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Last-modified: 2016-09-27 (火) 23:10:26

ゲームに直接関係ないけど、知っているとゲームが楽しくなったり艦娘への理解が深まったりするかもな知識

目次

 

最近追加された項目

 

※詳しい説明は Wikipedia などに任せてください。

皇紀(こうき)とは Edit

神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)の略称であり、日本書紀の記述により系譜上の初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年(紀元)とする日本の紀年法。
明治5年に制定され、翌6年に施行されたもので、皇紀元年は西暦紀元前660年にあたる。
つまり西暦に660を足せば、それが皇紀の数字となる。例をあげると、西暦1940年=皇紀2600年。

 

昭和生まれの日本軍の兵器の命名には皇紀が採用されているので、これを知っておくと採用された年代がわかる。
例を艦これ出演兵器で言えば九一式徹甲弾(91=皇2591→西1931)、九九式艦上爆撃機(99=皇2599→西1939)、零式艦上戦闘機(00=皇2600→西1940)など他多数。
なんで皇紀が年式に採用されたかと言うと、大正が15年で終わってしまったので昭和元号だと大正期に採用された兵器と年式が被ってしまい、ならば西暦はというと明治後半に採用された兵器と被ってしまうためである。
別に「天皇崇拝が〜」だの何だのといった左向きからあれこれ言われそうな理由ではなく、単に混同を避けるための方便なので念のため。

皇紀西暦
九一式2591年1931年
九四式2594年1934年
九六式2596年1936年
九七式2597年1937年
九八式2598年1938年
九九式2599年1939年
零式2600年1940年
二式2602年1942年
三式2603年1943年

ただし、皇紀2600年に採用された陸軍機は零式ではなく一◯◯式の呼称を採用した(一◯◯式司令部偵察機など)。この一○○の表記は陸軍だと(ひゃく)なのだが海軍だと(ひとまるまる)となる。
ちなみに海軍は陸軍との対立もあってか、西暦1943年(皇紀2603年)以降は皇紀による命名は行われなくなった。
海軍の病気性癖じゃあなんて呼べば良いんだよ……である「とにかく敵にこっちの動き知られたくない病」により、航空機の皇紀呼称を廃止し、軍艦並みに名称で呼ぶことにした。
(連合軍には皇紀だとTYPE-○○と整理されてしまうが、漢字名だと連合軍が混乱するだろうとかそんな屁理屈だったらしい。まぁ実際混乱してたんだが翔鶴)
後述する紫電改彗星天山に「○○式」という名称が存在しないのはそのため。
なお、装備品などはこの後も普通に皇紀で制式化している(三式水中探信儀、五式三〇粍機銃など)。

また、漢数字が正式だが、海軍ではアラビア数字で書くこともあり、99艦爆、97艦攻といった書き方も間違いではない。
ただし、零式を0式と書いた例はないようだ。また、陸軍では使われない。
ただ、アラビア数字表記が敬遠される最大の理由は自衛隊と紛らわしいからである(自衛隊は西暦の下2ケタでアラビア数字が正式)。

軍艦とは Edit

国際法的には、一国の軍隊に所属する全ての船舶。海洋法に関する国際連合条約にその定義が定められている。
旧日本海軍では独自の定義をしており、「菊の御紋」のついた艦、すなわち戦艦、巡洋艦、航空母艦、水上機母艦、潜水母艦、敷設艦、砲艦、海防艦が「軍艦」とされた。
「軍艦」を含めた戦闘艦は「艦艇」、国際法上の軍艦は「艦船」とされた。
定義上「軍艦」ではない駆逐艦や潜水艦などでは「艦長」ではなく「長」と呼ばれるなど、扱いに差があった。
例えて言うと「軍艦」の「艦長」の階級は「大佐」または「中佐」だが、「駆逐艦」や「潜水艦」の「長」は「中佐」または「少佐」で1階級下。
「隊司令」が「大佐」で同格である。

 

もっとも、旧日本海軍が他国の駆逐艦を一等下に扱ったとか、「これは軍艦ではなく艦艇だ」と言って国際法の穴をつこうとしたとか、そういうことがあったわけではない。
海自や他国の軍艦をこの独自の定義に当てはめないよう注意*1

艦名の命名基準 Edit

軍艦の命名には基準があります。

日本艦名の命名基準 Edit

帝国海軍の命名基準はだいたいこんな感じ。(制定は1905年4月)

艦種類基準備考
戦艦旧国名大和、長門など「扶桑」もまた日本の別名
航空母艦空を飛ぶ瑞祥の動物飛龍、翔鶴など昭和18年6月4日以降、山岳名が追加
一等巡洋艦
(装甲巡洋艦)
(巡洋戦艦)
(重巡洋艦)
山岳名高雄、足柄など大正元年8月28日に類別「巡洋戦艦」が新設、昭和6年6月1日に金剛型の艦種変更に伴い消滅
二等巡洋艦
(防護巡洋艦)
(軽巡洋艦)
河川名長良、川内など香取型練習巡洋艦は神社名に由来する
一等駆逐艦気象に関するもの吹雪、雪風など昭和18年6月4日以降、甲型、乙型、丁型の各型で命名基準が変更となった
二等駆逐艦植物栗、若竹など艦これ実装艦なし。昭和18年6月4日以降、一等駆逐艦のうち丁型も共通とされた
潜水艦排水量により等級分け+番号伊168など等級は伊(1000トン以上)、呂(500トン以上)、波(500トン未満)に分かれる。
その他の補助艦艇など島、岬、海峡、名所・旧跡、かつて存在した艦艇の名ほか間宮、千歳など
  • なお上記のような命名基準が制定される前は、規則性も無く、非常に混沌としていた。例として:
    • 山や神社の名前:「三笠」(奈良県三笠山)・「香取」(千葉県香取神宮)など
    • 和歌から引用した抽象名詞や雅名:「敷島」(日本の雅名)など
    • 鹵獲以前の艦名を引き続き採用した鹵獲艦:「鎮遠」(清国からの鹵獲戦艦)など
ちなみに戦後
いくつかの例外・小ネタ

ドイツ艦名の命名基準 Edit

ドイツの軍艦名は、主に海軍功労者や地名(主に都市名)からとられている。
概ね重巡洋艦以上と駆逐艦には人名が、軽巡洋艦には都市名があてられた。

  • 人名の例:「レーベレヒト・マース」、「マックス・シュルツ」など
    • ちなみに「Z1」「Z3」等の呼称は、艦名とは別の「ナンバー」である*7Z1のページの小ネタに詳しい解説があるので、そちらを参照のこと。
  • 地名の例:「ケーニヒスベルク(軽巡洋艦・同市名*8に因む)」など

また、元来陸軍国家であり海軍の伝統が浅いドイツでは、陸軍軍人の名前を持つ艦も多かった。
ドイツの場合この傾向は大型艦に顕著。同じような陸軍国家であるロシアも同様(「クニャージ・スヴォーロフ」など)。

例外

  • ビスマルク」(第二帝国時代の宰相)
  • 「ドイッチュラント」(ドイツそのもの。日本流に言うなら「扶桑*10)
    …など。

イタリア艦名の命名基準 Edit

イタリア海軍はいずれの艦種も人名と地名が主である。
古代ローマ時代から各方面の偉人を多く輩出していることもあり、人名艦の比率が高い。

  • 人名艦の場合は古今東西のイタリアの偉人の名前が付けられており、軍人や政治家だけでなく、詩人や芸術家、科学者*11も艦名にするのがイタリア流である。
  • 重巡だけは全て都市名由来だが、実は第一次大戦でオーストリア=ハンガリー帝国から取り返した地域の都市名を付けている。

例外

  • リットリオ」や「インペロ」は役職名
  • スピカ級水雷艇などの恒星名
    …など。

アメリカ艦名の命名基準 Edit

  • アメリカでは、巡洋戦艦に独立戦争時等のかつての戦場名や武勲艦名を採用した。初代の空母レキシントン・サラトガは巡洋戦艦からの改装艦であったため、これがそのまま流用された。
  • その後、航空母艦やそれに準じた艦(強襲揚陸艦など)にかつての戦場の名前を付ける事が一般化した。ヨークタウンやエセックスも古戦場の名前、エンタープライズ、ホーネット、ワスプは過去の武勲艦の襲名である。戦後に就役した軍艦にはミッドウェイをはじめ、イオー・ジマ(日本では硫黄島「いおうとう」)*12*13*14、オキナワ、ガダルカナル、レイテ、コーラル・シー(珊瑚海)と名付けられた艦がある。
    • 戦争中大量に建造された護衛空母の場合は、とてもではないが艦名のネタが間に合わないということで、地図から適当に選ばれた湾の名前が付けられた例(「○○・ベイ」シリーズ)も存在する。
  • その他の艦種は、戦艦=基本的に州名、巡洋艦=都市名*15、駆逐艦=海軍関係者・海軍に功績のあった人物由来の人名、潜水艦=海洋生物の名前。
    • ちなみに「レキシントン」「サラトガ」の事情はだいたい日本と同じだったり(巡洋戦艦(カテゴリーCB)として命名→建造中航空母艦(CV)に変更)。
  • アメリカ海軍において州名を冠された艦は「ステート・シップ」と通称され、特別な格を持つ存在として扱われる。戦艦に限らず、代々のステート・シップを見ていくと、その当時のアメリカ海軍がどの艦種を主力と見做していたかが判って興味深い。
    • ちなみに現在は戦略弾道ミサイル搭載型原子力潜水艦がステート・シップである。
    • 空母がステート・シップになったことは一度もない。その代わり空母は“ステート・シップに並ぶ偉大な存在”と言うことで大統領名が冠されることになった。
    • なお、第二次世界大戦後まで準州だったアラスカとハワイを除いて、唯一戦艦の艦名になったことがないのがモンタナ州。計画艦としては2回使われる筈だったが、いずれも条約や戦争のため未成止まり。(´・ω・) カワイソス
      • 装甲巡洋艦や原子力潜水艦の艦名にはなっている。

小ネタ

  • アメリカ海軍では、沈没艦の艦名を、直後に進水した新造艦に即座に襲名させることが多い。沈没艦が残した戦訓を記憶に留め、武勲を賞するためだという。
    • 大戦中に進水した空母や巡洋艦の一部に至っては、本来予定されていた艦名を返上している。
    • 逆に日本海軍は、事故や戦闘で失われた艦名は縁起が悪いとして殆ど襲名しなかった。
    • 大戦時は、ヨークタウンやレキシントンなど、撃沈したはずの艦名がたびたび通信に登場するため、日本海軍は随分と混乱させられたそうである。
  • 他国では自国の雅称を艦名に用いることが少なくない。アメリカにとっては「ユナイテッドステーツ」が該当する……のだが、どういうわけかこの名前を冠された船は軍民問わず碌な目に遭わないため、現在は不名誉欠番状態である。

イギリス艦名の命名基準 Edit

イギリス海軍の艦名は基本的に規則らしいものが無い襲名制のため、何から何まで混沌としている。
人名(英国だけでなく、古代ギリシアや古代ローマの物もある)・地名・固有名詞(他国の神様や世界の部族名)・形容詞などがごちゃごちゃに付けられている。
駆逐艦や潜水艦では等級内で頭文字が統一されていたり、一部の等級は艦名が都市名や形容詞に限定されるなど多少は統一されていたりはするが、それでも日米に比べればかなりわかりにくい。

  • また、同じ英語文化圏である為時たまアメリカと被った*16。特に有名なのがエメラルド級軽巡洋艦エンタープライズ*17
  • 逆に、アメリカ海軍が意識的に被せた例もある。有名なのがボルチモア級重巡洋艦キャンベラ。これは第一次ソロモン海戦で撃沈されたオーストラリア海軍(友軍)のケント級重巡洋艦からの襲名である。

軍用機の命名基準 Edit

帝国海軍機の命名基準はだいたいこんな感じ。
「零戦のA6M2bとかってどういう意味?」とか解説すると非常に長くなるので詳しいことはwikipediaとかで調べてください。*18

機種基準備考
甲戦(制空戦闘機)強風、烈風など
乙戦(局地戦闘機)紫電震電など
丙戦(夜間戦闘機)月光、極光など
爆撃機彗星、明星など海軍で爆撃機とは基本的には急降下爆撃が可能な機体のこと
攻撃機天山、連山など海軍で攻撃機とは基本的には雷撃が可能な機体のこと
偵察機瑞雲彩雲など
  • 上記の命名基準は1942年途中、具体的には『月光』以降のもの。
    それ以前は『採用年(皇紀)下2桁 + 機種』(皇紀2597年に制式採用された艦上攻撃機→九七式艦上攻撃機)。さらに前(西暦1928年/皇紀2588年以前)は『元号下2桁 + 機種』。
    陸軍も含め、あらゆる兵器は同様に命名される(例:三式通常弾)。
  • 艦上攻撃機『流星』は特例。本機は艦上攻撃機(雷撃機)と艦上爆撃機(急降下爆撃機)の統合機種だったため、「種別は艦上攻撃機」、「命名基準は艦上爆撃機」になっている。
    同様の両用機には陸上機の『銀河』がある(天体由来だが、「星」が付かない)。
  • 陸軍機にも『隼』のようなものがあるが、あれは愛称(ペットネーム)に過ぎず正式名称は『一式戦闘機』*19。終戦まで命名基準が変わることはなかった。

ドイツ兵器の命名基準 Edit

陸軍、海軍、空軍で異なるものもあるが、ゲーム内に実装されている装備に関連(共通)するものを紹介する。

略語原語(読み方の参考)意味備考
FlaKFlugabwehrkanone (フルークアプヴェーアカノーネ)対空砲3.7cm FlaK M42など。高角砲・機関砲・機銃を含む
SKSchnelladekanone (シュネルラーデカノーネ)速射砲38cm連装砲(38cm SK C/34)など
Schiffskanone (シフスカノーネ)艦砲15cm連装副砲(15cm SK C/28)など
C/xxConstructionsjahr (コンストルクツィオーンスヤール)xx年式(設計年)SKC34 20.3cm連装砲(20.3 cm SK C/34)など
西暦下2桁で表す。「C/」無しで数字のみで表記する場合も(2cm 四連装FlaK 38など)
L/xxLänge in Kaliber (レンゲ イン カリーバ)xx口径(口径長)口径の数え方が他国と異なる
Ju xxJunkers (ユンカース)(ユンカースの製造者コード)Ju87Ar196など。詳しくはWikipedia
Ar xxArado (アラド)(アラドの製造者コード)
Bf xxBayerische Flugzeugwerke
(バイエリッシュ・フルークツォイクヴェルケ)
(バイエルン航空機製造(メッサーシュミットの前身)の製造者コード)
Fw xxFocke-Wulf(フォッケヴルフ)(フォッケウルフ)の製造者コード)

プレイヤーの呼称・役職 Edit

艦娘の台詞に出てくるプレイヤーの呼称。
特記のない場合は旧日本海軍に準じて解説する。

呼称階級(標準)解説使用艦娘
提督大将〜少将海軍の将官の総称、敬称。提督という役職があるわけではなく、海軍将官なら誰でも提督と呼べる。
なお、「中将」は通常は「ちゅうじょう」と読むが、帝国海軍では「ちゅうょう」と読んでいた。
陸奥赤城ほか多数
司令官少将「艦隊」の下にある第二戦隊・第一水雷戦隊・第四航空戦隊など「戦隊」の長。
ちなみに、第二艦隊や第一航空艦隊など「艦隊」の長は「司令長官」である。
鎮守府や航空隊などの陸上部隊の長も役職に応じて「司令長官」「司令」などと呼ばれた。
全てが該当するわけではないが真珠湾攻撃時を例に取ると、第一航空艦隊(司令長官-南雲中将)○○戦隊(司令官-三川中将、山口・原・大森少将)○○隊(司令-今和泉・大藤大佐)となり、逆に言えば司令-の上が司令官、司令官の上が司令長官となる。
吹雪如月ほか多数
司令大佐「戦隊」のさらに下にある「隊」の長。駆逐隊・潜水隊・航空隊などが該当する。
上述の「司令長官」や「司令官」の略称ではなく独立した役職名である。
ただし艦娘の中には「司令官」「司令」共に使う者もおり、艦これの世界観ではどう違うのかは不明。
日本海軍においては、隊指令は大佐が務める。戦艦や巡洋艦など、いわゆる「軍艦」の艦長も原則として大佐であり、「隊」と「軍艦」は格式的に同等となっている。
上記の「軍艦」で編成された「戦隊」や、戦隊で構成される「艦隊」は、指揮官座乗の艦を「旗艦」と言うが、隊の司令座乗艦は司令艦と言う。例えば駆逐隊の司令座乗艦は旗艦ではなく「司令駆逐艦」と言う。このため、駆逐隊旗艦とか、潜水隊旗艦というのは誤りである。
なお、「大佐」は通常は「たいさ」と読むが、帝国海軍では「いさ」と読んでいた。「大尉」も同様に「いい」だが、「大将」はそのまま「たいしょう」だった*20
比叡陽炎ほか多数
将校大将〜少尉海軍で「将校」と言えば兵科・機関科の士官(予備・特務士官を除く)を指したが、陸軍では兵科の士官、予備士官、叩き上げの士官(陸軍にはそもそも特務士官制度が存在しない)が将校とされた。
なお、将校ではない士官を「将校相当官」と呼び、海軍では厳密に区別されていた。
あきつ丸
隊長大尉〜少尉陸軍においては、単に「隊長」と呼んだ場合通常「隊」の長である中隊長又は小隊長を指す。
海軍においては、陸軍の編成を模した陸戦隊を除けば隊長と呼ばれる役職は存在しない。飛行隊長等の呼称はあるが、それはその攻撃隊の指揮官(攻撃に参加する)であって固定された役職ではない。
まるゆ
補足大尉〜兵曹長海軍では下士官・兵卒は「○○中尉」等と名前と共に階級を入れて呼ぶのが普通なのだが、小さい艦であっても他科との接点は極端に少なく名前が分からない事は良くある事だった、その場合に使える「分隊士」(中尉〜兵曹長)と言う便利な呼称もあった。大尉の場合は「分隊長」である。
また准士官と言う分類があり、兵学校生徒等がこれにあたり、階級章自体は金筋1本のみで兵曹長と同じだが准士官の方が上になる。

当時の軍事・戦略思想 Edit

  • 大艦巨砲主義 (たいかんきょほうしゅぎ)
    巨大で強力な火砲(と頑丈な装甲)を装備した大きくて強い艦(戦艦)が海上戦力の優位を決定するという考え方(ドクトリン)。その思想の極致は大和型戦艦となって現れたと言える。
    ドレッドノートを先駆けとし、第二次大戦(の途中)までは日本を除き世界の海軍の主流な考え方だった。
  • 航空主兵論 (こうくうしゅへいろん)
    航空戦力を軍の中核に据えようという考え方。第二次大戦中における航空機と機動部隊の発達によって世界の海軍では主流となり、大艦巨砲主義を過去のものとした。
    日本の大西瀧治郎中将、山本五十六元帥海軍大将、アメリカのウィリアム・ミッチェル少将など、ずっと以前から考えている人は少数ながらいたが、あくまでもイロモノ的アイディア扱いだった。
    日本においては1934年11月に初代一航戦の誇り「高橋三吉」が連合艦隊司令長官に就任、その当時計画が進められていた新型戦艦「A140-F5」(後の大和型戦艦)不要論をぶち上げ軍令部より全門斉射の大反撃を受けるが、その流れを後任の「米内光正」海軍次官「山本五十六」が加速させ、航空母艦の建造や大型貨客船を空母へ改造する事を前提にした大幅な補助金の支給(飛鷹・隼鷹・海鷹)、搭乗員育成機関の増大と一気に様変わりを始め、開戦前には大型艦の建造計画中止と、航空機と潜水艦に注力する事が決定されている。
  • 漸減邀撃作戦 (ぜんげんようげきさくせん)
    大艦巨砲主義に基づく戦前の日本海軍の対米作戦構想。詳細はこちら
  • オレンジ計画 (War Plan Orange) (おれんじけいかく)
    漸減邀撃作戦と対照を成す、戦前のアメリカ軍の対日本作戦計画。
    戦艦を主とする米艦隊が太平洋を西進して、フィリピン辺りで海上決戦を行うという内容であった。
    様々な情勢の中でかなりテコ入れされ、やがて新構想に変移していったが、後に太平洋戦争の進め方の基本となった。
    なお、他の国(WW2最大の同盟国だった英国もこの中に入っている)に対する作戦計画も秘匿のため色名で呼ばれており、日本に対応する計画名がオレンジになったのは深い意味は無いらしい。

艦載機の空母航空隊 Edit

  • 江草隊
    蒼龍に乗艦していた「艦爆の神様」こと江草隆繁少佐の隊。
    少佐率いる艦爆隊は真珠湾攻撃やセイロン沖海戦などに参戦し、米戦艦「ネヴァダ」を擱座に追い込み、英重巡2隻と空母「ハーミーズ」を撃沈する成果を上げた。
  • 九三一空
    第九三一海軍航空隊のこと。
    この部隊は日本海軍の対潜掃討のエキスパートであり、商船改装空母「大鷹」「雲鷹」「海鷹」「神鷹」に乗艦し、船団の護衛を主任務としていた。
  • 付岩井小隊
    支那事変から大戦終戦まで戦い抜き、最後まで被弾しなかった無傷の「ゼロファイターゴッド」、岩井勉操縦機が所属する部隊。
    ただし、彼は下士官であり、史実では「岩井隊」と呼ばれる飛行隊は存在しない。
    岩井勉氏は大戦時に瑞鳳や瑞鶴に乗組、航空母艦の戦闘機エースパイロットとして活躍した。
  • 付岩本小隊
    「零戦虎徹」と呼ばれるようになる零戦屈指のエースパイロット、岩本徹三が所属する部隊。
    ただし、岩本は下士官であり、有名なラバウル時代を含めて実際に「岩本隊」として飛行隊を率いた経験はない。
  • 友永隊
    友永丈市大尉(死後中佐)が率いる空母飛龍所属攻撃機隊。
    ミッドウェー島飛行場の爆撃と米空母ヨークタウンへの反撃を行っている。
  • 村田隊
    雷撃の神様と言われた村田重治少佐率いる部隊。
  • 六三四空
    「第六三四海軍航空隊」は、元々伊勢・日向の第四航空戦隊に配備する艦載機の部隊として編成された。
    ゲームに登場する瑞雲隊のみではなく、同じく伊勢・日向の両戦艦に搭載予定だった彗星隊や、隼鷹・龍鳳搭載予定の零戦隊や天山隊も存在する。
    瑞雲隊は終戦まで特攻によらず、ゲリラ的な襲撃を繰り返して戦果を挙げていた。
  • 六〇一空
    元ネタは恐らくマリアナ沖海戦時に第一機動艦隊の空母艦載機を統括していた頃の第六〇一航空隊内爆撃機部隊。

駆逐隊一覧 Edit

駆逐隊の定義については艦娘用語を参照のこと。

駆逐隊の番号は、所属する鎮守府ごとに分けられている(当初は1駆〜40駆まで。後に41駆〜70駆を追加)。したがって新旧は番号順になっていない。
艦これ登場艦が所属した駆逐隊には、以下のものがある(括孤内は開戦時または開戦後最初の編成時の編成)。

小ネタ

  • 五航戦の秋雲など、駆逐隊に所属しない戦隊直属の駆逐艦もわずかながら存在した。
  • 島風は生涯駆逐隊に所属していない。
  • 鎮守府付きとして連合艦隊に所属していない駆逐艦も存在した。主に老朽駆逐艦で、開戦時の神風型・峯風型(未実装)がこれに当たる。
  • なお、公式ノベライズ「陽炎、抜錨します!」には「横須賀鎮守府所属の第一四駆逐隊」が登場するが、14駆は上記のように本来は呉鎮所属であり、また、史実の14駆は開戦前に解隊された後編成されていない。

艦娘用語 Edit

艦娘がプロフィールやセリフとして使用していたり、関連する用語(造語含む)を紹介。

あ行
アイアンボトムサウンド/アイアンボトム・サウンド
読み-
使っている艦娘夕立衣笠
意味ソロモン諸島のサボ島・フロリダ諸島とガダルカナル島の間に位置する海峡。
太平洋戦争中、日米の大消耗戦となったガダルカナル島の戦いやソロモン海戦(第一次・第三次)により多数の艦船、航空機がこの海域に沈んだ。
海底を鋼鉄の残骸が埋め尽くしたことから戦後「アイアンボトムサウンド(鉄底海峡)」と呼ばれるようになり、現在は絶好のダイビングスポットとして有名となっている。
艦これに登場する艦で挙げられる内でも主人公の「吹雪」を始め「暁」「綾波」「霧島」「比叡」「古鷹」「夕立」「巻雲」「高波」「照月」がここに眠っている。
細かいことだが、自己紹介にて夕立は「アイアンボトム・サウンド」、衣笠は「アイアンボトムサウンド」と呼称(記述)している。
なお、「サウンド」は古代英語を語源とした「海峡」という意味の単語であり、同一スペルだが「音」のサウンドではないので注意しよう。
ついでに言うと、鉄底の材料は外でもない彼女たちの亡骸なので、在りし日の彼女たちからこの名で呼ばれたことはほぼ無い(当時はサボ海峡と呼ばれていたらしい)。
アウトレンジ
読み-
使っている艦娘瑞鶴瑞鳳
意味[射程:短]の敵の攻撃は届かないが[射程:長]のこちらの攻撃は届く距離から先制攻撃を行い戦況を有利に進めよう、といった考え。アウトレンジ戦法。
軍縮条約により米国に数で劣る日本軍が、艦隊決戦を有利に行うために考え出された。
発想は容易だが実行は困難で、特に艦載機による長距離攻撃にはかなりの練度を要した。
長大な航続距離を持つ一式陸攻、米魚雷の4倍以上の最大射程をもつ酸素魚雷、米海軍を上回る砲戦距離を維持できる戦艦群など、多くの兵器がアウトレンジ戦法を主眼として開発された……というのが10年ぐらい前までの定説。
現在では色々と当時の資料が出てきて、「必ずしもアウトレンジの為に開発されたのではない(=結果的にその様に使われたのは認める)」という感じである。
例えば長大な航続力を持つことで有名な零戦は、元々艦隊防空のために長い滞空時間を要求されており、航続力を要求されたものではなかった、などの例がある。
瑞鶴、瑞鳳両名がアウトレンジにこだわるのは、マリアナ沖海戦で数・質・練度の殆どで負けている米軍機動部隊に対し見出した唯一の勝ち目ながら、それすら容易く破られたため。
ただゲームシステム上、互いの砲撃が届く位置での殴り合いになりながら「アウトレンジで決めたいわねっ!」と言うことになるが、それは言わぬが花というものか。
赤煉瓦
読みあかれんが
使っている艦娘飛龍
意味海軍省・海軍軍令部の通称。本庁舎の建物がイギリスから輸入した赤煉瓦づくりだったことに由来する。
所在地は霞が関にあった。*21(場所は現在の厚生労働省・環境省合同庁舎の位置)
戦争末期の山の手空襲で本庁舎は半壊。残った建物も1980年代までに老朽化と狭隘化により取り壊され、海軍時代の建物は残っていない。
また、海軍省地下防空壕筐体の一部は現在の千代田線霞ヶ関駅として使われている。
余談だが、明治以来赤煉瓦造の建物は多く、通称”赤煉瓦”と呼ばれる現存物は各地にあるため、話題にするときは相手との連想対象のすれ違いには注意。
海軍関係の建造物では、海軍兵学校や舞鶴赤レンガ倉庫群などがよく赤煉瓦と呼ばれる。
これとは別にデスクワーク畑ばかりを歩み続けた軍人を「赤煉瓦」と呼称する場合がある。対義語は艦隊勤務ばかりを歩み続けた軍人に対する「両舷直」。
具体例では任期の大半を陸上勤務で過ごした井上成美提督あたり。
アレ
読み-
使っている艦娘北上 伊58
意味「人間魚雷回天」九三式三型魚雷の機構を流用して作成された特攻兵器の事。
九三式魚雷の炸薬量490kgに比べ780kgと1.5倍以上も多く、命中すれば輸送船や巡洋艦クラスは1発で撃沈、戦艦や正式空母でも最低大破、撃沈も十分にある破壊力があった。
一方では取り扱いが難しく、訓練中の死者は特攻兵器の中でも最多である。
伊58は2番目に多い4回も回天を搭載した出撃をしており、その中には原子爆弾の輸送を終えた重巡洋艦インディアナポリスの撃沈も含まれる(通常の魚雷攻撃)
もし本土決戦が行われていたら、事実上の回天母艦となっていた北上も回天を積んで死出の海路を逝く事になったであろう。
イージス艦
読み- かん
使っている艦娘霧島妙高など
意味後世に「イージスシステム」を搭載した軍艦、自衛艦のこと。
冷戦時代において、ソ連の飽和攻撃(90秒でミサイル100発など、敵の迎撃能力の限界を超える程の膨大な一斉攻撃)戦術への対抗策として米国が開発した。*22
人の判断頼りだった従来の防空システムとは違い、コンピュータにより多数のミサイルを同時に迅速に捕捉・迎撃可能。
各国のミサイル防衛計画の一翼を担っているが、非常に高価であること、米国が技術供与を行った国が限られていることなどから、2013年現在配備国は7ヶ国にとどまっている。
海上自衛隊には2014年現在こんごう型4隻(こんごう、きりしま、みょうこう、ちょうかい)あたご型2隻(あたご、あしがら)の計6隻が配備されており、今後10年以内に2隻の増強が行われる模様。
よく勘違いされるが、イージス艦とは「イージスシステム」を搭載した艦の総称であり、「航空母艦・巡洋艦・駆逐艦(護衛艦)」のような艦種のひとつではない。
例をあげると、「きりしま・みょうこう」はこんごう型ミサイル護衛艦(DDG)であり、こんごう型イージス艦ではない。
イージス艦=駆逐艦と言う勘違いもよくある。確かにこんごう型・あたご型は元になっているのがアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦と言うのもあるので世界的に見ると駆逐艦だが、アメリカにはちゃんとタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦として巡洋艦も存在するのでイージス艦=駆逐艦ではない。*23
余談だが、なぜ今ではあきづき型やたかなみ型、むらさめ型もミサイルを搭載しているのにはたかぜ型・こんごう型・あたご型だけがミサイル護衛艦と呼ばれるかというと、長射程対空ミサイルを搭載し、艦隊防空(エリアディフェンス)を行うからである。*24
一航戦
読みいっこうせん
使っている艦娘赤城加賀
意味「赤城」や「加賀」が所属していた最精鋭の空母艦隊「第一航空戦隊」の略称。
艦娘の「加賀」は新人揃いの「五航戦」に対してやたらと辛辣な節が見受けられるのだが、これは後発の五航戦搭乗員を一航戦の搭乗員が新米扱いして見下していたことに由来する。
なお、艦これでは「一航戦=赤城・加賀」のようになっているが、これはミッドウェー海戦の頃の所属艦であり、それ以前には龍驤鳳翔が所属していたこともある。ミッドウェーで一・二航戦所属空母が全滅し、翔鶴・瑞鶴・瑞鳳で再編成された。後に大鳳隼鷹も所属し、末期には空母ですらない大和も配備されている。このことから、「沖縄へ向けて大和が特攻したとき、大和は一航戦として出撃した」という説もある。他に天城葛城隼鷹らがいたが既に航空機もなく燃料も欠乏していたので出撃は見送られた。
井上提督
読みいのうえていとく
使っている艦娘比叡鹿島
意味宮城県仙台市出身の海軍軍人である井上成美(いのうえ しげよし)を指す。
海兵同期の塚原二三四と共に日本海軍史上最後に大将に昇進した人物としても知られる。
謹厳実直で「計算尺」に例えられるほど頭が切れる人物であった一方で、歯に衣着せぬ物言いが嫌われたことも少なくない。
ワシントン条約に賛成、対米戦に反対したことから山本五十六・米内光政と共に「海軍三羽烏」と呼ばれた。
航空主兵論の立場から「海軍の空軍化」「基地航空隊の拡充」を唱えた。
開戦時には第四艦隊司令長官として鹿島に座乗、ウェーク島攻略、MO作戦(珊瑚海海戦)に関わった。作戦指揮の巧拙に関して様々な意見を言われている。
海軍兵学校校長に補された時に様々な教育改革を行ったことは評価が高い。
マリアナ沖海戦後、再度海軍中央に呼ばれ終戦工作に奔走した。戦後は元軍人と関わることを嫌い、英語学習塾を開いて生計を立てていた。

陸上勤務が長く、数少ない艦隊勤務中に艦長を務めた比叡のことは殊に気に入っていたらしく「停泊中の比叡が見える位置に引っ越す」「自宅に比叡の絵画を飾る」などしていたそうな。
ヴァルハラ
読み-
使っている艦娘金剛
意味金剛は「あの世」のような意味で使用している語。本来は北欧神話の主神「オーディン」の居城で、死せる戦士達の魂が集う場所でもあるためにこうした用法がなされていると見られる。
ヴァルハラに集められた戦士達は朝から日没まで殺し合い、夜は蘇ってオーディンの使いである美女たちの酌を受け酒盛りをするという。
数ある「あの世」でも一等血腥い場所の一つで、ヴァイキングには栄誉でも可憐な乙女に似合う場所ではない。金剛を愛する提督諸氏はそんな場所に彼女を逝かせないように。慢心はダメ、絶対。例え極楽浄土だろうとダメ。
ちなみに何でイギリス生まれの彼女を北欧神話由来の「あの世」に逝かせるのかというと、一応関連性としては20世紀以降のイギリス王室がドイツ起源であることが挙げられる。
ドイツ帝国までのドイツはプロイセン文化の為北欧文化の影響も根強かった*25
とはいえ、最終的な理由は結局のところ帰国子女≒日本人だから*26ですべて説明がついてしまうというところだろう。
ヴィッカース社
読み- しゃ
使っている艦娘金剛
意味かつて英国の重工業を支えた超名門企業。日本で例えるならば三菱的な立ち位置。
金剛や三笠などの名軍艦を建造したほか、機関銃や戦車など様々な軍事兵器の開発・生産を行っていた。
1928年にライバルのアームストロング社*27と合併し、長らく英国の重工業界をリードしていたが、2004年にBAEシステムズ社に買収され、現在ではヴィッカースの名を冠する企業は存在しない。
しかし、機械工学等の分野では「ビッカース硬度(HV)」という名で未だに広く知られている。
同社製の測定器に由来する命名であり、測定に使用するテストピースはダイヤモンド(金剛石)である。
なお、戦艦「金剛」の方が硬度規格制定より先に竣工している。
飢えた狼
読みう - おおかみ
使っている艦娘足柄
意味「まるで飢えた狼のようだ」「美しい艦とはとても言えない」
英国王ジョージ6世の戴冠記念観艦式にゲストとして招かれた「足柄」を評した英国人の一言。
また、「今日私は初めて軍艦を見た。今まで私が見てきたのは客船だった」とも評された。
外洋を長距離航行する巡洋艦のくせに、戦闘能力一辺倒で居住性が低いことを皮肉っていると言われている。
褒め言葉と捉えられなくもないあたりはブリティッシュジョークの妙技か。
実際、日本側は足柄に対するプラスの評価としてこの言葉を捉えたと伝えられている。
なお、これは「植民地を含めた外洋を行動する王立海軍」と「設立以来近海警備を主務としてきた帝国海軍」の違いもある。
なにしろ当時のヨーロッパ海軍の艦長室は貴族の伝統と植民地における外交も担当するため、ホテルのスイートルーム並の豪華な内装を持っていた。
それに対し、日米海軍はそういった配慮が薄いため艦長室であっても実用的な内装であった。
フランス人芸術家などはその機能美を賞賛していたりするので、個人の感性や国民性の違いなのかもしれない。
か行
鎧袖一触
読みがいしゅういっしょく
使っている艦娘加賀
意味鎧の袖が一瞬触れただけで倒せるというほど、簡単に相手を打ち負かすこと。今風に言うなら「グッとガッツポーズしただけで5点くらい入った」
一航戦の人間は珊瑚海海戦の戦果を聞いて「妾の子(五航戦)でも勝てたのだから、本妻の子(一航戦)なら鎧袖一触だ」と言ったといわれる。
この言動は、当時連戦連勝を重ねる日本軍に蔓延していた慢心気分「勝利病 Victory Disease」とも無関係では無かったとされている。
勝って兜のなんとやら
読みかってかぶとのなんとやら
使っている艦娘那智浜風
意味略さずに言うと「勝って兜の緒を締めよ」。勝利したからといって慢心せず、気を引き締めろという意味。
日露戦争終結後の聯合艦隊解散式において東郷平八郎長官が読み上げた訓示「聯合艦隊解散之辞」が「古人曰く、勝って兜の緒を締めよと」と締め括られている。
カレー
読み-
使っている艦娘衣笠伊168など
意味言わずと知れた国民食であり、日本海軍を代表する料理。海軍軍人病死の最大の原因だった脚気を予防する食事として採用された。
海軍では長期航海で曜日の感覚を失わないよう、毎週「土曜カレー」を出す習慣があり、これは海上自衛隊にも受け継がれている。
なぜ土曜日かというと、カレーは材料に融通が効き、週末の在庫整理に都合が良かったからと言われている。
ゆえに、海軍では土曜日であり、海上自衛隊も当初は土曜日だったが、週休2日制となった今の海上自衛隊では金曜日となっている。
このためか、「カレーと言ったら金曜日」と言う風潮があるが、自衛隊でも土曜日の時期もあったし、そもそも大本の海軍では土曜日なので誤解の無いように。(ただし、必ずしも土曜日に出されていたわけではなかった。)
各艦ごとの調理員が独自のレシピを作り、その味を競い合い、海軍・海上自衛隊を問わず、艦長同士が歓談する際は自艦のカレーの旨さを自慢しあうことも頻繁であるという。
海上自衛隊HPのファミリーページにも各艦のオリジナルカレーレシピが載っているので興味のある提督諸氏は見てみるとよいだろう。
海軍や海上自衛隊に縁のある街での土産や町おこしに使われることも多い。
陸軍でも糧食として採用されており、一部の調理員のみがカレーの作り方を知っていた海軍よりも、兵員数に勝り、すべての兵が持ち回りで糧食を担当した(すなわち、全員がカレーの作り方を知っていた)陸軍のほうが国民食化への貢献が大きいとする説もある。
カレーの存在自体は戦前から国民に知られており、主に料理屋で供されていたが、終戦後に一般家庭の料理として広まった所以にこの説を上げるものがある。
因みに戦時中は敵性語としてカレーの名前を自粛、辛味入汁掛飯の名前で出している店もあった。
実は貴重な真水を大量に使うので、軍隊食としては大変贅沢な料理である。
ゲームでは一部の艦娘が食事時に様々なカレーを振舞ってくれる。鈴谷早霜曰く「艦娘の数だけカレーがある」とのことだが、作ってくれない娘も数多いのでまだまだ未知数である。
観艦式
読みかんかんしき
使っている艦娘足柄
意味多くの軍艦を並べて観閲する式のことで、国家の祝典あるいは海軍の記念行事のひとつとして行われる。
艦隊の威容を誇示し、自勢力の士気を高めるとともに、敵勢力に対する示威行為とすることが目的である。
その為、たとえば未だ建造中だった最新鋭重巡那智を参加させるために突貫工事を行い、各種試験を後回しにして引っ張り出したなどの例もある。
現在では、同盟国・友好国との交流や、自国民の海軍への理解を深めることも目的としている。
日本における観艦式の起源は1868年(明治元年)に大阪天保山沖で明治天皇を迎えて行われたものであり、1900年(明治33年)の式から「観艦式」という名称が使われた。なお、比叡は練習戦艦となってからは艦隊に束縛されない存在であった為、スケジュール調整が容易で観艦式の「御召艦」を何度も任されている。
1933年(昭和8年)の観艦式の実際の映像 → http://www.youtube.com/watch?v=fvnRhsjIzNA
海上自衛隊でも実施しているので、興味のある方は調べてみると良いかもしれない。
ちなみに、某ジャンルの隠語として別の意味でも使われるのだが、詳細は大人の提督諸士のみ「観艦式 隠語」でググられたし。
艦隊決戦
読みかんたいけっせん
使っている艦娘長門Z1など
意味交戦国の主力艦隊同士が正面から激突し、相手戦力を壊滅させるまで戦うこと。「相手の海軍戦力を壊滅させることで継戦能力を奪い、戦争の決定打とする」ことが20世紀前半以前の先進国間の共通認識だった。第二次世界大戦までは艦隊決戦の主力は戦艦とされており、第二次大戦中も各国海軍はこぞって戦艦の建造・整備に傾注した。
日本海軍は日本海海戦での勝利を戦訓に連合艦隊を編成してきており、戦艦のみならず陸上機、駆逐艦、潜水艦までも艦隊決戦用の漸減戦力としていた。
一方、ドイツ海軍は準備不足のまま戦争に突入した為に艦隊決戦が困難になり、通商破壊戦に傾注していく事となる。
マレー沖海戦、ミッドウェー海戦などにおいて航空戦力のみで勝敗が決着したため、戦艦は艦隊決戦の主力から外れ、代わりに空母機動部隊が艦隊決戦の主力となっていく。
帰国子女
読みきこくしじょ
使っている艦娘金剛
意味学齢期頃に長期に外国で生活した後に本国(国籍のある国)へ帰国した者を指す語。
「帰国」と入っていることから、「本国で生まれて外国へ行って帰ってきた者」だけを指すと勘違いしている人も多いようだが、そんなことはなく、外国で生まれて本国へ来た者も含まれる。外国籍として外国で生まれ、本国へ来た後に国籍を変更した場合は「帰化」である。
帝国海軍から発注されて(=日本国籍)英国で生まれ、建造後日本へ来た金剛は帰国子女ということになる。もちろんこれは、擬人化したから「帰国子女」なのであって、帝国海軍が実際の金剛のことを帰国子女と呼んでいたわけではないと思われる。
現時点で艦これ実装艦では金剛が唯一の帰国子女である。初期の帝国海軍はほとんどの艦を外国の造船所で建造していたため、「帰国子女」の艦も多かった。
貴様
読みきさま
使っている艦娘那智初春など
意味現代ではかなり見下したニュアンスを感じる言葉だが、本来は文字通り「あなた様」を意味する敬称である。
海軍では、兵学校の同期生などが「イーブンな関係」であり「特に親しい間柄」であることを周囲に知らせる意味も含めて「貴様」という言葉を使っていて、可愛がっている部下に対しても使われる場合もあった。
兵学校生徒の友情と団結を歌った軍歌『同期の桜』でも「貴様と俺とは〜」と歌われているように、「貴様」を使うことは信頼の証でもあった。
ただ、元々は武士やその子孫の士族が使う言葉で、一般民には元々馴染みのない言葉であった。
それが徴兵制であった戦前戦中に軍隊で広く使われたため、しごかれる対象である徴集兵を呼ぶ言葉というイメージが、この言葉に馴染みがなく本来の意味を知らなかった一般世間に広く流布してしまい、現代のようなニュアンスになったと言われる。
海軍は薩摩閥だったので薩摩弁の「貴様(きさん)」が語源になっているという。ちなみに長州閥を母体とする陸軍では「貴公」を使うことが多い。
ゲームにおいて那智と木曾は戦友を呼ぶような気安さで用いているが、菊月は敵に対する罵倒の意味で使っている。
現代の言葉では「お前(気さくな意味でも、相手をけなす意味でも使われる)」に近いかもしれない。
艤装
読みぎそう
使っている艦娘加古長門など
意味船の場合、船体を造って進水させた後に機関や兵装、室内外の各種装備などを船体に取り付ける工程・作業のこと、及びここで取り付けた装備のことを指す。
艦これにおいては、艦娘が背中に背負うなどしている兵装・機関のことを「艤装」と呼んでいるようである。
進水直後の艦はいわば「ただ浮くことができる状態」であり、進水の後も数か月〜数年かけて艤装が行われる。
艤装が終われば造船会社の手を離れ、艦籍に入ることとなる。艤装が終わることを「竣工」と呼び、艦籍に入ることを「就役」と呼ぶ。
軍の艦船の場合、竣工と共に艦籍に入ることになるため、「竣工・就役」は同日になるので「竣工・就役」と呼ばれるが、一般的に「就役」と呼ばれることが多い。
建造工程は、「起工(日)」→「進水(日)」→「就役(日)」となり、艦(船)や艦娘も進水日が誕生日となる。
余談だが、軍の事務の手続き上、就役日はある程度まとめられることが多く、同型艦の近い子は就役日が同じだったりする。
吉川艦長
読みきっかわかんちょう
使っている艦娘夕立改二
意味広島県広島市出身の日本軍人、吉川潔(きっかわきよし)氏のこと。
駆逐艦長月の水雷長を始めとして、春風、弥生、山風、江風、大潮、夕立、大波、と駆逐艦長を務め上げた駆逐艦乗り。
第三次ソロモン海戦では日米共に艦隊が混乱する中、春雨と共に米艦隊に突っ込んで米艦隊の混乱を拡大させた。
更に米艦隊を通過した後は、反転して今度は単艦で突撃。
砲術長に「どんどん撃て」という海軍には存在しない号令をかけ手当たり次第に撃ちまくり、海戦史に残る大乱闘を引き起こした。
第三次ソロモン海戦後は功績により海軍兵学校の教官職を命じられるが、前線勤務を望み拒否。
後に望みどおり大波の艦長としてソロモン海に帰ってきたが、セント・ジョージ岬海戦にて電探による先制攻撃を受け轟沈。
「艦長が艦と運命を共にするなんて馬鹿げてる」と普段から公言していた吉川艦長が、皮肉にも艦と運命を共にすることとなってしまった。
戦死後、その功績から駆逐艦長としては唯一の二階級特進により少将となった。

海軍兵学校を志望するも身長と胸囲不足により不合格となったため、器械体操と積荷作業で身体を鍛えあげ翌年見事合格を果たしたり(夕立放置時の「もっともっと鍛えなきゃ!」)、第三次ソロモン海戦で行動不能になった夕立をハンモックで帆を張り動かそうとしたり(夕立改二の艤装と小破時の「ハンモックを張ってでも、戦うよ!」)、夕立の台詞や立ち絵の多くに吉川艦長のエピソードが使われている。
帰投
読みきとう
使っている艦娘多数
意味艦船や航空機その他が基地に戻ること。「帰港投錨」の略であり、立派な海軍用語である。
「帰港」とあるように、元々は艦船が港に戻ることを言っていたらしい。
陸軍はこの語を使っていないはず
機動部隊
読みきどうぶたい
使っている艦娘空母系艦娘多数
意味航空母艦を基幹とする、航空打撃力を発揮するための艦隊。航空母艦を中心として、これを護衛・支援する戦艦・巡洋艦・駆逐艦等で構成される。
陸上の航空部隊では攻撃可能な範囲は基地から一定の距離内に限られるのに対し、機動部隊は遥か遠方の敵勢力範囲まで進出し、空母艦上機による敵陸上基地の攻撃、敵艦隊の撃滅、上陸部隊の支援等を行える。
この戦術に早くから目を付け、研究熱心だったのが他ならぬ日本海軍である。そして研究の末、恐ろしい結論にたどり着く。

「空母と艦載機があれば全ての水上艦を一方的に沈められるし、陸上攻撃でも比類なき破壊力がある。じゃあ空母だけあればいいんじゃね?

…航空主兵論の誕生である。
第二次大戦前、空母が実用化された当初、航空機はあくまで偵察等の補助戦力と考えられていた。しかし航空機の著しい発達の結果、いざ開戦してみると真珠湾・マレー沖を皮切りに、太平洋戦線は航空機による戦争となったのは歴史が示す通り。
かくして太平洋戦争では日米ともに世界屈指の機動部隊を擁し、機動部隊同士の衝突も度々発生。これは勿論、世界の海戦の最先端をゆく戦いだったのだが、防諜や空母のダメコン、更には搭乗員の育成システムや諸々の生産力に劣る日本は敗北*28。ここら辺、ヨーロッパ戦線にて世界初の機甲師団で列強を驚かせたドイツが、最後はソ連の機甲師団に踏み潰された顛末と重なると言える。
戦後はアメリカが砲艦外交の一環として原子力空母による機動部隊を複数展開し、世界最強の海軍として君臨している他、イギリスも軽空母を基幹とした機動部隊を保有。
現在の海上自衛隊についてはDDHを見ると良い。
牛缶
読みぎゅうかん
使っている艦娘秋雲秋月改
意味牛肉大和煮の缶詰のこと。
缶詰は保存が効くことから、戦前は軍需が需要の中心であり、特に牛肉大和煮の缶詰(牛缶)は人気が高かった。
なお、運営の中の人ことC2機関が製作した同人誌「こんな日には缶詰あけよ。vol.2」の中で、どう見ても私服の赤城さんにしか見えない「大和煮さん」(牛缶の「缶娘」)が、熱々の白飯と牛缶の組み合わせを大絶賛し、装備換装(おかわり)を要求している。
給糧艦
読みきゅうりょうかん
使っている艦娘伊58「間宮」、夕張「間宮」
意味艦艇や前線基地に食料などを補給する船。給糧艦「間宮」は中に冷蔵庫、食物加工工場などがあり、内部で軍属のプロ職人による羊羹、最中、アイスクリーム、ラムネなどが生産されていたため、艦艇の将兵から大人気であった。帝国海軍の下士官兵にとって給糧艦の護衛任務は艦隊決戦よりも優先されたとか。事実4隻建造された給糧艦「杵崎」型*29は3隻が無事に終戦を迎えている。また人気の給糧艦が撃沈された時は全軍がお通夜状態だったなどという話もある。
余談だが、現在は、給糧艦・給油艦・給炭艦・給兵艦等の機能を併せ持つ補給艦(AOE)「とわだ型」・「ましゅう型」計5隻が就役しており第一海上補給隊として「横須賀・佐世保・舞鶴・呉」の4港に分散配備されている。
ちなみにましゅう型は全長221m・基準13500t・満載25000tと、海上自衛隊ではいずも型に次いで2番めに大きい。
夾叉(挟叉)
読みきょうさ
使っている艦娘那智大和
意味こちらが斉射した複数の砲弾が、敵艦を前後か左右に挟む形で着弾すること。那智などは砲弾が外れた際に言っているが、本来は命中の有無は関係なく前記の状態であれば使用できる。
当時の中〜遠距離砲撃は公算射撃と言って、砲弾の散らばる範囲内(散布界)に敵艦を捕捉して常に夾叉を維持出来れば、いずれは夾叉弾の中から命中を得られるという、いわば確率に則ったものだった。
そこで夾叉したということは、命中は逃したが、既に標的(敵艦)を砲の散布界に捉えている(≒照準が合っている)、という状態を意味する。
簡単に言えば、「弾ブレで命中しなかった」だけで、照準は合っているのでこのまま調整して撃ち続ければいずれ命中弾が出る、という状況。
ゲームのシステム上に関係するものではない。
魚雷
読みぎょらい
使っている艦娘吹雪など他多数
意味魚形水雷の略。内蔵動力により水中を自力で進む水雷(水中爆弾)のこと。
開発者はイギリス人技術者でオーストリアのフィウーメに会社を構えていた町工場の経営者ロバート・ホワイトヘッド。オーストリアはこの新兵器に資金を投入するとともにその研究にも力をいれる。その中で研究熱心だったある海軍士官とホワイトヘッドの孫娘が結ばれ、2男5女の子宝に恵まれる。しかし妻は若くして死去。海軍士官は1人の修道女を家庭教師の名目で雇うことにする。彼女の名は「マリア」、海軍士官の名は「ゲオルグ・フォン・トラップ」。後にミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」で有名になるトラップ・ファミリーである。
喫水下(艦船の水面下の部分)への攻撃は多量の浸水による大被害が期待できる上、水圧により爆圧が拡散せず一点に集中するため、少量の爆薬でも凄まじい破壊力を発揮することができた。
当たれば戦艦でもタダでは済まない強烈な威力ながら、強力な大砲に比べると重量が軽く収まるため、駆逐艦や潜水艦などの小型艦艇に搭載されている事が多い。航空機搭載用にも短射程ながら大幅に軽量化されたものが使用されていた。
水雷戦隊の魚雷による敵主力艦のジャイアントキリングは日本海軍の夢だった。その夢を最大の形で叶えてしまったのは扶桑を撃沈した合衆国海軍第10駆逐艦隊だけど
太平洋戦争当時の魚雷は、深度調整と単純なジャイロ誘導程度の機能しかなく、現代のような自動追尾は出来ない(なので潜行中の潜水艦への攻撃はほぼ不可能)。真っ直ぐ進んでくれないものも多々あった(伊58が言う「お利口さん」な魚雷とはおそらく「真っ直ぐ進んでくれる魚雷」のことであろう)。当時の戦法では、ばらけるように何本も一度に撃ち放ち、どれか1本でも当たるのを期待するものであった。
なお、昔は「魚雷一本、家一軒」と言われるぐらい高価な代物であったため、演習時は爆発しない演習用弾頭(赤色)を装着し、本体部分を整備して実用弾頭(黒色)を取り付け再使用していた。
それでも魚雷は砲弾と違って再使用可能だったり、発射管は砲身と違って摩耗しないなど、費用が安く済むので、貧乏な日本にとってはその小型、破壊力と合わさって都合のいい武器であった。(日本が魚雷大国になったのもこれが理由と言われており、酸素魚雷もこれで生まれたと言われている。)
なお、有名すぎて日本海軍魚雷はすべて酸素魚雷と誤解されるが、睦月型や吹雪型、初春型は最初は八年式空気魚雷や九〇式空気魚雷を搭載し、九三式酸素魚雷を初搭載したのは白露型である。初春型は大戦開始期には換装されたと言われている。吹雪型のは大戦後期に換装した説があるが、それ以外の吹雪型や睦月型は沈んでいるのでもちろん換装されていない。(だから吹雪叢雲が酸素魚雷などと言うのは本当は間違いである。(吹雪改二?知らない子ですね
他には九一式航空魚雷、九五式酸素魚雷(潜水艦用)などが使用されている。
銀蝿
読みぎんばい
使っている艦娘夕張
意味文字通り食べ物に集る蠅のように、艦の烹炊所(ほうすいじょ)や食料庫から食料や嗜好品をちょろまかす行為のこと。
もちろん窃盗罪に当たる犯罪行為なのだが、仮に見つかっても罰直(鉄拳で殴られたりバットで尻をぶっ叩かれたり)で済む事が多く、大事(起訴・法的処罰)になる例は稀であった。
ちょっとやそっとであれば見て見ぬふりをしたり、逆に便宜をはかる主計官も多かったといい、良くも悪くも海軍の伝統文化的な面があった。
中には正式には提供されていないが隠語を用いて大っぴらに要求(ギンバイ)出来る物もあった「麦粉」(味の素−昔の缶には麦の絵があった)「コレハウマイ」(鰹節とゴマのふりかけ)「艦隊入港」(ツマ楊枝−入港すると奥さんとね)等々
ただ、当時の衛生状態を考えるに推奨しかねる行為であったことも事実である。
食料や嗜好品だけではなく、例えばある基地に故障機が不時着したら、その機体を後方に送れば修理可能にもかかわらず「全損」と報告し、部品取り機にしてしまう例なども多くあり、これは部隊ぐるみの銀蝿とも言える。
こういった話は日本だけでなく世界中の軍隊でも似通った話が回想録などで出てくる。
前線で戦う兵士にしてみたら、支給される食料やら物資が不足すれば士気は下がり、部隊や自身の命が危機に晒されるな場合もある。時には味方であっても掠め取って英気を養い、生き残ろうとする行為は半ば黙認するのが各国軍隊では暗黙の決まりだった。
まあそれにも限度があって日本軍でも度が過ぎて窃盗まがいになると犯罪であり、軍法会議ものであった。
戦艦陸奥の爆沈の原因として上がる1兵士の放火も、この兵士の窃盗紛いの銀蝿行為に査問委員会が開かれる事になり、自暴自棄になっての放火とされている。
「大空のサムライ」坂井三郎は銀蠅に失敗して士官にどつかれている部下を救うために発砲したことがあるそうな。軍法会議ものの行為だったが、坂井の腕を惜しんだ副長の小園安名によって穏便に処置された。
駆逐隊
読みくちくたい
使っている艦娘天津風ほか
意味帝国海軍の艦の編成単位の一つで、2〜4隻の駆逐艦で編成される部隊のこと。
各駆逐艦は通常、隊単位で水雷戦隊や航空戦隊に編成された。
性能を揃えるため同型艦で隊を編成するのが普通だが、長期の修理や沈没などで欠員が出た場合には、他の駆逐隊から別型艦が転籍する場合もあった。特に、多くの艦を失った大戦末期には、生き残った艦を寄せ集めて駆逐隊が編成された。
指揮官は「司令」と呼ばれ、通常は大佐か中佐が任命された。
(駆逐隊の一覧については別項にまとめました。)
敬礼
読みけいれい
使っている艦娘卯月
意味読んで字の如く、上官等に対して敬って礼をする事、敬礼に対して返す行為を答礼(とうれい)と言う。
日本軍では帽子を被っていない時には挙手の敬礼をする事は無く、敬礼の号令が掛かった時はお辞儀をするのだが、軍人では無い者が行っても特に批判されるような事ではない。
挙手の敬礼には以下の3通りがある。
「よーそろ型」  艦娘が行っているごく普通の敬礼で、海軍だからとて特にコンパクトにする決まりがあるわけではないが、狭い軍艦内の事でもあり海軍では肘を外に張り出さないよう、そして汚れた掌を相手に見せないようにするのが主流である
「猫招き型」  指を真っすぐ伸ばさずにコメカミの辺りにちょこんと当てる、後述の「はるかな型」も同様であるが、規律の厳しい場所や階級の高い者に対して出来る敬礼ではないが、古参の下士官や兵卒が同僚や部下への敬礼・答礼として行っており、海軍流に言うなら「色気の効いた」ものとして黙認されていた。多摩辺りはこっそりやっているに違いない。
「はるかな型」  指を直角ぐらいに折り、遠くを眺める時のような格好で帽子の庇の右前に添える敬礼で、これを出来る艦娘は現在6名に限られている。龍驤・木曾・暁・響・大潮・霰
轟沈
読みごうちん
使っている艦娘磯波羽黒菊月
意味被弾した艦船が短時間(概ね1分半、但し2分、3分、5分説もあり)のうちに沈没することを指し、単に沈没しただけではこの言葉を使用しない。
既にボロボロの状態で進撃しない限り絶対にロストしない仕様の艦これでは、轟沈には当てはまらない。
しかし元々定義が曖昧なこともあり、「華々しく勝利した」「壮絶な最期を遂げた」ことを演出するために轟沈ではない場合もあえて轟沈と表現するケースがよくあり、「軍艦が沈むこと=轟沈」であるという誤解を生んだ。
同じように、「撃沈」という言葉も誤って使われることが多々ある。
「撃沈」とはこちらの攻撃で敵を沈めたという意味で、「敵艦撃沈」とは言っても「味方艦撃沈」とは言わない。
事故や自沈ではなく、戦闘によって沈没したことを表すために「味方が撃沈された」のように受身として使う場合もある。
なお、戦中の映画にそのものズバリ、「轟沈」というタイトルの宣伝映画(インド洋での潜水艦による通商破壊活動を記録したもの)がある。
その映画の主題歌も「轟沈」という名前である。潜水艦乗りの生活をユーモラスに歌った歌で、広く国民に流行した。DAM や JOY SOUNDといった大手のカラオケでも配信されている。
なお、轟沈どころか文字通り大爆発して瞬時に沈む様が「爆沈」と表現されることもあるが、こちらは正式な定義のある用語ではないので念のため。
五航戦
読みごこうせん
使っている艦娘加賀翔鶴瑞鶴
意味「翔鶴」「瑞鶴」により構成された「第五航空戦隊」の略称。
昭和16年10月新編され、猛訓練の末真珠湾作戦に間に合ったことから一航戦などからは新兵扱いされていた。
とはいえ、他国に行けばアグレッサーとして通用するほどの技量を有していたとも言われている。それを新兵扱いできる一航戦マジチート。*30
珊瑚海海戦で米空母「レキシントン」を撃沈するなどの戦果を上げるが、「翔鶴」が大破し「瑞鶴」も艦載機に大被害を出したため、ミッドウェー海戦には参加できなかった。
ミッドウェー海戦後に「翔鶴」「瑞鶴」は第一航空戦隊として再編成され、以降終戦まで五航戦は空席のままだった。
さ行
至近弾
読みしきんだん
使っている艦娘日向雪風
意味砲弾や爆弾などが直撃せずすぐそばに着弾すること。直撃弾ではないからといって舐めてはいけない。至近で着水した砲弾や爆弾がさく裂すると、その破片が横殴りに散弾銃の様になって船体に襲い掛かり装甲の薄い艦だと側面装甲を突き抜けたり、甲板にいる機銃員などの乗員に襲いかかったりするのである。
至近弾により発生した火災が命取りになった「鈴谷」や、爆撃の至近弾による破孔からの浸水で着底してしまった「日向」など、状況によっては艦に重大な影響を及ぼすほど危険。「隼鷹」はマリアナ沖海戦で至近弾数発の破片が船体を側面から斜め上に抜けて飛行甲板を突き抜け、甲板が大根おろしの様にザラザラになり着艦不可能になってしまっている。
なお、日本海軍の九一式徹甲弾は、敵艦の手前に落ちた至近弾が、そのまま水面下を進んで敵艦の水面下部に直撃することを狙って開発されたものであった。
七面鳥
読みしちめんちょう
使っている艦娘瑞鶴大鳳龍鳳
意味ここでは未熟な艦載機搭乗員の揶揄。
アメリカにおいては七面鳥は代表的な家禽(家畜として飼われている鳥)であり、野生ではない家禽は容易に撃てることから、簡単に撃ち落とせることを意味するTurkey shoot(七面鳥撃ち)という言葉がアメリカにはある。
マリアナ沖海戦(主な海戦・作戦参照)の頃になると航空機の熟練搭乗員の不足が深刻となり、空母への着艦もできない錬度の低い未熟な搭乗員が多数戦闘への参加を強いられることになる。
これらの艦載機が十分な管制支援を受けた大量の米新型艦載機群に一方的に、それも七面鳥を撃ち落とす簡単な狩りのゲームのように次々と撃墜させられるという意味で、アメリカ側乗員から「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄されることになる。
ただし実際のところ、散々に落とされたのは会敵に失敗してマリアナに引き揚げようとしたところを米軍戦闘機に送り狼されたケースが大半という説もあり、さらに言えば出撃した日本軍機の半数以上は航法を誤って米艦隊と遭遇できなかったどころか、マリアナにも辿り着けずに遭難して未帰還となったという話も……(涙)
次発装填
読みじはつそうてん
使っている艦娘神通
意味魚雷発射管に予備の魚雷を装填すること。
大型兵器である魚雷(93式酸素魚雷で一発2700kg)を発射管に装填することは悪天候下では困難な作業であり、不確実であった。
だが、日本海軍の初春型駆逐艦以降の艦船は次発装填装置を装備しており素早く予備の魚雷を装填することができた。
次発装填装置を搭載した艦は再装填に所要する時間は3分半前後。在来型では十数分〜数十分かかることもある。
なので、あいつら魚雷撃って逃げやがったもう安心だ、と思ってたら戻ってきて殺られた、なんて例もある(コロンバンガラ沖海戦)。
例えば「陽炎型」などの甲型駆逐艦は四連装発射管2基8門を装備しているが、次発装填装置内に予備魚雷8本を搭載しているので、合計16本の魚雷を持っていることになる。
しかし、あくまで次発装填装置は予備魚雷を有効活用するためのものであり、用兵側にとっては最初から魚雷が発射管に入っておりいつでも使用可能な状態にある事が望ましいとされていた。
このため、高速駆逐艦として船体の大型化が可能だった島風では五連装発射管3基15射線を搭載し、次発装填装置は装備しなかった。
なお潜水艦の場合、2発目は発射管のすぐ後ろに配置されているので素早く装填できる(3発目以降は狭い艦内で動かすので大変な手間がかかるため、1回の戦闘で発射できるのは2発まで)。
シフト配置
読み-はいち
使っている艦娘Z1
意味船の移動に必要な機関(ボイラーやタービン)の艦内への配備方法の1つ。
初めて近代軍艦に投入したのは1920年代のフランス海軍と言われている(諸説あり)ので少なくともドイツのみの技術ではない。
そもそも艦を動かすにはボイラーで起こした熱を使いタービンで全てのスクリューを回す方法が20世紀初頭より主流であった、しかし2つの大きな部屋を隣接させる必要があり、どちらかの部屋に浸水した時点で機関がほぼ動かなくなるといった欠点があったので、その防御策がどの国の海軍にとっても課題であった。
シフト配置はボイラー室とタービン室を2つずつに分けて艦首方向から交互に配置、1ぺアにつき半分のスクリューを担当させることにより片方のペアがやられてももう片方のペアが生きている限り機能するという画期的な配置方法であった。
左右のバランスがやや悪くなって少しクセのある動きになったり、パーツ数が増えコストがかさむといった欠点があったが、ドイツ軍やアメリカ軍はこれを積極的に採用し艦艇の生存率をかなり上げている。
アメリカ軍が早期からシフト配置を採用したのは、超ド級戦艦の設計をする段階になって、日英の戦艦に合わせて武装と装甲を強化しようとすると、当時のパナマ運河の通過に支障をきたしたからである(パナマックス)。よく大和型がらみで全幅の件について言われがちだが、人工運河やガトゥーン湖は当然外海よりも浅く喫水も問題であった。この為純粋に装甲で固めるのを諦めて、搦め手で生存性を高めようとしたのである。
一方そんな制限の無い日本は、喫水にかかわる水線下でも充分装甲させる事が可能で、防御区画を狭くして装甲全体の重さを減らすべく集中配置がとられたのである。
日本でも大戦末期の最終生産型の松型駆逐艦ではシフト配置を用いたが、他で手を抜いても簡単に沈まないようにするためのやはり絡め手であった。
ちなみに現代の艦のほとんどはこのシフト配置であるが、当然原子力艦は例外である。
余談であるが某軍艦の設計が可能なゲームにおいて重要なキーワードの1つでもあり、採用すると耐久性が少し上がるので恩恵を受けている提督も少なくないとか。
主砲
読みしゅほう
使っている艦娘戦艦等多数
意味文字通り主たる大砲、その艦の一番口径の大きい砲の事で、海軍軍縮条約等では主砲の大きさで艦種の区別がなされていた。
8インチ(20.3cm)を越えると戦艦、6.1インチ(15.5cm)を越えると重巡(一等巡洋艦)、5インチ(12.7cm)を越えると軽巡(二等巡洋艦)、それ以下が駆逐艦と分類される。
そこで例外になるのが最上型・利根型重巡洋艦である。最上型と利根型は、当初15.5cm砲搭載の軽巡洋艦として設計されていた。最上型は竣工後に、利根型は建造途中で20,3cm砲に変更されて事実上の重巡となったが、日本海軍の分類上は最期まで二等巡洋艦(軽巡)であった。
軍縮条約下に無かった大淀は1万t級で主砲が15.5cm砲、夕張は駆逐艦程度の排水量でも主砲が14cmなので軽巡(二等巡洋艦)として扱っている。
改装後の赤城や加賀の主砲が20cm砲なのも条約によるものである。
巡洋戦艦
読みじゅんようせんかん
使っている艦娘比叡榛名
意味装甲巡洋艦から発展した艦種。
優れた高速性と戦艦と同等の火力を有したが、防御面では戦艦に劣った。
大日本帝国海軍の金剛型(改装後の艦種名は戦艦)はその使い勝手のよさから数多くの戦いに投入された。
英語では「Battle Cruiser」と呼んでいる通り、本来は「戦艦並みの攻撃力を持った巡洋艦」なのであって「巡洋艦並みの速度が出る戦艦」ではない。
しかし、ユトランド沖海戦以降の防御力の強化による速力の低下や、軍縮条約破棄後に登場した新戦艦(高速戦艦)により、次第に巡洋戦艦としての特徴や優位性を失っていった。
余談だが、上記の高速戦艦というのは元々第一次世界大戦頃に提唱されたもので、その区分から言えば「長門型(ポスト・ユトランド世代)」「大和型(条約明け世代)」も高速戦艦となったりする。
ちなみに、金剛型の紹介文などで巡洋戦艦/高速戦艦と書かれていることがあるので2つの艦種を誤解している提督方もおられるだろうが、巡洋戦艦は前述の通り「戦艦並みの攻撃力(砲)を持っている{巡洋艦}」だが、高速戦艦は「従来の戦艦よりも高速を出すことの出来る{戦艦}」の事を指す。
そもそも、戦艦とは戦闘艦の中で最大の攻撃力(砲)を持ち、なおかつその砲に耐えることの出来る装甲を持った艦種のことを指す。この装甲が最大の重量元となり、当時の機関では20ノット位しか出すことが出来ず、使い勝手の悪いものであった、「なら巡洋艦に戦艦並みの砲をもたせ装甲は巡洋艦ほどにすれば30ノット以上出すことができるし最強じゃね?」と作られたのが「巡洋戦艦(戦闘巡洋艦)」である。
後に機関の技術が発達し、戦艦のままでも25ノット以上出すことが出来るようになりそれらの艦が「高速戦艦」と呼ばれるようになった。金剛型は当初巡洋戦艦として竣工し、前述のユトランド沖海戦の教訓を踏まえ防御力強化をした結果、戦艦に艦種変更をし、更に機関を換装し30ノットを超える高速戦艦となったのでどちらでも正しいが、艦これに登場する金剛型は機関換装を終えた状態と思われるので巡洋戦艦は誤りである。
余談だが、巡洋戦艦は艦種として存在するが、高速戦艦はどこの国の艦種にも存在しないので所詮通称である。
水上機
読みすいじょうき
使っている艦娘木曾
意味水面に浮いて滑走することで離着水が出来る航空機。なかでも、フロートによって機体を支えるフロート水上機を指す。
映画「紅の豚」に登場するドナルド・カーチス(最後に主人公と一騎打ちした人)が操縦する飛行機がそれである。
九八式水上偵察機(夜偵)のように胴体と着水浮力を稼ぐ部分が同一の形態は"飛行艇(Flying boat)"と呼ばれ、水上機とは区別されることが多い。
空母と違い滑走用の甲板が要らないので、直接着艦するスペースのない、空母以外の船でも哨戒・索敵をするために搭載可能である。
また、滑走路設営能力に劣っていても波の穏やかな湾があれば基地とすることが可能で迅速に戦力を展開できる。
軍縮条約下、仮想敵国である米国に対し空母戦力に劣る日本海軍は、水上機の開発運用に熱心で、各国の水準を超える高性能機を数多く送り出した。
その一方、水上機は離着水に波の穏やかな水面が必要という制限も抱えており、外洋上で着水・回収するには艦隊を円く航行させて航跡で波を打ち消す事が不可欠だった。この時の事故も多いため、日本海軍は再出撃の多い索敵を空母機に任せ、"艦爆と協働して先制で敵空母の甲板を潰す"為の水上爆撃機を待望するようになる。
なお瑞雲は水上機の最高傑作と言ってよいマルチロール機(多用途機)であり、ゲーム中でも航空機に係る殆どすべてをこなすことが出来る立場にある。*31
(丁字不利率低下のような特殊能力は除く)
これらの伝統を引き継いだのか、ヘリコプターが幅を利かせている21世紀の現在でも日本は世界的な水上機大国である。
余談だが、旧海軍では、航空母艦に搭載される航空機を「艦上機」と称して水上機等と区別していたが、艦上機・水上機も含めて艦艇に搭載・運用される機体を総称として「艦載機」と呼んでおり、空母機を水上機と同様に艦載機と呼んでも差し支えない。
正規空母
読みせいきくうぼ
使っている艦娘祥鳳
意味時代や国によって用法が非常に曖昧な言葉。
現代では概ね、軽空母との対義語という用法になっていて、艦これ世界でもほぼこれを踏襲し「大型・高速の空母」を表す区分になっている。
日本海軍では、正規空母とは「最初から空母として計画/建造された艦」を指し、他艦種から改造された空母との対義語として使われていた。
つまり、艦の大小や能力の多少による分類ではなく、艦の出自・構造によって分類されていたのである。
よって、艦これでは軽空母である「鳳翔」「龍驤」は本来「正規空母」である。
逆に、艦これで正規空母となっている「赤城」と「加賀」は、海軍では「改装空母」として類別されていた。
他にも「祥鳳型」「千歳型」など「他種の軍艦から改装された空母」が「改装空母」であり、「飛鷹型」等のように「軍艦ではない商船などから改装された空母」は「特設空母」というように区別していた。*32軍艦と商船では船体の構造が全く違い、建造上でも運用上でも差異が出るからという観点でこのような区別がなされていた。
なお、日本海軍の艦籍には「軽空母」なるものは存在せず、空母黎明期の「若宮」を除き、全通飛行甲板を備えた艦の分類は大小を問わずすべて「航空母艦」であった。
諸外国もほぼ同じであるが、戦艦や巡洋戦艦からの改造は正規空母扱いになったり、「飛鷹型」のように大きければ正規空母扱いになったり(「飛鷹型」は飛龍よりも大型)、小型のものは空母として建造されても正規空母でなかったりと、国や時代でグチャグチャである。
ただあくまでも第二次大戦期の日本海軍では上記のような区分であるので間違いのないように。
現代についてはDDHを参照
斉射
使っている艦娘長門比叡霧島妙高伊勢改大和
読みせいしゃ
意味戦艦主砲を砲塔ごとにバラバラに撃つのではなく、ある目標に全砲塔で向きや仰俯角などを合わせて一斉に発射すること。
着弾観測がしやすいため、その後の照準修正が楽になる。
アメリカなどでは全砲門を一度に発射していたが、1930年代以前の日本海軍では水圧機の問題から片舷ずつ交互に撃っていた(交互射撃)。
最初に斉射の有用性を見出したのはイギリスだが、初めて実戦で斉射を採用したのは日露戦争時の帝国海軍である。
その際に有用性は確かなものと確認され、この戦法を主眼とした革新的な戦艦「ドレッドノート」の開発へと繋がった。

なお旧海軍としては、繰り返しになるが「斉射」とはあくまで複数の砲塔を一斉に射撃することを指し、例えば金剛型では4門の右砲だけを一斉発射しても「斉射」となる。一方で8門全ての砲を一斉発射することを「斉発」と呼んだ。ただし、「斉発」は「斉射」の中の狭い概念にすぎないので、全砲の一斉射撃を「斉射」と呼んでも誤りではない。砲撃用語上は長らく交互射撃を全砲塔で行うことを「一斉打方」、全ての砲を一斉発射することを「斉発打方」としていたが、昭和12年の「艦砲射撃教範」改訂に伴って「一斉打方」は全ての砲を一斉射撃することに意味が変わり、新たに交互射撃を行う「交互打方」が新設された。
潜水母艦
読みせんすいぼかん
使っている艦娘祥鳳瑞鳳大鯨
意味潜水艦に物資を補給したり、乗員の休息をするための艦艇。旗艦設備も充実し、潜水戦隊旗艦となることもあった。
後々軽空母に改造できるように設計された潜水母艦もあり、剣崎型(後の祥鳳・瑞鳳)や大鯨がそれに当てはまる。
字面だとややこしいが、要は「潜水艦のための補給艦」であって、「潜水する母艦」ではないので注意。海外の極一部の艦をのぞき、潜水母艦は水上艦艇である。
なお、似た言葉として潜水空母(艦これでは「伊19改」「伊58改」「伊8改」「伊401」が該当)がある。
ゲームでは潜水空母を「潜母」と略されているが、そもそも帝国海軍に「潜水空母」なる艦種は存在しないので、通常は潜母というと潜水母艦の略である。
なので他所で使うと全く別物の意味になるので注意。
戦時急造艦
読みせんじきゅうぞうかん
使っている艦娘雲龍
意味戦時下で大量の艦を確保する為に、建造期間を可能な限り短縮して建造された艦の事。日本では雲龍型空母、改雲龍型空母、松型駆逐艦(未実装)、秋月型駆逐艦などがこれに該当する。
急造艦というと粗製乱造のイメージがついて回るが、雲龍型と秋月型は元々量産を前提に設計された艦では無く、雲龍型では3番艦以降、秋月型では6番艦以降になると量産に対応する為に一部の設計が変更され、工期を短縮する為に簡略化が行われている。無駄を省いて合理性を追求した結果、従来型より抗堪性やダメージコントロールに優れている場合が多い。中にはイギリスのコロッサス級空母のように、2000年代まで使用された艦も存在する。
ちなみに、アメリカの「月刊正規空母」エセックス級や「週間護衛空母」カサブランカ級も戦時急造艦の範疇に含まれる。また、米国の場合は戦艦を含めて最初から可能な限り量産に配慮した設計が行われていた。*33どこが急造品だ
戦闘配食
読みせんとうはいしょく
使っている艦娘雲龍改秋月改
意味艦乗組員が戦闘中に食べる食事。この時ばかりは兵卒から艦長まで、同じ食事で済ませて次の戦闘に備える。
具体的には、立ったままでもさっと食べられて、且つ余計な洗い物は出さないよう、一人2,3個のおにぎりが配られる*34。汁物は無し、副食は大抵が沢庵、まれに士気向上の為か牛缶が出たようである*35
用意するのはもちろん烹炊員(厨房勤務)だが、駆逐艦でも数百個、大型艦なら千を優に超える数を握らなければならない。軍手を塩水に浸して握るのだが、それでも握り終わるころには熱々のコメで手が真っ赤。
その為、熟練した烹炊員の中には2つ合わせた茶碗の中でご飯を転がして、おにぎりを作るものもいたという。
しかも、これを食べる各乗員は殆ど配置を離れられないため、握ると同時に艦内各所のあらゆる所へ食事を届けて回る必要がある。これには烹炊以外も主計科総動員となり、まさに主計の戦争となる。
ミッドウェー海戦の時の霧島では炊き込みご飯のおにぎりが出たとのこと*36、冷蔵肉か大和煮の缶詰かは不明であるが、缶詰の場合は味付けの手間や漬物を省ける利点もあったのだろう。
真珠湾攻撃の時の瑞鶴の食事は、朝食(おにぎり、蒸したベーコン、きんぴらごぼう、味付け昆布、古漬沢庵)、昼食(おにぎり、おでん(牛肉、里芋、大根)、新漬沢庵)、夕食(弁当(内容不明、赤飯か巻寿司か稲荷寿司の可能性が高い)、煮込み(豚肉、馬鈴薯、大根、人参)、梅漬)、夜食(乾パンと、)であった。なお、搭乗員の弁当は出撃時に鉄火巻、卵焼き、煮しめ(大根、人参、松茸)、りんご、紅茶、ビタミン剤、帰投時にビタミン剤、コーヒー牛乳、サイダーであった。*37美味いものが飲めずに戦死したら大変だと往路で飲み物を飲んでしまい、帰路、喉が渇いたままで戻ってきた搭乗員もいたそうだ。
搭乗員の弁当には唾液が出やすいように巻きずしや稲荷寿司がよく供された。稲荷寿司や赤飯の缶詰もあったくらいだ。
さらに多忙になったり、荒天時や烹炊所(厨房)が被弾して使用不能になったときは、乾パンにお茶もしくは水という時もある。軍艦商船問わず、船乗りに乾パンは万国共通である。
搭乗員が弁当を所持しえない時や食事の追加として乾パンに梅、昆布、かつお節、チョコレート、塩、砂糖などが入った箱詰めの機上応急食(今でいうレーションのようなもの)*38を弁当代わりにしたそうである。
修羅場になると、そのへんに味方の手足や内臓が転がっている中で、血と油でどろどろになった手で握り飯を食べるというのも、海軍兵のたしなみの一つだった。(陸軍かつ時代は異なるが映画「二〇三高地」で五目飯と思って食べたものが実は…というシーンがある)
た行
田中少将
読みたなかしょうしょう
使っている艦娘長波
意味開戦前〜ガ島ドラム缶輸送作戦の頃までの第二水雷戦隊司令官・田中頼三(たなからいぞう)少将の事。駆逐艦8隻で重巡4隻含む艦隊を破ったことで米国での評価は非常に高い。その後は駆逐艦による輸送作戦に反対していたため更迭され、それから洋上で戦う機会を与えられることはついになかった。米国が一目置くほどの闘将は、他でもない味方の手によって洋上で戦う機会を奪われたのである。
反面、日本ではスラバヤ沖海戦で旗艦神通が真っ先に離脱した件や第三次ソロモン海戦での無謀な強硬揚陸*39、そしてルンガ沖夜戦でも旗艦長波は予備魚雷を残したまま離脱したと非難された。そもそも海軍の作戦方針である鼠輸送自体に批判的だったこともあり、最終的に更迭された。少なくとも当時は良い評価はされていない。
現代でも見る人によって評価が驚くほど変わる人物の一人である。評価する人間の立場によって大きく評価が変わるという好例であろう。
多聞丸
読みたもんまる
使っている艦娘飛龍五十鈴「山口提督」
意味二航戦(第二航空戦隊)司令官山口多聞少将の事。山本五十六長官の後任と目されていた、とも言われる指揮官。ミッドウェー海戦において戦死。
あまりにも苛烈な訓練を部下に課したために事故が頻発し「人殺し多聞」「気違い多聞」などと散々に言われていたが、真珠湾攻撃で彼の二航戦が航続力不足を理由に外されるという案を聞いた時、「置いて行かれては(厳しい訓練に耐えた)部下に顔向け出来ない」として出撃を訴えている。
戦死の報を聞いた多聞より先輩であった角田覚治少将は「彼の下でなら、喜んで一武将として戦ったのに」とその死を惜しんでいる。
(皮肉にも多聞の死後二航戦を率いたのは角田である)
一部には「アメリカ海軍が山本五十六を暗殺した際(海軍甲事件)、山本五十六の代わりとなる提督は山口多聞だけであるが既に戦死しているので問題はない、と暗殺の許可が下りた」という逸話も残る(むろん創作であり、アメリカ海軍にはそうした認識はなかった)。
なお、多聞という名は南北朝時代の名将楠木正成の幼名である多聞丸から取られている*40
なお、ミッドウェー海戦において、敵空母発見の報告の際に「即時攻撃の要有りと認む」との意見具申を南雲長官に行ったとき、彼の二航戦も即時攻撃できる状態ではなかったことが近年の研究で判明している。
第四艦隊事件
読みだいよんかんたいじけん
使っている艦娘龍驤
意味1935年(昭和10年)9月26日、大演習に向かっていた第四艦隊が台風に遭遇。
想定外の大波浪を受け、「初雪」「夕霧」は艦首切断、「睦月」「龍驤」は艦橋圧壊or半壊、他の艦も甲板や船体が歪む(中には切断寸前のものも)など大惨事に。
この事件や前年に起きた水雷艇の転覆事故「友鶴事件」などを機に当時の艦船の強度不足や構造の脆さも浮き彫りとなり、全面的な補強改修が施された。
その甲斐あってか、戦中の日本海軍では波浪による重大な事件は起きていない。一方米海軍では台風などで大損害を出してたりする。
なお本件は友鶴事件と共に、科学技術振興機構(JST)のまとめた失敗知識データベース「失敗百選」に選ばれている。(友鶴事件/第四艦隊事件)
超弩級
読みちょうどきゅう
使っている艦娘扶桑伊勢
意味そもそも超弩級の前に、弩級とは「一夜にしてすべての戦艦を旧式化させた」と言われたイギリスの戦艦「ドレッドノート(Dreadnought)」*41に由来する。12インチ主砲10門(但し片舷指向8門)の主砲火力は既存戦艦の倍、さらに速力も当時の戦艦が18ノット程度のところを21ノットも出せるという革命的存在だった。
それまでの艦隊戦は「近づいて小口径砲で砲座を破壊し、大口径砲でとどめを刺す」という戦法が基本であった。
それに対し「遠距離から多数の大口径砲の斉射で倒す」という戦法を主眼としたドレッドノートはまさに革新的な戦艦で、世界を震撼させたのである。
超弩級は弩級を超えている意を持ち、狭義には13.5インチ主砲10門を実現したオライオン級以降を指していう言葉である。
今では「スゴイ」という意味合いで何にでも付く形容詞になったが、本来の意味からは離れてしまった気がしないでもない。
ちなみに、ドレッドノートの登場を受けて、各国がこれを超える戦艦の建造に熱中したために、ドレッドノート自身は早々に陳腐化してしまい、実戦であげた戦果は潜水艦1隻撃沈(しかも体当たり*42)のみというなんとも言えない落ちが付いている。*43
ドレッドノート以前の戦艦は「前弩級」と呼び、有名なところでは三笠やクニャージ・スヴォーロフ、ロイヤル・サブリンなどがある。
なお、「弩」は「ド」の宛て字であるが、「弩」とは飛距離・貫通力に優れた大弓のことであり、その意味をふまえてこの字を選んだものと思われる。
通商破壊
読みつうしょうはかい
使っている艦娘Z1
意味敵国の商船の撃沈・航路の封鎖等により海運を妨害し、物資の輸送を滞らせること。これへの防御が「海上護衛」。
近代海軍は通商破壊・海上護衛のいずれかあるいは両方のために存在すると言っても過言ではない。これらは旧日本海軍でも研究されたが国力などの関係から正面戦力の整備が優先された。
海軍弱国であるドイツは通商破壊を特に重視しており、Uボートを使用した大規模な通商破壊戦である「大西洋の戦い」が有名なほか、戦艦ビスマルクをはじめとした水上艦も通商破壊に投入された。
てー
読み-
使っている艦娘長門由良綾波川内香取呂500
意味「撃て」という掛け声。
「うてー」ではなく「てー」という理由は色々あるが、
(1)「う」は戦場(特に海上)では聞き取りづらい
(2)普段から「うてー」と言っていると、「撃つな」と言おうとしたのに「う」で発砲してしまう恐れがある
(3)「う」の時点では「撃て」なのか「撃つな」なのか「うーん」なのかわからず、次を待たなければならず、撃つタイミングを逃してしまう
なお、実際の射撃指示は現場の指揮官が行うものであり、艦長や司令などは「てー」とは言わない。上官の「右砲戦」「左砲戦」の号令指示が末端まで伝わって、現場の指揮官の「てー」で射撃する。
敵艦見ゆ
読みてきかんみ -
使っている艦娘敷波名取大淀
意味文字通り「敵艦を発見した」の意。敵艦を発見した際普遍的に使われるが、特に日露戦争で仮装巡洋艦「信濃丸」から発信された電信を指す。
この通信を受けた「三笠」以下連合艦隊が迎撃のため出港した結果何をもたらしたか、提督諸氏はよくご存じだろう。
日本無線史上最も重要な通信のひとつとして知られている。
特型駆逐艦
読みとくがたくちくかん
使っている艦娘吹雪型、綾波型、
意味ワシントン条約制限下で設計された、世界中を驚愕させたクラスを超えた駆逐艦、それが特型駆逐艦です!
全24隻(艦これに出ているのは16隻)が造られ初期型の「吹雪型」(特I型・10隻)、特I型を少し大型にして主砲を別の物に変更した「綾波型」(特II型・10隻)
そして前2タイプのいいところを残しつつ小型化したのが「暁型」(特III型・4隻)である。
特型駆逐艦を総称して「吹雪型」とも呼ばれることがあるので、一応全員親族ということになるが、その中で最後まで生き残ったのは「潮」「響」の2隻であった。
○○殿
読み(人名+)どの
使っている艦娘あきつ丸
意味敬称の一つ。
海軍においては名前の後ろに役職をつけて呼ぶ事自体が敬称であるため、相手が目上の場合でも、階級もしくは役職をつけて呼ぶ場合は敬称をつけなかったが、陸軍はたとえひとつでも階級が上なら必ず殿をつけて呼ぶようになっていた。
友永隊
読みともながたい
使っている艦娘飛龍
意味ミッドウェー海戦時の南雲機動部隊の攻撃隊を指す。ミッドウェー爆撃と、飛龍による米空母ヨークタウンへの第二派攻撃のいずれも、指揮官が飛龍艦攻隊長友永丈市大尉だったことからこう呼ばれる。
本来、南雲機動部隊の攻撃隊長は淵田美津雄中佐だったが、淵田中佐は盲腸手術のため友永大尉が代役の隊長となった。
ミッドウェー島を爆撃した友永大尉は、爆撃効果不十分という意味の暗号電文「カワ・カワ・カワ」を発信した。この報告もあり、機動部隊では雷爆装転換作業を始めることになる。
その後、ただ一隻残った飛龍から発進した友永隊は、先に発進した小林大尉の艦爆隊に続いてヨークタウンを攻撃、魚雷2本を命中させてこれを大破させた。
ただし、この時隊長である友永丈市大尉本人は、燃料タンクに被弾して半分の燃料しか積めない状態の九七式艦攻でそのまま出撃しており、攻撃後ヨークタウン艦橋付近に激突自爆し未帰還(死後2階級特進中佐)である。
実は友永が飛龍艦攻隊隊長になったのはミッドウェー海戦前であり、真珠湾攻撃から率いていた訳ではない。飛龍艦攻隊を率いていたのは楠美正少佐(友永と入れ替わりに加賀艦攻隊隊長に移動。ミッドウェー海戦で戦死)である。
な行
南雲機動部隊
読みなぐもきどうぶたい
使っている艦娘赤城
意味南雲忠一司令長官が指揮した第一航空艦隊、及びミッドウェー海戦後に再編成された空母機動部隊である第三艦隊のこと。「赤城」は前者を指している。
第一航空艦隊は、指揮下に一航戦・二航戦・五航戦・第三戦隊・第八戦隊・一水戦などがいた。開戦時の旗艦は「赤城」。
ハワイ真珠湾攻撃を皮切りに、ニューギニア方面の南方作戦やセイロン沖海戦・ミッドウェー海戦などを戦い、ミッドウェーで空母4隻を失い壊滅した。
文字通り世界最強の機動部隊であり、撃墜:被撃墜のキルレシオは10:1以上、セイロン沖海戦では艦爆隊の命中率80%以上を叩き出すなど、向かうところ敵なしの最精鋭部隊だった。
その状態から一転してミッドウェーで大敗したために、「慢心」という言葉が強調される要因になり、南雲提督を批判する声が非常に強かったが、
近年の再検証でこれに対する反証が行われており、南雲提督の再評価も進んでいる。批判と反論はかなり広範囲に渡るので、興味のある方は調べてみると良いだろう。
なお、第一航空艦隊は実は正式な艦隊ではなく臨時編成であった。そのため訓練や部隊内の指揮統制などに支障が出ていたという話が伝わっている。
正式な艦隊となったのはミッドウェー後に第三艦隊として再編成されてからであった。
第三艦隊は南太平洋海戦を戦った後に、司令長官が南雲中将から小沢治三郎中将に交代し、ここに南雲機動部隊の歴史は終わった。
南雲中将はその後サイパン島の戦いで守備隊の玉砕とともに自決した。戦死後大将。
西村艦隊
読みにしむらかんたい
使っている艦娘扶桑時雨満潮
意味1944年10月、捷一号作戦のレイテ湾突入に基づき編成された西村祥治中将を司令官とした部隊。正式名称は、第二艦隊第一遊撃部隊第三部隊。つまりあくまでも第二艦隊司令長官栗田健男中将が率いる第一遊撃部隊(第二艦隊基幹)に所属する部隊であり、小沢艦隊(第三艦隊)や志摩艦隊(第五艦隊)のように戦略単位として編成された艦隊ではない「西村[艦隊]」というのはあくまでも通称である。
戦艦「山城」を旗艦に「扶桑」重巡洋艦「最上」駆逐艦「山雲」「満潮」「朝雲」「時雨」を擁した。
当初は栗田艦隊と同一行動する筈だったが、作戦が発動し艦隊が最終補給地点であるブルネイに到着すると、連合艦隊が手配しているはずの補給船はなく、栗田がもしもを考えて用意していた補給船2隻が翌日につくという状況、これでは予定日に突入できない状態だった。そこで艦隊司令部の判断で隊を二手に分け、低速の第三部隊が最短距離を進みなんとか間に合うようにした。これが通称『西村艦隊』の誕生である。艦隊には同時にレイテ湾に突入し、敵戦力の挟撃と分散を図る目的もあった。しかし栗田艦隊から到着遅延の連絡より、西村中将は自らの艦隊のみでの夜間突入を判断。スリガオ海峡を北東に抜けてレイテ湾を目指した。
24日22時頃に艦隊はスリガオ海峡付近に侵入したが、米魚雷艇の襲撃と追尾により位置を把握されたまま、未明に海峡南部に侵入。
翌25日3時頃には米駆逐艦隊の雷撃を受け扶桑が沈没するなど艦隊が半壊。4時前に米戦艦隊が砲撃を開始し、頭を抑えられた西村艦隊は「時雨」「最上」を除き撃沈され、撤退を開始。「山城」に乗り込んでいた西村中将はこの時に戦死。
最後尾の「時雨」は無事に退避できたが、「最上」は追撃で大破し操艦不能のまま、後続の志摩艦隊の「那智」と激突。「最上」には志摩艦隊の駆逐艦「曙」が護衛につきコロン湾に避退命令が下されたが夜明けに空襲を受け、最終的に乗員退艦後に「曙」に雷撃処分された。
結果、スリガオ海峡に突入して生還した西村艦隊所属艦は「時雨」ただ1隻のみとなった。
鼠輸送
読みねずみゆそう
使っている艦娘村雨夕雲
意味駆逐艦などの機動性の高い艦艇で(鼠のように夜にコソコソと)前線の島などに物資や人員を輸送すること。
特に序盤の激戦区だったガダルカナル島において行われている。
これは日本軍の輸送艦不足と敵の航空攻撃回避のために行われたやむなしの手段で、これらを含む駆逐艦の多用によって日本軍は多くの駆逐艦をソロモンの攻防で失った。
ちなみに米海軍はこれを「トーキョー・エクスプレス(東京急行)」と呼んでいた。
ちなみに潜水艦を用いた「モグラ輸送」や大発・小発を用いた「アリ輸送」も行われた。
鼠つながりネタだと、海軍には「鼠上陸」というルールがあり、船内の鼠を1匹捕まえると賞品として上陸許可が1回与えられた。
ちなみに、鼠の代わりにゴキブリ「G」を100匹(!)捕まえても上陸許可が1回与えられた。この場合は「油虫上陸」と呼ぶ。そんなに居たんだな……
は行
排水量
読みはいすいりょう
使っている艦娘木曾など
意味軍艦の大きさ・武装の規模などを表す単位。
木曾などが「5500トン級」などと言っているのは、この排水トン数のことを言っている。
船の大きさや能力を表す場合、タンカーなどの貨物船なら「どれだけ積めるのか」商船なら「どれだけ稼げるのか」が重要なため容積トン数(甲板から下の船そのものの容積を計算で出した値)で表す。
軍艦の場合は「どれだけの武装をしているか」が重要であり、そのために考え出された単位が排水トン数である。船を水上に浮かべた際に押しのけられる水の重量をトン単位で示した数値で、船全体の重量に等しく、積み荷による重量の変化が少ない軍艦の大きさを表すのに最も適している。
現在では乗組員・弾薬・燃料・水など、計画上搭載できるもの全てを搭載した状態での満載排水量が使われ、
第二次大戦当時は満載排水量から燃料および水の重量を差し引いた状態の基準排水量が主要国で使用された。
…ただし軍事機密の観点から相変わらず現役艦の満載排水量は未公表か誤魔化している国がほとんど。現在でも、日本の護衛艦は計画値は発表されているものの完成した実艦の満載排水量は公表はされていない。
八十一号作戦
読みはちじゅういちごうさくせん
使っている艦娘白雪
意味時期的には「ケ号作戦」ころ。ラバウル基地を出て、ビスマルク海〜ダンピール海峡を通り、ニューギニア島の都市ラエへ向かう輸送作戦。
その途中で米・豪軍の空襲を受けた。別名ビスマルク海海戦、ダンピールの悲劇。海戦といってもほとんど一方的にボコられただけで失敗に終わってしまった。
しかもその失敗は事前に予測できていたのだが「命令だから」の一言のもと強行することに。「白雪」のページにも詳細。
おもな参加艦艇:白雪 朝潮 荒潮 時津風 朝雲 浦波 雪風 敷波 他輸送艦8隻
抜錨
読みばつびょう
使っている艦娘天龍愛宕鳥海など
意味錨を上げること=出港・出帆・出撃。ちなみに反対語は「投錨(とうびょう)」。
関連ネタとして、海軍・海上自衛隊では「出港」、民間や海上保安庁では「出航」という地味に面倒な言葉の違いがあったりする。
余談だが、海上自衛隊ではほとんどロープだけで係留することが多いため、出港時に「錨を上げて」を慣例として演奏していることが多いが錨は使っていないことが多い。
ビッグセブン
読み-
使っている艦娘長門
意味ワシントン海軍軍縮条約によって、日米英の列強が保有が認められた7隻の戦艦の事。いずれの戦艦も、口径16インチ(約40cm)の主砲を搭載しており、当時、世界最強の7大戦艦と呼ばれた。
条約では、完成済みの戦艦は保有が認められ、そうでないものは廃棄される事になっており、会議中に完成艦とされていたのは「長門」とアメリカの「メリーランド」だけであった。
しかし、日本が「陸奥を残せ」とゴネた結果、バランスを取る為にアメリカは廃艦予定だった2隻の建造続行が認められ、イギリスは新たに16インチ砲搭載艦2隻の建造が認められる事となり、戦艦の保有率はかえって日本に不利になってしまう。但しほとんど語られることはないが代わりに戦艦を廃棄しており日本は摂津アメリカはデラウェア級2隻イギリスはサンダラーとキング・ジョージ5世級3隻である。日本はほとんど準ド級アメリカはド級イギリスは超ド級と廃棄戦艦で見れば日本が有利な結果となっている。
この結果を知った山本五十六は「陸奥1隻の為に、米英の戦力を随分と強化してくれたもんだ」と皮肉ったという。
ビッグセブンの内訳は以下の通りである。
*日本:長門型戦艦「長門」、「陸奥
*アメリカ:コロラド級戦艦「コロラド」、「メリーランド」、「ウェストバージニア」
*イギリス:ネルソン級戦艦「ネルソン」、「ロドニー」
各国のパワーゲームの中で誕生したビッグセブンだが、いざ戦争が始まると戦場の主役は空母機動部隊に奪われてしまい、戦艦としての本分をまっとうできたのは西村艦隊を撃破した「ウェストバージニア」と*44、「Bismarck」と撃ち合った「ロドニー」だけであった。
平賀譲/平賀さん
読みひらがゆずる/ひらが -
使っている艦娘妙高夕張
意味日本の海軍軍人であり貴族(従三位男爵)、そして艦艇設計士の平賀譲(ひらが ゆずる)氏のこと。軽量な艦体に重武装を備える氏の設計は諸外国からも脅威視され、「夕張」や「妙高型」などの功績から「造船の神様」とも呼ばれる。(ワシントン条約やロンドン条約で、巡洋艦の分類や保有隻数が厳しく規定された一因との説もあるほど)
一方で、頑固で反対意見を一切受け付けない性格から「平賀不譲(ひらが ゆずらず)」と皮肉られたり、その設計思想が(当時は)革新的過ぎて関係各処と『色々とあった』。
(所謂典型的な“斬新なアイデアを具現化する”天才。細かい改修とかウンウンな)
なお、後任で特型駆逐高雄重巡洋艦最上軽巡洋艦の設計者である藤本喜久雄とは相当な確執があったと言う。
海軍退職後には以前から教鞭をとっていた東京帝大(現在の東京大学)の13代学長に就任。
東京帝大経済学部内で発生していたイデオロギー紛争を13名の辞職者を伴う形で終結させた「平賀粛学」がよく知られる。

平賀氏は蕎麦が好物だったようで、死ぬ間際にも蕎麦が食いたいと夫人に呟いたそうな。ちなみにその時に食ったのは有名老舗蕎麦屋、2013年2月に火事で燃えた「藪」である。(「夕張」が時報で蕎麦蕎麦と言うのはこれが元ネタ)
設計した主な艦娘:「夕張型」「古鷹型」「妙高型」「川内型」「大和型(監修のみ)」
彼に縁がある艦娘:「山城」「比叡」「島風」
参考>“「かんだやぶそば」出火 1880年創業の老舗 都の歴史的建造物(※外部リンク)
砲雷撃戦
読みほうらいげきせん
使っている艦娘睦月長良古鷹大和など他多数
意味艦砲と魚雷で戦うことを意味する架空の用語(ただし艦これ独自の用語ではない。某宇宙戦艦でも使われている。)。
旧海軍において、大砲で戦う場合は「砲戦」、魚雷で戦う場合は「魚雷戦(雷撃戦ではない)」と使い分けるのが正しい用語である
魚雷を使用する場合は「魚雷戦用意」と号令をかけ、操式の違う砲戦の場合は「砲戦用意」とは号令をかけず「右砲戦」「左砲戦」と号令をかけるようになっていた。
ちなみに潜水艦の場合は「襲撃戦」だとか。
魚雷は魚型水雷の略なので「魚雷戦」は「水雷戦」とも呼ばれることもある、そもそも「水雷戦隊」と呼ばれることから「水雷戦」の方が正しいとの説もある。
余談だが、海上自衛隊での同様の号令は「対水上(対空)(対潜)戦闘用意」という号令になっている。
ま行
右舷・左舷
読みみぎげん(うげん)、ひだりげん(さげん)
使っている艦娘筑摩「みぎげん」、那智「うげん」、鳥海「ひだりげん」など
意味艦尾から艦首を見て右側と左側を指す用語。
海軍や自衛隊では戦闘中の聞き間違いを防ぐために「みぎげん」「ひだりげん」と呼んでいるが、民間や陸軍では「うげん」「さげん」と呼んでいた。
そして海軍の文献にはどちらの表記も混在してたりしてややこしい。
これは、海軍で特にルール化されていたわけではなく、現場の慣例的な面が強いために、ぶっちゃけどっちでも良かったからである。
ちなみに、船が港に着いたときは、左舷側を岸壁につける。古代の船には舵はなく、船尾の漕ぎ手のオールを舵のように使っていたが、右ききの人の方が多いため、舵として使うオールは右舷にあった。接岸の際は舵の邪魔にならないように左舷で接岸した。その流れを汲んで旅客機も左側から乗り降りする。
さらにいうと、日本の空母が左舷側に煙突を置かなかったのもこのため。下向き煙突からの排気が岸壁にどさーは大惨事ですな。
因みに英語でも、左舷を港側という意味から「port(ポート)」と呼び、右舷を舵取り板から訛った「starboard(スターボード)」と呼んでいる。なお、英語ではかつては左舷を「larboard(ラーボード)」と言っていたが、スターボードとラーボードが紛らわしいという理由でポートと呼び替えたという、日本と同じような事情がある。
や行
山本五十六
読みやまもといそろく
使っている艦娘五十鈴
意味新潟県長岡市出身の海軍軍人。連合艦隊司令長官。
旧姓高野。大尉時代に絶家となっていた長岡藩家老の家系である山本家の養嗣子となる。
少尉候補生の時に装甲巡洋艦「日進」に配属され、日本海海戦に参加。左手人差し指と中指を失い、左大腿部に重傷を負う。
早くから航空機の有用性に着目し、航空主兵を推し進める。
幾度かのアメリカ駐在経験で日米の国力差を実感しており対米戦には反対であったが、対米戦不可避の状況になると真珠湾攻撃を計画、これを実行し大戦果を挙げるが、ミッドウェイ海戦で空母四隻を失い、戦局は膠着状態に陥る。
苦戦が続くなか戦争指揮を続けるが、視察に訪れたブーゲンビル島上空で敵機の襲撃に遭い、戦死。
遺体は陸軍の都城歩兵第23連隊が発見し、本土に送られた。
実際には当時山本五十六が飛行機で視察に訪れることが事前にアメリカに知られており、アメリカ海軍は山本搭乗機であることを知った上で襲撃した、暗殺事件である(日本海軍では「海軍甲事件」と呼ばれた)。
なお、五十六という名前は父・貞吉が56歳の時に生まれたことにより名づけられたもの。
四航戦
読みよんこうせん
使っている艦娘日向
意味空母艦隊「第四航空戦隊」のこと。太平洋戦争初期は空母「龍驤」や「春日丸(空母『大鷹』、艦これ未実装)」が所属していたが、ミッドウェー海戦後に解隊。
その後1944年に航空戦艦「日向(旗艦)」「伊勢」で世界にも類を見ない航空戦艦を軸にした航空戦隊として再編成される。この時の所属は空母機動部隊である第三艦隊だった。
一時期、航空戦艦2隻に加えて空母「隼鷹」「龍鳳」も所属していたが、互いに作戦行動を共にしたことはない。
捷一号作戦や北号作戦に参加したが、航空戦艦の2隻は実戦で航空機を運用しておらず、太平洋戦争末期には軽巡「大淀」が所属するなど航空戦隊というよりは戦艦戦隊でありアメリカ軍もフィリピン戦線の懸念材料として執拗に追い回し続けた。
捷一号作戦で機動部隊が壊滅したため、作戦後四航戦は第二艦隊に編入されている。
連合艦隊が壊滅状態に陥った日本海軍は南西方面にて各地を駆けずり回っていたこの戦隊に対し、戦略資源を満載し日本本土へ帰還させる「北号作戦(主な海戦・作戦を参照)」を発動した。
司令官の松田千秋少将は標的艦「摂津」航空戦艦へ改造前の「日向」戦艦「大和」などの艦長を務めた歴戦の司令である。
彼が「摂津」艦長時に研鑽した爆撃回避法により、解隊されるまで日向・伊勢は爆撃によって命中弾・至近弾は受けたものの、遂に魚雷を受ける事は無かった。
彼のおかげで「伊勢」「日向」は艦これにおいて高回避・幸運艦として設定されたと言っても過言ではない。
四航戦は北号作戦終了後の45年3月に「日向」「伊勢」を浮き砲台に、「大淀」を練習艦とすることが決定したため解隊された。
なお、この四航戦に配属されるはずだったのが、第六三四航空隊である。
ら行
連合艦隊
読みれんごうかんたい
使っている艦娘長門雪風大淀
意味2個以上の艦隊で編成された、日本海軍の主力艦隊。当時の表記は「聯合艦隊」
日清戦争開戦の6日後、主力艦で構成された常備艦隊と、老朽艦などで構成された警備艦隊(西海艦隊と改称)をもって連合艦隊とした。
以後、日露戦争などの戦時や演習の際臨時に編成されていたが、大正12年(1923年)以降常設となった。
海上自衛隊でも同様の編成方式をとり「護衛艦隊」と称され、昭和36年(1961年)から常設された。
艦これ実装艦の跡目ではむらくもが護衛艦隊旗艦に就任している。
しかし、防衛計画の見直しにより2007年度をもって常設の護衛艦隊は廃止された。またなり損ねました……姉様……
なお、聯合艦隊の英訳は、現在はアメリカで使われていた"Combined Fleet"とするのが通例で、艦これの起動画面にも"Combined Fleet Girls Collection"と書かれているが、当時は"General Fleet"(略してGF)と訳していた。これは師匠であるイギリス海軍の戦時編成"Grand Fleet"と同じ略称にするためである。
ロクマル
読み-
使っている艦娘日向改
意味「修理してもロクマルは載めないぞ」:後世の護衛艦「ひゅうが」搭載の対潜ヘリ「SH-60K」のこと(ただし、日本でロクマルと言うと陸上自衛隊の「UH-60J(ブラックホーク)」、海上自衛隊の「SH-60J」「SH-60K」のすべての機体のことを指す。ついでに世界でロクマルと言うと「UH-60」の派生型{シーホークも含む}すべての機体のことを指す。)。
原型初飛行からすでに30年以上経過している旧式であるが、変態的な魔改造最新技術を応用した近代化により未だ一線級の性能を誇っている。
勿論、姉妹である「いせ」や「22DDH」改め「いずもまる」をはじめ、多くの護衛艦に搭載されている。
航空戦艦「日向」のエレベーターサイズでも収納可能なので、やろうと思えば運用できる……かもしれない。
自衛隊いわく、(対潜は)単縦でも余裕wwwとのこと。
わ行
ワシントン海軍軍縮条約
読み- かいぐんぐんしゅくじょうやく
使っている艦娘吹雪妙高
意味1922年に調印された海軍五大国(英米日仏伊)による海軍軍縮条約。
世界的な建艦競争・軍備拡張・莫大な軍事費増大に歯止めをかけるべく、主力艦の装備・保有の制限(と要塞建設の禁止)を施した。
……のだが、かえってこの条約が制限の緩い巡洋艦・軽空母以下の小型艦艇の建艦競争に発展してしまった。軍縮とはいったい何だったのか……
その反省から1930年に、さらに厳しい条件のロンドン海軍軍縮条約が調印される。
すると今度は「数で劣るなら質で補うしかない」と、小型艦艇に制限ギリギリの無茶な設計を施して……とは言うものの、米国も似たようなことは大体やらかしている。*45
このワシントン海軍軍縮条約の影響を受けた艦娘たちは多い。
例:「赤城」「加賀」「吹雪型」(特型)「妙高型」「龍驤」「長門型」etc
英字
DDH
読みでぃーでぃーえいち
使っている艦娘伊勢改日向改
意味後世のヘリコプター搭載護衛艦の艦種記号。通常の護衛艦よりヘリコプターの運用能力に優れている。
搭載したヘリは主に対潜哨戒・戦闘や輸送・救難にあたる。
余談になるが、いずも型の就役で「空母だろ!!」「護衛艦です!!」などと飛び交っているが、現代における航空母艦の定義とは、赤城加賀等の黎明期の空母除き、全通甲板を持ち、艦載機(固定翼機・ヘリコプター・垂直離着陸機)を運用(離着艦・整備・格納・管制等)出来る艦船の事を指す。更に大きく分けると正規空母と軽空母に分けられ、
正規空母は固定翼機、つまり自力で甲板を滑走し離着艦が出来る航空機を運用できる空母の事を指す。(それに伴いカタパルトやアレスティング・ワイヤ、必要に応じてアングルドデッキなどを備えている)
軽空母は垂直離着陸機やヘリコプターを運用できる空母の事を指す。(大抵の場合はスキージャンプ台を備えている艦船が多い。)
ヘリ空母は軽空母の狭義の一つとされ、ヘリコプターのみを運用する空母の事を指す。しかし、全通甲板を備える艦船は垂直離着陸機の運用や強襲揚陸艦とされることが多いので、純粋なヘリ空母は珍しい。(海上自衛隊のひゅうが型・いずも型の他にはイギリスの「クイーン・エリザベス級」等)
したがってひゅうが型・いずも型は世界的に見れば軽空母(ヘリ空母)になる。
しかし、自衛隊としては、全て護衛艦としているので、「空母だろ!!」「護衛艦です!!」のような言い合いは無意味である。
そもそも自衛艦の中の戦闘艦艇全てが護衛艦(DD)と呼ばれているのは、、日本国そのものを他国の脅威から守る(護衛する)、艦隊を他国のミサイル・潜水艦等から守る(護衛する)、と言った味合いから第二次大戦中の駆逐艦の主な役割である、船団・艦隊護衛と言う役割と同じところから来ているので護衛艦としている。よってDDHやDDGのDDが直接に艦種としての駆逐艦を表しているわけでは無いので間違いのないように。
そもそも現代は、航空機と潜水艦の時代ということもあり艦種と言うものが曖昧になっており、大きさではなく用途や任務により分けられている所が多い。
Uボート
読みうー(独語読み)/ゆー(英語読み)-
使っている艦娘伊8U-511
意味第一次・第二次世界大戦で欧州の海で暴れ回ったドイツの潜水艦の総称。Uボートとはドイツ語で潜水艦を意味する「ウンター・ゼー・ボート(Unterseeboot)」の略語。一般的には「ユーボート」と呼ばれるが、ドイツ語の発音では「ウーボート」と呼ぶ。
ドイツ語以外でUボートと言った場合大抵ドイツの、特に両世界大戦期の潜水艦を指すが、ドイツでは時代や国を問わずあらゆる潜水艦をUボートと呼ぶ。
欧州近海で敵の補給線を破壊する通商破壊戦が主な任務なため、太平洋を主戦域とする伊号潜水艦と比較すると小型。第二次世界大戦では連合国の商船3000隻以上を海の藻屑に変え、さらには戦艦2隻、空母2隻を撃沈するなどの戦果を上げている。
また、ドイツの高い科学力に裏付けされた高精度な電子装備や新兵器を装備しているため他国の潜水艦と比べて戦闘能力が高いと言える。(例:音響誘導魚雷、電波吸収材など)*46
英国首相ウィンストン・チャーチル曰く「第二次世界大戦で私が真に恐れたのはUボートだけである」。
だが大戦後期には連合国側の対潜戦術・装備の発達によってUボートの被害は大きくなり、1131隻中849隻が撃沈されている。
VLS
読みぶいえるえす
使っている艦娘日向改
意味後世のミサイル発射装置。「Vertical Launching System」の頭文字で、日本語では垂直発射装置などと言われる。
ミサイルを垂直方向に立てて並べる形で搭載するため甲板上のスペースを有効活用出来、また発射装置がそのままミサイル弾薬庫を兼ねるので、次弾装填の必要があった従来の発射装置よりも圧倒的な連続発射が可能。
世界で初めて採用したのはソビエト海軍の「キーロフ型」。現代は「ひゅうが型」護衛艦を始め、「むらさめ型」、米海軍の「アーレイ・バーク級」、仏海軍の「シャルル・ド・ゴール」など、多くの艦がこの系統の発射装置を装備している。
なおVLSはその殆どが甲板に埋め込まれる形で搭載されるものであり、甲板上で見られるのは発射口の蓋だけ。*47
初期の頃のこんごう型のMk.41 VLSには3セルほど魚雷の次発装填装置に値するミサイル洋上装填用のクレーンが搭載されていたが、結局次発装填装置と同じような末路をたどり廃止され、ミサイル搭載分に充てられた、と言われているが実際の所どうなっているかは定かで無い。*48なお、あたご型では当初から搭載されておらず、はじめからミサイル搭載に充てられている。

鎮守府・警備府・泊地・基地 Edit

鎮守府
大日本帝国海軍の根拠地として、艦隊の後方たる4つの海軍区に置かれ、その統轄や防備を行った機関。
横須賀鎮守府(神奈川)・呉鎮守府(広島)・佐世保鎮守府(長崎)・舞鶴鎮守府(京都)が存在した。また、北海道に室蘭鎮守府を設置する計画もあった。
海上自衛隊でも、横須賀・呉・佐世保・舞鶴・大湊に総監部を置いている。
ちなみに鎮守府とは、古代日本において東北地方統治のために置かれた機関の名称である。
艦これでは各プレイサーバーをあらわす言葉であったり、プレイヤーor制作陣が指揮を執る本拠地にして、秘書艦がつつかれたりする場所であったりする。
余談ではあるが帝国海軍の「大人のジョーク」にこんな話がある。
ある若い海軍士官が妻宛てに「鎮海を発つ。佐世保に会いに来い」という文を略して電報を打ったところ、妻の父が読んで「なんとハレンチな!」と激怒したと言う。
略した際の文章がどのようなものであったかは、提督諸氏自ら調べていただきたい。
現、海上自衛隊地方総監部。海自は旧軍から継承した部分が大きいため組織構造にも類似点が多々見られるが、これもそのひとつである。
ただし後述の警備府である大湊が地方総監部とされ5地方隊となっている。
鎮守府詳細
警備府
鎮守府に準じた役割を担うが、鎮守府と違い固有の艦艇を持たない。
大湊警備府(青森)・大阪警備府(大阪)・馬公警備府(台湾・澎湖県、後に高雄に移転し高雄警備府)・旅順警備府(中国・遼寧省、1942年に廃止)・鎮海警備府(韓国・慶尚南道)・海南警備府(中国・海南省)が置かれていた。
ただしこのうち大阪、海南は他の警備府と毛色が異なるため、大湊、馬公、旅順、鎮海のみを指して警備府とされることもある。
警備府の前身の要港部(1941年に警備府に改組)は、上記の他に竹敷(長崎県対馬、1912年廃止)にも置かれた他、舞鶴鎮守府も1923年から1939年まで要港部に格下げされていた。
サーバー名になっている警備府
泊地
港としての設備がないかあっても小規模な港では大型船舶は接岸することができず、岸から離れた場所に投錨し、小型船舶等を使って人員・物資の輸送をする必要がある。
また、荒天を避けるために安全な場所に投錨することもある。これらの目的での投錨に適した場所を泊地という。
湾や環礁内など波浪を避けられる場所にあることが多い。
サーバー名になっている泊地
基地
一般には「軍事施設」の意味で使われることが多いが、旧海軍では港湾施設に基地の名称は使わず、もっぱら飛行場をもち航空機の運用が可能な施設を指して航空基地と呼んだ。
サーバー名になっている基地


造船所 Edit

艦娘の故郷

海軍工廠 Edit

横須賀海軍工廠幕末に江戸幕府が開設した横須賀製鉄所を前身とした工廠で、1876年に海軍省直轄となる。1903年に正式な海軍工廠となった。
戦後に大部分がアメリカ海軍横須賀海軍施設として接収、残りが住友重機に払い下げられ横須賀分工場として操業していたが1978年に閉鎖。現在はショッピングモールとして整備されている。
戦艦:山城陸奥
巡洋戦艦:比叡
重巡洋艦:妙高高雄鈴谷
軽巡洋艦:天龍能代
航空母艦:鳳翔(艤装)、龍驤(艤装)、飛龍翔鶴祥鳳(空母化改装)、瑞鳳龍鳳(空母化改装)、千代田(空母化改装)雲龍
潜水母艦:大鯨剣埼
潜水艦:伊58
呉海軍工廠1895年に官営小野浜造船所の設備一式を呉に移設して開設された。
帝国海軍で一番大きな工廠で、設備は東洋一と言われ、工員の数は他の三工廠の合計を超えていた。戦艦建造の主導的役割を果たし、大和の建造の他、武蔵の主砲塔・砲身も呉で製造された。
戦後は播磨造船所と米ナショナル・バルク・キャリア社(NBC)に払い下げられ、後にNBC呉造船部は播磨造船所に譲渡された。
現在は同社の再編によりジャパン マリンユナイテッド呉工場となっている。自衛艦艇の建造は行っていないが、修理には使用される。大和を建造したドックは埋め立てられたが、修理に使用したドックは現在も使用されている。
戦艦:扶桑長門大和
重巡洋艦:那智愛宕最上
軽巡洋艦:大淀
航空母艦:赤城蒼龍葛城
水上機母艦:千歳千代田
潜水艦:伊168伊26
佐世保海軍工廠戦後に一部が米軍基地として接収。大部分が佐世保重工業に払い下げられ、現在も同社佐世保造船所として操業中。
重巡洋艦:最上(航空巡洋艦化改装)
軽巡洋艦:龍田球磨北上長良由良夕張阿賀野矢矧酒匂
航空母艦:千歳(空母化改装)
睦月型駆逐艦:睦月三日月
綾波型駆逐艦:
暁型駆逐艦:
初春型駆逐艦:初春若葉
白露型駆逐艦:白露夕立
朝潮型駆逐艦:朝潮
陽炎型駆逐艦:雪風磯風
工作艦:明石
潜水艦:伊401
舞鶴海軍工廠帝国海軍の駆逐艦建造の主導的役割を果たし、各型の1番艦を舞鶴で建造して、その技術を各地の造船所に展開することが多かった。
戦後は飯野重工業、舞鶴重工業を経て長らく日立造船舞鶴工場となっていたが、その後の業界再編により現在はジャパン マリンユナイテッドの舞鶴工場として操業中。
神風型(2代)駆逐艦:春風
睦月型駆逐艦:如月菊月
吹雪型駆逐艦:吹雪初雪敷波
白露型駆逐艦:春雨海風
朝潮型駆逐艦:大潮
陽炎型駆逐艦:陽炎親潮天津風野分
夕雲型駆逐艦:夕雲沖波早霜
島風型駆逐艦:島風
秋月型駆逐艦:秋月初月

民間 Edit

東京石川島造船所東京都江戸幕府が隅田川河口の石川島に作らせた造船所を発祥とする。
戦後、播磨造船所と合併して石川島播磨重工業(IHI)となり、造船事業はIHIマリンユナイテッド(IHIMU)を経て現在はジャパン マリンユナイテッド(JMU)となっている。
石川島の造船所(東京工場)は1979年に操業停止して事業は横浜工場に移管した。跡地は「大川端リバーシティ21」という超高層マンション群となっている。
戦前は小型艦しか作っていなかったが、戦後は大型の護衛艦も多数建造している。
IHIはGE製エンジンをライセンス生産していた関係で、ここで建造されていない護衛艦にもIHI製のエンジンが載っていたりする……ノデス!
睦月型駆逐艦:卯月長月
浅野造船所横浜市横浜市鶴見にあった浅野財閥の造船所。鶴見の造船所は1995年に閉鎖され、跡地は「横浜コットンハーバー地区」として再開発されている。
会社自体は日本鋼管(NKK)を経て現在はJFEエンジニアリング。造船事業はユニバーサル造船を経て現在はジャパン マリンユナイテッド(JMU)となっている。
航空母艦:鳳翔(船体のみ)
横浜船渠横浜市1935年に三菱重工に吸収合併、1983年に造船所は本牧地区へ移転され、跡地は「横浜みなとみらい21」として再開発された。ドライドック2基は残されて国の重要文化財に指定されており、1号ドックには帆船日本丸が繋留されている。なお、艦これ観艦式が行われたパシフィコ横浜は横浜船渠の跡地(みなとみらい21)にある。
軽巡洋艦:那珂
練習巡洋艦:香取鹿島
航空母艦:龍驤(船体のみ)
吹雪型駆逐艦:白雪
浦賀船渠横須賀市明治9年に閉鎖された江戸幕府の浦賀造船所と同じ場所に建設された。駆逐艦建造の名門であり、「西の藤永田、東の浦賀」と称された。
戦後も海自の自衛艦の建造をしていた。1969年に住友機械工業(現・住友重機械工業)と合併し、2003年に閉鎖された。跡地はほぼそのまま残されており、年に数回一般公開されるほか、周辺の高台から中を見ることができたが、2015年から解体が始まった。
軽巡洋艦:五十鈴阿武隈
睦月型駆逐艦:弥生水無月望月
吹雪型駆逐艦:深雪磯波
綾波型駆逐艦:
暁型駆逐艦:
初春型駆逐艦:子日初霜
白露型駆逐艦:時雨五月雨涼風
朝潮型駆逐艦:
陽炎型駆逐艦:不知火時津風浜風萩風秋雲
夕雲型駆逐艦:風雲高波清霜
藤永田造船所大阪市駆逐艦建造の名門であり、「西の藤永田、東の浦賀」と称された。戦後は海自の船は作っておらず、貨物船などを建造していた。
1967年に三井造船に吸収合併され閉鎖。跡地は工場地帯となっており、大阪市住之江区の三井造船の敷地に「藤永田造船所跡地」の石碑が立てられている。(Googleストリートビュー)
睦月型駆逐艦:皐月文月
吹雪型駆逐艦:叢雲
綾波型駆逐艦:綾波
暁型駆逐艦:
白露型駆逐艦:村雨江風
朝潮型駆逐艦:満潮山雲
陽炎型駆逐艦:黒潮浦風谷風舞風
夕雲型駆逐艦:巻雲長波朝霜
川崎造船所神戸市現在では二輪車や鉄道車両メーカーとして有名な川崎重工業の前身。カワサキか…
摩耶の発注時に破産寸前だった際は海軍が支援するなど古くから帝国海軍との繋がりがあった。現在でも海上自衛隊の艦艇(主に潜水艦)を建造している。
なお、「川崎」は創業者の名前で、神奈川県川崎市とは関係ない。
戦艦:伊勢加賀(船体のみ)
巡洋戦艦:榛名
重巡洋艦:加古衣笠足柄摩耶熊野
軽巡洋艦:大井鬼怒神通
航空母艦:瑞鶴大鳳飛鷹
水上機母艦:瑞穂
飛行艇母艦:秋津洲
朝潮型駆逐艦:荒潮朝雲
陽炎型駆逐艦:初風
潜水艦:伊8
三菱神戸造船所神戸市上記の川崎造船所からもすぐ近くにある、三菱重工の基幹造船所。三菱グループ内の通称は「神船(しんせん)」。現在でも川崎重工業神戸工場と共に潜水艦を建造している。
敷地内には江戸幕府が外国船来航に伴う沿岸防備のために建設した「和田岬砲台」があり、事前申込をすれば見学することができる。
また、三菱電機は三菱神戸造船所から独立した会社であり、現在も神戸造船所に隣接して三菱電機神戸製作所がある。
潜水艦:伊19
播磨造船所相生市現IHI(旧社名:石川島播磨重工業)の造船所。かなりの老舗造船所ではあるものの、艦これに実装されている出身艦は少ない。現在は造船部門は無いものの、IHIの事業所や建造ドックは存在する。
特種船:あきつ丸
補給艦:速吸
三菱長崎造船所長崎市現在の三菱重工業長崎造船所。神戸川崎造船所と並ぶ、純民間造船所の最大手。三菱グループ内の通称は「長船(ながせん)」。
江戸幕府が建設した日本初の造船所「長崎鎔鉄所」に始まり、明治政府に移管された後、1884年に三菱に払い下げられた。
武蔵も建造するなど高い技術を古くから持っていた。現在でも海上自衛隊の護衛艦を多数輩出している。
戦前から現在に至るまで豪華客船の建造にも定評があり、そのノウハウを流用した三菱長崎建造艦は居住性や内装デザインが他の造船所の艦より良かったことでも有名。
敷地内の史料館が一般公開されている(要事前申込み。開館は平日のみ)。
戦艦:日向武蔵
巡洋戦艦:霧島
重巡洋艦:古鷹青葉羽黒鳥海三隈利根筑摩
軽巡洋艦:多摩木曾名取川内
航空母艦:天城隼鷹
神風型(2代)駆逐艦:神風
秋月型駆逐艦:照月
日立笠戸工場ほか日立製作所笠戸工場(山口県下松市)、日本製鋼所広島工場(広島県広島市)、安藤鉄工所月島工場(東京都中央区)、朝鮮機械製作所仁川工場(現・韓国仁川市)の4箇所で建造。すべて民間工場であり、かつ、造船所ですらない。
日立製作所笠戸工場は戦前から現在までメインは鉄道車両で、路面電車から新幹線まで幅広く制作。近年は海外への鉄道車両輸出も行っている。
日本製鋼所広島工場は現在は日本製鋼所広島製作所となっている。所在地は広島市安芸区だが、最寄駅は海田町の海田市駅であり、ここで作られたまるゆは「海田市型」とも呼ばれた。現在は各種プラスチック製品を作っている他、日本で唯一の「砲」を製造できる工場でもある。
安藤鉄工所月島工場は会社自体が現存せず、跡地は小学校になっている模様。なお、IHI発祥の地の一つである石川島はすぐ近くである。
潜航輸送艇:まるゆ

海外 Edit

ヴィッカース社・バロー=イン=ファーネス造船所英バロー=イン=ファーネスイギリス最大手の重工業グループで、造船だけでなく戦車・機関銃・航空機の製造も行っていた。布張り爆撃機ウェリントンが特に有名。
英国面の象徴であるパンジャンドラムの設計者、ネビル・シュートが在籍していたことも・・・
1999年にロールス・ロイス・ホールディングスに買収されてグループ名は消滅した。日本の戦艦「三笠」もここで建造されている。
巡洋戦艦:金剛
デヴォンポート海軍工廠英デヴォンポート軍艦の建造は今は行われていないが、現在も英国海軍の主要な工廠として稼働している。
戦艦:Warspite
ブローム・ウント・フォス社独ハンブルクドイツの造船会社で戦艦の他、多数のUボートの建造も行った。
ただし、世間一般には変態航空機メーカーとして認識されている。
戦艦:Bismarck
クルップ・ゲルマーニア造船所独キールドイツ帝国時代からの老舗造船所で、こちらも大型艦船からUボートまで多彩な艦艇を手がけた。
戦後処理の過程で解体され、現在敷地の一部がホヴァルツヴェルケ・ドイチュヴェルフト社の造船所となっている。
重巡洋艦:Prinz Eugen
ドイチェヴェルケ社独キール旧ドイツ帝国海軍キール工廠の後進。
こちらも戦後処理の過程で解体され、施設の一部をホヴァルツヴェルケ・ドイチュヴェルフト社が使用中。
空母:Graf Zeppelin
Z1型駆逐艦:Z1Z3
ドイチェ・ヴェルフト社独ハンブルク戦後にホヴァルツヴェルケ社と合併。現在ドイツの最大手造船所となっている。
ただしハンブルグ工場は1985年に閉鎖された。
潜水艦:U-511
アンサルド社伊ジェノヴァイタリア有数の重工業会社であり、現在はフィンメッカニカの傘下。
造船・航空機・鉄道車両・原子力産業などをグループ内で手掛ける、イタリア版川崎重工。
日本の装甲巡洋艦「日進」「春日」もここで建造されている。
戦艦:Littorio
空母:Aquila
カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ(CANT)社伊トリエステ大型水上機や爆撃機を手掛ける飛行機メーカーとしても有名。
戦艦:Roma
OTO社ラ・スペツィア造船所伊・ラ・スペツィア重巡洋艦:Zara
OTO社リボルノ造船所伊リボルノ重巡洋艦:Pola
ティレノ・エ・リウニーティ造船リヴァ・トリゴソ造船所伊ジェノヴァ駆逐艦:Libeccio
ブルックリン海軍工廠米ニューヨーク市ブルックリン1966年に閉鎖され、土地はニューヨーク市に売却。現在跡地は工場や商業区に転用されている
戦艦:Iowa


主な海戦・作戦 Edit

太平洋戦争 Edit

艦娘の台詞に出てくる太平洋戦争(大東亜戦争)の海軍が関わった主な戦闘・作戦の概説的ガイド。
艦娘にとっては誇りだったりトラウマだったり。

map-16065.png

もっと生真面目に知りたい方はこちらもどうぞ(ややサイズが大きいので注意)

以下の表では、参加艦隊で名前が赤色その戦いで沈没した艦灰色艦これ未実装の艦ピンク艦これ未実装でその戦いで沈没した艦茶色その海戦後の撤退、戦闘後処理中に沈没した艦である。

年譜 Edit

1941年
真珠湾攻撃
(しんじゅわんこうげき)
昭和16年(1941年)12月8日、ハワイ・真珠湾のアメリカ太平洋艦隊と基地に対しての航空機、および潜航艇(甲標的)による攻撃作戦。
当時ハワイに停泊していた戦艦8隻のうち5隻を撃沈(擱座含む)・3隻を行動不能にする大戦果を挙げ、南方作戦のため米主力艦に損害を与え米太平洋艦隊を行動不能にするという作戦目的を達成した。だが、最大の脅威の一つであった米空母を取り逃がし、石油施設や港湾設備などの基地機能もほぼ無傷のまま残してしまったという非難もある。
また日本大使館の不手際により、日米交渉打ち切りを伝える「対米覚書」(いわゆる「最後通牒」)を米国側に手交する約1時間前の攻撃開始となってしまい、それを米国政府が「だまし討ち」として宣伝したため、孤立主義を貫いていたアメリカの対日世論を激昂させた*50
 
ちなみに撃沈・行動不能にさせた戦艦のうち6隻は後に引き上げられ修理改造を施され艦隊に復帰し、また真珠湾攻撃以外で戦艦を失っていないため最終的にアメリカが失った戦艦は2隻にとどまっている。
余談ではあるが真珠湾攻撃という呼称に馴染みが深いが元はアメリカ側の呼称であり、当時の日本軍ではハワイ海戦と呼ばれた。
おもな参加艦艇:赤城 加賀 飛龍 蒼龍 翔鶴 瑞鶴 比叡 霧島 利根 筑摩 阿武隈 谷風 浦風 浜風 磯風 陽炎 不知火 秋雲 霞 霰
ウェーク島の戦い
(うぇーくとうのたたかい)
昭和16年(1941年)12月8日〜23日に起こったウェーク島での日本軍とアメリカ軍の戦い。
第一次攻略戦では悪天候と守備兵力を過小評価したために「疾風(未実装)」「如月」を失うこととなり一時撤退、その後真珠湾攻撃より帰投中であった二航戦を増援として加えた第二次攻略戦で同島の占領に成功した。
おもな参加艦艇
(第一次):夕張 追風 疾風 睦月 如月 弥生 望月 天龍 龍田
(第二次):夕張 追風 睦月 弥生 望月 朝凪 夕凪 天龍 龍田 飛龍 蒼龍 利根 筑摩 谷風 浦風 青葉 衣笠 古鷹 加古
マレー沖海戦
(まれーおきかいせん)
昭和16年(1941年)12月10日、マレー半島沖で日本海軍航空部隊とイギリス東洋艦隊とのあいだで行われた海戦。
真珠湾攻撃の衝撃も冷めやらぬ中、東南アジアの制海権確保のため派遣されたイギリスの東洋艦隊を日本海軍の陸上機部隊が攻撃。
戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ(PoW)」、巡洋戦艦「レパルス」を撃沈。
「作戦行動中の戦艦を航空機が沈めることはできない」という当時の常識を完全に打ち砕き、
大艦巨砲主義時代の終焉現代の海戦における航空機の有効性を決定づけた。
ただし作戦行動中に航空攻撃で撃沈された例は他に4件しかなく、そのどの例も直掩機がない上に相当数の航空機を投入してようやく沈めているため、同時に作戦行動中の戦艦撃沈の難易度も証明している。

余談だが、「PoW」が航行不能に陥った際に艦長のジョン・リーチ大佐と乗艦していた英軍指揮官トーマス・フィリップス大将は参謀からの退艦要請に対し「ノーサンキュー」と答え、艦と運命を共にした、という話が戦闘後に喧伝された。
昔から英国海軍を模範としていた日本海軍はこの話に影響を受け「艦長は艦と運命を共にする」という慣習が広まったとも言われている。*51
なお、「PoW」はイギリス首相ウィンストン・チャーチルのお気に入りで、チャーチルがアメリカを訪問した時にも使用されたが、直後の同海戦で喪失。この知らせにチャーチルは「あの艦が!」と絶句して立ち尽くし、戦後の回想録の中でも「私が受けた知らせの中で、もっとも大きな衝撃であった」と書き残している。
アメリカ本土攻撃
(あめりかほんどこうげき)
10隻余りの伊号潜水艦がアメリカ西海岸で行った一連の作戦。航続力が高い巡潜乙型が参加したもので、貨物船に対する通商破壊戦などを行った。
戦果は微々たるものであったがアメリカ人に与えた心理的影響は極めて大きく、ロサンゼルスの戦いに代表される騒動が方々で発生した。
西海岸に対潜監視力が集中した頃、東海岸(大西洋側)ではドイツ軍による大規模な通商破壊作戦(パウケンシュラーク作戦)が発動し、図らずも日独双方がアメリカを東西から圧迫する事態となった。
1942年
H作戦
(えいちさくせん)

蘭印作戦
(らんいんさくせん)
昭和17年(1942年)1月から開始された、日本軍によるオランダ領東インドの攻略作戦。
後のソロモン諸島を巡る戦いほどではないが、日本と連合軍の水上戦闘艦同士による海戦が幾度も発生した。
朝潮、大潮、満潮、荒潮の第八駆逐隊が参加したバリ島沖海戦などがある。
また「雷」と「電」の活躍が有名な敵兵の救助作業(実際は後日付で艦隊司令長官の名前で救助命令が出ている)は、この作戦中に起きたスラバヤ沖海戦での出来事。
「ただ強いだけじゃ、ダメだと思うの。ね、司令官!」「頑張ったの…です…」
遣独潜水艦作戦
(けんどくせんすいかんさくせん)
同盟国であるドイツとの技術・資源交換は同盟締結の1936年よりシベリア鉄道や輸送船を用いて行われていたが開戦により陸路及び海路が連合軍に封鎖され使えなくなった為に互いの得意分野であった潜水艦を生かして行われた輸送作戦の総称。
第一次(1942年4月出発)・第二次(1943年6月)・第三次(同9月)・第四次(同11月)・第五次(1944年3月)の5回が実施されたがドイツ軍との合流地点であるフランスのロリアン港(第二次はブレスト港)にたどり着いたのは第一次、第二次、第四次の3回、そこから無事に日本に帰還することができたのは「伊八」の第二遣独作戦のみであった。
成果は第二次作戦においてドイツ軍よりUボート(潜水艦)のU-511が無償提供され日本に回航後は「さつき1号」と銘々され日本海軍に編入されてからは「呂500」として終戦まで研究や訓練に使われている。その他にもジェット機・レーダー・ロケット弾・電気溶接の技術等が提供され日本からは主に魚雷関連の技術を提供している。
余談であるがドイツからも同じようにUボートが三度に渡り日本に派遣されるが全て日本にたどり着くことは無く、同じ同盟国のイタリアからも計4隻の潜水艦派遣が行われ1隻が日本に到達、持ち込まれたレーダーの技術によって終戦までに2機のB29を撃墜する戦果を挙げている。ただし、ドイツからの派遣のうち1回は上述の呂500回航であり、残り2回のうち1回はドイツの降伏により中止されたものである。
ドーリットル空襲
(どーりっとるくうしゅう)
昭和17年(1942年)4月18日に行われたアメリカ軍による初の日本本土空襲。航空母艦から陸軍の中型爆撃機を無理やり発進させて東京・川崎・横須賀・名古屋・四日市・神戸を爆撃する前代未聞の作戦を行う。
潜水母艦から空母へと改装中だった「大鯨龍鳳)」に爆弾が命中した他、死者87名・重軽傷者466名・家屋262戸の被害を出した。
計16機の内15機は同盟国であった中国国内で機体を放棄し乗員は脱出、残る1機は当時日本と中立関係であるソ連に不時着している。
日本軍は空襲は艦載機によって行われると考え、そのため本土に更に接近する必要がある等の予測から機動艦隊追撃に基地航空隊や「扶桑」「山城」等を投入するも特設監視艇に発見された米機動部隊は予定を早めて発艦させ反転していたため捕捉すらできず、本土の防御態勢の甘さを痛感した海軍首脳部は2度目の空襲を防ぐためにミッドウェー作戦を急がせたという説もある。
珊瑚海海戦
(さんごかいかいせん)
昭和17年(1942年)5月、オーストラリア北東部の珊瑚海で、ポートモレスビー攻略(MO作戦)を目指し南下してきた日本海軍機動部隊と、
連合軍(アメリカ海軍とオーストラリア海軍)機動部隊のあいだで行われた海戦。
史上初の空母同士の対戦で、日本海軍が軽空母一隻を失ったのに対し、連合軍は正規空母一隻を失った。
戦術的には日本海軍の勝利といえるが、多数の航空機と搭乗員を失ったためポートモレスビー攻略を断念。
快進撃を続けていた日本海軍の初めての蹉跌となった。
なお、日本海軍が失った軽空母一隻とは「祥鳳」であり、彼女が珊瑚嫌いなのはこのことに由来する。
おもな参加艦艇:祥鳳 瑞鶴 翔鶴 青葉 衣笠 加古 古鷹 妙高、羽黒 天龍 龍田 夕張 有明 夕暮 追風 朝凪 白露 時雨 曙 潮 漣 睦月 望月 弥生
ミッドウェー海戦
(みっどうぇーかいせん)

MI作戦
(えむあいさくせん)
昭和17年(1942年)6月にハワイ諸島の北西に位置するミッドウェー島付近で行われた海戦。
陸軍部隊の同島の攻略における支援と、それに釣られてくる米空母の撃滅が主な作戦目的だった。
この戦いで日本軍は「赤城」「加賀」「蒼龍」及び「飛龍」の4隻の空母を失い、主力の一航戦と二航戦がまとめて壊滅した(米軍は空母1隻を喪失)。
日本軍がそれまでの攻勢から守勢に転がり落ちるターニングポイントとなった。
ただし米軍の受けた被害も甚大で航空機搭乗員の損失は日本軍を大きく上回っていた。特に雷撃隊は生存者1名のホーネットVT-8をはじめ、ほぼ壊滅状態となり再建に大変苦労することとなる。
 
なお大敗北の主な原因としては、米軍との諜報力の差や空母部隊司令部の慢心、司令部での意見の不一致という説が根強い。
しかしながら近年調査が進んできたこともあり、一部の内容が否定される意見も出始めているという。
気になった提督諸氏は自ら様々な資料を当たってみるのも良いであろう。
また、この海戦に関しては、特に赤城や飛龍の台詞に関連しているものが多い。
おもな参加艦艇:赤城 加賀 蒼龍 飛龍 瑞鳳 千歳 金剛 比叡 榛名 霧島 三隈 最上 熊野 鈴谷 愛宕 鳥海 妙高 羽黒 利根 筑摩 神通 由良 長良 五月雨
春雨 村雨 夕立 朝雲 峯雲 夏雲 三日月 朝潮 荒潮 親潮 黒潮 雪風 時津風 天津風 初風 不知火 霞 陽炎 霰 早潮 嵐 野分 萩風 舞風 風雲 夕雲 巻雲 秋雲 磯風 浦風 浜風 谷風 伊168(潜水艦は他22隻参加)
AL作戦
(えーえるさくせん)
日本軍がミッドウェー海戦を行うに当たり、北太平洋よりの奇襲を防ぐのも兼ねて実施された陽動作戦。
「龍驤」「隼鷹」を軸としてアリューシャン諸島の海軍拠点のあるウラナスカ島への打撃及びにアッツ・キスカ島の攻略が目標であったが、アッツ・キスカ両島を無血占領するもウラナスカ島に大した打撃が与えられず緒戦からの秘密兵器であった零戦が不時着してしまったことによりアメリカ軍に鹵獲される(アクタン・ゼロ)という失態も犯してしまい、陽動作戦としては大きな被害のでる作戦となってしまった。
しかし、アッツ・キスカ両島は米国の本土であり、米国にとってそれを占領された衝撃は大きなものであった。
この作戦により、後にアッツ島沖海戦や、アッツ島守備隊玉砕、キスカ島守備隊の奇跡の撤収作戦などが起こることとなる。
おもな参加艦艇:那智 雷 電 龍驤 隼鷹 摩耶 高雄 漣 曙 潮
阿武隈 初春 子日 若葉 初霜
木曾 多摩 暁 響 帆風
ソロモン海戦
(そろもんかいせん)
第一次(1942年8月)・第二次(42年8月)・第三次(42年11月)ソロモン海戦の総称。
米豪遮断を目的としたソロモン諸島の戦い(有名なガダルカナル島の攻防戦はここに含まれる)の中で発生した数ある海戦のひとつ。
 
米軍優勢であったガダルカナル島に「殴り込み」をかける目的であった第一次ソロモン海戦で日本は得意の水雷夜戦で大勝利を収めるが、
航空攻撃を恐れて主目標であった米輸送船への攻撃を断念して帰投したため戦略的な勝利は得られなかった。
ガダルカナル島奪回の為に行われた第二次ソロモン海戦は両軍の機動部隊が交戦となり、軽空母「龍驤」や輸送船を失い奪回作戦を中止。
再度飛行場砲撃と同島奪回の為に行った第三次ソロモン海戦では3日に及ぶ乱戦の末、多数の輸送船と共に戦艦「比叡」「霧島」を失う決定的な敗北を喫し断念、ガダルカナル島及び周辺海域では米軍が優位に立つこととなった。
おもな参加艦艇
(第一次):鳥海 青葉 加古 古鷹 衣笠 天龍 夕張 夕凪
(第二次):愛宕 陸奥 神通 涼風 海風 江風 睦月 弥生 卯月 望月 陽炎 磯風 夕凪
翔鶴 瑞鶴 比叡 霧島 筑摩 鈴谷 熊野 長良 秋雲 夕雲 巻雲 風雲 初風 浦波 敷波 綾波 秋風
龍驤 利根 時津風 天津風
(第三次):比叡 霧島 長良 雷 電 天津風 雪風 照月 朝雲 村雨 五月雨 夕立 春雨 時雨 白露 夕暮
鳥海 衣笠 朝潮 鈴谷 摩耶 天龍 夕雲 巻雲 風雲 満潮 利根 隼鷹 瑞鳳 金剛 榛名 初雪
五十鈴 早潮 親潮 陽炎 海風 江風 涼風 高波 巻波 長波 望月 天霧 黒潮
愛宕 高雄 川内 白雲 浦波 敷波 綾波
サボ島沖夜戦
(さぼとうおきやせん)
第二次ソロモン海戦の約2ヵ月後である10月11日夜に起きた海戦。
艦これでは「青葉やらかし事件」として馴染み深いが、現実には日本海軍のお家芸である夜戦で初めて大敗したという重要な事件。
ガダルカナル島への物資支援と敵飛行場砲撃の為に重巡3、駆逐艦2からなる第六戦隊と、日本軍を察知し迎撃に出ていた当時新兵器であるレーダーを装備した米水雷部隊との海戦。
遭遇直後日本側の司令官である五藤少将は暗闇の中見張員が見つけた10km先の艦影の中に別行動中の味方輸送部隊に類似した艦影を発見。同志討ちを避けるべく敵味方識別のため味方識別信号を送りながら接近する。この艦影の正体は米艦隊であり、レーダーで日本軍を発見していた米軍にT字での先制攻撃を許してしまう。
旗艦である「青葉」は米軍から集中砲火を浴び、艦橋に直撃弾を受けて五藤少将は戦死、司令部は壊滅、艦も大破する。
しかし即座に退避行動を取っていた「古鷹」が米艦隊と「青葉」の間に割り込み「かばい」ながら応戦、更に殿艦の「衣笠」が有効な反撃を行ったおかげで沈没は免れるが「古鷹」は沈没、その後第六戦隊はなんとか撤退するも「吹雪」は弾薬庫爆発により轟沈、戦闘後救援に来た駆逐艦2隻「叢雲」「夏雲」を空襲にて喪失。一方米軍の駆逐艦1隻を撃沈、軽巡と駆逐艦をそれぞれ1隻大破させている。
別行動のおかげもあり輸送作戦自体は成功したが、夜戦で勝利を収めたアメリカ軍はこの作戦以降、夜戦をあまり恐れることが無くなったという。…が、この後の夜戦での損害は相変わらず大きく、本当の意味で日本軍に夜戦で勝利するようになるのはベラ湾夜戦(1943年8月6日)からであった。
因みに海戦名は交戦国同士がつけるため国によって異なるが、アメリカでサボ島沖夜戦というのは、日本側で言う第一次ソロモン海戦を指すので注意が必要。
「かばう」システムのモデルの1つであるとされ実装された当時、掲示板ではこの話で持ちきりであった。
おもな参加艦艇:青葉 衣笠 古鷹 吹雪 初雪 叢雲 夏雲
南太平洋海戦
(みなみたいへいようかいせん)
昭和17年(1942年)10月、ソロモン諸島沖で行われた海戦。ソロモン諸島の戦いの中の数ある海戦のひとつ。
日米の空母機動部隊同士の海戦だが、両軍ともに航空戦に終始していた。
この海戦により米空母「ホーネット」が沈没、同「エンタープライズ」が大破し、
太平洋戦線における米空母の稼働数が一時的に皆無*52となったため、米軍をして「史上最悪の海軍記念日」と言わしめた。
この海戦の結果、開戦時から在籍していた正規空母は日米お互いに4隻ずつ*53沈没となり、ミッドウェー海戦での敗北を数字の上では挽回したといえる。
しかし、日本も空母「翔鶴」が大破、「瑞鳳」が小破し、敵のすさまじい対空砲火により出撃機の半数以上と村田重治少佐、関衛少佐ら各艦の飛行隊長クラスを含む150名近い開戦以来の熟練搭乗員を失い、以後同等水準、規模の艦載機部隊が終戦まで復活することはなかった。
おもな参加艦艇:
(第二艦隊)隼鷹 金剛 榛名 愛宕 高雄 摩耶 妙高 五十鈴 黒潮 親潮 早潮 海風 涼風 江風 長波 巻波 高波
(第三艦隊)翔鶴 瑞鶴 瑞鳳 比叡 霧島 鈴谷 熊野 利根 筑摩 長良 嵐 舞風 初風 雪風 天津風 時津風 浜風 照月 秋雲 夕雲 巻雲 風雲 浦風 磯風 谷風
ルンガ沖夜戦
(るんがおきやせん)
昭和17年(1942年)11月30日、第三次ソロモン海戦によってガタルカナル島とその周辺の制海・制空権を失った日本軍が同島への「鼠輸送」を行っていた駆逐艦8隻による第二水雷戦隊とそれを阻止するために出撃していた重巡4・軽巡1・駆逐艦6からなるアメリカ第67任務部隊との間で起きた海戦。
米軍は日本軍が発見するよりも先にレーダーを使い日本艦隊を察知、先制攻撃を仕掛ける。
物資を揚陸している最中に攻撃を受けた日本側の司令官である田中頼三少将は「揚陸やめ、全軍突撃せよ」と全艦に揚陸を中止させ戦闘に突入。
日本軍の最新兵器であり秘密兵器であった酸素魚雷の活躍と単艦突撃し囮となった高波の存在もあり、米軍の重巡洋艦を1隻撃沈・3隻大破、こちらの損害は駆逐艦1隻の損失のみと大勝をおさめる。
咄嗟の判断によって自分たちの艦艇よりも大型の艦艇を多数に打撃を与えたので敵である米軍からは高く評価された戦闘であった。
しかし目的であるドラム缶輸送には失敗し、旗艦「長波」の行動が消極的だったこともあり、司令官田中頼三少将に対する日本軍からの評価は著しく低かった。
おもな参加艦艇:長波 高波 黒潮 親潮 陽炎 巻波 江風 涼風
1943年
ケ号作戦
(けごうさくせん)
昭和18年(1943年)2月上旬に実施された、日本軍によるソロモン諸島ガダルカナル島からの撤退作戦。艦これに登場する艦も多数が参加している。
敵軍の制空・制海権下で行われた大規模な撤退作戦であった為、後方には「金剛」「榛名」「隼鷹」「瑞鳳」を含んだ中規模艦隊を待機させていた。
しかし、奇跡的にもアメリカ軍の艦隊は現れずに駆逐艦のみの部隊で3度に渡る撤退作戦で兵員の殆どであった1万人以上を収容することに成功、
約20隻の駆逐艦が撤退作戦に参加して何度か小規模な攻撃は受けたが沈没は「巻雲」1隻のみで予想以上の成果を上げることができた。
なお、「ケ」とは「捲土重来」を意味しており、「ケ号作戦」という作戦名は後述のキスカ島撤退を始め各地の撤退作戦に使われているが、一般的にはガダルカナル島撤退作戦のことを指すのが通例である。
おもな参加艦艇
(第一次):文月 白雪 江風 親潮 舞風 巻波 風雲 巻雲 夕雲 秋雲 浦風 磯風 浜風 谷風 皐月 長月 時津風 雪風 大潮 荒潮
(第二次):黒潮 白雪 朝雲 五月雨 江風 舞風 風雲 夕雲 秋雲 浦風 磯風 浜風 谷風 皐月 文月 長月 時津風 雪風 大潮 荒潮
(第三次):黒潮 白雪 朝雲 五月雨 時津風 雪風 皐月 文月 風雲 夕雲 秋雲 浦風 磯風 浜風 谷風 大潮 荒潮 長月
アッツ島沖海戦
(あっつとうおきかいせん)
昭和18年(1943年)3月27日、アッツ島への増援部隊を乗せた輸送船を護衛していた日本海軍第五艦隊とそれを阻止しようとした米艦隊との間に起こった海戦。
第五艦隊は数の上で優勢*54であったものの、那智、摩耶のミスや第五艦隊司令長官細萱中将の消極的な戦術指揮・誤判断が災いして米艦隊の撃破に失敗、輸送作戦も中止になった。
海戦自体の勝敗は引き分けだったものの、増援を阻止したという点においては米海軍の戦略的勝利であった。
この失敗により細萱中将は更迭、アッツ島への増援も遅れてしまい、後の玉砕の遠因になった。
おもな参加艦艇:那智 摩耶 阿武隈 多摩 若葉 初霜 雷 電
い号作戦
(いごうさくせん)
昭和18年(1943年)4月7日から行われた日本海軍による航空作戦。奪取されたガダルカナルや東ニューギニアの連合国軍に打撃を与えることが目的であった。
使用された「瑞鶴」ほか3隻の空母の艦載機は、地上基地に移されてから発進した。
ラバウル基地に赴いた山本五十六連合艦隊司令長官の指揮により約一週間実施されたが、戦果の割には多くの搭乗員と機体を失うことになった。
作戦終了直後の18日、山本は飛行機で移動中に、暗号解読して待ち伏せていた米軍機の襲撃により戦死する(海軍甲事件)。
コロンバンガラ島沖海戦
(ころんばんがらとうおきかいせん)
昭和18年(1943年)7月12日深夜〜13日未明にかけて、ソロモン諸島コロンバンガラ島への輸送作戦を行っていた日本軍の第二水雷戦隊と、それを阻止するために出撃したアメリカ軍第18任務部隊との間で起きた夜戦。
米軍は湾岸警備隊による監視と夜間偵察機の探索で日本艦隊を発見。更にレーダーを使い日本艦隊を察知したが、日本軍も水偵と「雪風」の逆探知装置により米艦隊の察知に成功。同時刻に両軍は目視により敵の艦影を確認する。日本艦隊の先頭に立っていた「神通」は駆逐艦に攻撃目標を指示するために探照灯を投射。それにより自艦の位置を暴露する形になり集中砲火を浴びる。計34門もの6インチ(約15.2センチ)砲を擁する近代軽巡3隻に対し、「神通」は艦齢18年になろうとする旧式艦であった。激しく反撃するが大破炎上する。
この間、ほぼノーマークとなったニ水戦の駆逐隊は雷撃を実施。軽巡1隻を大破させ、離脱にも成功する。
「神通」が撃沈された頃、魚雷の『次発装填』を終えた駆逐隊は戦線に戻ってきた。再度の雷撃で米艦隊は混乱、直後の艦同士の衝突も合わせて最終的に軽巡3隻と駆逐艦2隻を大破、1隻の沈没という大被害を被る。
これにより米軍の迎撃作戦は完全に失敗に終わり、同島への揚陸も許してしまった。

戦後、アメリカの戦史学者はこの海戦を評して『神通こそ太平洋戦争中、最も激しく戦った日本軍艦である』と語った。
余談であるがこの海戦で旗艦を失った第二水雷戦隊の次の旗艦に「能代」が配備されることになる。
おもな参加艦艇:神通 雪風 清波 浜風 夕暮 三日月 皐月 水無月 夕凪 松風(皐月以下4隻は輸送部隊)
キスカ島撤退作戦
(きすかとうてったいさくせん)
昭和18年(1943年)7月29日に行われた、第一水雷戦隊(旗艦:阿武隈)によるアリューシャン列島にあるキスカ島からの守備隊撤収作戦。作戦名は「ケ号作戦」であるが、こちらは「乾坤一擲」に由来する。
当時キスカ島は米軍の重包囲下にあり、日本海軍はこの時期に発生しやすい霧に紛れての救出を狙った。
7月15日に一度はキスカ島への突入を試みるも、霧が晴れてしまったため断念、帰投し好機を待った。
この時、部下から突入を催促された時の木村昌福司令官の名言「帰ろう、帰ればまた来られるから」は、艦これ提督諸兄も胸に刻むべし。
無理して大切な艦娘を失ったら元も子もないのである。
その後、29日に絶好の濃霧が発生し、米艦隊が包囲を解いた一瞬の隙を突く形でキスカ島に突入、わずか55分で守備隊員5200名を収容、キスカ島を撤収した。
 
日本軍にとって幸運な出来事が重なったことや、同年5月に近隣のアッツ島で守備部隊が全員玉砕したのに対し、
キスカ島は全員無事に撤収できたことから、この作戦は「奇跡の作戦」と呼ばれた。
戦後に映画化もされたので、興味のある方はレンタルショップで探してみよう。
おすすめ映画・書籍でも解説されているが、この映画は古い作品ながらも現在でも評価されている傑作である。

ちなみにこの作戦には後日談という名のヲチがあり、米軍は偵察により島内を歩きまわる動物を帝国軍と勘違いして超が付く程の緊張の中上陸(コテージ作戦)。
視界不良による同士討ちや、撤退前に施しておいた軍医の悪戯(兵舎前に「ペスト患者収容所」という偽看板を残していった)によりパニックが発生するなどの多大な被害を出している。なお、看板を訳した米軍の通訳官はペストの感染を疑われ、後方に送られた*55
この作戦は戦後、米軍出身の戦史家に"史上最大の最も実戦に近い上陸演習"と皮肉られた。

キスカ島の守備隊撤退により、以後北方方面においては終戦まで大きな戦いは無かった。
おもな参加艦艇:阿武隈 多摩 木曾 島風 響 朝雲 薄雲 夕雲 長波 秋雲 風雲 若葉 初霜 五月雨
ベラ湾海戦
(べらわんやせん)
昭和18年(1943年)8月6日、ソロモン諸島コロンバンガラ島への輸送作戦を行っていた日本軍の駆逐艦部隊と、それを阻止するために出撃したアメリカ軍の駆逐艦部隊との間で起きた夜戦。
アーレイ・バーク大佐考案*56の新戦術(レーダーを活用した、部隊を2つに分けての波状攻撃)によって時雨以外の3隻が次々と撃沈され、輸送部隊は壊滅した。
1年前の第一次ソロモン海戦を起点としたソロモン方面での夜戦において、ついにアメリカ海軍の戦術が日本海軍を上回った瞬間であった。
後にバーク大佐はソロモン諸島最後の海戦であるセント・ジョージ岬沖海戦(1943年11月24日)で自ら指揮を取り、同じ戦術で完勝している。
おもな参加艦艇:時雨 江風 萩風
ろ号作戦
(ろごうさくせん)
昭和18年(1943年)10月28日から11月12日まで実施された日本海軍の航空作戦。
ブーゲンビル島周辺に来襲した連合軍の上陸船団とそれを支援する艦隊を撃退するべく行われた。
9月と10月に行った戦艦部隊の中部太平洋方面への迎撃(いずれも空振りに終わった)の影響でトラック島の重油不足が深刻化していたために艦隊を動かせず、
い号作戦同様空母艦載機隊の陸上基地への転用による迎撃となった。
しかしこのころエセックス級、インディペンデンス級といった新型空母の増勢により日本に対し優位な航空兵力を揃えつつあった米艦隊にはほとんど損害を与えられず、またしても多数の機体と搭乗員を失った。
かくして機動部隊の航空兵力はすっかり磨り潰されてしまい、先の連合艦隊の燃料不足も相まって、ギルバート・マーシャル諸島への米軍の反攻に対して機動部隊や有力な艦隊抜きで迎撃せざるを得なくなった。
1944年
トラック島空襲
(とらっくとうくうしゅう)
昭和19年(1944年)2月17日〜18日に起こった、米海軍第五艦隊の空母艦載機によるチューク諸島を狙った大空襲。
正規空母5隻、軽空母4隻による大規模な空襲の結果、施設や航空機は破壊されトラック島は無力化された。
チューク諸島から脱出しようとした艦船も戦艦や潜水艦などに追撃され、結果として「阿賀野」「那珂」「舞風」「文月」などのチューク諸島にいた大半の艦船が沈没した。
また、この空襲により有力な輸送船が多数沈没したことで、以後の艦隊行動が大きく制限された。
ちなみにチューク諸島にはあの「宗谷」(艦これ未実装)もいたのだが座礁しながらも奇跡的に脱出に成功した。
おもな参加艦艇:阿賀野 那珂 香取 太刀風 追風 舞風 文月 秋風 松風 時雨 春雨 明石 秋津洲
渾作戦
(こんさくせん)
昭和19年(1944年)5月下旬から6月13日まで行われた日本軍の輸送作戦。作戦ではない
米軍がマリアナ諸島攻略の前哨基地・飛行場確保の為にニューギニア北西部のビアク島に同年5月下旬に上陸、同島で善戦を重ねているとの報告を受けた日本軍は、ニューギニアからの細々とした補給だけでは足りないと判断し、ビアク島守備隊に直接増援部隊を送る事となった。
第一次渾作戦では「扶桑」のほか重巡、軽巡、駆逐艦及びに多数の支援艦を含む艦隊で向かうも、敵機動部隊発見の報を受け中止。ニューギニア西部のソロンへ退避を完了するが、発見報告は誤報であった。
第二次渾作戦は一次作戦参加艦の中の駆逐艦6隻によるピストン輸送に切り替え行われたが、途中B-25の空襲を受け「春雨」が沈没するも作戦を続行。その後重巡1、軽巡2、駆逐14隻からなる水上艦隊に遭遇し、敵艦隊からのレーダー射撃を受け作戦中止。多少の損傷はあったものの沈没艦も無く撤退に成功するが、輸送には失敗。
第三次渾作戦では第二次作戦の反省から水上艦隊を排除しなければ輸送作戦は困難と判断、ついでに敵機動部隊を誘引するべく「大和」「武蔵」を投入する。
しかし、部隊集結中に米機動部隊がマリアナ諸島に来襲、その迎撃の為に部隊は解散し作戦も中止となった。
結局米軍はビアク島を確保できずにマリアナ諸島攻略を開始、日本軍守備隊はニューギニア島からの補給のみでマリアナ沖海戦後も耐え切るが、8月に玉砕した。
おもな参加艦艇:
(第一次):扶桑 青葉 妙高 羽黒 鬼怒 敷波 浦波 時雨 白露 五月雨 春雨 風雲 朝雲
(第二次):敷波 浦波 時雨 白露 五月雨 春雨
(第三次):大和 武蔵 妙高 羽黒 青葉 鬼怒 能代 沖波 島風 朝雲 満潮 野分 山雲
マリアナ沖海戦
(まりあなおきかいせん)

あ号作戦
(あごうさくせん)
昭和19年(1944年)6月19日〜20日、マリアナ諸島(サイパン島やグアム島が含まれる)沖で行われた航空機主体の海戦。太平洋戦争の趨勢を決定付けた決戦である。
ギルバート・マーシャル諸島を攻略し、マリアナ諸島攻略のために進撃を続ける米海軍第五艦隊の撃滅が主な作戦目的だった(1944年の「あ号作戦」)。
戦前の計画通りなら漸減要撃作戦における艦隊決戦にあたる戦いだったが、すでに多くの熟練パイロットを失っていた日本側は数も質も優勢な米軍機動部隊にほとんど損害を与えることができず、
逆に「大鳳」「翔鶴」「飛鷹」の3空母と航空機の大半という連合艦隊の主戦力を失ってしまう。
航空戦力を失った連合艦隊は空への防御力を著しく喪失し、レイテの破滅へと繋がっていった。
米海軍の迎撃機や新型対空砲弾により日本の戦闘機・攻撃機がバタバタと落とされたことから、
アメリカ軍のパイロットから「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄された。
そして占領されたマリアナ諸島より戦略爆撃機B-29が発進し、日本本土空襲が始まることになる。
おもな参加艦艇:
(第三艦隊)大鳳 翔鶴 瑞鶴 飛鷹 隼鷹 龍鳳 長門 妙高 羽黒 最上 矢矧 朝雲 磯風 浦風 初月 若月 秋月 霜月 満潮 野分 山雲 時雨 五月雨 秋霜 早霜 浜風
(第二艦隊)大和 武蔵 金剛 榛名 瑞鳳 千歳 千代田 愛宕 高雄 鳥海 摩耶 熊野 鈴谷 利根 筑摩 能代 長波 朝霜 岸波 沖波 藤波 浜波 玉波 島風 響 初霜 雪風 卯月(響以下4隻は補給部隊護衛)
レイテ沖海戦
(れいておきかいせん)

比島沖海戦
(ひとうおきかいせん)

フィリピン沖海戦
(ふぃりぴんおきかいせん)
昭和19年(1944年)10月23〜25日にフィリピン諸島内外の数箇所で起きた海戦の総称で、世界最大の海戦。日本側の作戦名は「捷一号(しょういちごう)作戦」。
艦これでは第三艦隊(小沢艦隊)のエンガノ岬沖海戦、第二艦隊第三部隊(西村艦隊)のスリガオ海峡夜戦、第二艦隊本隊(栗田艦隊)のサマール島沖海戦、武蔵の沈んだシブヤン海海戦(栗田艦隊)が図鑑及び艦娘のセリフ内で登場している。
作戦内容だが、直前の台湾沖航空戦の損害で直前まで二転三転し、最終的(最終決定は作戦発動後)には「侵攻してきた連合軍とその艦隊に対し、「瑞鶴」を旗艦とする第三艦隊が囮として米機動部隊を北へ釣り上げ、基地航空隊である第一第二両航空艦隊がこれを殲滅。
機動部隊がいなくなった敵上陸部隊に対し、第二・第五の両艦隊を西から殴り込ませ、直衛の護衛戦力を排除し上陸部隊を撃滅する」というものになった(第五艦隊の使い道について連合艦隊と上級司令部となった南西方面艦隊とで対立があった)。
因みにこの戦いで基地航空隊が初の組織的な「特別攻撃」を行っている。
まさに連合艦隊の総力を挙げた作戦だったが、艦艇の数こそ多くとも、既にマリアナの敗戦で主力を失った日本海軍の戦力は大きく低下しており、結果米艦隊による殲滅戦の様相を呈した。
案の定というか航空支援のない水上艦艇を突入させても作戦を果たす前に大損害を被るという太平洋戦争緒戦からの鉄則が守られたのである。
囮となった第三艦隊は敵の誘致が遅れて栗田艦隊は損害を被ってしまい、貴下の空母4隻は全滅、基地航空隊の攻撃も不発に終わる(軽空母を1隻沈めたが...)
栗田艦隊は連合艦隊の不手際で直前の燃料補給が一日遅れ、急遽二手に別れて進軍するも本隊は敵潜水艦の攻撃と小沢艦隊が誘致出来ていないハルゼー艦隊の空襲で大損害を被り、別隊の西村艦隊は栗田艦隊がハルゼーの空襲で一時避退した事で挟撃の時期を逸し、逆に突入を早めた結果壊滅してしまう。しかも栗田艦隊が避退した頃にハルゼーは小沢艦隊を発見し空母部隊を率いて北上。空襲が収まるという間の悪さ。それでも突入日早朝に船団護衛の護送空母の1群に遭遇し、護送空母1、駆逐艦3を撃沈し、数隻に損害を与えている(日本側は終始これを正規空母からなる機動部隊の一群と考えて戦後になるまで気付かなかった)
その後も断続的に空襲を受け艦隊の損害、将兵の疲労は蓄積。そうしたなかで、北方に敵大艦隊発見の報を受けた栗田は湾前で反転北上、これを攻撃に向かってしまう。しかしこの報告は誤報で発信記録もない電報(但し類似する電報が内地や基地航空部隊などに届いている)だった。
突入時期を逸した栗田艦隊は撤退、結局戦艦3隻のほか多数の巡洋艦・駆逐艦が沈没・損傷し、連合艦隊は事実上壊滅した。
また作戦終了後、本土へ帰還中に「金剛」「浦風」「熊野」が米軍の追撃により沈没している。

ここに書いてあることはほんの一部なので興味のある提督諸氏は資料を探してみると良いだろう。
シブヤン海海戦
レイテ沖海戦の一連の海戦で最初に行われた海戦。10月22日にブルネイを出撃した第一遊撃部隊本隊(通称栗田艦隊)は23日未明に米潜水艦の攻撃で旗艦愛宕、摩耶を失い、高雄が中破し護衛の駆逐艦長波、朝霜と共に後退するという損害を受けたが、その後は敵からの攻撃を受けることなく24日を迎えた。しかしこの日、艦隊はハルゼー機動部隊第2.3.4群の空襲を受けることになる。通算5度に渡る大空襲を受けた艦隊は部隊の中核の1つである武蔵が推定雷撃20本、爆弾17発、至近弾20発以上という大打撃を受けて沈没し、他にも重巡妙高が中破し後退、大和、長門、利根、矢矧、浜風、藤波が小破。このうち浜風と清霜は武蔵の生存者を救助後後退した。
大空襲を受けた栗田長官は基地航空隊と小沢艦隊の作戦が上手くいっていないと判断、一時的に反転して敵の空襲から逃れる。しかしちょうどこの頃になってハルゼーは小沢艦隊を発見、栗田艦隊が反転したこともあり、栗田艦隊は退却したと判断する。上陸部隊の護衛をキンゲイト中将の第7艦隊に任せ北上を開始する。空襲がやんだ栗田艦隊は再反転し突入を再開するが、このタイムロスにより西村艦隊との挟撃が不可能となり、同隊が単独突入する遠因となってしまう。
おもな参加艦艇:
(第一遊撃部隊本隊):大和 武蔵 長門 金剛 榛名 愛宕 高雄 摩耶 鳥海 妙高 羽黒 鈴谷 熊野 利根 筑摩 能代 矢矧 早霜 秋霜 岸波 沖波 朝霜 長波 浜波 藤波 島風 浦風 磯風 雪風 浜風 清霜 野分
スリガオ海峡夜戦
第一遊撃部隊のうち、第二戦隊(旗艦山城:西村祥治中将指揮)を中核とする第三部隊は本来は本隊と一緒にレイテ湾に向かう予定だったが、部隊がブルネイ到時に予定された輸送船がなく、出発が1日遅れてしまう。このため低速の第三部隊(通称西村艦隊)だけ別航路を進撃し高速で進撃してきた本隊と挟撃する事にした。また本来は機動部隊の所属であった第二遊撃部隊(第五艦隊:志摩清英中将)は台湾沖航空戦の残敵掃討に出撃していたので機動部隊に戻らず南西方面艦隊に所属替えし、栗田艦隊と共にレイテ湾に向う事になったが、決定までに連合艦隊と南西方面艦隊との間に対立があり、結局栗田艦隊側と連携がとれぬままの出撃となった。
2隊はそれぞれ別個に進軍し、西村艦隊は本隊から一時反転した事を知らされ挟撃が不可能になった事をしると自隊単独での突入を決断する。25日未明、突入を開始した西村艦隊は待ち構えていた第7艦隊オルデンドルフ少将率いる支援部隊(戦艦6、重巡4、軽巡4、駆逐艦・魚雷艇多数)の迎撃を受ける。魚雷艇の攻撃は撃退するが、続く駆逐艦部隊の雷撃で扶桑、山雲、満潮が相次いで撃沈、朝雲も大破し後退をする(後に追尾してきた米艦隊によって撃沈)。その後米艦隊のレーダー射撃の集中打を受け山城、最上は瞬く間に大破、山城は西村長官共々沈没し最上は艦橋に直撃を受けて艦長以下幹部が戦死し後退、無傷な時雨のみが退却に成功する。後続する形で進撃していた志摩艦隊も途上で魚雷艇の奇襲を受けた軽巡阿武隈が落伍、その後同隊は後退する最上、時雨を発見するが最上を停止していると誤判断した旗艦那智が衝突してしまう。志摩長官は退却を決断し後退を開始するが最上は米機の追撃を受け沈没、阿武隈も米陸軍機の空襲を受け沈没した。
おもな参加艦艇:
(第一遊撃部隊第三部隊):扶桑 山城 最上 山雲 満潮 朝雲 時雨
(第二遊撃部隊):那智 足柄 青葉 阿武隈 鬼怒 曙 潮 霞 不知火 若葉 初春 初霜 浦波
エンガノ岬沖海戦
ハルゼー機動部隊の北方誘致を任務とした機動部隊は24日早朝より偵察機をだして米機動部隊の索敵を始めたが中々発見することが出来ず、発見は昼ごろとなった。艦隊は直ちに攻撃隊を出動させるが、多くの機がエンジントラブルなどに見舞われたり、敵まで到達することができなかったりし、無事に敵艦隊まで到達して攻撃をしたのは瑞鶴隊の24機(零戦10、爆装零戦11、天山1、彗星2)だけだった。
ハルゼーは16時40分に小沢艦隊発見の報を受けると栗田艦隊への攻撃を取りやめて第2.3.4群を率いて北上を開始、時間の関係から攻撃は翌日となる。25日から小沢艦隊に行われた4度に渡る空襲は小沢艦隊の瑞鶴、千歳、瑞鳳、秋月を撃沈し、千代田、多摩を航行不能に追い込む。後に千代田は先発して北上してきた米巡洋艦部隊に見つかり撃沈し、瑞鶴の生存者救助をしていた初月もこれにつかまり撃沈される。また、単独で離脱中の多摩は哨戒中の潜水艦によって撃沈された。このほかにも五十鈴、霜月など所属艦艇の殆どが損傷してしまう。
結局小沢艦隊は誘致自体は成功したものの、囮任務の目的である「第一遊撃部隊をハルゼー機動部隊の脅威から取り除く」事には失敗した。
おもな参加艦艇:
(機動部隊):瑞鶴 千歳 千代田 瑞鳳 伊勢 日向 多摩 五十鈴 大淀 槇 杉 桐 桑 初月 若月 秋月 霜月 秋風
サマール島沖海戦
再突入を開始した第一遊撃部隊本隊は無事に突入当日の25日を迎えたが、サマール島沖で突如米艦隊と接触する。これは上陸支援を担当するキンゲイト中将の第7艦隊に所属する護送空母群の1つであった。栗田艦隊はこれを正規空母を含む米機動部隊の一群と誤認し攻撃を開始、しかし米側の必死の回避行動や煙幕の展開、護衛の駆逐艦や艦載機の迎撃に進撃を阻まれ逆に筑摩、鳥海、熊野、鈴谷が大破し熊野のみが撤退に成功し残りは沈没する。この他に利根、羽黒、金剛、榛名などが損傷を受けるが、それでも護送空母1撃沈、1中破、駆逐艦3撃沈という戦果をあげている。&br:結局栗田艦隊は米護送空母群を捕捉出来ぬままこれを機動部隊と思い込み壊滅させたと判断。重巡部隊が後もう少しで届くという時に集結命令を出して攻撃を取りやめてしまう。
以後栗田艦隊は継続的に空襲を受けつつも進撃を続けるが、有名な「ヤキ1カ」電を受けて反転北上を決断、これにより突入時期を完全に逸し撤退を余儀なくされる。この間にも能代、藤波、野分が撃沈され、後日の本土への撤退の最中には金剛、熊野、浦風が沈む。連合艦隊は残余の艦艇の殆どを失い、以後大規模な行動をとることはなかった。
おもな参加艦艇:
(第一遊撃部隊本隊):大和 長門 金剛 榛名 鳥海 羽黒 鈴谷 熊野 利根 筑摩 能代 矢矧 早霜 秋霜 岸波 沖波 浜波 藤波 島風 浦風 磯風 雪風 野分
礼号作戦
(れいごうさくせん)
昭和19年(1944年)12月26日、日本海軍による、フィリピンのミンドロ島に上陸した米軍および米艦船への襲撃作戦。重巡1・軽巡1・駆逐艦6からなる少数精鋭艦隊で実行した。
艦これ実装艦では「霞」「足柄」「大淀」「清霜」が参加、「霞」は巡洋艦を差し置いて旗艦に抜擢された。
この戦いで日本側の駆逐艦「清霜」が爆撃で沈没したが、「霞」が味方に撤退命令を出し単艦で救助を開始する。
しかし他の艦も撤退命令を無視し危険を顧みずに救助、およびに度々襲い掛かってくる米軍の撃退にあたり「清霜」の乗員約7割が救助される。
しかし突入時に有力な敵船団が不在だったため、米軍側の損害は輸送船1隻に加え多数の魚雷艇の損傷、そして航空機約30機の喪失であり当時のアメリカ軍からすれば微々たるものであったが、
追撃も不成功に終わるなど日本軍の作戦成功を許してしまったのも事実であった。
 
このささやかな『勝利』が日本海軍最後の組織的戦闘による勝利となる。
なお日本側の指揮官はキスカの「奇跡の作戦」成功の立役者である木村昌福少将であり、本作戦中において彼の人望と水雷戦指揮能力の高さが伺える戦いにもなった。
おもな参加艦艇: 足柄 大淀 霞 朝霜 清霜 榧 杉 樫 日向 伊勢(航空戦艦2隻は後方支援)
1945年
北号作戦
(ほくごうさくせん/きたごうさくせん)
昭和20年(1945年)2月に行われた、航空戦艦「日向」「伊勢」軽巡「大淀」擁する第四航空戦隊及び駆逐艦3隻による本土への帰還兼物資輸送作戦。
シンガポールで燃料などの物資を搭載した艦隊は、途中アメリカ軍の爆撃や潜水艦による攻撃を受けたが、
スコールの発生や各艦の臨機応変な対応、また同地に展開していた機動部隊が硫黄島攻略戦のために不在だった事も有り、奇跡的に全艦無傷で呉に到着することが出来た。
どのくらい奇跡かというと、「金剛が殺られて妙高が半殺しに遭い、輸送船団が全滅した海域を、可燃物満載で護衛戦闘機なしで突っ込んで無傷だった」といえばお解りいただけるか。
この作戦は僅かな被弾でも危険なほどに可燃物を積んでおり、しかも制海権も無い海域を突っ切る作戦だったため
司令部は成功の見込み無し、半数損失は覚悟、最悪の場合は全滅と予想していた(事実半月ほど前にこの作戦と同様のルートを辿った輸送船団が前述の機動部隊に捕捉され、海防艦3隻を残し全滅していた)
だが作戦指揮の松田千秋少将より、「任務を完遂する」と言う意味を込めた「完部隊」と命名されたこの部隊が、
その名の通り全艦健在で帰還した様子を見て司令部が狂喜乱舞したという話が残っている。
この作戦は太平洋戦争において、日本が成功を収めた最後の作戦である。

米軍側は完部隊の出撃を暗号解読で察知していたのだが、2隻の戦艦の出撃意図を図りかねており、フィリピンに突入してくるものと考え、それを踏まえた迎撃体制をとっていた。在フィリピンの全軍に警報を出し、警備艦隊等が迎撃準備を行っている。
完部隊のほうでも、わざとフィリピンに向かうような航路を取って米軍を欺瞞していた。そのため迎撃にでた潜水艦24隻のうち完部隊に接触できたのは3隻のみであり、迎撃は空振りに終わっている。

ちなみに参加艦艇は総数6隻で、全艦艦これに実装済みのため、艦これでも「完部隊」を完全再現することが出来る。
この作戦により、シンガポール方面の主力艦艇のうち、高雄・妙高はすでに航行不能で、伊勢・日向・大淀らが帰還したため、この当時同方面で活動可能な主力艦は第五戦隊の足柄・羽黒のみとなってしまった。
戦争末期の劣勢の中で奇跡的とも言える成功を収めた第四航空戦隊は3月1日付で解隊。後に駆逐艦三隻は坊ノ岬沖海戦(下記作戦参照)に投入され、生還した「初霜」も7月末に宮津湾で擱座、7月の呉軍港空襲(下記作戦参照)で「日向」「伊勢」「大淀」が沈没及び着底するなど全艦とも約半年後の終戦を待たずして壮絶な最期を遂げている。
おもな参加艦艇:日向 伊勢 大淀 霞 初霜 朝霜 神風 野風(神風と野風の第一駆逐隊は台湾から艦隊の護衛についた)
坊ノ岬沖海戦
(ぼうのみさきおきかいせん)
昭和20年(1945年)4月7日、沖縄へ向かう第一遊撃部隊(「大和」「矢矧」「」「浜風」「磯風」「朝霜」「冬月」「涼月」「雪風」「初霜」)とそれを迎撃する米海軍第58任務部隊の間で起こった海戦。事実上の連合艦隊最後の戦いであり、航空攻撃により戦艦が失われた最後の海戦でもある。
沖縄方面の敵戦力に打撃を与える「天一号作戦」の一環として、第一遊撃部隊は「海上特攻部隊」となり突入を試みた。これに米機動部隊の艦載機約400機が殺到。道中で戦闘機や対潜哨戒機などの援護があったが、空襲時にはそれらも無く、ありったけの対空火器で必死の抵抗を試みるが、奮戦空しく「大和」に加え「矢矧」ほか駆逐艦4隻(「」「浜風」「磯風」「朝霜」)が沈没、3700名が戦死した。約2時間に及ぶ熾烈な戦闘であったが「冬月」「涼月」(共に艦これ未実装)「雪風」「初霜」の4隻は生き残り、佐世保に翌日帰還した。
一方米軍側の損失は気象条件が有利だったこともあって*57、艦載機12機、戦死13名とわずかなものであった。
日本海軍の意地と面子を賭けた作戦だったが、戦闘詳報で自ら批判しているように、戦略的にあまりにも割の合わない戦いであった。
余談だが、当初米軍は戦艦部隊を使い夜戦で迎撃をするつもりだった。だが艦隊が欺瞞進路を取ったため大和が佐世保に逃げ込むかに見えた事と、大艦巨砲主義の終焉を全世界に知らしめ航空機の有用性を証明する為に航空戦で迎え撃つこととなった。
おもな参加艦艇:大和 矢矧 霞 浜風 磯風 朝霜 冬月 涼月 雪風 初霜
ペナン沖海戦
(ぺなんおきかいせん)
昭和20年(1945年)5月16日、マラッカ海峡ペナン島沖で起こった日本海軍とイギリス海軍との間の海戦(夜戦)で、第二次世界大戦最後の水上戦闘(注*58)。
アンダマン諸島の日本陸軍からの要請を受け、雷装を撤去し輸送任務を行っていた羽黒と神風は、駆逐艦5隻からなるイギリス艦隊に捕捉されてしまう。
このとき羽黒は先の戦いの損傷が修理されておらず、かつ艦上に輸送物資が満載されてまともに戦えない状態であり、神風は離脱に成功するも羽黒は撃沈された。

羽黒沈没から約3週間後の6月8日には足柄が輸送任務中に潜水艦に撃沈され、南西方面で行動可能な艦船は神風ただ1隻のみとなった。(妙高、高雄は航行不能)
おもな参加艦艇:羽黒 神風
呉軍港空襲
(くれぐんこうくうしゅう)
昭和20年(1945年)3月19日、7月24日、同28日に起こった、米軍の空母艦載機による呉軍港を狙った大空襲。
3月の空襲は軽微だったものの敗戦間近の7月の空襲では約950機もの航空機が襲来。
もはや動けるだけの重油もない生き残りの艦船や、建造されたばかりの新造艦が浮き砲台として必死の抵抗を見せるも、命運尽きて次々と大破・着底または転覆していった。
艦これに登場する艦でも7月24日の空襲で弾薬庫が誘爆した「日向」が26日に、28日の空襲で「大淀」「北上」「利根」「榛名」「伊勢」「青葉」がそれぞれ奮闘の末力尽きた。
余談だが、28日の空襲終了間際に「伊勢」は帝国海軍の戦艦として最後の主砲射撃を行っている。
また、28日の空襲で戦闘機に沈められた「梨(未実装)」は戦後引き上げられ「わかば」として再就役し海上自衛隊に在籍した唯一の日本海軍の戦闘艦艇となった。
おもな参加艦艇:榛名 伊勢 日向 天城 葛城 鳳翔 龍鳳 磐手 出雲 摂津 青葉 利根 北上 大淀 宵月
戦後
クロスロード作戦
(くろすろーどさくせん)
第二次世界大戦後、初めて実行されたアメリカの核実験で、1946年7月1日〜7月25日にかけてマーシャル諸島のビキニ環礁で行われた。この実験により標的艦となった「長門」と「酒匂」がビキニ環礁に沈むこととなる。7月1日の実験は「エイブル(ABLE)」*59、7月25日の実験は「ベーカー(BAKER)」と呼称された。
クロスロード作戦の趣旨は、艦船に対する核兵器の威力を検証することであった。この為に実験場となったビキニ環礁には、「長門」や「酒匂」、ドイツの「プリンツ・オイゲン」、アメリカの空母「サラトガ」など併せて70隻余りの艦艇が集められた。
また、放射線が生物に与える影響を検証する為、各艦船には数多くの実験動物が乗せられた*60
使用された原爆は、長崎に投下された「ファットマン」と同じプルトニウム型原爆で、「エイブル」はB-29からの空中投下、「ベーカー」は上陸舟艇から水中に吊り下げられて起爆された。
実験は「エイブル」の投下地点が風でずれた事を除けば成功裏に終わり、以降、アメリカはビキニ環礁・エニウェトク環礁・ネバダ実験場を中心に数百回の核実験を行うこととなる。
なお「長門」と「プリンツ・オイゲン」は原爆を受けても直ちには沈まず、外観の損傷度合いも低かった。この為米軍は両者を解析しようと企むが、「長門」は誰も見ていない深夜に海中に没し、「オイゲン」は曳航中に横転沈没した。これを枢軸海軍最後の勝利と評する向きもある。*61
おもな参加艦艇(ゲーム実装艦に限る):長門 酒匂 プリンツ・オイゲン




ヨーロッパ戦線 Edit

1939年
大西洋の戦い
(たいせいようのたたかい)
開戦直後から、ドイツが降伏する1945年5月8日まで大西洋全域で行われた一連の戦闘。戦域・期間・参加兵力の全てにおいて第二次世界大戦で最大かつ最長の海上戦闘であった。
開戦前、当時潜水艦隊司令官だったカール・デーニッツはヒトラーに「イギリスを降伏に追い込むには、300隻のUボートが必要」と説くも、海軍総司令官のエーリヒ・レーダーは「欧州最強の水上艦隊を持つイギリス海軍を相手取るには、(通商破壊を行うにしても)Uボートより水上戦力が重要である」と考え、戦艦などの建造に予算が回るよう行動した。
しかし、充分な戦力が整う前に戦争が始まってしまい、ドイツ海軍は準備不足のままでイギリスとの戦いに駆り出される羽目になる。*62
ドイツ海軍はUボートを主力とする通商破壊戦を展開、対するイギリス海軍は海上護衛に戦力の大半を注ぎ込み、一進一退の攻防を繰り広げる。開戦直後より始まったこの戦いは幾千の艦船を巻き込み終戦まで続いた。
なおライン演習作戦も大西洋の戦いに含まれている。
おもな参加艦艇:シャルンホルスト グナイゼナウ アドミラル・ヒッパー リシュリュー(ヴィシーフランス) ビスマルク Z1 Z3 アドミラル・グラーフ・シュペー
1940年
カラブリア沖海戦
(からぶりあおきかいせん)
1940年7月9日、リビアのベンガジに向かう輸送船団を護衛していたイタリア艦隊と、マルタ島の輸送船団を護送するべくエジプトのアレキサンドリアから出撃していた連合国海軍(イギリス海軍とオーストラリア海軍)との間に発生した海戦。
連合国側がイギリス地中海艦隊の主力部隊(戦艦3隻、空母1隻、軽巡5隻、駆逐艦16隻)を輸送船護送のために動員していたのに対し、イタリアも輸送船団護衛のために主力艦隊(戦艦2隻、重巡6隻、軽巡8隻、駆逐艦16隻)を動員していたため大規模な戦闘となった。
海戦自体の結果は引き分けに終わったものの、これ以降イタリア海軍は主力艦を港に温存するようになり、イギリス海軍は地中海で積極的に作戦行動をとるようになった。
おもな参加艦艇:コンテ・ディ・カブール ジュリオ・チェザーレ ザラ フィウメ ゴリツィア ポーラ ボルツァーノ トレント ウォースパイト
タラント空襲
(たらんとくうしゅう)
1940年11月11日〜12日に起こった、イギリス海軍の空母艦載機によるイタリアのタラント軍港に行われた空襲。
真珠湾攻撃の約1年前であり、日本もこの事例を参考にしたとされる。
空母「イラストリアス」から発艦したソードフィッシュ雷撃機21機が当時タラントに停泊していたイタリア主力戦艦群を攻撃し、
戦艦「リットリオ」、「カイオ・ドゥイリオ」、「コンテ・ディ・カブール」の3隻が大破着底した。
3隻の内、「リットリオ」、「カイオ・ドゥイリオ」は修理されたものの、「コンテ・ディ・カブール」は終戦まで修理が完了せず、二度と戦列に復帰することは無かった。
この空襲を受け、イタリア海軍は艦隊を地中海へのアクセスが悪いナポリに移動、地中海の制海権はイギリスが握るようになった。
また、イタリア艦隊を封殺したことでイギリスは地中海艦隊を対ドイツのために大西洋へ融通できるようになり、半年後のビスマルク追撃戦にも影響を与えている。
おもな参加艦艇:リットリオ ヴィットリオ・ヴェネト カイオ・ドゥイリオ アンドレア・ドリア コンテ・ディ・カブール ジュリオ・チェザーレ ザラ フィウメ ゴリツィア ポーラ トレント トリエステ リベッチオ
1941年
マタパン岬沖海戦
(またぱんみさきおきかいせん)
1941年3月27〜29日に起こった、エジプトからギリシャへ向かうイギリスの輸送船団を攻撃しようとしていたイタリア海軍とそれを察知した連合国海軍(イギリス海軍とオーストラリア海軍)との間に発生した海戦。
イタリア海軍の船団攻撃を通信傍受や暗号解読から察知していたイギリス海軍は船団を途中で引き返させ、戦艦「ウォースパイト」、「バーラム」、「ヴァリアント」、空母「フォーミダブル」を中心とした艦隊を出撃させてイタリア艦隊を迎撃した。
この海戦で「フォーミダブル」艦載機からの雷撃を受けた「ヴィットリオ・ヴェネト」が大破し、修理に5か月を要した。また航空攻撃で損傷した重巡「ポーラ」とそれを救援しようとした姉妹艦「ザラ」と「フィウメ」を含む艦隊(重巡3隻、駆逐艦4隻)が夜間「ウォースパイト」率いる水上艦隊の集中砲火を浴び、駆逐艦2隻を除いて全滅した。
このときイギリス艦隊がレーダーで重巡艦隊を探知していたのに対し、レーダーを配備していなかったイタリア艦隊は夜闇に乗じて接近するイギリス艦隊に気づくことができなかった。
海戦の結果、イタリア海軍は新型戦艦1隻が行動不能になったうえ、保有していた重巡洋艦の半数近くを失ったことで戦力が大きく低下、地中海における影響力を失った。
ちなみに、夜間突撃したイギリス海軍の単縦陣に、正規空母フォーミダブルがしれっと混じっていたりする。艦これじゃなくても空母が夜戦に参加したりするのね……
おもな参加艦艇:ヴィットリオ・ヴェネト ザラ フィウメ ポーラ ボルツァーノ トレント トリエステ アルフレッド・オリアーニ ヴィットリーオ・アルフィエーリ ジョズエ・カルドゥッチ ヴィンチェンツォ・ジョベルティ ウォースパイト
ライン演習作戦
(らいんえんしゅうさくせん)
1941年5月、海軍弱国であるドイツが対英国戦線を有利に進めるために発動した水上艦艇による通商破壊作戦、主に「デンマーク海峡海戦」「ビスマルク追撃戦」の事を指す。
当初はドイツ海軍の大型艦艇の大半を作戦に投入する予定であったが機関部の不調等で「ビスマルク」と重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」の2隻の新造艦のみで出撃する。
一方、動きを察知したイギリス軍は迎撃艦隊を出すが海が荒れていたので巡洋戦艦「フッド」と未完成であった戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ(PoW)」の2隻しか迎撃に向かわせることが出来なかった、両者は5月24日にデンマーク海峡で対峙、「フッド」は戦闘開始10分もたたずに轟沈、「PoW」も被害を受けて離脱、「ビスマルク」は大した損害ではなかったが今後を考え作戦を中断、単独でフランスへ戻る事となった。
その後復讐に燃えるイギリス軍は大西洋に展開している全艦艇を「ビスマルク」追撃に投入、同月26日に英空母(アークロイヤル)の複葉攻撃機(ソードフィッシュ)の雷撃で「ビスマルク」は舵を損傷し行動不能に陥り、翌27日にイギリス軍の誇る戦艦艦隊が到着、「ビスマルク」に集中砲火を浴びせ撃沈する。世界最大の戦艦と言われた「フッド」を沈めた新・世界最大の戦艦は初めての航海での初めての作戦が最後の作戦となった。
詳細はビスマルクのページを参照。
おもな参加艦艇:ビスマルク プリンツ・オイゲン
1942年
ツェルベルス作戦
(つぇるべるすさくせん)
1942年2月、占領地であるフランスのブレスト港にいた巡洋戦艦「シャルンホルスト」、「グナイゼナウ」と重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」及び駆逐艦6隻をイギリス海峡を通ってドイツ本国のキール港へ帰還させた作戦のことを示す。イギリス海峡 (English Channel) をダッシュしたことから英語でチャンネルダッシュ (Channel Dash) とも呼ばれる。
当時大西洋の通商破壊の拠点であったブレスト港には修理のため寄港していた「シャルンホルスト」、「グナイゼナウ」とライン演習作戦より帰還した「プリンツ・オイゲン」及び駆逐艦3隻など多くの主力水上艦が在泊していた。しかし既に連日の英空軍による空襲を繰り返し受け、米国の参戦により大西洋への水上艦の出撃もほぼ不可能となっていたためヒトラーはノルウェーへの配置転換を命じこの作戦が実行されることとなった。
1942年2月11日夜、ブレストを出港した「シャルンホルスト」以下9隻の行動は12日朝には戦闘機(スピットファイア)に発見され魚雷艇5隻に襲撃されるも損害はなかった。正午に複葉攻撃機(ソードフィッシュ)の攻撃を受けるものの護衛戦闘機と対空砲火により殲滅することに成功、損害はなかった。その後多少のトラブルや空襲はあったが全艦キールに到着することができた。
英国海軍は英仏海峡を白昼堂々突破されたことで轟々たる非難の声が殺到し、真相隠滅に狂奔することになる。
だが、突破したドイツ艦隊はスカパーフローの英国本国艦隊に動きを遮断されて狭い水域に封じこめられてしまう。
結局、ドイツ海軍は戦術的にかろうじて成功したが、戦略的には完全な失敗で終わった。
詳細はプリンツ・オイゲンのページを参照。
おもな参加艦艇:シャルンホルスト グナイゼナウ プリンツ・オイゲン

海域モデル Edit

通常海域
2013年春イベントモデル海域
2013年秋イベントモデル海域
2014年春イベントモデル海域
2014年夏イベントモデル海域
2014年秋イベントモデル海域
2015年冬イベントモデル海域
2015年春イベントモデル海域
2015年夏イベントモデル海域
2015年秋イベントモデル海域
2016年冬イベントモデル海域
2016年春イベントモデル海域
2016年夏イベントモデル海域

コメント Edit

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最新の20件を表示しています。 コメントページを参照

  • 大西洋の戦いの参加艦艇にフランス艦が混じってる? -- 2016-04-07 (木) 00:41:27
    • ダカール沖海戦に未成のリシュリューが参加しているからそれじゃないかな -- 2016-04-12 (火) 21:50:27
      • 大西洋の戦いに2番艦のジャンバールも入れるべきかどうか…んー… -- 2016-04-13 (水) 21:11:19
  • E-1はジョンストン環礁かな つまり離島か -- 2016-05-03 (火) 04:07:58
    • ジョンストン島じゃなくてフレンチフリゲート礁じゃね?形状的に。 -- 2016-05-03 (火) 08:43:34
      • E-7での位置的にもフレンチフリゲートっぽいな ジョンストンはもうちょっと南だし -- 2016-05-04 (水) 09:47:55
      • 自分で言ってなんだけど、もっかい写真で比較してみるとやっぱりジョンストン島っぽいな、すまない(ジョンストン島フレンチフリゲート礁、そして今回のイベントマップ)。 -- 枝主? 2016-05-04 (水) 14:21:10
      • (続き)あとE-2説明文によると今回のマップの名前はErehwyna島らしいんだけど、これは何が元ネタなんだろうか?←自己解決したので記述に追加しておきます。 -- 2016-05-04 (水) 14:30:35
      • 大淀さんの説明見たけどマジでErehwyna島と書かれてあったとは すげえ -- 2016-05-05 (木) 12:51:50
      • ↑2 由来が分からなくて運営の入力ミスを疑っていたけど、そういうことだったんだ・・・ -- 2016-05-05 (木) 23:49:06
  • E6、E7の元ネタについて記載しました。 -- 2016-05-06 (金) 07:44:18
  • 主な海戦年譜内の神風と親潮の灰字は黒くしていいのかしら?(春風は表記がないので略) -- 2016-05-08 (日) 22:47:18
    • 指摘を受け黒くしておきました。 -- 2016-05-10 (火) 21:44:27
      • やっていただいた上で申し訳ないがレイテの沖波とポーラもでした。直しておきます -- 2016-05-10 (火) 23:11:47
  • Erehwynaを声に出して読むなら何て発音するんだろう?エレーワイナ? -- 2016-05-08 (日) 23:53:23
    • ジョンストン(真顔) -- 2016-05-11 (水) 19:25:39
    • エレゥワイナかな Erewhon(エレウォン)って小説の架空の島が現実の地名についてる例があるから、世界を探せばErewhynaもあるかもしれない -- 2016-05-22 (日) 03:15:36
  • ヘンダーソン飛行場からハワイに航空支援って出来るの? -- 2016-05-19 (木) 18:18:50
    • E5のIマスをS勝利してギミック解除って事は深海はヘンダーソン飛行場からハワイにいる艦娘に攻撃仕掛けてるって感じになりそうだけど -- 2016-05-19 (木) 18:22:25
  • 誤字があったので訂正しました。 -- 2016-05-28 (土) 03:53:04
    • 誤字があったので訂正しました。 -- 2016-05-28 (土) 03:53:14
  • 日米が手を組んだ時点でもはや怖いものなし!なんでもかかってこいや! …と思ったけど艦これ世界の米軍はかなり厳しいことになってるんだろうなあ。あれだけ強力な装備があっても対抗しきれずにハワイを持ってかれてるし -- 2016-05-28 (土) 04:00:10
    • 史実よろしく先制奇襲攻撃でハワイ失陥したのかもしれないし、艦娘の登場が遅かっただけかもしれない。まぁ太平洋の要を失ってるわけだし、厳しいには違いないけど、他国に戦艦出すくらいの余裕はあるんじゃない? -- 2016-05-28 (土) 07:04:39
    • 今年の夏イベは紺碧の艦隊コラボで、真珠湾占領作戦じゃね? -- 2016-06-21 (火) 22:39:54
  • トラック島空襲とマリアナ沖海戦とレイテ沖海戦にアイオワいれるべきかな? -- 2016-06-03 (金) 12:10:01
  • 最近はステビア海に行かなくなったなあ。 …流石に再建中含めて3回もぶっ壊されたら深海側も諦めるか -- 2016-06-04 (土) 17:43:38
    • 何回も何回も行くことになってもそれはそれで困るけどなあ -- 2016-06-26 (日) 23:31:49
  • ヨーロッパ戦線の項目にバルト海での艦砲射撃作戦及びハンニバル作戦について、記述したいと考えているのですが、追記してもよろしいでしょうか。 -- 2016-06-12 (日) 08:43:58
  • 駆逐隊の「また、本来は漢数字の「十」は使わない。」って、ソースは何? 海軍省の公式文書でも現場のレポートでも戦後の回想や文献ふくめて、漢数字の「十」ばかりなんだよね。 -- 2016-06-14 (火) 23:31:37
    • 「十」は普通に使ってるよ。 航空機の九七や九九とかと混同でもしてるんじゃないの? その文章の削除と部隊表記を修正しても良いと思います。 -- 2016-06-20 (月) 12:58:05
    • 駆逐隊の内容直しますよ -- 2016-06-24 (金) 13:29:26
      • 直しました。 一応解説しておきますが公文書でもこのように表記されています。また10を漢数字で「一〇」と表記した場合は「ヒトマル」と、21を「二一」と表記した場合は「ニーイチ」と読みます。「ジュウ」と発音する物は「十」と表記されます。参考例「四十五口径十年式十二糎高角砲」「ヨンジュウゴ口径ジュウ年式ジュウニ糎高角砲」(赤城等の搭載砲)・「一〇式艦上戦闘機」「ヒトマル式艦上戦闘機」(鳳翔で日本初の着艦をした機体) -- 2016-06-24 (金) 13:58:55
  • 神武作戦なんて作戦があったのか。レイテ沖海戦後特攻機と護衛機を積んだ雲龍型と駆逐艦を主軸としてレイテ湾に再突入か… レイテモデルのイベントが来たらIF展開でこれやるのかねえ -- 2016-06-26 (日) 22:46:00
  • 基地航空隊の充実、5月のランカー報酬で六〇一空の配布、先制対潜攻撃の実装。こんどこそ次の夏イベがマリアナの可能性もあり?今年の運営はマリアナの日に言及しなかったけど単なる偶然かな? -- 2016-07-01 (金) 00:06:27
    • ここでマリアナをやっちまったら信濃(空母)の活躍の機会が無くなってしまう -- 2016-07-02 (土) 23:48:36
    • “もう一度ハワイをやる”…っていうことで、第二次MI作戦とかw  …冗談はさて置き情報は全くないよね。レイテはさすがにないだろうけど、なんか今マリアナって言われてもピンとこないんですよね。前にも書いたんですけど、キスカ・アッツじゃないかと予想してます。 -- 2016-07-03 (日) 00:17:57
      • 第二次MIいいな。俺の鎮守府の娘はAL/MIに参加してないからまだ過去を乗り越えられてないんだよね。なんかの形でもう一度ミッドウェー行きたい。 -- 2016-07-03 (日) 01:27:40
    • 運河棲姫「アノー…ワタシノ出番ハ…」 -- 2016-07-03 (日) 01:50:52
      • 遠いよ!というかハワイの泊地機能を一時的にでも奪還できないと、パナマまで水上艦を送るのは無理があるような・・・伊400型?それで勝てればいいんだけどね -- 2016-07-03 (日) 19:07:10
      • 実はスエズ運河というオチがあったりしてw -- 2016-07-14 (木) 20:54:59
      • 割とスエズは有りっぽいよね。イギリスフランスとかを出すにしても、途中で基地航空隊でマレー沖やるにしても -- 2016-07-20 (水) 11:00:50
      • ↑ホントにマレー沖やるみたいやね -- 2016-08-07 (日) 21:59:41
    • そういえば運営日本海海戦の事を言及してたような… -- 2016-07-03 (日) 01:53:16
      • じゃあ、春イベで駆逐古鬼が出てきたし、次は戦艦古鬼が相手だな。もちろん報酬艦は三笠! -- 2016-07-13 (水) 23:52:21
      • まさかロシア産艦艇実装する気では -- 2016-07-14 (木) 09:23:48
      • 夏イベの戦場であるマレー沖(通常海域2-1〜2-3)をバルチック艦隊が通った関係で言及してたのかもね -- 2016-08-09 (火) 10:06:13
  • 2016夏E1のブンタンはサンジャック泊地(現在のブンタウ) -- 2016-08-15 (月) 06:14:03
    • 途中送信すいません、続き。ブンタウ=ブンタンでしょうか?大本営が食べ物の名前を使うことが多いので文旦(別名ボンタン、ザボン)かな?ネットで軽く調べたんですがマレー作戦中の連合側の潜水艦発見の話が見つけられず、どこで調べればよいでしょうか? -- 2016-08-15 (月) 06:22:29
  • 有名なアルバコア、イギリス海軍にもアルジェリン級掃海艇として存在してたんだよね。しかもアメリカのと違って終戦まで生き残ってるらしいし。 -- 2016-09-05 (月) 13:02:25
  • 艦娘用語の「駆逐隊」から一覧を分離し、独立項目にしました。 -- 2016-09-11 (日) 17:08:27
  • 分散していたり折りたたまれていたりした各国の艦名の命名基準をまとめました。並びは艦これ実装順。 -- 2016-09-12 (月) 12:57:36
  • 新規艦娘の実装に合わせて浦波Warspiteの表記を変更&追加。 あと多摩は離脱中の撃沈ということでそこだけ文面ちょっと変えました -- 2016-09-19 (月) 01:06:09
  • サマール島沖海戦の藤波は赤ではなくピンクではないでしょうか? -- 2016-09-25 (日) 03:42:01
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White




*1 ただし、付け加えるなら駆逐艦は複数で1ユニットという考え方は、当時においては世界的にもそれほど珍しくない。米軍も3隻乃至4隻からなる「駆逐群」が基本最小単位だった。
*2 装甲巡洋艦、巡洋戦艦重巡洋艦
*3 「○○しお」がネタ切れしたため。「くろしお」など戦後だけでも3回も襲名されている。また、自衛隊発足当初から「水中動物」の名前も認められているのだが、「くじら」やら「らっこ」やらといった名前の潜水艦は登場したことはない。
*4 「航空母艦潛水母艦敷設艦等ノ如キ現今ニ在テハ他ノ艦種ヨリ轉ゼシモノ多ク時ニ新造アリト雖モ其數僅少ナレバ未ダ一般的選名ノ標準ヲ設クルニ至ラズ。」(出典:東京水交社『日本海軍艦船名考』)
*5 出典:福井静夫著作集4 日本巡洋艦物語
*6 海軍草創期に「東京」や「大阪」などが存在していたことはある。鵜来型海防艦に『沖縄』というのはあるが、都市名ではなく沖縄本島に由来する。
*7 日本でも、睦月型などは当初「第○号駆逐艦」と番号名で呼ばれていた。
*8 現・カリーニングラード(ロシア)
*9 空母だからで別にモルヒネデブがゴリ押ししたとかではない
*10 ただし「ドイツそのものの名を冠したフネが沈められると国民の士気にかかわる」という理由で「リュッツオウ」に改名されている
*11 戦艦ダンテ・アリギエリ(「神曲」を著した詩人)、戦艦レオナルド・ダ・ヴィンチ(万能人と呼ばれた芸術家)、潜水艦グリエルモ・マルコーニ(無線電信の発明者)
*12 硫黄島は現在、「いおうとう」のみが正式な呼称と定められているが、かつては「いおうじま」「いおうとう」のゆれが存在していた。アメリカでは「いおうじま」読みに従い"Iwo Jima"とされており、「硫黄島の戦い」は英語で"Battle of Iwo Jima"「バトル・オブ・イオー・ジマ」となっている。
*13 映画「硫黄島からの手紙」は「いおうじま」であるため正しくないがアメリカ映画なので仕方ない
*14 硫黄島「いおうじま」は鹿児島県に存在するため硫黄島「いおうとう」と発音しないと鹿児島の方を指すことになる。
*15 現在のタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦は戦場の名前が用いられている
*16 アメリカが建国して日が浅く、艦船に使うような抽象的な単語においてまだまだイギリスに負うていたのもある。
*17 この艦も終戦まで生き残った。
*18 一言で言えば設計図から見た場合の名前。何処が開発したどの機種でどの改良型か、なんてのが一発で分るようになっている。それぞれの意味については割愛
*19 開発順に『キ◯◯』という通し番号もあった。隼は『キ43』
*20 「代将」と同じになってしまうため
*21 なお陸軍省はかつては三宅坂にあり、昭和16年に市ヶ谷に移転した。
*22 ソ連の飽和攻撃の脅威からイージスの前身となる防空システム・タイフォンが1950年代末から開発されていたが、当時の電子計算機やレーダーの性能の低さなどから計画が頓挫。これらの基盤技術の成熟を待ちタイフォンの教訓を生かして開発されたのがイージスシステムである。
*23 ちなみに、タイコンデロガ級は(アーレイ・バーク級のように)一から開発されたのではなく駆逐艦のスプルーアンス級をベースとしている。タイコンデロガ級の能力は当時のミサイル巡洋艦を凌駕しており、そのままミサイル駆逐艦とすると「巡洋艦より強い駆逐艦」という矛盾が生じてしまうこと、艦隊の防空指揮中枢となることなどから建造途中に巡洋艦に「格上げ」された。
*24 因みにDDG第一号(ギアリング級駆逐艦ジャイアットを改装)が完成した当時、「ミサイル」に分類される兵装を搭載した「駆逐艦」は他に存在していなかったという事情もあったりする
*25 現在の西欧気質のドイツは第一次世界大戦後、ベルサイユ条約でドイツ領東部を削られたうえ、現在の国体であるドイツ連邦共和国が旧西ドイツであり、西欧の文化圏の領域が大半だったことによる。
*26 日本ほどデタラメな宗教観を持つ国はない(結婚式はキリスト教の教会で行い、新年の初詣は神道の神社で行い、葬式は仏教の寺院で行うなど。諸外国の宗教者は一貫して自分の宗教の元で行っている)。もともと仏教と神道の二重宗教国家だったのが明治維新と敗戦でさらに輪をかけてデタラメになった。よって中東情勢など日本には永遠に理解できないとされているが、最近はそうした宗教問題に嫌気がさし、日本の宗教だからという理由で仏教に改宗する外国人も後を絶たない。
*27 幕末新兵器の一つ『アームストロング砲』の製造元であり、日本海軍からも多数の軍艦を受注していた。
*28 日米の機動部隊同士の交戦で、戦術的に日本勝利だったのは珊瑚海と南太平洋のみで、ミッドウェー・第二次ソロモン・マリアナ・レイテはアメリカ勝利である。さらに言えば、珊瑚海や南太平洋でも、日本は作戦目的を阻止されているので、日米空母同士の海戦は全て米側の戦略的勝利なのだ
*29 厳密には間宮や伊良湖と異なり、艦内に冷凍庫を備えた生鮮食品及び冷凍食品の運送艦であった。
*30 現在のアメリカ空軍の新兵の訓練飛行時間は平均250時間程度なのに対し、一航戦の訓練飛行時間はおよそ4000時間以上だったとも言われている。
*31 索敵をし、制空戦に参加し、開幕爆撃をし、対潜戦闘をこなし、観測射撃を発動させる事ができる。瑞雲さん働き過ぎぃ!
*32 特設艦艇というのは空母のみでなく、海外の仮装巡洋艦にあたる「特設巡洋艦」を始め、様々な用途の特設艦艇が存在していた。どれも商船などの民間船を徴用するなどして改造したものである。
*33 分かりやすいのはアイオワ級の砲塔が日本戦艦のような丸みを帯びた形では無く、角ばった直線が多い形状となっている点
*34 一人あたり240g(一合半)の米をおにぎり2,3個にして配布。割と大きめっぽい?
*35 例えば大和の最後の食事はおにぎりとゆで卵と漬物だったらしい
*36 海軍飯炊き物語より
*37 モデルアート2004年4月増刊号、日本海軍航空隊 軍装と装備より
*38 製造には明治製菓や森永製菓が担当しており、明治の生産分にはカルミンが入っていたりする
*39 日本軍としては飛行場奪還のために、増援部隊や装備の揚陸をなんとしてでも成功させたかったこともあり、空襲を受けガ島に向かえるのは半数以下になった輸送船団にガ島に進撃するように命令している
*40 戦前の皇国史観下、楠木正成は後醍醐天皇に忠義を尽くしたことから市井では人気のある武将だった。反対に足利尊氏は逆臣として忌み嫌われていた
*41 恐れるもの無し
*42 19世紀後半以降、リッサ海戦等の戦訓から艦首水面下に体当たり用の衝角(ラム)があることが一般的だった。(現存する三笠を見るとよくわかる)。が、皮肉にも遠距離専用と割り切って衝角を放棄したのがこのドレッドノートであった、しかしながら、第二次世界大戦では当の英国がUボート対策に駆逐艦等による体当たり攻撃を多用している。
*43 ただし、この時(1915年3月18日)ドレッドノートが沈めたU-ボートは、史上初のU-ボートエース(3隻の巡洋艦を75分で全艦撃沈してのけた)であるオットー・ヴェディゲンが指揮を執っていたもので、この攻撃でオットーは戦死。イギリスにとっては不倶戴天の宿敵を倒した事でドレッドノートの名声は不動のものとなる。ちなみに、戦艦が潜水艦を撃沈した唯一の事例である
*44 なぜか忘れ去られていることが多い。姉様不幸です……
*45 第二砲塔を90度〜270度で射撃すると艦橋が吹っ飛ぶペンサコラ級とか。
*46 もっとも、初期の頃は魚雷の作動不良が多かった。また、肝心の新兵器も登場したのが大戦後期だったので、大きな成果を挙げられなかった。
*47 正確には発射されるミサイルの排気を逃がすための排気口も。また甲板に埋め込むのではなく、甲板上の区画や煙突等に沿って立てて並べる形式のものも存在する。
*48 艦艇見学で乗員(VLS説明担当の方?)に尋ねると「そのまま装備されておりいつでも使用できるように訓練・整備等は行っているが、現在まで実際に使用したことは無く、これからもおそらく使われないだろう。」とのこと、実際に見たことも無いので結局定かではない。
*49 地理的名称としてのソロモン諸島。ソロモン諸島の島々は1978年に独立して「ソロモン諸島」という国になったが、ブーゲンビル島は含まれず、隣のパプアニューギニアに属する。
*50 なお、対英国に至っては宣戦布告すら行っておらず、対独戦の最中であった英国世論を激怒させたことが戦後の戦犯裁判に影響したという説もある。
*51 著名な研究家が取り上げたこともあって現在に至るまで広く知られているが、英国側の証言では「単に脱出が遅れただけだろう」としている。
*52 「サラトガ」は伊26の雷撃で大破して修理中、「レンジャー」は大西洋唯一の航空支援艦なので引き抜くのは困難
*53 赤城、加賀、飛龍、蒼龍、レキシントン、ヨークタウン、ワスプ、ホーネット
*54 第五艦隊の重巡2、軽巡2、駆逐4に対し、米艦隊は重巡1、軽巡1、駆逐4
*55 この通訳官が、後に日本文学・日本文化研究の第一人者となるドナルド・キーン氏。2012年に日本国籍を取得し、2014年現在も存命
*56 バーク大佐はこのとき転出で駆逐隊を離れており、実際の戦闘は後任のムースブルッガー中佐が指揮を執っていた。
*57 悪天候のため、索敵と攻撃に困難をきたしたのは米軍側も同じである。
*58 1945年7月22日に起こった、房総半島の野島崎沖における日本の護送船団とアメリカ海軍の駆逐艦部隊との間に起こった水上戦闘を最後とする解釈もある。
*59 コアに使用されたプルトニウムは、過去2度に及ぶ臨界事故を起こして研究員2名が死亡している為、「デーモンコア」と呼ばれた。
*60 信じられない話だが、この実験が行われた時点では広島と長崎での惨劇が正確には検証されていなかった。
*61 もっとも、この実験では「長門」や「オイゲン」以外の大型艦も相当数残っており、大型艦への攻撃に核兵器はあまり有効ではないと判断されている。
*62 一説によると、レーダーはこの状況に「名誉ある戦死を遂げる以外に出来る事が無い」と嘆いたという
*63 その右上の小島のひとつがアクタン・ゼロを落としたアクタン島の筈だが、デフォルメされているので判然としない。
*64 戦艦5隻、正規空母2隻を擁する有力な艦隊だったが指揮官サマヴィル中将の方針で極力戦闘を避けていた
*65 当時、この艦には陸上部隊指揮官ヴァンデグリフト少将、南方部隊(5-3-C)指揮官クラッチレー少将、北方部隊(5-3-D)指揮官ターナー少将、ヘンダーソン基地司令マケイン少将が集まり、作戦会議を行っていた
*66 第一次ソロモン沖海戦、海戦後
*67 第一次挺身隊/サボ島沖海戦
*68 中央・南ルート、ソロモン諸島経由
*69 北ルート、サンタクルズ諸島経由
*70 ソロモン攻略の最重要拠点。史実ではここを攻撃しなかった為にガ島の米軍へ次々と物資が送り込まれる事となった。
*71 モデルが多いのでマップ名の由来である鼠輸送作戦での戦没艦のみ抜粋
*72 丙作戦第三法、伊19の項を参照
*73 日本側はギルバート諸島の戦いが始まる直前に迎撃艦隊を二度出撃させたがいずれも空振りに終わり、直近拠点であるトラック泊地の重油不足が深刻化していた。また、空母航空隊はろ号作戦で損耗し出撃不可能な状態にあった。中部海域で支援艦隊が使えないのはそのせいか?
*74 日本海軍「艦これ」公式作戦記録(宝島社)より
*75 第六駆逐隊・第四水雷戦隊による陽動作戦
*76 ミッドウェー海戦で飛龍に自爆攻撃を敢行して戦死したアメリカ海兵隊VMSB-241指揮官のロフトン・R・ヘンダーソン少佐に由来する。
*77 日本名ルンガ飛行場、現ホニアラ国際空港
*78 第一夜戦
*79 第二夜戦
*80 進化論で有名なダーウィンに因んで命名されたが、ダーウィンはこの地を訪れたことはない
*81 指揮官フレッチャー少将、旗艦空母「サラトガ」以下、飛行艇母艦「タンジール」、重巡「アストリア」、「ミネアポリス」、「サンフランシスコ」、駆逐艦9隻
*82 AL=アリューシャン
*83 グロウラーが第十八駆逐隊を壊滅させたのはAL作戦の1ヶ月後。
*84 龍驤戦闘機分隊第2小隊2番機・古賀忠義一飛曹機。D1-108
*85 MI=ミッドウェー
*86 当時主力の一航戦は本土で再建中で、トラックにいたニ航戦も艦載機を全てラバウルに出してしまっており、多数の空母・戦艦を有する米機動部隊相手にとても戦える状態ではなかった。
*87 史実では実際に主力が居たのはトリンコマリー軍港とチャイナ・ベイ空軍基地
*88 新型のエセックス級、インディペンデンス級からなる高速空母機動部隊。トラック島空襲、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦といった米の反攻作戦における主力部隊。
*89 航行不能となった「妙高」をシンガポールに曳航するため第五艦隊の「羽黒」が現場に向かい、このため「羽黒」は礼号作戦に参加できなかった
*90 重巡ルイスビル、ミネアポリス、軽巡フェニックス、ボイス、駆逐艦バートン、オブライエン、ラドフォード、フレッチャー、オバノン、ホープウェル、アレン・M・サムナー、ローリー、ラフィー
*91 日本側記録ではB-25による爆撃、米側記録ではPT-223による雷撃で沈没