あの愚かな野獣を見ていると
いかに人間たちがくだらないものに
支配されているかがよくわかる。
感情に支配されることを望まなかったからこそ、
我々はノーバディになることを選択した。
それが大きな損失であることに気がついたのは
ずっと後の話だ。心が無ければなしえないことが
あるのは理解しているが、それにしても
感情とは不愉快なものだ。
筆者はザルディン。
- 「野獣」とは言うまでもなくビーストのこと。
日付(DAY119)的にはちょうどミッション「城の主を調査せよ」が発生していた時期である。 - しかしゼアノートがまだ人間であった頃、ノーバディという存在はありうる可能性のひとつとしてしか考えられていなかったのに、ノーバディになることを選択したとは少々おかしな話である。