェルドロフスク(現エカテリンブルク)の第37工場で1944年後半に量産が開始された。
生産は1946年まで続けられたが前述の欠点をなかなか克服できないため、数百両程度の生産に留まったといわれる。
ZSU-37対空自走砲は成功した車両とはいえなかったが、戦後も1950年代まで使用が続けられた。